俺の母さん、実は魔王でした⁉   作:KuRoNia

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第九節:絶望の夢路

 崩れ落ちた祭壇の片隅、壁に叩きつけられ膝を抱えてしゃがみこんだカリザードは、もはや抜け殻のようだった。

 燃え尽きたような眼はどこも見ておらず、自分の計画の失敗を悟った瞬間から、その心は完全に折れてしまったのだろう。

 

 そんな彼のすぐ傍で、ひとりだけ楽しげに動いている影がある。

 ジョーヌだ。

 

 彼女は頬杖をついてカリザードの顔を覗き込み、指で頬をつんつん突っつきながら、わざとらしい声で話しかけていた。

 

「ねぇー、もうおしまい? もっと遊ぼうよー。ほら、返事ぐらいしてってば。聞いてる? もしもーし? 生きてるー?」

 

 完全に悪ふざけだ。だがその様子は、彼女が本気で遊んでいるのだとすぐに分かる。

 カリザードは微動だにしない。ただ空虚な瞳のまま、口も動かさない。

 

 ――そんな様子を、ノクスはしばらく黙って眺めていた。

 けれど心の中にある違和感がどうにも収まらず、つい声をかけてしまう。

 

「なぁ、ジョーヌ。……ちょっといいか?」

 

「ん?」

 

 不意に名を呼ばれ、ジョーヌは突いていた指を止め、ぱちりと瞬きをして振り向いた。

 その笑顔は相変わらずのんきで、だがどこか小悪魔らしい挑発的な光を含んでいた。

 

「色々聞きたいことがあるんだけど……いいか?」

 

 ノクスが真剣な顔で切り出すと、ジョーヌは頬をぷくっと膨らませ、わざと気だるげな声を出す。

 

「えー、今あーし遊んでるんだけど~」

 

「遊んでるって……その相手は完全に折れてんだろ…」

 

 呆れ混じりに返すノクス。だが彼女はまるで意に介さず、逆にからかうように片目を細めた。

 

「ま、いーや。で、何聞きたいのさ?」

 

「まず……なんで“大悪魔の召喚”の儀式で、お前が出てくるんだ? ジョーヌ、お前は……人間だろ?」

 

 その問いに、ジョーヌは一瞬きょとんとした顔をする。

 だが次の瞬間、口笛を下手くそに吹きながら、肩をすくめて答えた。

 

「アーシハニンゲンダヨー。ほら、全然怪しくないよー」

 

「……」

 

 明らかに誤魔化している。

 ノクスの額に青筋が浮かぶ。

 

「ふざけんな!」

 

 ノクスはカッとなって頭を軽く叩こうとした。だが――。

 

「わっ!」

 

 手応えがない。空振りだ。気が付けばジョーヌは目の前からひょいっと後ろに飛び、両腕をクロスさせて×印を作って。

 

「残念でしたー! 夢の中ではあーしに攻撃できませーん!」

 

 得意げに舌を出すジョーヌ。

 ノクスの苛立ちはますます募る。

 

「お前なぁ……!」

 

 その小競り合いを横で見ていたルカが、盛大にため息を吐いた。

 

「はぁ……バカが二人に見えるぜ。ノクス、いい加減気付けよ。こいつ、元から人間じゃねぇよ」

 

「……は?」

 

 ノクスは思わず固まった。

 ルカは肩をすくめ、呆れ顔で言い放つ。

 

「小悪魔だったんだよ、ジョーヌは」

 

 ノクスの脳裏で何かが弾けた。

 ――長年一緒にいたジョーヌが、人間じゃなかった?

 

「………………え」

 

 口を開いたまま絶句するノクス。

 頭の中が真っ白になり、思考が一瞬で凍りつく。

 

「ちょ、ちょっと待っ……!」

 

 まともに言葉すら出せない。

 

 そんなフリーズしたノクスを横目に、アリスが代わりに質問を切り出した。

 

「えっと……ジョーヌさんが人間ではなかったことは、ひとまず置いておくとして……」

 

 アリスは咳払いをし、冷静に言葉を整える。

 

「ルカさんが言うように“小悪魔”として存在していたジョーヌさんが、なぜ今は“大悪魔”として顕現しているのですか? 以前は魔力量も普通でしたから、私もジョーヌさんが悪魔だとは気付かなかったのですが……」

 

 その問いに、ジョーヌはキョトンとした顔で首をかしげる。

 

「え? 小悪魔として召喚されてたから小さかっただけだけど?」

 

 あっけらかんと返す彼女に、アリスは声を荒げた。

 

