しっかり動いてしっかり食べたからか、翌朝は六時に目覚めるということはなかった。
ところが布団に包まってぬくぬくと惰眠を貪っていたら、急に廊下が騒がしくなって目が覚めた。
「落ち着いてください! この建物は頑丈ですから、窓を開けず、お部屋の中で待機をお願いします!」
何事かと思いながら寝ぼけ眼でとりあえずカーテンを開けた瞬間、巨大な影が目の前を横切る。
「ホテルが襲われたことはないんじゃなかったのかよ……」
ロック鳥が耳をつんざくような鳴き声を上げ、白い翼を広げてホテルの周りを旋回していた。さすがに本物を見るのは初めてだ。
一瞬、昨日警官が言っていた『事件に愛される呪い』という話が脳裏をよぎった。
いや、まさかそんな。
「何にせよ、あれを片付けないことには外に出られないわけだ」
顔を洗って速やかに着替え、廊下に出る。客への説明のために走りまわっているスタッフが、俺に気付いて駆け寄ってきた。
「お客様! 大変申し訳ございません。安全が確認できるまでお部屋の中に――」
「すみません。責任者の方に繋いでいただけますか」
念のため持ってきていた警察の身分証を見せると、はっとした顔でカードの写真と俺を見比べる。
「こ、こちらに」
すぐにスタッフ通用口に案内され、バックヤードにいた支配人と思しき男性にひそひそと耳打ちした。
「首都警察警備部、急襲部隊所属のタキ・リントヴルムです。魔術師でもあるので、魔獣討伐の際に何かご協力できることがあればと」
模範であれと叩き込まれ、形にだけは自信がある敬礼をすると、支配人はパッと顔を明るくする。
「頼もしいです! 地元のハンターに出動を要請したところなのですが、ロック鳥ともなると編隊が必要なため、到着にはもう少し時間がかかるようで……」
とハンカチで額の汗を拭いた途端、またしてもけたたましい鳴き声が響き、突風が窓をガタガタと揺らした。
「どうしてこんなに怒ってるんでしょう」
ここまで案内してくれたスタッフが怯えている。
確かにロック鳥がいくら攻撃的な性格だと言っても、ピンポイントにこのホテルを狙う理由がわからない。
「昨日のビュッフェに出た奴とつがいだったとか?」
と冗談のつもりで言ったら、
「ありえますね。まだ、冷凍庫に肉の在庫がありますし……」
支配人が真顔で頷いた。マジかよ。顔には出さずに心の中だけで舌打ちした。
そういえばあの肉は魔力を纏っていたから、魔獣だったら気配を辿ってこられるかもしれない。
「何にせよ、話し合いが通用する相手ではありませんし、人里を襲った魔獣は討伐しなければならない決まりです」
今度は建物が揺れ、ミシッと嫌な音を立てた。
あの巨体なら風圧だけでもかなりの威力だ。そして爪は魔導車くらい簡単に持ち上げるというから、いずれ壁だって壊してしまうだろう。
俺が呪われているかどうかは一旦考えないことにして、とにかく人的被害が出る前に討伐、せめて弱体化させなくては。
「……すみません。屋上に行きたいのですが」
「え!?」
出しゃばらなくていい方法をしばし考えたが、結局いつもの結論しか出なかった。
もちろん支配人には引き留められたが、何があっても責任は自分で取る、ホテルの不利益になることはしないと約束して、屋上の鍵を借りた。
「危険だから、付いてこない方がいいですよ」
「いえ、そういうわけには……」
客である以上は放ってはおけないのか、最初に支配人のところまで案内したスタッフが、おそるおそる数歩後ろを付いてくる。
「絶対に私よりも前に出ないで、必ず指示に従ってください」
「もちろんです!」
屋上へ続く鉄の扉を薄く開き、吹き荒ぶ風に髪をもみくちゃにされながら、外の様子を窺った。
「確かハンターのやり方だと、弩弓で地上に撃ち落としてから討伐するんだったな……」
ロック鳥は相変わらず、威嚇の声を上げながらホテルの周りを旋回している。
