東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 月の都陥落からおよそ700年が経った。

 

 あれから都の復旧、再要塞化、計画会議、様々なことがあったけれど……不思議と、時間が経つのは早かったように思える。

 遊ぶ暇も休む暇もない濃密な時間というものを、久々に体験した心持ちだ。

 

 月の賢者である私、八意エイリンは、あの日から敵対勢力と戦うことになってしまった。

 とはいえ、相手は外敵ではない。同じ月の都にいる、私と同じ賢者の名を持つ人々の派閥だ。

 なんでも、私の発案のせいで月の都が甚大な被害を被ったのだから、そのような過失を出す者に賢者は相応しくない、ということらしい。なるほど、ぐうの音も出ないほどの正論である。

 

 普通なら賢者の座でも神としての身分でさえも、剥奪されるべき所なのだろう。

 実際、私は判断を誤って月の都に危機を招いたわけだから、その責任を取る義務は当然ある。

 ……サリエル様には助けられたけれど、私の罪が消えたわけではないのだから。

 

 けれど、派閥の中には私を賢者のまま、所属を変えようと目論む連中もいた。

 要は、私の頭脳と身分を手に入れたいのだろう。私を擁護する男達の薄気味悪い笑顔からは、そのような打算が垣間見えた。

 

 賢者の座を降ろされるか。賢者のまま操り人形となるか。どちらにせよ、その決定権に私の意志は介在しない。

 近頃の月の都は、そういった話題で持ちきりである。

 

 

 

 ……簡潔に言って、非常に拙い状況だ。

 私の処遇はもはやどうでもいい。ただ単に、私の処遇を決めるだけで時間がかかり過ぎているのだ。

 

 本当ならもっと都市の防衛力を増強したい。

 他の神々と交流を図り、魔界の情勢や嗜好を把握したい。

 しかしどれもうまく進んでいなかった。あまりにも遅すぎるのだ。私達には、あまり多くの時間が残されていないというのに。

 

 

 

 ライオネル・ブラックモアから与えられた時間は1000年。

 残り300年で、さっさと私の宙ぶらりんな立場をはっきりとさせてほしいものだけど……。

 

「はぁ」

 

 うまくいかない。不安定な立場なりに、上手く根回ししているつもりではあるけれど……自称賢者達の醜い争いは苛烈を極めるばかりだった。

 

 あまりにも拙速にすぎる。

 防衛はそれなりに裏から指示を飛ばして整えたけれど、私の立場などというどうでも良いものだけが、未だに不明瞭なままであった。

 ライオネル・ブラックモアから差し出された条件の1つには、私が月から離れ、地上で暮らすということも含まれている。しかしこのままでは、地上へ視察に出向くこともできやしない。どうにかして、私の立場を明確化してほしいものだけど……。

 

 

 

「進捗どうですか」

「――!」

 

 私しかいないはずの私室に、低くおぞましい声が響く。

 窓の外の地球を見上げていた私は、突然の寒気と緊張に体を硬直させた。

 

「……は、な、なんで……」

 

 どうにか絞り出せた声は、とても情けないものだった。

 けれど、誰が私を責められるだろうか。誰が予想できるだろうか。

 

 この月の都で最も厳重な施設である私の部屋に、警報のひとつも鳴らさずに何者かが忍び込むなど……。

 

「なんで。愚問だな、八意エイリン。真に優秀な魔法使いならば、何にも見られないように移動することは実に容易い。そちらの技術を欺き、静かに近づけば良いだけのこと」

 

 振り向くと、来客用の椅子には古びた遺骸が腰かけていた。

 瘦せこけた背は高く、灰色のローブの裾は擦り切れ、眼窩の暗闇は私を見ている。

 そこにいたのは、紛れもなくライオネル・ブラックモアであった。

 

 ……忍び込んだというの?

 

 新たに構築した防衛機構さえくぐり抜けて、何1つ壊さず……私の背後にまで?

 

「都市の防御についてはとやかくは言わない。お前達はお前達に見合った敵を想定すれば良いだろう」

「……はい」

 

 ライオネルは当然のように話しているが、私はまだ突然の侵入に心がついていけてない。

 ……とにかく、落ち着かなければ。何故かは知らないけれど、ライオネル・ブラックモアは視察に来た様子なのだ。そのつもりで、やり取りしなければ。

 

「……防衛は、順調です。天敵が相手でも、1000年以上は渡り合えます。今は急拵えですが、施設を改善してゆけば月の都はいずれ難攻不落の要塞と化すでしょう」

「ほう」

 

 これは本当だ。むしろ、厳重すぎると言っても良い。

 迂回結界、閉鎖結界、粒子弩。神でさえも手をこまねく現状の施設に、更に穢れを抑制する強力な装置が加われば……おそらくは純狐であっても、難なく撃退できるはず。

 