「ですから! 小悪魔だったのが急に大悪魔になるなんて、おかしいじゃないですか!」

 

 言われてようやく、ジョーヌは「あーね」と頷いた。

 

「人間のみんなってさぁ、勘違いしてるんだよね。『小悪魔』『悪魔』『大悪魔』とか階級分けしてるけど、そもそも悪魔種にそんな区分ないんだわ」

 

「……は?」

 

 アリスの声が震える。

 

「ぶっちゃけるとさ、悪魔種は全員“大悪魔級”って言った方が分かりやすいかもね。力を調整してるだけで」

 

「……」

 

 アリスの顔から血の気が引いた。

 ルカでさえ一瞬言葉を失い、ノクスは未だフリーズ中だ。

 

 しばしの沈黙を破ったのは、ようやく思考を立て直したノクスだった。

 

「ちょ、ちょっと待った! だとしたら……なんで前は小悪魔だったんだよ!?」

 

 ルカも食い気味に同意する。

 

「そうだそうだ! お前、前に日食の時、熱出してぶっ倒れてただろ! あれ小悪魔だから魔力に耐えられなかったんじゃねぇのか!?」

 

「うーん……」

 

 ジョーヌは腕を組み、うーんとうなりながら考え込む。

 

「説明しにくいなぁ……ざっくりイメージで言うとさ――」

 

 人差し指を立て、軽快な調子で説明を始める。

 

「悪魔界から人間界に来るときって、必ず“穴”を通る必要があるの。で、小悪魔召喚の穴はめっちゃ小さい。全力の状態だと通れないから、力を落としてギリギリすり抜けるんだよね~」

 

 ふわふわした説明に、三人は顔を見合わせる。

 

「で、今回はさー。こいつがめっちゃでかい穴開けちゃったから、そのまま本来の力で来れちゃったってワケ。ラッキー☆」

 

「……」

 

 三人は沈黙した。

 だが妙に納得してしまう自分がいて、それを認めたくない気持ちも渦巻いた。

 

「ざ、ざっくり過ぎます……!」

 

 アリスが抗議の声をあげるが、ジョーヌは聞いていないかのように鼻歌を歌っている。

 

 こうして、ノクスたちはようやく「ジョーヌの正体」と「大悪魔召喚の真相」に触れたのだった。

 

 「なぁ、ジョーヌ。最後に一つ、聞いてもいいか?」

 

 ノクスは息を飲み、目の前の少女を見据えた。相変わらず気怠そうに頬杖をつき、床に座り込んでカリザードの動かぬ身体をつんつん突いて遊んでいるジョーヌ。しかしその姿に油断はできなかった。先ほどまでの会話の端々に、どうしようもなく拭えない違和感があったからだ。

 

 「んー? なに? またお説教とかじゃないよね?」

 

 ジョーヌは首を傾げ、面倒くさそうに目を細める。だが、ノクスは怯まず続けた。

 

 「この夢の世界……ここって、お前の能力なんだろ?」

 

 わざと挑発するように、はっきりと問いかける。

 ジョーヌはわずかに目を見開き、次の瞬間にはいつもの間延びした声であっさり返した。

 

 「うん、そうだよー」

 

 あまりにも軽い答えに、ノクスは眉をひそめた。

 その隣でルカとアリスも緊張した面持ちで黙り込み、彼の言葉の続きを待つ。

 

 「……じゃあ、いつだ? カリザードや俺たちを夢の中に引きずり込んだのは」

 

 その問いに、ジョーヌの口元がわずかに吊り上がった。

 いつもの気怠げで退屈そうな雰囲気とはまるで違う。まるで背筋に氷を滑り込ませるような寒気をまとって、彼女は愉悦に満ちた笑みを浮かべた。

 

 「――あーしのことを“認識した”瞬間だよ」

 

 低く囁くように放たれたその言葉に、空気が凍りついた。

 ノクスは喉を鳴らし、言葉を失う。アリスは小さく肩を震わせ、両手を胸元でぎゅっと握りしめる。ルカでさえ額に冷や汗を浮かべ、表情を固くした。

 

 「……っ」

 

 ノクスは声を出そうとしたが、喉が張り付いたように言葉が出ない。

 今のジョーヌは、これまで一緒に笑い合い、無邪気に悪戯していた少女の姿ではなかった。彼女がまとう空気はまるで捕食者。獲物を嬲り殺す直前の、ぞっとするような愉悦を秘めた猛獣そのものだった。

 

 「さてと」

 

 ジョーヌは床から立ち上がり、ゆっくりとノクスたちの正面へ歩みを進める。

 その一歩ごとに、夢の世界の色がじわじわと滲み、形を失っていく。まるで周囲の風景そのものが彼女の意思に従って変容しているように見えた。

 