「悪いな、そっちにも事情があるんだろうが」
人間の生活や法律なんて、魔獣にはまったく関係がないことだ。向こうからすれば突然仲間を殺されて亡骸まで奪われたわけで、復讐したくなる気持ちは少しわかる。
「……どうせ殺さなくちゃならないなら、苦しませない方がいいか」
初めは適当に弱らせて、あとはハンターに任せようと思った。縄で拘束するか翼に穴を開けるかと検討していたものの、思い直して首を振った。
「【
左手に魔力が集まり、弓の形に細く伸びる。細い矢を生成して、扉の隙間から見える狭い上空に狙いを付け、巨体が正面に来た瞬間扉を蹴り開けた。
「【
俺の身体よりも大きな光る矢が、真っ直ぐに青空を駆ける。
そういえば最初に【瞬光】と呼ばれた理由は事件解決の早さではなく、この魔術が原因だったなと、急に思い出した。
ロック鳥は矢に自分から当たりにいくような形になり、一際大きな悲鳴を上げてぐらりとバランスを崩す。
「あ、ヤバい」
翼を広げたままコントロールを失った巨体は思ったよりも斜めに滑り、ホテルに直撃コースをとった。
「【
慌てて端のフェンスまで走りながら軌道を逸らし、できる限り落下の衝撃を抑えるように上昇気流を発生させる。
その甲斐あってロック鳥は盛大に砂埃を上げながらも、建物から少し離れた林の中に墜落した。
到着したハンターたちに経緯を説明し、なんとか事態に収拾をつけた頃には、もうチェックアウト時間が迫っていた。
身支度を整えて鍵を返す手続きをしようとしていたら、支配人がばたばたと走ってくる。
「お待ちください、リントヴルム様!」
「何でしょう。まだ何かありましたか?」
地元の報道記者が駆けつけてきたのが見えたので早めに退散しようと思ったのに、まさかインタビューに応じろなんて言われないよな、と今までの経験から身構える。
「実は先ほど討伐していただいた新鮮なロック鳥のお肉を使って、これからお客様へのお詫びを兼ねたバーベキューをしようかという話になっておりまして」
「バーベキュー」
魅力的な言葉すぎて思わず復唱した。聞いた途端、朝食を食いっぱぐれていることを思い出してしまった。
「リントヴルム様にはぜひご参加していただきたいのですが」
「……わかりました。休暇中なので、挨拶や取材の類いは受け付けませんが、それでもよければ」
「承知しました、ぜひ食べていってください!」
***
タキが出勤しなくなった警察本部の急襲部隊詰め所は、少々士気が落ちていた。
「やっぱ、指揮官がいないとやる気が出ない……」
威勢良く送り出したはずのニコロは、ぐったりしながら休憩用ソファにもたれかかり、備え付けのテレビをつけた。
まだ一般的には高級品だが、映像でいち早く情報を仕入れられるため、詰め所には大きめの画面のものが設置されている。
ちょうど、近隣の事件やイベントを伝えるニュース番組が放映されていた。
ロック鳥がカリストン郊外のホテルを襲った後、有志によって無事に討伐されたという内容が報じられた時だった。
「あれ!?」
ぼんやりと眺めていたニコロの視線が、画面の端に注がれる。
「どした?」
通りすがりのサリが、大きな声を聞きつけて顔を覗かせた。
「姉御! これ、ここに映ってるの、指揮官じゃないですか!?」
「え?」
見覚えのある黒髪と青い目の青年が、大きな焼き鳥串に齧り付いていた。
――彼の家族ですら一度も見たことがない幸せそうな顔で、もぐもぐと肉を頬張っている。
しかし顔をしっかりと確認する前に、次のニュースに切り替わってしまった。
「あれ、でも雰囲気違ったなあ。似てただけかなあ……」
ニコロは隣で首を傾げていたが、
「のびのびしすぎだろ……」
学生時代、一人で学食を食べている時が一番良い顔をしていたことを知っているサリは、笑いを堪えるのに必死だった。