魔界は、果てしない平野だった。
地平線の彼方まで続く、ただただ平らな土の大地。この世界には木も川も、命のざわめきすらも存在しない。
神綺が創ったこの「魔界」は彼女の力の結晶でありながら、どこか空虚。
神綺──魔界の神、銀髪に紫の瞳、赤いドレスをまとう美しい女性──は、魔界の中心でただ地べたで寝転んでいた
「何のために、こんな場所を創ったんだろう……」
呟きは誰もいない魔界の空に吸い込まれる。神綺が幻想郷への誘いを受けたのは、過去のことだ。外の世界では人々の認知から不思議や神秘が薄れており、神綺のような存在は生きづらくなっている。
故に八雲紫──幻想郷を創り、すべてを受け入れるというあの妖怪──の誘いを受け、外の世界から幻想郷へ移ったのだ。
だが、幻想郷は神綺の心を満たさなかった。あの色とりどりの世界、妖怪や人間が織りなす喧騒、八雲紫の底知れぬ微笑み……すべてが、なぜか気に食わなかった。特に、八雲紫。大きな力があり、能力は違うが幻想郷を'創る'彼女と似ている部分があると神綺は感じていた。同族嫌悪のような感覚を覚えている。
そんな幻想郷に居たくなくて『創る程度の能力』で幻想郷と一部を繋げた上で魔界を創った。だが、魔界を創ったはいいものの、魔界に何を置くべきか、どんなビジョンを持つべきか、何も思いつかない。作りたいものが、なかったのだ。
結局、彼女はただ眠り続けることで時間を無為に潰す。本来は食事も睡眠も必要ない彼女にとって、眠りは退屈を紛らわすための逃避でしかない。
ある日、魔界に小さな異変が起きた。神綺は眠りの中で、微かな揺らぎを感じた。彼女の創ったこの世界に、一人の人間が踏み入ったのだ。魔界の神として、彼女はすべての変化を感知できる。しかし、興味はなかった。
「どうせ何かしらのキッカケで迷い込んだ人間か何かでしょう。放っておけば、飢えて死ぬわ」
誰に言うでもなく呟き、再び眠りに落ちた。魔界には食料も水もない。どんな生命も、すぐに息絶えるはずだった。
一週間後、ふと目覚めた神綺は、魔界の力を通じて存在を感知する。
「まだ生きてる……?」
魔界の神として、人間のいる場所に視点を起こすと驚くべき光景が広がっていた。
人間の男が生きているどころか、何かしらの建物を築き上げていたのだ。
周囲を見ると、屋敷や遺跡のような塔などの魔界に無かったものが建てられている。
まるで、魔界の空虚さを嘲笑うかのように、人間──転生者のレイ──は次々と「何か」を創り出していた。
「何……この人間、なんなの?」
神綺は興味を引かれ、レイの動きを観察し始めた。彼は疲れを知らず、空腹も感じず、ただひたすらにブロックを積み、壊し、時に笑いながら独り言を呟いていた。楽しそうに動き回る姿は、神綺にとって異様だった。
「創ることに、こんなにも楽しそうに没頭できるなんて……」
神綺の胸に、感情が芽生えた。羨望――いや、もっと純粋な、好奇心。
その日から彼女はレイの行動を追い続け、まるで推しの配信者を眺める視聴者のように彼の「クラフト」を眺めるのが楽しみになっていた。
レイが土ブロックを置いては壊し、試行錯誤しながら家を建てる姿。失敗しても笑いながらやり直すその姿勢は、神綺が知らないもの。
「私も……あんな風に創れたら…………」
そうして、城が完成したタイミングで声をかけた後、レイにお願いをした。
「ねぇ……レイがやっているクラフトを私もやってみたいわ。私はクラフトのこと何も知らないから、レイが教えてちょうだい」
「もちろんだとも! ……あっ、神綺もブロックは出せるかい?」
「こんな感じよね?」
神綺が手を振るい、ブロックを'創り'だす。
当然のことだが、神綺はマインクラフトを知らないしマインクラフトの能力は持ち合わせていない。しかし、ずっとレイを観察していた神綺には『創る程度の能力』で再現くらいは出来る。また、ブロックを壊す方も'破壊力を創る'で現象として再現可能だった。
「じゃあ問題ねぇな。初心者でも楽しくやれるように教えるから任せてくれ!」
「ま、お任せするわ」
◆ ◆ ◆