「ふむ、そうか。……ならば、次だ。月はこのまま平穏な体制を維持できるか?」

 

 この質問には、私は暫し困窮した。

 まさしく痛いところを突かれたからである。

 

「……現在、私の弟子の姉妹が地上の外交役に就いています。家柄も良く、都での発言権もある子達です。玉兎の諜報部も掌握していますから……意識管理はそう難しくはないでしょう」

「ふむ」

 

 これも嘘ではない。

 綿月の姉妹は優秀だし、私の指示をよく聞いてくれる。

 私を庇っているせいで一部での旗色が悪いようだけど、都の大勢に不穏なものを察知すれば、抑え込むことは容易なはずだ。

 また、時間差で段階的に私の発明品を開発、製造できるよう既に指示も送ってある。私が作った古い新兵器によって、彼女達の立場は盤石であり続けるのは間違いない。

 

 ……問題は、妹の依姫だ。彼女自身が魔法に対して強い恐れと憎悪を抱いている。

 いざという時に、変なことをしなければ良いのだけど……それはあえて言わずにおいた。

 

「ほう。では、八意エイリン。貴様はもう、いつでも地上に赴けるということか」

 

 ……これもまた、答えに困る。

 

「いえ……それが。まだ決定していない事も多いので、すぐにというわけにはいきません。中途半端のままここを離れては……月の都は、纏まりを失います」

「間に合うのかね」

「……厳しいところです」

 

 私の頬を、冷ややかな魔力が撫ぜた。

 ……きっと気のせいではないだろう。

 

 しかし、こればかりは脅されてもどうにかなるものではない。

 高貴なるあの神々は、とにかく腰が重いのだ。決定は遅いし、役職ともならばその調整には敏感である。

 その上対立意見があるともなれば、残り300年内にはっきりした決定が打ち出されるかは……正直、不安がある。

 かといって、ライオネル・ブラックモアがそこに介入すれば……果たして何が起こるやら。できればそのような事は考えたくもない。

 

「……強引ですが、確かな方法があります」

「ふむ?」

「それを用いれば、500か……600年程度で、私は地上に永住できるはずです。なので……ですから……そのお時間を……」

「ならばそれで良い」

 

 ……期限が遅れることについて、何かしらあると思ったけれど……驚くほど簡単に許しを貰えてしまった。

 

「可能な限り速やかに月から離れ、狂気のない心で想うが良い。貴様が犯した罪の重さを」

「……は」

 

 月の狂気。果たしてそれは、本当にそこまで……いいえ、今考えることでも、疑うことでもなかったわね。

 私はただ、罰を受け入れれば良いのだから。

 

「それと、一つだけ聞きたいことがある。今日私がやってきた本当の理由は、そっちだ」

 

 聞きたいこと?

 ……月の都よりも重要な話。一体、何を聞かれるのか…。

 

「……なんでしょうか」

「地上に……あー。大和、という国がある。高天原が手掛けていた島国のことなのだが……そちらは今、そこに手を加えているか?」

「え……いえ、特には……」

 

 島国……大八島のことだろう。

 

「現在では、ほとんど関与していません。時々生物調査のために自動調査機を送っている程度で…現地の神々とは交流さえも疎らです」

「なるほど……わかった。そういうことならば、よく覚えておこう」

 

 私の回答に満足したのか、ライオネル・ブラックモアは静かに席を立った。

 どうやら、もう帰るようだ。

 相手は不法侵入ではあるが、丁重に送り出そう。少なくともそれくらいの誠意を見せるために、私も立ち上がる。

 

「では、私は帰る。お前は引き続き、月の保護に努めなさい」

「は。私は咎人。この魂をかけて死守致します」

「……最後にもう一つ」

「?」

 

 言い淀むライオネル・ブラックモアに、私は首をかしげた。

 

「サリエルが……頑張れと言っていたよ」

「!」

「……それだけ。全く、これだから堕天使は……なんでわざわざ私がこんなことを……」

 

 その後、ライオネルはブツブツとぼやきながら、気が付けば部屋から消え去っていた。

 部屋に残されたのは、呆然と立ち尽くす私ばかり。

 

「……やだ、顔が」

 

 ふと鏡を見れば、私の頬はまるで大酒を飲んだ後のように真っ赤に染まっていた。

 

「ああ、でも……そう。ああ、サリエル様……」

 

 月の都を陥落させた者の前で、なんて情けない姿を晒しているのだろう。

 それに、たった一言の伝言を聞いただけで顔をこんなにさせてしまうなんて……。

 

 ……でも。

 

「……ええ、頑張ります。必ず」

 

 おかげで、また気力が湧いてきた。

 今の調子なら、新しい発明の一つや二つくらい出来上がるかもしれないわね。

 

 

 


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