 「じゃあ……そろそろ“続き”しようか?」

 

 「……続き?」

 

 ノクスはかろうじて声を絞り出す。だが、その疑問が終わるよりも早く、ジョーヌの瞳がこちらを射抜いた。

 その瞳には迷いもためらいもない。ただひたすらに愉しげな光だけが宿っていた。

 

 ノクスは慌てて槍を構えようとした。だが――。

 

 「動くな」

 

 ただ一言。それだけで、全身が鉛のように重くなり、ぴたりと動きが止まった。

 「……っ!」ノクスは歯を食いしばるが、体はまるで他人のもののように硬直し、指一本すら動かせない。

 

 「おい……冗談だろ、ジョーヌ?」

 

 ルカが掠れた声で問いかける。だが、返ってきたのは小さな笑い声だった。

 「アハッ」

 

 次の瞬間、ジョーヌは腰から二振りの短剣を抜き取った。いつも彼女がふざけ半分に弄んでいる、あの短剣だ。

 「えいっ」軽い掛け声とともに、一本を投げ放つ。

 鋭い音が空気を裂き――次の瞬間、ルカの額に深々と突き刺さった。

 

 「……っ!!」

 

 ルカの目が見開かれ、声にならない息が漏れる。膝が崩れ、そのまま地面に倒れ込んだ。

 血は流れない。ただ静かに、夢の世界に溶けるように身体が沈んでいく。

 

 「ルカさんっ!!」

 アリスの悲鳴が響く。彼女は恐怖と混乱で涙をこぼしながらジョーヌを睨みつけた。

 「な、なんで……!? どうしてルカさんを――!」

 

 その訴えすらも虚しく、ジョーヌは残ったもう一振りをくるくると弄び――「えいっ」と笑いながら投げつけた。

 短剣は容赦なくアリスの額へと突き刺さり、彼女もまた崩れ落ちた。

 

 「…………」

 

 ノクスは、声も出せずにただ見ていた。

 頭が真っ白になり、心臓を握り潰されたような感覚に襲われる。仲間だと思っていたジョーヌが、今、ルカとアリスを殺した。信じていた少女の手によって。

 

 「う、あ……ぁ……」

 

 自然と涙が零れ落ちる。止めようとしても止められない。喉が焼けるように熱く、全身が震えていた。

 そんなノクスの頬に、ジョーヌの指先が触れた。舐めるように流れる涙をすくい取り、そのまま口元に運ぶ。

 

 「ん……しょっぱいね」

 

 ぞっとする笑みを浮かべながら、彼女は一歩、また一歩と近づいてくる。

 ノクスは必死に後退ろうとするが、体は動かない。逃げることも抵抗することもできなかった。

 

 気付けば、槍はすでにジョーヌの手に握られていた。彼の大切な武器は、いつの間にか奪い取られていたのだ。

 「じゃあね」

 

 その一言とともに、槍が振り下ろされる。鋭い痛みが胸を貫き、息が詰まる。

 血は流れない。ただ激しい衝撃とともに、世界がぐらりと傾いた。

 

 「ジョ……ーヌ……」

 

 かすれた声で名前を呼びながら、ノクスは視界を手放していく。

 目の前の少女の笑みが、最後に映った光景だった。

 闇がすべてを覆い、彼の意識は深く沈み――眠るように閉じていった。

 

 ――胸を突き刺される感覚とともに、ノクスの意識は真っ暗な闇へと沈んでいった。

 心臓を突き抜かれた痛み、仲間を失った絶望、そして信じていたジョーヌの裏切り。

 全てがぐちゃぐちゃに混ざり合って、涙の中に溶けて消えていった。

 

 ……だが。

 

「……っは――!」

 

 ノクスは息を吸い込み、飛び起きる。

 荒い呼吸を整えながら、心臓に手を当てる。胸は刺されていない。血も流れていない。そこにあるのは確かな鼓動だけだった。

 

「……どういうことだ……?」

 

 混乱の中で周囲を見渡すと、目の前にはなんとも信じがたい光景が広がっていた。

 

「いだだだだだ! やめてってばぁぁぁぁ!」

 

 ジョーヌが地面に押さえつけられ、ルカに頭をがっしり掴まれていた。銀髪の吸血種が片手で少女の頭を締め上げ、容赦なくアイアンクローを決めている。

 

 その隣では、涙目でジョーヌを指差しながら抗議するアリスがいた。

 

「本っ当に最低です! ジョーヌさん! 私、心臓止まるかと思いましたからね!」

 