レイとのクラフトの日々は、神綺にとって初めての「喜び」だった。豆腐ハウスから始まり、レイの「似たものでもオリジナル」という言葉は、彼女の心に刺さった。八雲紫と似ている自分を肯定できた瞬間でもある。
クラフトを続けて、ゴシック風の宮殿、幻想的な村、そして天空の城などでブロックを積む楽しさ、形のないイメージを現実に変えて創る幸せを知った。
レイが来る前の虚無の日々とは異なる、色鮮やかな日々。そんな生活を続けているうちに、神綺はレイに惹かれていく。能力ではなく、自分の中で自然と創られていった想い。
夜空の下でその想いを告げた。
「あなたと一緒に、もっと大事なものを創りたい。あなたが好きだから」
「俺も……神綺のこと、好きだよ。一緒にクラフトして、こうやって話して、全部楽しい。神綺がいてくれるから、この世界がこんなに特別なんだ」
受け入れられたことで、神綺は自分一人では創ることができないものが欲しくなる。
「じゃあ、レイ。私たちの愛を、形にしましょう。二人で子供を創りたいの」
「うん、いいよ。俺たちの子を創ろう」
アリスの誕生は、神綺にとってさらなる変化をもたらした。レイの愛と彼女の'創る'力が結びつき、生まれた命。アリスの笑顔は神綺の中で新たな光が灯る。
私だけの時の魔界は『幻想郷からの逃避先』
私とレイの時の魔界は『特別な遊び場』
私とレイとアリスがいる魔界は『家』
神綺は魔界の住民は全てレイとの子供にしたかったが、レイからの説得というかお願いを受けて渋々やめた。代わりに魔界を賑やかにして、二人で創った建築を使ってくれる住民を次々と創り出す。
魔界が賑わうが……神綺の心の奥底では幻想郷と八雲紫への嫌悪感がくすぶり続けていた。そしてレイがふと口にした言葉が、彼女の感情に火をつけた。
「そういえば幻想郷に住みたかったんだよな」
レイの言葉は無垢で、ただの思い出話だったかもしれない。だが、神綺にはまるで自分の存在を否定されたかのように感じられた。
「は?」
神綺の声は鋭く、冷たく響いた。
レイが驚いたように振り返る。神綺の紫の瞳が燃えるように光った。
「幻想郷に……住みたい? あの八雲紫の創った世界に?」
言い方が悪かったと思ったレイは慌てて補足する。
「いや、ただの昔話だよ! 過去に憧れてたってだけで……」
だが、神綺の耳には届かなかった。
あの完成された世界、あの八雲紫の微笑みが、私たちの魔界を否定しているようにも感じられた。
紫の瞳が、怒りに燃える。
「もういいわ。幻想郷がそんなに素晴らしいなら、私が壊す! 私の魔界の方が、ずっと価値があるって証明するわ!」
「待て神綺、落ち着けって!」
レイの静止を聞かずに神綺は飛び出した。レイはアリスを残していくわけにもいかず、咄嗟に追いかけることができなかった。
レイから離れた神綺は手を振り上げる。激情のままに「創る程度の能力」が発動し、魔界の大地が揺れた。
地面が砕け、単純な思考と破壊衝動を持った魔物が次々と姿を現す。黒い影のような獣、炎をまとった鳥、紫の霧を纏う妖精――彼女の怒りが形となった怪物たち。魔物の軍勢が、神綺の意志に応じて召喚された。
「魔界の力を幻想郷に見せつけてやるわ」
神綺は魔物の軍勢を率い、魔界と幻想郷を繋ぐ境界を越え、幻想郷へと踏み込む。
幻想郷の空は、魔界の門が開いた瞬間、異様な気配に包まれた。神綺の率いる魔物の軍勢は、森や湖を踏み荒らし、幻想郷の住人たちに襲いかかる。
幻想郷の住人たちは、異変に即座に反応した。
幻想郷の住人たちは、異変に即座に対応した。八雲紫は、まず境界を操り、幻想郷の生命線である人間の里を護る結界を強化。彼女の金色の瞳は、いつもより鋭く光っていた。
「まったく……神綺ったら、随分と派手に暴れるじゃない」
紫の言葉には余裕が感じられるが、その背後には幻想郷の均衡を保つ者として計算高い冷静さがあった。
一方、名前が無い博麗の巫女──長身で黒髪を腰まで伸ばし、巫女装束に身を包んだ大人の女性──と地上に遊びに来ていた伊吹萃香などが迎え撃つ。
「多いな」
巫女は霊力を込めた肉体で次々と魔物を打ち払う。
「はっは! こりゃ面白え! 久々に派手な喧嘩だぜ!」
伊吹萃香は体格からは想像しにくい災害のような暴力の嵐で、文字通りに魔物を消し飛ばしていった。
