あるアイドルの魔術により、平将門が帝都を破壊するべく長き眠りより目覚めた。かつては平将門として新皇と名乗り軍を率い、そして加藤保憲として龍を駆り帝都を破壊しようとしたが、今は古き海の神を目覚めさせようとしていた。

神の目覚めに呼応して現れた魚人がアイドルに襲いかかる。しかし世界の始まりに出た賽の目のどちらかによって、異能を持ったアイドルが集まっていた。

帝都には再び嵐が巻き起ころうとしていた。

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帝都アイドル物語

 12月上旬は一年で最も早く日が沈む時期であり、その17時ともなればすでに日が沈んでしまって一段と寒さが強まりだすような時間だった。会社員などはまだまだ仕事をしている者も少なくなく、また子どもたちなどは予想外に早く訪れた日暮れに帰路を急いだかそもそも外出を控えたかで、都心から離れた通りでは車が行き交っても人の影はあまりないような時間と場所が生まれていた。

 

 そんな通りにつながる小道から飛び出すや、膝に手を置いて肩で呼吸をし始めた女がいた。それは大きなトラブルに巻き込まれることなくアイドル生活を送る鷺沢文香だった。不審者にでも追いかけられていたのだろうか、しかしそれにしてはいやに青ざめた表情をしていた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 鷺沢文香は膝に手を置いたまま、これまで走ってきた小道を振り返った。そして一本ある街灯が照らす小道に何もいないことを確かめると、安堵からか大きくため息を吐いた。あまりの疲労からひどく歪んでいた表情も心なしか平常に戻りつつあった。

 

 ほんの少し落ち着いた文香は、膝から手を離してしっかり立とうとしたが、そうした瞬間にすぐバランスを崩して尻餅をついた。違和感を感じて靴を見ると、ヒールは2つとも折れてしまっていた。まだまだアドレナリンが出続けているのか、足の痛みはやってこないが、直にずきずきとした痛みに襲われるだろうと文香は予感した。

 

 何とかよろめきながらもそばの壁に手を突きながら立ち上がった文香は、警察に通報するべきか悩んだが、どう説明するべきか全く思いつかずにかぶりを振った。

 

 あれはただの不審者じゃなかった。

 

 文香は額から流れる汗を拭おうと手を額に当てて目を閉じたそのとき、強烈なまでに脳裏に焼き付いたアレの姿がそのために不意をついて瞼の裏に浮かんだ。

 

 首はほとんどなく、盛り上がった背中のために肩は前面に押し出され、その表面をヌラヌラとした粘液が覆っている。頭髪がなく鼻もない鼻梁を中心に大きく迫り出した顔の、もはや側面と言うべき位置についた瞼のない黒い黒い瞳がぎょろりと私の姿を捉える。

 

「……あれは……魚人だった」

 

 そう邪な言葉を呟いた途端、対面したときに漂ってきた猛烈な魚臭さが呼び起こされて胃液がせり上がってきた。それでもアイドルとしての自負心か、すんでのところで胃の内容物を地面にぶち撒けずに済んだが、しかしカバンに入れていた飲料水を飲もうという気分にはならなかった。

 

 想像の魚臭さに再び小道を見るも、やはりそこには何もいなかった。文香はもう一度深く呼吸をすると、ようやく少しばかりの冷静さを取り戻してきた感覚があった。

 

 それにしても魚人かあるいは河童か水虎か、いずれにしろ怪物から逃げ切れたことは、文香にとって幾つもの偶然が重なったために起こった非常に幸運なことであった。

 

 藤居朋などを担当する〇〇プロデューサーにしては珍しく、発注をミスしたために余っていたグッズのペンライトを何本ももらったこと。

 

 一週間ほど前に岡崎泰葉に帝都物語の辰宮雪子でオファーがあったこと、もしくは子役時代の彼女が幼い雪子役で出演していたこと。

 

 そして文香自身が帝都物語に興味を持ってすぐに読み込んだこと。作中に登場する簡単にできそうな魔術の真似事をしてみていたこと。

 

 これらが重ならなければ、怪物に出会ったとき即座にペンライトを折って光らせ、夢見りあむがそうするように4本のペンライトをそれぞれ指の間に挟み、暗闇にペンライトで早九字を切って逃げるなどできようもなかった。

