この物語は『エルデンリング:ナイトレイン』のネタバレを含む為、ご注意ください。
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夢を見た。
いつの記憶なのかは分からない。それが何処なのかも分からない。それが誰なのかも分からない。
けれど、そこには自分が居た。そして自分以外が居た。
『にいさま?』
幼い子供の声がする。振り向けば、自分を見上げる少女が居た。
何処かも分からない家の中、その一室のベッドに腰掛ける自分。窓に映る自分は、何も変わらない。
『夜渡り』としての自分、『追跡者』と呼ばれている己の姿そのものもだ。身に着ける兜も鎧も、背負った剣も盾も、鉤爪も楔も、全てが自分だ。
だが、少女はそれを疑問にも思っていない様子だった。彼女の視点では、きっと自分は今より幼くて、しかし彼女より大きい程度の体をしているのだろう。
これは夢だ。そう気付くのは決して遅くはなかった。
『ぼーっとして、どうしたのですか?』
「……いや、なんでもない」
自然と口が開いた。
少女は『へんなにいさま』と言って、隣に腰掛ける。
にいさま、と呼ぶ辺り、この少女は自分の妹なのだろう。頭の中の記憶には、自分に肉親が居た事自体は憶えている。だが、それだけだ。もはや両親の顔だってろくに憶えてすらいない。
妹についても、同様だ。故郷の丘で別れたのを最後に、妹の行方は分からないままだった。
それでも、今こうして夢の中に家族が現れている。もうとうに忘れ去ってしまった肉親を、夢を通じてまた認識している。
だが、所詮は夢だ。結局はすぐに忘れてしまう。憶えたくても、憶えようとしても、わずかな時間と共に夢の記憶は流れ去っていく。
だから、目が覚めればこれも消える。顔も名前も憶えていない妹とまた会えたこの瞬間すら。
意味はない。夢は夢だ。だが、だからと言って覚ませるものでもない。
今は取り敢えず、この夢を歩いてみよう。なんとなしに、そう思った。
『あとちょっとで、おかあさまのパンがやけますよ』
「……パン」
夜渡りとして戦う中で、死ぬ度に記憶は薄れていく。もう何度死んだのかも憶えていない中で、数少ない記憶にはそれがあった。
故郷のパンだ。ふとした時に作る、今や朧気な記憶でしかない故郷で食べたパン。
夢の中だというのに、厭に現実味を帯させるこの匂いがそうなのか。
……懐かしい匂いに鼻を擽られる。まるで現実の様だ。もしかしたら本当に現実かもしれないと、信じてしまいそうになる。
そんな事があるか、と首を振る。これは夢だ。或いはただの追憶だ。現実である訳がない。
そんな思考を妨げる様に、部屋の扉が開かれた。
『二人とも、パンが焼けましたよ』
『やった! いきましょう、にいさま!』
「…あぁ」
分かりやすく喜んで笑う少女に手を引かれ、部屋を出る。
匂いが濃くなる。朧気な記憶が、僅かに明るみを帯びた様な気がした。
階段を降りて、見慣れない居間を眺める。いや、見慣れないのは自分に記憶がないからか。この夢が自分の故郷であるならば、家族の記憶であるならば、この家こそ自分の家だ。
テーブルに並べられた皿の上に幾つか乗せられた、良い焦げがついた焼きたての薄いパン。中に何かを挟んで食べるのも良いし、塗り物を詰めるのもいい。そんな食べ方が出来るパンだ。
『夜渡り』となってからも、たまに作る事を習慣付けた。母の味を、母が居た事を、決して忘れない様に。
『いただきます!』
「…いただきます」
口を覆う布をズラし、手に取った一切れを口へと運ぶ。
熱い。焼きたてなだけはある。本当に現実を思わせる程だ。
はふ、はふ、とパンを食べる少女は、本当に美味しそうに笑っている。もう憶えてはいないが、きっと昔の自分もあの様にして楽しんでいたのだろう。
噛んで、噛んで、嚥下する。
