東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 クイズ大会開始より二日半。

 いよいよこの楽しい企画も折り返し地点に到達した頃になってようやく、トラブルらしいトラブルが発生した。

 いや、別にトラブルを待ち望んでいたというわけではないんだけどね。これまでが不気味なほどスムーズに進行していたので、ついに来たかという心境なのである。

 

「このQ966の問題に使われている定理について、お尋ねしたい」

 

 赤肌に詰め寄っているのは血色の悪い男であった。

 身なりは整っているが肌と髪が病的なまでに真っ白で、眼は真っ赤に充血している。人間のようには見えないが実際に人間ではないのだろう。

 暇な時に赤肌が何気なく呟いた話によれば、彼もまたパンデモニウムの学術機関に所属する悪魔であるらしかった。

 

「966。なるほど、炸薬水晶の記述か」

「ええ。炸薬水晶です。少々名前が異なるようですが……」

 

 食って掛かる様子だが、声は荒げていないし目立とうという感じでもない。

 ただ不服だからどうしても、というような機嫌悪そうな眉の形をしている。

 

「あの起爆理論は未だ定理として正しいものであると認められていません」

「ふむ……なるほど。そうだったか」

「そうだったか? そのような正しくない認識では困ります。不確かなものを問題とするなど……」

「いや。定理が証明されているかいないかは問題ではない。我々の出題ではそれを定理だと認めている。最初の文章を読むが良い。あるだろう? それが答えだ。今大会においては少なくともそれは、定義として正しいものとされている」

 

 青白い人はそう言われて答えに窮した。

 ふむ、なるほど。魔都ではまだ答えの出ていない問題だったのか。

 外殻論の記述を多く見たから既に出揃ったものだと思っていたのだが。

 

「そして、これは論理的な話ではないが。お前、本気で正しくないと思っているのかね。この問題集を。瑕疵があると」

「……それは」

「問答は以上かね」

「……ええ。そうしましょう」

「よろしい。残り半分だ、頑張ると良い」

 

 赤肌はニヤリと微笑んで、血色の悪い男を緩やかに追い返した。

 男はとぼとぼといった具合に自分の席に戻っていったが、少ししてやる気を取り戻したのか、それとも切り替えたか、再び本に向き合い挑戦に復帰した。

 ……ていうかよく見たらすごい数の算術浮かべてるな。すごい人じゃないか。

 

「あれもなかなか堅物だな。ま、自ら相応に研究を進めてきたのであれば無理もないか」

「やあ赤肌。今のは?」

「難儀な奴だ。特に問題らしい問題というわけでもない。お前が気にするほどのことでもないさ」

 

 赤肌はまたニヤリと笑い、辺りを見回した。

 

「中盤戦に入ったが、さて。これといって問題は表出していないようだな」

「うむ。私から見てもそうだね。観客席の方は?」

「何度か連絡を受けたが、静かなものさ。連中、カンニングというよりは問題のいくつかを解読して独自に発表しようと画策しているらしいな」

「……うん?」

 

 それはつまりどういうことだ?

 

「さてな。前人未到の研究成果であると、一足先に喧伝しようと目論んでいるのではないかね。何が独占できるわけでもなく、すぐに剥がれる嘘だろうに、愚かな」

「あー、そういうこと。魔都はそういったことに対して、動いたりするのかな」

「動く必要もあるまいさ。この会場に集った連中が数人声を上げるだけで、どうとでもなる。……ま、ああいう小賢しい真似は悪魔という種族の宿命みたいなものだ。理解はせずともいいが、無視してやってくれ」

 

 どうせ報いは下る。最後にそう言って、赤肌は再び巡回に戻ってゆくのだった。

 

 

 

「ちょっとちょっと、ライオネルさん」

「うん?」

 

 その後私が金飾りをしゃなりしゃなりと鳴らして歩いていると、近くのテーブルに座っていたアリスに呼び止められてしまった。

 彼女はテーブルの上に書きかけのメモやら実験器材を広げていたが、今は一段落したのかルイズとお茶を楽しんでいるらしい。

 

「ちょっと一緒に話しましょうよ。久々に会ったのだし、良いでしょう?」

「ええ、今私は試験官なんだけど……」

「あら、忙しかった? 暇そうにアンデッドみたいにフラフラしてたから、どうかなと思って私から提案してみたのよ。迷惑だったならごめんなさいね」

 