戦いは激化し、他の幻想郷の住人たちの力と神綺の無計画で突発的な攻め方もあり魔物の軍勢は徐々に押し返される。その隙を突き、巫女が神綺を幻想郷と魔界を繋ぐ場所に押し込み、結界で塞いだ。
幻想郷の戦いは他に任せて、異変の解決という巫女の役割を果たすためにも自分ごと魔界に神綺を送り返す。
神綺は魔界へと追い返されたが、まだ諦めない。
神綺は「ドラゴンの巣」に降り立つ。そこにはレイが置いたエンダードラゴンの卵があった。マイクラでは基本的には飾り、特殊なことをしなければ決して孵ることのないアイテム。
だが、神綺の「創る程度の能力」は、それを現実のものとした。
「覚悟することね」
神綺が手を掲げると、卵が紫の光に包まれる。地面が揺れ、光の中から巨大な影が現れ、咆哮が魔界を震わせた。
漆黒の鱗、燃えるような紫の目を持つエンダードラゴンの覚醒。
ドラゴンの圧倒的な威圧感に、巫女は冷や汗をかく。
「この生命力……ヴァンパイア・ロード以上か」
かつて打倒したレミリア・スカーレットの父親を思い出しながらも、拳を固める。
「少しでも楽しませて欲しいわね」
神綺の声が、戦いの合図となった。
巫女はドラゴンの最初の突進を紙一重でかわした。
ドラゴンは咆哮を上げ、口から紫の炎を吐き出す。炎は地面を焦がし、ブロック単位で土を溶かしていく。
素早く霊力を全身に流動的に展開し、炎を受け流した。
やり返すように、ドラゴンの懐に飛び込んで渾身の力で殴りつける。だが鱗と肉質が硬く、質量もあり怯むこともない。
ドラゴンはその巨体を活かし、尾を振り回して攻撃を仕掛けてくる。尾の一撃をかわしきれず、肩をかすめられて地面に叩きつけられた。
「やはり……強いな」
巫女装束は破れ、肩から血が滲む。それでも、すぐに立ち上がり霊力をさらに高める。だが、ドラゴンの攻撃は容赦なかった。鋭い爪が振り下ろされ、地面を抉る。
鍛えた身体と霊力で防御しながらも、次第に押されていく。ドラゴンの攻撃はあまりにも強力で、身体はボロボロになりつつあった。
しかし、巫女の目は鋭さを失わない。彼女はドラゴンの攻撃を受けるたびに、密かに策略を進めていた。ドラゴンが体当たりや尾の攻撃で接近する瞬間、素早くお札をその鱗に貼り付けていたのだ。
ドラゴンの巨体が動くたびに、巫女の袖元からお札が一枚、また一枚と貼られていく。お札はドラゴンの身体に吸い付くように定着し、微かに輝いていた。
「封印術は苦手だ。あの子みたいな才能はない」
巫女の頭に次代の博麗の巫女である霊夢が浮かぶ。まだ幼いながらも才能のある子供。封印術に関してはすでに超えられてしまった。
「私は道具に頼る」
ドラゴンの猛攻を耐え抜き、ついに必要な枚数のお札を貼り終えた。彼女の身体は傷だらけで、巫女装束はボロボロ、息も荒かったが、その瞳には勝利への確信が宿っていた。
「……終わりだ」
巫女が両手を広げ、霊力を一気に解放する。彼女の周囲に無数の光の粒子が舞い、結界陣が形成される。
エンダードラゴンが咆哮を上げて一直線に突進してくるが、巫女は動じない。
彼女の手が虚空を切り裂くように動くと、ドラゴンの身体に貼られたお札が一斉に輝き出した。
巫女の声が響き、結界が収縮する。お札から放たれた光がドラゴンを包み込み、その巨体を縛るように締め付ける。ドラゴンは暴れ、咆哮するが、光の鎖に絡め取られ、動きが徐々に鈍っていく。
神綺が驚愕の表情でそれを見つめる中、ドラゴンの身体は縮小し始め、ついには元のエンダードラゴンの卵へと還元された。
卵は地面に落ち、静かに転がる。
神綺は呆然と立ち尽くし、卵を見つめていた。彼女の怒りが生み出したドラゴンは、今やただの装飾品に戻っていた。
「神綺、あなたの負けよ」
バッと振り返ると八雲紫が佇んでいた。いつの間にかスキマでやってきて、見学していたらしい。
「私は……」
続く言葉は無く、唇を噛む。
そこへ、レイがアリスを連れて駆けつけてきた。
アリスは神綺に抱きつき、レイは心配そうな顔で神綺を見つめる。
「大丈夫か!?」
「ママ、ケンカしないで!」
アリスの声に、神綺の心が揺れる。彼女はアリスを抱きしめ、レイに視線を向けた。