じんわりと甘じょっぱい、母の味が喉を通って胃へ落ちる。ほんのりとした暖かさに、満たされていく気がした。
『おいしいっ! おかあさまのパンはほんとうにおいしいですね、にいさま!』
少女が笑う。明るい太陽の様に、眩しく笑う。
記憶はない。だが、その姿を見ると―――何故か、愛おしく思えた。
自然と、自分の手が伸びていた。それが、少女の頭に触れていた。
さっきとは打って変わった様に、恥ずかしそうに少女は笑った。
「……あぁ、そうだな。とても、美味しい」
――ぇ
声がする。
―――ねぇ
の声が――――――
「やっと起きたわね」
「……」
冷たい風に靡く金髪。鉄の冠の様な装飾で目を隠す夜渡り―――『レディ』が、そこには居た。
日が沈み、円卓は暗くなっている。もう随分と長いこと、この場所で眠っていたらしい。
靄が掛かった様に緩んでいた記憶が晴れて、鮮明になっていく。
確か自分は、調理台でパンを作ってそれを食した後に、そのまま眠ってしまったのだったか。
一刻も早く、夜の王を倒さなければならないというのに。惰眠を貪るとは、何たるか。
「もう冷えるわ。眠るなら、円卓の中に戻ってからの方がいいわ」
「…そうだな。すまない、面倒を掛けた」
「気にしてないわ。それにしても、随分と長く眠っていたけれど……それに、どこか穏やかだったわ。良い夢でも見ていたの?」
「……憶えていない。だが、そうだな。穏やかな夢だったとは、思う」
どんな夢かは忘れてしまった。
だが、その夢にはきっと自分にとって大切な人が居た。不思議とそれだけは、確信を持って答えられた。
しかし、こうも長い間も外に放置してしまっては、パンもダメになってしまっただろうか。勿体ない事をした。
そう思って皿に目をやると、パンは欠片もなくなっていた。
はて。自分はパンを全て平らげただろうか? 疑問に思っていると、レディがやや上擦った声で咳払いをした。
「その、勿体ないと思って。ごめんなさい」
どうやら、彼女が平らげたらしい。やや赤く染まった頬と耳を見ると、普段の彼女とは些か異なる面を見れた気分になった。
初めて見る筈なのに、何故だかそれが懐かしく思えた。
「……いや、気にしなくていい。多く作ってしまったからな。捨てるのも味気ない、寧ろ感謝したいくらいだ」
「…そう? それなら、良いのだけど」
「しかし、全て平らげたのか。それ程美味かったか?」
「えぇ。とても馴染み深い味だったわ……母親を思い出す、ほんのりと甘じょっぱい味」
「……そうか。故郷の味付けなんだ、気に入ってもらえたなら良かった」
同じ味だと、レディは言う。
そんな彼女の言葉に、何故だか胸がすく様な気持ちが浮かび上がった。
枷が外れた、というよりは、何かが嵌った様な気がした。
……あぁ、そうか。
つまりは、そういうことだ。
「え」
「……」
気が付けば、右手は彼女の頭に乗せられていた。
唐突の出来事に、固まる
「すまない。不快だったか」
「い、いや。不快という訳では、ないけれど……ただ、あまりにも唐突だったから」
「そうか」
これは、明かす必要はない。
秘めたままで、そのままで、問題ない。
すべては事を成した、その先にある。
一刻も早く、夜の王を屠らねばならない。そして―――新たな夜を始めなければ、ならない。
確たる証拠はない。後を調べる事も出来ない。けれど、それでもわずかな希望があるならば、それに縋らずにはいられない。
双子の馬が並ぶ事はなくとも。
もう共に過ごす事が出来なくとも。
それでも、せめて。
だとしても、せめて。
たった1人の片割れだけは。
生きていてくれた―――妹だけは。
救ってやりたい。
復讐は止めない。けれど、これは単なる私怨ではない。
全ては事を成した後の事。ただの我儘だ。
妹だけは、と―――そう願い、ただひたすらに道を歩むと決めた、その道の