ヴィシア戦記 鬼神と呼ばれた男   作:kiakia

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第八話 枢機卿の迷い

 

 

 鉄血の追撃部隊が引き起こす喧騒が、遠く水平線の彼方へと遠のいていく。しかし、その喧騒とは対照的に、リシュリューとジャン・バールが対峙する海域には、肌を刺すような、凍てついた静寂が満ちていた。

 

 

 

 どちらも陣営を背負う代表であり、かつてはアイリスという一つの旗の下で、多くのkansenや軍人を導いてきた者たちだ。その戦闘能力は、kansenという種の中でも間違いなくトップクラスに位置する。

 

 

 ジャン・バールの艤装には、未完成ゆえの欠落があった。片方の四連装主砲は実装されておらず、そのシルエットは左右非対称だ。だが、その欠落を埋めて余りあるほどの殺意が、彼女の周囲の海面を沸騰させていた。

 

 

 

「……リシュリュー」

 

 

 

 低く、地を這うような指揮官の声が、通信機越しに響く。その声には、一切の感情が排されていた。

 

 

「お前は、自分が盾になればフッドたちが逃げ切れるはずだと。ベアルンたち亡命派の合流を待つ時間稼ぎのつもりだろうが……無駄だ」

 

 

 指揮官の視線は、冷徹に戦況を俯瞰している。リシュリューが緊急展開用のブースターまで使用して単騎で突入してきたという事実は、裏を返せばリシュリュー側の焦燥の現れに他ならない。

 

 

 

 指揮艇のブリッジに満ちるのは、酸素さえも凍り付くような濃密な殺意だった。若い青年が背負うには余りにも重く、どす黒い復讐の炎に焼かれている。リシュリューはそれがセイレーンではなく自身に向けられてる事実に思わず苦い表情だ。

 

 

 

 

 その憎悪の余波に、後方に下がって自体を見守っていたル・マルスは小さく肩を震わせている。何故、どうしてこんな事になったんだろう?

 

 

 

 姉妹同士が殺し合い、尊敬する指揮官がそれに加担する。どちらにも死んでほしくはない、でも自分にはリシュリュー枢機卿を撃てない。震えるマルスの小さな手に、温かな感触が重なる。

 

 

 

「……大丈夫よ、マルス」

 

 

 

 傷つき、艤装を休めているダンケルクが、痛みを堪えながらも聖母のような笑みを浮かべていた。彼女とて、かつて敬愛したリシュリューと殺し合う現状に心が張り裂けぬはずがない。だが、その瞳は真っ直ぐに、戦場に立つ指揮官達を見据えていた。

 

 

 

「今は信じて、見守りましょう。彼らの覚悟を。そして、行く末を」

 

 

 

 ダンケルクの言葉に、マルスは溢れそうになる涙を堪えて頷いた。彼女たちには分かる。指揮官が自分たちを後方に下げたのは、単なる戦力不足ゆえではない。自身を気遣ってくれている事を。

 

 

 そして、ジャン・バールと自分だけで背負おうとしている事を。ローンはそれに賛同し、祖国の権益のみならず、自身の覚悟を示さんと彼女もまた火砲をリシュリューに向けている。そんなローンと違い動けない自分に思わず情けなさを感じるマルスであった。

 

 

 

 

 戦域の中心では、ジャン・バールが不自然に欠落した艤装を軋ませ、その殺意を物理的な圧力へと変換させていた。

 

 

 

「短期決戦だ。奴らの増援が来る前に、そのクズの手足を潰せ。……ジャン、ローン。三分以内で終わらせろ」

 

 

「「了解!」」

 

 

 

 指揮官の冷徹な宣告が通信を切り裂くと同時に、戦域の時間は一気に加速した。海面を覆っていた静寂は、数千発の火薬が爆ぜる予濁へと塗り替えられる。

 

 

 先手を打ったのは、数的不利に立たされたはずのリシュリューであった。

 