 だからこそ幸運だったのだが、しかしそれはまた別の一側面では不運でもあった。なぜなら文香は怪物から逃げ切ってしまったのだから。逃げ切れないこと以上の不幸はないだろうが、それならば彼女はオカルトに巻き込まれた不幸な少女の一人だっただろう。

 

 しかし今の彼女はオカルトにオカルトでもって対抗するオカルティストだった。そもそもペンライトをもらった時点で、早九字の事を考えてしまっていた。だから今まさにそれが表面化しただけで、ずっとずっとオカルティストだったのだ。すでに次の魔術にまで考えが及んでいる。

 そのことに気がついた文香は恐々としながらも、まずは身の安全が確保できたことを強く噛み締め、プロデューサーに電話を掛けた。この足では歩けないから。

 

「……ああ、プロデューサーさんですか。実は先ほど不審者に襲われまして……。いえ今は無事ですが逃げているときに足を痛めてしまって、ええですから迎えにきてほしいです。場所は……」

 

 そうして電話を終えた文香は、今一度自分の痛めて満足に歩けない足を見た。そして恐らくはプロデューサーに運ばれるだろう自分の姿を想像して、帝都物語に登場したセルゲイ・ドルジェフを思い出した。

 

 他にすることがないからだろう、プロデューサーを待つ間の退屈を潰すために文香の頭はよく働いた。セルゲイ・ドルジェフから同章にて登場した三島由紀夫に思考が移り、そして金閣寺に移った。

 

 その思考経路はFateだったのかChanceだったのかわからない。しかしその経路を辿った文香の脳には、自分がアイドルであるが故に邪視を使えるのではないかという可能性と論理を生み出した。それは次のような論であった。

 

 金閣寺に曰く、見られるものはそれに飽きて見返すのだという。いつもライブでは大勢のファンの方々から直に見られている私なら、その分だけ見返すことができる力を涵養できているはずだ。この眼力をファン全員ではなくたったの1人に向けると、それは邪視になりうる。

 

 もしかすると邪という意識をもっていないだけで、他事務所の先輩が発した「一番後ろの人もちゃんと見えている」というのは、そのような物質的ではない面でのことだったのかもしれない。

 

 文香は魚人に襲われ、自身がオカルティストであった事実に直面したばかりだというのに、すでにそのような考えに囚われていた。オカルティストであることを裏付けるように。

 

 

 

 

 鷺沢文香が怪物から逃走していたとき、他の多くのアイドルは彼女と同じく帰路についていた。中学生以上のアイドルはそれぞれの手段で家に帰り、小学生組はいつものように彼女らをまとめて担当する○○プロデューサーが、二回ほどに分けて大きめの普通自動車に乗せて各家庭まで送り届けていた。事務所に残っているアイドルは、仕事やレッスンを終えて一息吐きながら同僚と歓談を楽しんでいた。

 

 しかしそういった日常も、鷺沢文香が魚人に襲われたこと、プロデューサーに救援を求めたことで慌ただしいものとなった。文香は電話で魚人については何も言わなかった。あくまで不審者に出くわしたということにしたが、それでも事務所の指示で、ひとまず今日は小学生組にしているように、プロデューサーがアイドルの送迎をすることになった。

 

 そんなわけで、まだ事務所に残っていたアイドル達は、各担当のプロデューサーが迎えに来るまで一時待機した。何人ものアイドルがいたが、テーブルで一人、タロット占いを行う藤居朋もその一人だった。

 

 自身でプロデュースしたタロットカードをグッズとして販売するなど、占いを趣味とする彼女だが、その原点となったタロットカードならびにタロット占いが、いま彼女がしているものだった。

 

 そのタロット占いは使用するカードも方法も少々普通とは異なっていた。タロット占いには様々な方法を用いるが、一般的には初めに全てのカードをシャッフルする。しかし藤居朋の行うそれは、まず特別に分けられた2枚のカードを裏のまま混ぜ、サイコロを左右の手で一度ずつ振り1枚を選んでテーブルに残し、片方をケースに戻すところから始める。

 

 その2枚のカードはすでに絵柄を忘れてしまったものの、FateとChanceだったと彼女は記憶している。しかし今ではどちらがどちらのカードなのかわからない。それでも初めにどちらかのカードをサイコロで選び、タロットを始めるのだ。

