プロローグ前編 ダンケルク撤退阻止作戦
薄曇りの空の下、ヴィシア聖座の古い墓地にアッシュブロンドの髪が目立つ青年は足を踏み入れた。冷たい風が湿った土の匂いを運び、墓石の間を吹き抜ける。墓地はアイリス式の厳かな佇まいを保ち、聖母像や十字架が刻まれた石碑が整然と並ぶ。苔むしたプレートには敬虔な信徒たちの名が刻まれている。だが、青年の心に信仰はとうの昔に消え失せている。
黒いコートをまとい、片手に白いユリの花束を持った青年は、一つの墓の前に立ち止まった。墓碑には、セイレーンに奪われた家族の名が刻まれている。あの日以来、彼の胸には憎悪が燃え続け、血と汗の努力で指揮官の地位を掴み取った。すべては機械の怪物どもを海から駆逐するためだ。
アイリス式の慣習に従い、青年……若き指揮官は無言でユリの花を墓前に供えた。花瓶に水を注ぎ、墓石の周囲を丁寧に掃き清める。敬虔な者ならば、ここで祈りの言葉を捧げ、聖書の詩篇を唱えるだろう。
だが、指揮官は唇を閉ざしたままだった。神がいるなら、なぜ全てを奪わせたのか。なぜ少年だけが生き残ったのか?誰も守ってくれなかった。誰も救ってくれなかった。宗教国家アイリス出身者とは思えぬ程に彼の信仰は彼の心から消え去っていた。
指揮官は墓石の前で膝をつき、目を閉じた。沈黙の中で、過去の断片が脳裏をよぎる。家族の笑顔、港の静かな夕暮れ、セイレーンの無慈悲な襲撃。拳がわずかに握り締められるが、声は発しない。儀式は黙々と進められた。
墓地の奥から、微かに海の音が響く。アイリスの海は静かだが、世界はまるで嵐の前夜のような緊張に包まれている。鉄血のレッドアクシズの離脱によって始まったアズールレーンとレッドアクシズの対立は大規模戦闘に陥っていないが奇跡と言ってもいい程に火が燃え上がっており、ほんの一瞬のきっかけで未曾有の大惨事を作り出すに違いない。
「チッ……カス共が…」
思わず汚い言葉が口に出たがそれに返答する者はいない。誰もいない墓所で指揮官は立ち上がった。
「復讐を果たした後、俺も後を追う。どうか許してほしい」
指揮官が立ち上がると、白いユリの花がふわりと揺れた。冷たい風が墓地を駆け抜け、銀と灰色の髪がなびく。静まり返った墓所に一礼すると、指揮官は墓碑に背を向けて歩き始めた。
「次に会う時はセイレーンの首の一つでも土産に持っていってやるよ」
墓地に背を向けた指揮官の口元には憎悪に塗れた狂気を孕んだ笑みが浮かんでいた。
「もう、いいのか?」
「あぁ」
車の前で待機していたヴィシア聖座の陣営代表のkansen。ジャン・バールはぶっきらぼうに答えた。いつも身に纏っている軍服ではなく彼女も喪服姿なのは指揮官の目的に合わせているのだろう。もっとも、指揮官はそんなジャン・バールの気遣いに気が付かない。ジャン・バールは内心苦く思いつつ車の鍵を開けた。
「何を祈った」
「クソッタレの化け物とそいつを殺す為に邪魔をする連中全てを地獄に叩き込んでやると祈ったよ」
「相変わらず口が悪いな、お前は」
車に乗り込んだ指揮官は鼻で笑う。助手席に座ったジャン・バールがエンジンをかける。車は墓地を後にして走り始めた。
「……それで、次はどこに行くんだ?」
「仮装陣地だ。そこで作戦会議を行う。いよいよ大詰めだ、気合を入れろ」
「了解した。首尾は上々……条件は全てクリアした」
指揮官の言葉に、ジャン・バールは獰猛な笑みを浮かべる。人はあまりに激怒してしまえば一周回って笑みが浮かぶらしい。その胸中にどれだけの失望と憎悪が渦巻いているのか。それは指揮官すらも理解できないだろう。
「第一目標、第二目標の確保は絶対条件だ。出来れば第三目標も得たいがそれさえ終えれば長居は無用。素早く離脱する。作戦の指揮お前に任せる。今回は『共同軍』ではあるがやれるな?」
面白くもなさそうにコクリと頷く指揮官を見てジャン・バールも無言でアクセルを踏み込んだ。土煙を巻き上げながら、車はスピードを上げて走り始め、やがてその姿は消え失せ。後には沈黙だけが残されるのだった。
