オルクセン憲兵&エルフィンド警官シリーズ「モーリア市の奇妙な死体」 作:椚木
シュトラウス少佐と別れた時には、夕方の約束の刻限になった頃合いであった。
オークの憲兵は、南岸エリアをやや上流に登った先、指定された場所に向かった。
これまで通り住宅こそ並んでいるものの、それまでの華やいだ雰囲気とは違う、剥がれ落ちた漆喰や煤けたガラスの目立った、陰鬱な路地裏。
まだ陽は出ているのに辺りは薄暗く、それでも隙間から差し込む陽に作り出されたオークの影。彼自身を覗き込む巨大な獣のように伸び、石材の剥き出しになった壁をひときわ濃く染め上げた。
やがて寂寥の場に在りて、更に他からぽつねんと離れるようにして立てられた石造りの建物が見えた。事件のエルフの遺体が送られた場所である。
この時の止まった死の世界において、更なる絶望と闇を閉じ込めた場所だ。その厳重な封印を解いたが最後、そこに閉じ込めた幽鬼が這い出てしまうかのような……。
この憲兵は知る由もないが、その佇まいに、ティリオンにある政治犯収容施設を思い浮かべる者もいるかも知れなかった。
ヘルド曹長は、モルグに足を踏み入れた。
「やあ、来てくれたね」
迎え入れたのは、オルクセンの軍医であった。
妙に縦に伸びた身体。キャメロットの知識階級がかけているような丸眼鏡。同じくかの国の裁判官が被るかつらの様な巻き髪は、今は手術帽に(如何なる手段を以ってか)収納されている。たった今頭の帽子を取り払うように脱いだ。そんななりだが、紛れもないオーク種族だ。そのでかい図体に緑色の手術着を着込んでいる。
モーリア市の死体安置所を我軍が接収している経緯については、話すと長くなるから詳細は割愛するが、「穢れを忌避し死体をロクに検死できないエルフィンド側に、この事件の被害者の検死を委ねるわけにはいかない」という口実に乗じた支配獲得だ。
ここを実質差配する軍医。ヘルド曹長からすれば、先ほどまで剛毅なコボルトと話をしていたところからの奇矯なオークとの対面とあっていささか虚を突かれた形になる訳だが、そんなことをお首も出さず上官にあたる軍医にまっすぐ指を伸ばして敬礼した。
軍医に案内された部屋は、軍服越しにも肌寒かった。死が醸す気配などといった比喩表現ではなく、実際に温度が低いのだ。
理由はすぐに分かった。軍医が冷たい棚の戸を開き、中のスライド式になっている鈍い銀のラックを引き出した。
そこに横たえられているのは、午前中見たあのエルフ――ニミイエル・ゲーメツィンの物言わぬ遺体であった。
解剖の直後なのかシーツが被された遺体。その下部や周囲には氷が敷き詰められている。巨大な氷塊の放つ冷気が、こちらにまで伝わっているのだ。
「ああ、これか。遺体の腐敗を防ぐための処置だよ」
軍医によれば、氷は補給物資から調達したものだという。
補給物資の中には高級士官向けの酒類や、酒保でとっておきの日に出すアイスクリームやシャーベットなど、格別冷やしておきたいものが存在する。
そうしたものは保冷容器に天然氷を詰めて、特別に魔術を籠めた板で密閉して後方から輸送するわけだが、輸送が完了後は無用のものとなるわけだ。そして氷の量は単体で見れば大したことないものの、軍全体ともなればかなりの規模になる。
その余った大量の氷を、「廃棄」する代わりにこうして利用させて頂く訳だ、と軍医は説明する。
「エルフの身体を隅々と調べ尽くしたい」
戦争という非日常の隙間を縫うように、おのが『探求』の為憚らないこの軍医である。 この好奇心を隠さぬオークに対してエルフは抗議の意を示すことなく、無言で冷たい床で眠りにつく。
因果なものである。
数日前の戦禍で倒れた同胞のエルフたちは、戦場掃除隊によってただ機械的に埋葬される運命だ。その車列に罵声を浴びて。支配者の側であるオルクセンの将兵すら、戦場で斃れれば異邦の地の土となる。
それがこの不思議な境遇にある死体――やったのはどちらだ。オルクセンか、エルフィンドか――は、その罪科の在処を明らかにするまでは、最重要証拠としてこうして丁重に扱われることになる。ただしその全てを暴かれてという意味だが。
――一応断っておけば、彼の管轄するのは事件の捜査に与する為のそれらに限られ、同じエルフとて戦死体ましてや捕虜は己が采配の範疇外だ。
「詳細は既にそちらに纏めてあるから目を通してもらえれば早いが」
軍医は書類の束をヘルドに手渡した。
……そこには既にある程度予期していたことであったが、しかしオルクセン側には憂慮すべきことが記されていた。
「胸を一突き。そいつでおしまいだ。なぁ大層な代物じゃないかね。この傷は」
神秘の探求者はシーツ越しにエルフの胸を見やった。
死因となったのは、現場でヘルドも眼にした胸の刺し傷で間違いない。まず即死であっただろう。問題となるのが、その大きさ。
尋常でない幅なのだ。家庭用の包丁だの商店で手に入る刃物だのちゃちな得物で付けられるようなものではない。それこそ軍用の銃剣の様な武器でつけられたものだろうと、目された。
大体被害者も胸を刺されただけで、他には目立った外傷もない。そんな状態で事切れている訳である。即死だったらしい。犯行時の状況がどうだったのか。抵抗虚しく刺されたのか。それとも不意を付かれて反応する暇も無かったのか、真相はまだ分からない。
だがこの地の原住民、あのか弱きエルフが、「同じエルフ種族」の相手を正面から襲撃し、一撃のもとにその命を奪い去っただの、到底信じ得ないことなのだ。
では誰がとなったとき、この地に参った異種族。かの野蛮なオークが頭に浮かぶのは、火を見るより明らかであった。
「何故服を着替えさせる必要があった?」という疑問だが、これで1つの仮説が立つ。刃の傷を誤魔化すために元の服を持ち去る必要があったというわけだ。無論傷跡を詳しく調べればなんのカモフラージュにもならない訳だが。
既にあの傷を見て、銃剣のそれであることは元軍人《憲兵》には容易に想像付くことであった。こうして軍医によって、お墨付きを得た形になる。
別にこれまで通りなのだ。事件を前に我々のやることはただひとつ。
「犯行が自軍の将兵のものであるという前提の上で、占領地の全将兵を容疑者候補として解決に導くだけ」
それだけなのだ。だがしかし……。
ままならぬ思いに苦い顔をするヘルドに、
「ああ、これも言っておかなければだが」
外の世界の混乱には無頓着な軍医が素っ気なく付け加えた。
「遺体の胃は空っぽだったよ。エルフの食べた物がそこから先どうなるのか、いつか調べてみたいと思わないか」
頭髪を豊かに生やしてしまったオークが登場。
……そういう「特異体質」なオークもいるのだと思ってください。