 

 しかしそれはどちらでもよいのではないかと思われた。何故なら私たちにはFateとChanceの違いなどわからないし、そのタロットカードが本物であれば必ずどちらか一方のカードが選ばれ続けているはずだから。

 

 そうして藤居朋はカードの山をシャッフルしてカードを引き、引いては表にして周囲に置き始めた。それは我々の知るところではないが、遠い遠い昔にこの世界が始まった時の、その始まりの様子と同じだった。

 

 海や死神など何枚かのカードを置いたところで、プロデューサーが彼女を迎えにきた。そうしてすぐに帰ろうとしたのだが、彼女はタロットを片付けながら、少しプロデューサーを引き留めて話し込んだ。

 

 それは10分ほどの短い時間だったが、そうしなければ、この世でとある2人を除き必ずいつか目の前に現れるというムングの手印が、藤居朋とプロデューサーの2人にも示されるところだった。

 

 ある男がかつて、水の蒸発具合によって地下の変動を可視化し、もって大災害の予知を試みていたが、藤居朋のタロットはそれよりもはるかに高度で正確だった。

 

 また、ムングの手印を結ばれない2人のうち1人は読者もよくご存じだろう、日暮れの塔にて今なお骸のままである予言者だが、もう1人は今まさに他のアイドルと同じく帰路に着いていた。

 

 2人の違いといえば、予言者は時にその身を蝕まれたが、もう1人はそのムングだけが使用できる秘技を盗み、隠し持っていたその魔剣によってシシュの駆る猟犬を撃退し、さらに怯えさせてしまったことだった。

 

 

 

 

 

 全てのアイドルが、藤居朋のように事務所に残っているわけではなかった。しかしそういったアイドルは、魚人に出会わなかったか(そのようなアイドルがほとんどだった)、あるいは不運にも(ただしこの場合は魚人に対して適応される)出会ってしまった。

 

 後者の、アイドルを隠れ蓑にし、そのために自身の特異性を秘匿させているアイドルの1人に安部菜々がいた。ただ、彼女の場合は特にアイドルに対して強い想いを抱いていることは特筆しておかなければならないだろう。

 

 そんな彼女が帰り道にて、他のアイドルと同じく〇〇プロデューサーからの電話を受け取っていた。そして何のFateかChanceか、アイドルはみな安部菜々と同じく電話を受けている間に魚人と遭遇してしまった。いやこの場合、魚人が安部菜々に遭遇してしまったというべきだろう。後述する他のアイドルに比べて、圧倒的に理不尽であり、また無関心だった。

 

 ともかく、通話をしている安部菜々の視界の端に魚人が映った。しかし彼女は動揺することなく、鬱陶しい蚊か蠅を追い払うように奇怪な手印を魚人に向けた。途端、魚人の命は終わった。その手印は、命の最後に一度だけ見ることができる、その手印と全く同じものだった。

 

 彼女こそがムングの手印を結ばれない2人のうちの1人だった。そしてはるか昔、それこそ唐突に現れた魚人が無感動に流れるくらいの長い長い時間の果てに、その手印をもってシシュの猟犬を撃退した。

 

 それがどれくらい昔の話なのか測りようもない。しかしそれが何歳の頃だったのか、読者には明らかだろう。永遠の17歳というのは、そのキャラクター故にそれが真実だと取られることはなかった。

 

 

 

 

 

 神崎蘭子もまたキャラクターをうまく使ううちの1人だった。彼女もまたプロデューサーからの連絡を受けているときに魚人からの襲撃を受けた。しかし「我が友よ心配ない。我が右手には『全てを焼き払う御独子の名において授けられんサマエルの炎』がある」とその独特な話し方に混ぜ込まれた呪文によって即座に魚人は悪臭を放ちながら焼失した。

 

 

 

 

 特筆すべきアイドルはそれくらいだろうか。だが他にも魚人に襲われた特異的なアイドルは多い。堀裕子は普段少しも曲がらないスプーンをぐにゃぐにゃに曲げながら、目の前の魚人を同じようにした。竹製の刀を振るう脇山珠美の手には自身の身長ほどもある血に染まった野太刀を握っていた。

