オルクセン憲兵&エルフィンド警官シリーズ「モーリア市の奇妙な死体」 作:椚木
〝刺創〟の情報は、瞬く間に広まっていった。
ヘルドとて情報を積極的に広めるつもりはなく、大元の解剖した「軍医」に口止めこそしたものの、人の口には戸は建てられぬとは言う。日をまたいだ頃には警察関係者の共有するところになっていた。
それに解剖に関わったのは彼だけに留まらず、中には施設関係者のエルフもいる。魔術通信か口づてかは定かでないが、エルフたちの間でも速やかに拡散していった。
こうした流れについてだが、そもそも事件に関してオルクセン側が情報を統制する権利を有しないというのが、実態であった。
ただ「罪なきエルフを虐殺したオーク」といった情報が占領地に流布した結果、市民たちの間蔓延した「恐怖心」が招いたのは忌避ではなく、むしろ従順さであり、占領地の安寧に役立つことになるとは、皮肉な話であろう。
情報の影響はここにもあった。
「エルフィス君」
濃緑の制服の肩に、馴れ馴れしく手を置かれる。
手の主は、エルアート・キィーティオ。癖の強い短い髪。ツリ目気味のアーモンド色の目。同じく日頃から笑みを浮かべ切れ上がった口角といった顔立ちのエルフの女。エルフィスから見ても、同性からも羨望される美形といって良い。
「もう『捜査』に君が手をこまねく必要はないんじゃないかな。それよりどうだい、今夜。なに、そう固くならんで良いよ。占領軍に隠す禁制の品などありはしない。だけど『こっち』の方は如何様にでも――」
そう言って怪しい手つきをしてみせる。
こんな上司だが、暗に告げられているのだ。「あとは黙っていても我らの望む展開になるだけだ」と。
占領されたとき、被支配下の者がまず考えること。自分らの境遇だ。
戦争はこのまま続くだろう。もし仮に――ああ、その様なこと黄金樹に忠誠を誓った身で微塵も考えたくはないのだが。エルフィンドに栄光あれ!――その万が一が起こったとき。いや、例え敗北は無くとも停戦交渉で一時的な領地の割譲といったことは起こり得る。その時このモーリア市がその時領地割譲の対象となるのは、容易に想像がつく。
そうなるとモーリアにある我らの行政や組織に新たな支配者のオルクセンの手が入り、奴らの思うがまま作り変えられることになるだろう。
もちろん支配下の我々もその流れに抵抗するわけであるが、その時、かつての旧警察が、凶悪事件の犯人を捕まえられなかった、などという不手際があったとしよう。
奴らは「旧来のエルフィンドの警察組織に任せていては、我が領地の安寧は叶わない」などと嘯き、たちまちにして我ら組織は切り刻まれバラバラにされ、「オルクセン式」の警察組織に作り変えられる。
口実などは幾らでも付けようがあるのだ。だから我々は、奴らに弱み1つ見せてはならない。この強かなエルフは「生き残る」為に、既に「戦後」を見据えていた。
だがここに来て事情が変わった。オルクセン将兵による犯行の可能性の上昇。
「無辜のエルフの命を奪い、死体を辱める」
この戦争が起こらなければ、決して起こらなかった悲劇。各国はその悲劇に着目し、オルクセン側の戦争の正当性も、大いに揺らぐことになるだろう。
……一地方の一事件で国家の外交が根元から揺らぐというのは流石に希望的観測が過ぎるが、長命を持ち個々人の生き死にに過敏なエルフである。個人の安寧を侵した「事件」というものが、それだけの意味を持つと捉えていたのであった。
そうした流れでの「誘い」なのだが、
「…………」
エルフィスは自らの裡に籠めた覇気を剥き出しにしたままだ。あくまで己の勤めを果たし続ける心づもりなのだ。
「それをしたとて我らの得になる訳でもなかろう」
全く理屈に適わないおかしな話なのだが、このエルフはそこにいるかどうかも定かでない、己の標的を見据え続けるのだ。
「ふ」
上司はこの頑なな相手に嫌そうな顔を見せることもなく、
「ああ、そうだ」
つと制服のポケットから何かを出した。それをカワイイ部下に押し付ける。
虚を突かれた形で渡された紙の束を確認すると、そこにはエルフの名前がリストアップされている。
いやそれを名前といっても良いのか。確かに文法や語感こそエルフの名で通じるのだが、「姓・名」の連なりで1つの意味を為す我が種族の命名規則において、それをそのままの意味で読み取ると、随分いかがわしいものになってしまう。
「ああ、それはな。被害者が働いていたっていう『酒場』の女の子たちをリストアップしたものだがな。貴様が同じことをやろうとしたら、我らの種族の寿命があっても足りまい。代わりにやっておいたんだよ。ふひひ、どんな手管を使ったかは聞くな」
「……感謝します」
と、その後の捜査に役立つかも知れない「手がかり」を受け取り、エルフィスは素直に礼を述べた。
エルアートとて、今さらそんな「協力」をする必要はあるまい。
ただ妙なことに、その長いキャリアにおいて、この我道を行くエルアートの取った行動は、どんなに理不尽でも結果オーライとなり、不思議と選択肢を違えたことがないのだ。つい一昨日の砲撃で市庁舎が巻き添えを喰らった際も、いつもは市庁舎で役人相手に胡麻をする彼女が、その日に限っては現場で精勤に励み無事と来た。そんな運の持ち主なのだ。
おまけとばかりに肢体に絡みつかんとする好色上司の指を器用に交わし、エルフィスはそのまま立ち上がると、更なる捜査の進展のため被害者の周辺情報を深掘りすべく、外へ向かった。