 ノクスは呆然として、ただ一言。

 

「……え?」

 

 自分の声がやけに間抜けに響いた。

 

 その声に気付いたルカとアリスが、ぱっと顔を上げる。

 

「おっ、気が付いたかノクス!」ルカがジョーヌを締め上げたまま、にやりと笑う。

「ノクス君! 本当に大丈夫ですか!?」アリスは駆け寄り、肩を揺さぶるようにして無事を確かめる。

 

 ノクスは混乱したまま、二人を見つめた。

 だって――さっき、ルカは短剣に額を貫かれて死に、アリスも同じように倒れていったはずなのだ。

 

「ちょ、ちょっと待て……。お前ら……死んだ、はずじゃ……?」

 

 震える声で問いかけると、ルカが眉をひそめ、手に力を込めた。

 

「その辺りをこれから説明してもらうところだ」

 

「いだだだ! 頭割れるぅぅ!」ジョーヌは両手をばたばたさせ、涙目で悲鳴を上げる。

「説明する! するからやめてってばぁぁ!」

 

 ノクスは混乱の極みにいた。仲間が死に、裏切られ、自分も殺された――その全てが夢だった? それとも、今がまだ夢の続きなのか?

 

 答えを知るために、ノクスはルカとアリスに促されるまま、ジョーヌを正座させて取り調べを始めた。

 

「……で、何がどうなってんだ?」ノクスは腕を組んで睨みつける。

 ジョーヌは頬を押さえ、涙目で口を開いた。

 

「えっとねぇ……最後にあーしがあんたらを殺したのは、夢から覚めるための条件だったんだよ~」

 

「……条件?」アリスが眉をひそめる。

 

「そうそう! 死ぬ許可を出したあーしに殺されることで、あの夢の世界から現実に戻れるって仕組みなのさ!すごいっしょ?」

 

 ジョーヌは自慢げに胸を張ったが、その動きで頭の痛みがぶり返したのか、またしくしくと頭をさすった。

 

 ノクスは思わず声を荒げる。

「ふざけんなよ! だったら最初からそう説明しとけ! なんでいきなり裏切ったみたいな演出したんだ!」

 

「だよなぁ」ルカも目を細め、掴んでいたジョーヌの頭をさらに締め上げた。

「余計なことすんなってんだ、このポンコツ悪魔」

 

「いでででででっ! ちょ、ちょっと待って待って! えっと……その……ノリ? かな?」

 

「ノリ?」三人が声を揃える。

 

「ほら、雰囲気って大事でしょ? こう、恐怖と絶望の中でどーんと殺された方がインパクトあるじゃん?」

 

 ジョーヌは舌を出して「てへぺろ☆」とでも言いたげな顔をした。

 

 その瞬間、ノクス・ルカ・アリスは無言で視線を交わす。

 

「……やれ」ノクスの一言で、再びジョーヌの顔面に強烈な圧力がかかる。

 

「ぎゃぁぁぁぁぁ! 反省してるってばぁぁぁ!」

 

 手足をばたつかせるジョーヌの姿は、夢の中で見せた悪魔的な恐怖ではなく、ただの小動物のようだった。

 

「ジョーヌさん、本当にひどいです!」アリスは拳を握り締め、涙目で怒鳴る。

「裏切られたと思って、どれだけ怖かったか……! ルカさんまで死んだと思って……!」

 

「おい、俺もだぞ」ノクスも怒鳴った。

「仲間だと思ってたお前に刺されて、アリスとルカが殺されて……。精神が潰れそうだったんだよ!」

 

「だから反省してるってばぁぁ!」ジョーヌは必死に言い訳するが、全く説得力がない。

 

 ルカはにやりと笑い、さらに力を込めた。

「じゃあ、その反省を体で示してもらうか」

 

「ぎゃああああ! これ以上は死ぬぅぅぅ!!」

 

 洞窟内にジョーヌの絶叫が木霊し続ける。

 

 アリスは腕を組み、ぷいっと横を向きながら言った。

「悪魔だからってやって良い事と悪いことがあります! 人を弄んで遊ぶなんて……!」

 

「お前はその場のノリで行動する癖直せよバカ!」ルカが吐き捨てる。

 

「ひどい! 夢の中じゃ最強だったのにぃぃ!」

 

 ノクスは大きなため息をつき、頭をかいた。

「夢じゃ最強でも、現実じゃこのざまかよ……」

 

 結局、その後もしばらくはジョーヌの悲鳴と三人の説教が続き、洞窟の外にまで声が漏れ聞こえていたのだった。

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