 

 

 

 しかし我々は最後に、幼き辰宮雪子役を演じて以来、少しずつその性質を持ちながら育った岡崎泰葉を知らなければならない。彼女は鷺沢文香が魚人に襲われたころ、成長した辰宮雪子役を蹴るために訪れたビルを、プロデューサーとともに退出した。

 このプロデューサーもまた、このプロダクションに参加する前の経歴は不明というだけではすまない、奇怪な人物だった。

 

「体を冷やすな、早くコートを着ろ」

 

 それはともすれば今この周囲よりも一段と冷たいと思えるようなプロデューサーの声だった。しかし泰葉はその中に不思議な暖かみがあるように感じてた。その冷たさはさながら山から吹き下ろしてくるようなものであり、畏怖や拒絶といった印象も与えるものだが、同時に威厳と雄大さとがあった。泰葉は素直にコートを着た。

 

 多くのアイドルはこのプロデューサーに苦手意識を持っているが、泰葉はこの一回りも変わらないような年齢に見えるプロデューサーに不思議な父性にも似たものを感じていた。プロデューサーは女性だというのに。

 

「やっぱり、オファーを断らなければよかったでしょうか……」

 

 だからだろう、泰葉はチーフを少々困らせるようなことを思わず言ってしまった。

 

「辰宮雪子役のオファーを蹴ったことを後悔しているのか。向こうのことなら気にすることはない。監督も断られることは分かっていたと今さっき言っていたはずだ。今のプロデュース方針と辰宮雪子との方向性は大きく違うからな」

 

 そう言うと、今度はいたずらか嘲るか、どちらにしろそんな言葉が表すものよりもっと邪悪な笑みを浮かべながら、チーフは泰葉の方を見下ろした。

 

「それともなにか、他の誰かに辰宮雪子役を演じられるのは、父親を取られるのは嫌か。ふふふ、うまく隠しているが、今の泰葉は加藤保憲を父に育った辰宮雪子みたいだからな」

 

 その言葉は泰葉の心をぶち抜いた。泰葉は少しの間であるがそれこそ呼吸も止められてしまった。自分でも気が付いていなかったことを言い当てられ、まさにきゅーっという表現が適切であるほどに心臓が縮み上がった。

 

 それは彼女の部屋が、まさに彼女の趣味であるドールハウスそのものであり、帝都物語を再現しているものだったからだ。

 

 かつてドールハウスを部屋の大きさで作り、テーブルに帝都のミニチュアを建造した上でテーブルを揺らして破壊した。再び帝都を再構築したかと思えば天井から月を吊るして、自分はその上で再びラグランジュの五次方程式を解いた。

 

 そんな事を行いつつ、その中で1人、からくり仕掛けの人形に加藤保憲役を演じさせ、また同時に自分のもう1人の父親役もやらせていた。自身の芸能活動による収入のほとんどを部屋の構築に費やし、部屋はなるだけ当時の地質から掘り出した材質で作っていた。

 

 それは思春期によるものと割り切るには魔術的すぎた。泰葉は、その部屋をプロデューサーも知っていると、いま直観的に知った。

 

 しかし泰葉かもまだ知らないことはあった。部屋にあるからくり人形が1人でに動き出していたのだ。からくり人形に加藤保憲の魂が宿り出していた。

 

 それが帝都を守護する面を持った平将門なのか、帝都を破壊する面を持った平将門なのか判別できない。しかし父親としての加藤保憲を求めたのであれば、彼女だけでも守護するだろう。

 

 だがそれは同時に帝都を破壊する平将門も蘇った事を意味していた。かつて地と天の龍を駆って帝都を破壊しようとした加藤保憲だったが、今度は海の神を召喚しようとしているのだ。海に宿るスリッドの御魂に呼ばれて馳せ参じた魚人の出現こそがそれを意味していた。

 

 スリッドが目覚めんとするとき、間違いなく帝都はおろか全ての大陸が海に沈むだろう。しかし今の東京には二宮飛鳥を除き、FateかChanceか異能を持ったアイドルが集まっていた。

 

 世界が、東京がこれからどうなるか分からない。しかしその外では大神マアナ=ユウド=スウシャイが目覚めようとしていた。

 


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