 

「行きますよ、ジャン・バール……!」

 

 

 その凛とした声が響くと同時、彼女の艤装が黄金の火花を散らす。開幕、真っ先に砲塔で捉えたのはリシュリューの方であった。その練度は伊達ではなく、アイリスの象徴として戦場に立ち続けてきた経験値が、迷いを抱えつつも揺るぎない先制攻撃を成立させていた。

 

 

「チッ……! 流石に早いか……!」

 

 

 ジャン・バールが舌打ちし、緊急回避の機動に移る。リシュリューの放った初弾は彼女のいた海面を激しく突き上げ、天を突く水柱を立てた。回避行動によってジャン・バールの照準が僅かにブレる。戦艦同士の決戦において、その一瞬の空白は致命傷になりかねない。

 

 

 だが、リシュリューの真の狙いは別にあった。彼女はジャン・バールの反撃を警戒する素振りを見せながら、滑らかな機動で砲身の軸を僅かに、しかし鋭く横へとスライドさせる。

 

 

「ですが、まずは貴方からです」

 

 

 視線の先には、獲物を食いちぎる機会を窺っていた異物。姉妹対決に水を差す介入者を潰さんと言わんばかりに先ずは、とリシュリューの砲塔はローンへと向いた。

 

 

「あらあら、ダンスのお相手に選んでくださるだなんて……ナメられてるよねえっ!?」

 

 

 

 リシュリューの判断は極めて合理的だ。精神的に迷いのあるジャン・バールを牽制で封じ、その隙に、戦場の不確定要素であるローンを先に排除する。それはある意味彼女が血縁関係のある妹ではなく、初弾をローンに向けたという事実が彼女もまた躊躇いを隠せていない証拠ではあるのだが。

 

 リシュリューの主砲が咆哮を上げ、四条の閃光が直線上を走る。迎え撃つローンの背後では、鉄血の異形なる生体艤装がその顎を限界まで開き、襲いくる聖なる火砲を飲み込まんと狂ったように笑い声を上げていた。

 

 

 

 直後、ローンの周囲を囲む様に青い発光体が素早く展開される。

 

 

 空中に浮かぶ物理障壁、シールドだ。戦艦クラスの運動エネルギーを宿した砲弾がその膜に接触した瞬間、大気を震わせる衝撃波と火花が散った。

 

 

「……シールドですか」

 

 

 

 

 リシュリューの表情に苦い色が混じる。

 

 

 

 

 Kansenの中には「スキル」と呼ばれる、戦局を左右する特殊能力を保有する者が存在する。ジャン・バールであれば神速に近い速度で放たれる超精密な一斉射。リシュリュー自身であれば、砲弾を聖性へと変換し、トリコロールカラーの光となって水平線を薙ぎ払う弾幕展開。

 

 

 

 そしてローンは、数少ない「防御シールド」を任意に展開可能な個体であった。

 

 

 

 本来、駆逐艦や軽巡洋艦の主砲を弾くためのそれは、戦艦級の主砲に対しては紙細工に等しいはずだ。しかし、目の前の鉄血艦が展開する障壁は、衝突のたびに激しい火花を上げながらも、その圧倒的な破壊エネルギーを霧散させていく。

 

 

 

「その程度で私を倒せるだなんて……まさか本気で思っている訳じゃあありませんよねえ!?」

 

 

 

 大気を震わせる衝撃の只中で、ローンの艶やかな声が響く。本来であれば防御に全神経を注ぐべき質量。しかし、彼女の背後に控える生体艤装は、その障壁が砕け散る寸前の負荷さえも愉悦に変えるかのように、より一層爛々と瞳を輝かせた。

 

 

 

「硬い、ですね……。やはりセイレーン研究が盛んな鉄血の技術は侮れません、が…」

 

 

 

 

 リシュリューは即座に次弾を装填し、砲身の角度を微調整する。一発で穿てぬのなら、構造的な限界を叩き潰すまでだ。

 