闇夜の中、ダンケルクの港は混乱に呑まれていた。アイリスの駆逐じっkansenフォルバンは、発育の良い身体に専用の艤装で身を包み、波止場に立つ。
彼女の瞳は、沖合で瞬く無数の灯火を見つめていた。民間人を乗せた船団が、ぎこちなくロイヤル目指して進む。その数は数十万。だが、突如として現れたヴィシア聖座のkansenが、なぜか自国の同胞を追うように襲いかかっていた。
「こんな…」
港の空気は重く、硝煙と海水の匂いが混じる。遠くで爆発音が響き、夜空を赤い閃光が裂く。アイリス派の亡命軍は、ロイヤルの支援を信じてこの港に集った。ロイヤルの艦隊が援護に現れ、民間人を安全に連れ出す計画だった。なのに、ヴィシアのkansen——かつての仲間たちが、冷酷な刃を向けてくる。
「こんな…はずじゃ…」
フォルバンの声は、波の音にかき消された。彼女の主砲が火を噴き、沖合のヴィシア艦を牽制する。だが、敵の数は多い。闇の中、ヴィシアの重巡kansenアルジェリーのシルエットが浮かび、砲撃が港の防壁を砕く。
民間人の悲鳴が夜に響き、フォルバンの胸を締め付ける。彼女はアイリス派として戦うことを選んだが、かつては同じヴィシアの旗の下で戦った仲間を相手にするなど、想像だにしなかった。
「こんなはずじゃない!!!」
フォルバンは歯を食いしばり、甲板を蹴って前進した。彼女の任務は船団の護衛。民間人を一人でも多くロイヤルに送り届ける事だが、ヴィシアのkansenは容赦ない。
ヴィシア所属の重巡kansenアルジェリーの砲撃が海面を割り、逃げ惑う小型船のスクリューを器用に破壊する。フォルバンは反撃し、魚雷を放つが、闇夜の混乱では命中を確信できない。港の灯台が爆風で倒れ火花が闇を照らす。
遠くで、ロイヤルの援護艦隊の影がようやく見えた。だが、間に合うはずがない。ヴィシアのkansen、まるでセイレーンのように無慈悲に襲いかかる。リシュリュー派の他のkansen。エミール・ベルタンやル・トリオンファンも防戦に追われ、港は戦場と化していた。民間人の叫び声、砲撃の轟音、波のうねり。すべてがフォルバンの耳に混ざり合い、彼女の心を乱す。
「なんで……なぜ、ヴィシアが私達を……」
フォルバンは呟きながら、主砲を再装填した。幸いな事にヴィシアの面々は船を沈める事はなく、人を傷付ける事を避けて病的なまでに避けている様子だ。だが次々と耳に届く通信は悪夢そのものだった。
『ロイヤルが来る手筈だろうがぁ!?』
『裏切りだ…誰か裏切ったんだ!』
『船の二割が航行不能!ヴィシアのクソッタレ共がぁ…!』
『民間人を守れ!アイリスに栄光を!!』
味方からの通信が恐怖に震える。フォルバンは拳を握りしめた。単独で突っ込むなど自殺行為だが、他に手立てもない!もしここで躊躇すれば取り返しの付かない事になる。リシュリューからの信頼も厚い、熟練の指揮官が今回の指揮を取るはずであったが指揮艇は真っ先に制圧されたらしい。
反抗の意志も考える暇がない程に追い立てられていることに気づき、彼女は悔しさで唇を噛み締めた。それでも敵に立ち向かうしかないと覚悟を決める彼女だったが、その時思わぬ声が耳に届く。
「ぐへ…あはは…フォルバン久しぶりだねぇ…」
「なっ…!?」
まるで旧友に声をかけているような呑気な声が、戦場と化した港に響く。フォルバンは思わず振り向いたがその声の主を目にして戦慄した。硝煙の匂いを纏い現れたのは見覚えのある少女であったのだ。
「モガドール…!?」
豊満なる肢体を黒いマントで覆い隠した紫髪の少女。処刑用の斧を流用した蛇腹状刃の大型アックスを振り回しながら、彼女はにこりと笑う。
彼女の名はモガドール。ヴィシア……否、アイリスの暗部を司る第三の組織。『審判廷』に所属するトップエージェントの1人であった。
あり得ない!あり得ない!!あり得ない!?
