里の状況がわからない以上、体力も魔力も温存しておきたいところだったが、山道に入るなり魔物が次々と襲ってきてそれどころではなかった。
「ええい、埒が明きませんわね! 近道を行きますの!」
ハオリンは前方から来る敵を剣で素早くなぎ払いながら、足場の不安定な獣道を持ち前の運動能力で先導する。
「【
「ムー!」
俺とハオリンの討ち漏らしをムーが仕留める。本当に、拾った時とは見違えるほど心強い相棒になってくれた。
「いくらなんでも多すぎる!」
「里を出た時にはここまで酷くはありませんでしたのに!」
山は魔力が豊富なので魔物が集まりやすい傾向にはあるが、麓の町には魔物避けが施されているのに、山に入った途端襲われ続けるというのは異常事態だ。
「これは、月神の加護が薄れたからってだけじゃない気がする」
大人しいとされる魔獣でさえなりふり構わず向かってくる始末で、明らかに暴走状態にあった。
「うう、何が起きてますの?」
「とにかく、里まで行ってみるしかない」
気丈に振る舞っているハオリンも、故郷を案じていよいよ泣きそうになっていた。
「……大丈夫。神の寵愛って奴が俺を英雄にしたいんなら、最悪の事態にはならないはずだ」
半ば自分に言い聞かせる。神を信じているわけではないが、こういうのも神頼みや信仰心というものに当てはまるのだろうか。
ハオリンの的確な案内と、なりふり構わずに強化魔術を使って走り続けたおかげで、予定よりも早く到着できた。
一応、月神の加護はまだなんとか持ちこたえているようで、人工物が見えてくる頃には魔物の姿はずいぶんと減った。だが襲撃はあるようで、ところどころ柵や壁が壊れており、出歩いている人影もなくひっそりとしている。
そして標高が上がるごとに霧が濃くなり、日没前だというのに里全体が薄暗く見通しが悪い。景色が美しいと聞いていたが、それもよく見えなかった。
「ひとまず我が家へ参りましょう。さすがに、少し休まねば……」
「助かる……」
結局休憩どころか昼食を取る時間すら取れず、俺もハオリンも疲労困憊だった。
「ムー、大丈夫か?」
「ムー……」
肩に乗っているムーに声をかけると、力なく鳴いた。心なしか丸がひしゃげて萎びている気がする。
そういえば人間と契約した精霊は、人間から魔力を貰うという話だった。つまり俺の魔力が枯渇するとムーにも影響があるのでは。気をつけることがまた増えた。
ハオリンの実家は、里の中心部にある屋敷だった。ずいぶん広いと思ったら、なんと彼女は里長の娘らしい。
広い庭がある平屋はかなり古そうだが、柱や床板には木材特有の艶があり、隅々までしっかりと手入れが行き届いていた。
「父様、母様! ただいま戻りました!」
「その声、ハオリンか!?」
心配をかけまいと、精一杯元気を取り繕ったハオリンが家の中へ呼びかけると、すぐにどたどたと足音が聞こえた。
声を張り上げたわけではなく、玄関から奥へ伸びる廊下はかなりの長さがあるのに反応するとは、さすが兎族は耳が良い。
「ハオリン!」
間もなく現れたのは、ハオリンと同じく薄桃色の髪の男女だった。その後ろから、使用人と思しき兎耳の人々が数人続く。
「無事だったのね。良かった……」
「怪我はないか。外は魔物だらけだったろう」
「はい、このとおりですの!」
抱き合って再会を喜ぶ親子を邪魔しないよう、ひとまず玄関に立ったまま待つことにした。
ハオリンの両親は、顔立ちからすると二人とも三十代半ばほどにしか見えなかった。里長というにはかなり若く見えるが、娘の見た目と年齢のギャップ、そして獣人族は人間の感覚では幼く見えるということを考えると、うちの両親より年上の可能性がある。迂闊なことは言わないでおこう。
「ハオリン、そちらの方は?」
ひとしきりお互いの無事を確かめ合った後、里長がハッと気付いて訊ねる。
「そうでした! 人間族の方がタキ様で、肩に乗っていらっしゃる綿毛の方がムー様ですの」
「初めまして。タキ・リントヴルムです」
「ムー」
ムーも自分で名乗った。この毛玉、兎族全体に友好的なようだ。
「白く輝く毛並み……ヒカリヌシ様!」
ムーの存在に気付いた途端、二人は床に手を着き深々と頭を下げた。
「か、顔を上げてください。伝説があるという話は聞きましたが、本当にそうなのかはわからないんです」
「ですが、里の窮地にタイミング良くお越しになるなんて、そうとしか……。とにかく、中へどうぞ。長旅でお疲れでしょう。お部屋もすぐにご用意します」
「ああ、その前に」
麓の町からの支援物資があるので、場所を借りて広げたいということを話すと、目を丸くしていた。
里長によると、普段から石鹸や衣服、金属加工品などの日用品や消耗品は麓に降りて調達していたため、手に入らなくなって困っていたところだという。
「さっそく分配しますの!」
「それは大工さんの家に。そうだ、紺屋さんのところは赤ちゃんがいるから少し多めにしないと」
「お薬も分けていただけましたわよ。ご隠居様の肺のお薬、そろそろ切れますでしょう?」
里長夫人とハオリンは、里の住民のことは全て把握していると言わんばかりに、物資をてきぱきと仕分けていく。よそ者が手伝えることはなさそうだ。
「それにしても、たくさん入って重さが変わらない鞄なんて、都会には便利なものがあるんですなあ……」
その横で、里長は見た目には古びたトランクにしか見えない俺の魔導鞄を興味深そうに眺めた。
ちなみに使用人たちは、ハオリンが戻ったことを里中に知らせるため、慌てて出ていった。
「父様、きっとものすごーく値が張りますわよ。便利なものと可愛いものは、とても高価でしたもの……」
言いながら、ハオリンは悔しそうにため息をつく。どうやらハオリンの旅は、里から出る機会が少ない彼女の社会見学も兼ねていたようだ。
「そうか。そうだよなあ」
「そんなことより、父様も手を動かしてくださいまし」
「あ、ああ」
娘に叱られた里長は耳をぺたっと伏せ、慌てて仕分けに加わる。俺までネネに叱られた時の情けない気持ちを思い出してしまった。
「俺も手伝えることはありませんか?」
「いいえ、タキ様にはゆっくり休んで英気を養っていただきませんと。そうだ、お昼のおにぎりを結局食べ損ねておりましたわね。夕飯まではもう少し時間がございますから、今から召し上がってはいかが?」
「そう言われてもな……」
空腹は感じているものの、皆が慌ただしく働いているのを見ながら一人だけ休んで食事というのは、なんとなく居心地が悪かった。
「ハオリンだって食べてないだろ。少し休んだ方がいいんじゃないか」
「えっ! まさか、お昼ご飯を食べていないんですか? ハオリンも?」
夫人が顔を上げ、俺とハオリンを交互に見る。
「はい、まあ……。魔物が多すぎてゆっくり落ち着ける場所がありませんでしたから」
「なんてこと。じゃあお味噌汁でも作りますから、ハオリンも食べなさい。あなた、ここは任せますからね!」
「はい……」
里長夫人は伴侶の返事も聞かないうちに、ばたばたと部屋を出ていった。女性陣はどんな時でも逞しい。