 どうやらルイズからの提案だったらしい。

 そうか、やはり暇そうに見えたのか。

 

「うん、実を言うと暇で暇でしょうがなかったんだ。思っていた以上にトラブルも少なくてね……せっかくだし短時間でいいなら、ご一緒させてもらおうかな」

「良かったわ。ふふ、じゃあそちらの席にどうぞ。たった今淹れたお茶があるから、それを飲んでちょうだい」

「うむ。では一口分、溢れない分を味わうだけにしておこう」

 

 どうやらルイズもアリスも連続しての研究や実験でそこそこ疲れている様子だ。

 実際、時間にも追われているとなれば精神的にはプレッシャーもあるだろう。アリスはお茶を手にしてはいるものの、完全にリラックスはできていないようだ。今もそわそわと机の上の資料を気にかけている。

 ルイズはそんなアリスを眺め、静かに苦笑していた。

 

「なんですか?」

「いいえ、なんでも」

「……なんだかまた子供扱いされた気がする」

「ふふ、アリスはいつまでも子供よ。私にとってはね?」

「……もう」

 

 なんてことを言われてもアリスはまんざらでもない様子だ。

 

「……そんなことより。ライオネルさん、聞きたいことがあるんですけど」

「うん、なんだろう」

 

 話を逸したねアリス。まぁ質問に答えるのが私の仕事だ。なんでも聞くと良い。

 

「あ、問題のことではないんですけど。……この大会、地上からも結構魔法使いが来てるみたいじゃないですか」

「そのようだね。結構……という程ではないけれど、まぁそこそこかな」

 

 地上と魔界をつなぐ門を通じて、既に交流は生まれている。

 魔界の環境が魔法使いの修行にはなかなか適しているのと、単純に魔法文化が栄えていることもあって、結構その筋の往来があるらしかった。

 今回の大会にも当然、そのような魔法使いがぼちぼち参加している。

 多分ほとんどは悪魔繋がりで情報を得た人たちなんだろうな。

 

「……彼らの中に、その。メルランはいないんですね」

「メルラン。ああ」

 

 その名前をここで聞くとは思わなかった。

 

「来ていないね。というよりも、彼女はほとんど魔界にも来ていない気がするよ。彼女がどうかしたかな」

「……あの魔女、今の私だからわかるけど……すごい魔女なんですよね」

 

 ふむ。メルランについて思うところがあるようだ。

 まああって当然か。アリスとメルランの出会い。あれは彼女にとって、なかなか鮮烈なものだったろうから。数百年忘れなくても不思議ではない。

 

「ここに来れば、会えるかもと思ってたんです。……別に会いたいわけじゃないんですけど、会うこともあるかなって。……それだけ。ライオネルさんが見てないっていうなら、うん。教えてくれてありがとうございます」

「いやいや、構わないよ」

 

 メルラン。彼女もまた、凄腕の魔法使いであるはずだ。

 それは読みふけった魔導書や、彼女が進めていた研究を一端を見ればよくわかる。

 

 ……ふむ。

 アリスにとっても鮮烈ではあったけれど。

 印象に深く残っているのは、私も同じか。

 

 今になって思い起こされる彼女の皮肉じみた言葉が、重くのしかかる……いや、重いどころじゃないな。重すぎて地面にめり込みそう……辛い……。

 なぜだ……どうしてだ大宿直村……なぜ滅んだ……ぐおおおお……。

 

「ライオネル? 大丈夫?」

「あ、ああ、大丈夫。うん、大丈夫だよルイズ」

「そう。目がすごい光ってたから……」

 

 いけないいけない。思わず感情が出てしまったようだ。

 とはいえここ千年で最大級の失敗だ。ここしばらくずっと引きずるんだろうなこれは……。

 

「……あ、ライオネルさん。もう一つ聞きたいことがあったんだけど……いいかな」

「うん? 何かな」

「えーっとね。パドマ……っていう人間の魔法使い。知りませんか?」

「パドマ」

 

 ざっと思い返してみる。

 

「知らないな」

 

 私の記憶は正確だ。そのような人は該当しなかった。

 

「……そうですか。ありがとうございます」

 

 果たしてそれはどのような問いかけだったのか。

 アリスはとても残念そうにしていたのが印象的だった。

 

 


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