最早フォルバンの胸中は怒りや焦りではなく目の前の現実を否定せんとする言葉で占められ、そんな彼女を甘ったるい声を出しながらも見つめるモガドールの瞳には、どこか憐れみと微かな軽視の心が潜んでいるのであった。
アイリス教国。
信仰心が熱い宗教国家であり、セイレーンが出現するまでは世界屈指の海軍力を誇る列強の一つとして挙げられたこの国家は1890年代、突如として現れた人類種の敵、撲滅機械セイレーンによりシーレーンをズタズタに引き裂かれ。第一次セイレーン大戦と呼ばれたkansenを中心とした人類の反抗に成功した後も没落の危機に瀕していた。
一つの神を信仰し教皇の名の下にセイレーンに聖戦を仕掛けていたアイリス教国は、主に二つの勢力が国内に存在している。
一つは親ロイヤルでありアズールレーンに所属し続け、戦前より関係は良好とは言えなかった宿敵である鉄血公国を警戒する、枢機卿リシュリューを中心とした親アズールレーンであるリシュリュー派。
もう一つは枢機卿リシュリューの姉妹艦であったジャン・バールが作り上げた対セイレーンの特殊部隊を母体とし、後にヴィシア聖座と呼ばれる組織。こちらはセイレーンに対抗する為には隣国である鉄血公国の連携を模索しており、その結果鉄血との国土の合併もやむなしとまで考える鉄血融合派まで存在する程の親レッドアクシズ派閥であった。
リシュリュー派とジャン・バール派。姉妹でありながらそれぞれの派閥に擁立され、対立する二人の確執は本人達の意思すらも無視して亀裂は肥大化していく。第一次セイレーン大戦の頃から存在する親鉄血と親ロイヤルの対立は最早修復不可能と言えるほどのものであり、最終的には国家の分裂という最悪の事態に繋がるのであった。
きっかけは数年前の鉄血公国の軍備増強宣言であり、セイレーンからの強襲を全て防ぎきる防衛網の構築に成功した鉄血は次々とkansenや強力な無人艦を配備による軍事力をアピール。
更に国家の代表である教皇が中立を表明すると親鉄血派はアズールレーンに残留し続ければ鉄血公国、サディア帝国から攻撃を受け国内は火の海になると中立派の軍人、議員を説得。その結果選挙によって親鉄血派の議員が単独で過半数以上の議席を獲得し、親アズールレーンの議員や軍人を公職追放、予備役とする粛正を行ったのだ。
その裏に鉄血の支援やビスマルクの暗躍があったかはどうかは想像に委ねよう。
そこで、国家の事実上の代表であるリシュリュー枢機卿は決断したのだ。親アズールレーン派の議員、軍人、kansen、聖職者、そしてリシュリュー枢機卿を信奉する数十万の国民達は秘密裏にノール県ダンケルクに集結させ、隣国のアズールレーンに所属する国家であるロイヤル王国への亡命を行おうとしていたのである。
作戦は極秘裏に行われた。徹底的な情報封鎖と情報漏洩の防止。国内にいる鉄血の諜報員やヴィシア派からの妨害を跳ね除け、港から出港するはず高速艇も確保した。ありとあらゆる手を尽くし、人員を少しずつ送り込み、Xデーである1940年5月24日の今日。史上最大の亡命計画は実行に移される……はずであった。
その結果がこれだ。人員を高速艇に詰め込み、出航した直後。突如として現れた軍勢にリシュリュー派の面々は驚愕する。統制された動きで高速艇を次々と無力化することヴィシア聖座の面々に襲われたのだから。
そう。史上最大の亡命作戦は開始と同時に頓挫した。
更に本来権力闘争に関わらない中立を宣言したアイリスの暗部組織。『審判廷』もまた襲撃に加わるという最悪の結果で。
その時、
・アイリス教国
史実フランスポジションの国家。ゲーム本編では自由アイリス教国と名乗るロイヤルの後ろ盾を得たリシュリュー派と、ジャンバール率いる国土に残留した親レッドアクシズ派のヴィシア聖座に別れる事になるが今作ではまだ自由アイリス派は蜂起してない為にリシュリュー派と表記。また史実ではドイツによるフランス侵攻とその敗北というイベントがあるものの今作ではゲーム本編でその様なイベントが(メタ的に極限まで人類を出さない、陸戦などの描写がややこしいから?)が省かれる事もあって国内をヴィシア派が握ったタイミングで政治的に敗北しつつある親アズールレーン派がロイヤルに亡命したという解釈に。
本来はゲーム内同様亡命に成功するはずが今作ではそんなリシュリュー派の面々をヴィシア聖座が襲撃した事によって本来の歴史は崩壊してしまった。観測者のセイレーン大喜びである
・前作とのつながりは?
作者の前作「鉄血の旗の元に」と一部設定などは同じではあるものの、そちらでは登場しなかったクレマンソーを始めとする『審判廷』の面々なども含め結構な差がある、いわば違う『枝』(パラレルワールド)の物語。なので今作からでも初見の方は楽しめますのでご安心を。
・モガドール
本来は痴女であるなどと描きたかったのですが流石に真面目なシーンなどで自重。ちなみにフォルバンとは戦前「服着なさい!」と怒ったりしつつも割と仲の良い関係だったそうな。というかゲーム本編もそうですが自由アイリス、ヴィシア、審判廷の皆は多少イデオロギーは違いますが概ね仲良しです。
・今作について
2022年に某所で発表されたダイススレ。サイコロを振りそれにあった選択肢によって進んでいく作品にてある意味伝説となったお話を作者様の許可を得てノベライズさせていただいております。作者様に改めて感謝を。
次回はそんなダンケルク撤退阻止作戦の模様を。歴史が崩壊する中ヴィシア聖座の面々の目的とは…?
コメント、感想、評価をお待ちしております。
指揮官のAIイラストの感想はどうでしょうか?
-
イメージ通り
-
なんかイメージと違う
-
その他(こっちの方がいいよ!と提供など)