「すまなかった。俺が神綺の気持ちを考えていないことを言ってしまった」
神綺が首を横に振る。
「…………いいの、そもそも私が悪かったの」
頭が冷えて愛する存在を抱きしめたことで、何かを悟ったような光を瞳に宿していた。
「私はずっと八雲紫が羨ましかったんだわ。創りたいものが明確にあって、その目標に向けて動く彼女が……」
視線を様子を見守る八雲紫に向ける。
「私は創る力があるのに……創りたいものが無かったから嫉妬していた。幻想郷が、一つの理想郷として完成していくのが眩しくて気に食わなかったのよ」
「あら、嬉しい言葉ね」
想いを告白された八雲紫の金色の瞳は穏やかで、微笑みを浮かべる。
「八雲紫……ごめんなさい。あなたの創った幻想郷を、否定しようとした。私の嫉妬が、こんな事態を引き起こしてしまった」
紫は扇で口元を隠し、くすりと笑う。
「いいのよ。幻想郷は全てを受け入れるのよ。あなたの想いも含めてね。それに、あなたの魔界も素敵な場所よ。似ている部分もあるかもしれないけど、私が創った幻想郷とは違う、あなたらしい世界」
「……ありがとう"紫"」
紫との話がついたのに合わせて、レイはアリスごと神綺を抱きしめる。
「魔界だって、俺たちの理想郷だ。一緒に、これからも素敵な場所にしていこう」
「……そうね。ただ何もせず、何も創らずに嫉妬していた頃とは違って、創りたいものだって沢山あるわ。もっとたくさんの物や思い出を創りましょう。レイと、アリスと、みんなで」
神綺の中でくすぶっていた嫉妬の熱は鎮火した。
この時こそが、本当の異変解決だった。
◆ ◆ ◆
博麗神社では、異変解決を祝う盛大な宴会が催されていた。
境内の桜の木々が満開に咲き誇り、提灯の明かりが幻想的な雰囲気を醸し出す。幻想郷の住人たちが集まり、笑い声と盃を交わす音が響き合う。
神綺と八雲紫は、宴会の喧騒から少し離れた縁側に腰掛け、穏やかな笑みを浮かべていた。
視線の先では、幼い博麗霊夢とアリス・マーガレットが無邪気に遊んでいる。霊夢が小さな陰陽玉を浮かばせて、アリスが合わせて人形を飛ばして遊ぶ様子が微笑ましい。
「ふふっ、あの子たちを見ていると、未来が楽しみになるわね」
紫が扇を軽く振って言えば、神綺が頷く。
「ええ、私もアリスがどんな子に育つのか楽しみよ。愛するレイと一緒に、たくさんのことを教えてあげたいわね」
「あらあら、お熱いこと」
二人の視線が交錯し、互いに静かな理解を共有する。
紫はそういえばとばかりに、ある意味では子持ちの一人として神綺に言っておく。
「あっ、そうそう。子供の教育は大変なのよ。教育に悪いことをしたらダメよ?」
紫の隣で酒を嗜みながら話を聞いていた巫女は「お前がそれを言うのか」という言葉と共にグッと酒を喉奥に流し込んだ。
一方、宴会の中心では、レイが幻想郷の住人たちに巻き込まれ、半ば強制的に「ブロック壊しゲーム」に参加させられていた。ルールは単純で、レイがクリエイティブモードの能力で作った硬いブロックの壁を、一発の攻撃で何個壊せるかを競うものだ。
伊吹萃香が「よーし、次は私が本気出すぜ!」と拳を振り上げ、ブロックの壁を豪快に粉砕すると、観客から歓声が上がる。
「萃香さんマジすげえ! でもこれ、またいっぱい置くの地味に大変だ……」
レイが苦笑いしながらも新しいブロックを設置しなおす。
そこに紅美鈴が「私だって負けないよ!」と参戦し、気功でブロックを一気に吹き飛ばした。
そんなこんなで、騒がしくも楽しい宴会は続いていった。
◆ ◆ ◆
後日のとある日。
魔界で、ちょっとしたことがあった。
先に説明をしておくと、幼きアリス・マーガレットに悪気はない。
本当にそうしたい想いがあるのではなく、ただ単純に新しい友達の霊夢とまた会いたいとか宴会の雰囲気が好きだったからまた参加したいとかの子供らしい気持ちを幼いながらに言葉にして、そうなっただけである。
「わたし、げんそうきょうにすんでみたい!」
「幻想郷を………潰す…………!」
「待て待て待てぇ!」
この後、めちゃくちゃレイがなだめた。
アレコレしてなだめた。
アリスの妹として夢子ができた。
fin