 

 

「確かに、一発ではダメなようですが……ならば、二発ならいかがでしょうか?」

 

 

 

 

 聖なる火花が散り、間髪入れずに放たれた連射がローンのシールドを叩く。物理法則を無視したような高密度の連撃。青い障壁は悲鳴のような金属音を上げ、亀裂が走る。

 

 

 

「あはっ! いいですよお、もっと来ても!例え売国奴相手であろうとも、愛する妹を撃つよりは、私のような外道を殺そうとする方が、枢機卿殿も気が楽でしょう!?」

 

 

 

 

 あえて急所に踏み込むローンの挑発。それはリシュリューの内心に潜む「甘さ」を抉り出す刃だった。妹であるジャン・バールに砲口を向ける苦痛。その代替として自分を選んだ枢機卿の欺瞞を、ローンは笑いながら戦場に晒し上げる。リシュリューの眉が微かに動くが、その一瞬の揺らぎを、彼女が逃すはずもなかった。

 

 

 

「それじゃあ……こちらの番と行かせてもらいましょうかぁッ!」

 

 

 

 一瞬の隙を突き、ローンは海面を爆ぜさせてリシュリューへと肉薄する。シールドを維持したまま、被弾を恐れぬ狂気の突撃。リシュリューは即座に主砲の旋回が間に合わぬと判断し、副砲の群れをローンへと向ける。

 降り注ぐ弾幕。だが、ローンの動きはまるで未来を予見しているかのように滑らかだった。

 

 

 

 

『……右3、仰角を下げて滑り込め。三秒後に弾道が交差する』

 

 

 

 

 通信機越しに響く、抑揚のない声。それは戦場をチェス盤のように俯瞰する指揮官の演算じみた盤面の指揮の結果だ。ローンはその指示に寸分の狂いなく身体を預け、弾丸の雨を最小限の動きで、紙一重の距離で透過していく。

 

 

 

 グルルル……と、彼女の背後で生体艤装が飢えた獣の唸りを上げ、その巨大な顎がリシュリューの気高い姿を捉えた。

 

 

 

「あら、そんなに怖い顔をなさらないで? 貴女様はアイリスが鉄血に染まるのが嫌で、ロイヤルに亡命したんでしたっけ? ……滑稽ですねえ。民主主義に則って、国民や議会が決めたアイリスの歩みを、他ならぬ枢機卿様が、自分の感情一つで駄々を捏ねて台無しにしただなんて!」

 

 

 

 

 肉薄したローンが、リシュリューの目の前で毒を吐く。

 

 

 

「国民を導く神の代行者が、一番国民の声を無視して他国に縋るなんて。貴女様が守ろうとしているのは『アイリス』じゃなくて、自分の『理想』だけなんじゃないですかあ!?」

 

 

 

 至近距離。ローンの生体艤装が、リシュリューの華奢な肩を、あるいは艤装の基部を噛み砕かんと、その鋭い牙を剥き出しにした。

 

 

 

 

 直後、ローンの生体艤装から放たれた至近距離の副砲数発が、リシュリューの艤装へと直接突き刺さる。轟音と共に紅蓮の爆炎が上がり、枢機卿の気高いシルエットを無慈悲に飲み込んだ。

 

 

 

 勝利を確信させるに足る、重い手応え。しかし、吹き荒れる爆風を切り裂き、毅然とした声が戦場に響き渡る。

 

 

 

「……この程度であれば、装甲で受け切れます。……やれるとは思わない事ですね」

 

 

 

 立ち込める黒煙の中から、ゆっくりとリシュリューが姿を現した。

 

 

 

 

 煤に汚れ、艤装の端々に熱が籠る「小破」程度の損害。だが、彼女が纏う空気は先ほどまでとは一変していた。背後の爆炎を背景に、揺らめく火群の中から歩み出るその姿は、あまりにも幻想的で、神々しい。

 

 

 

 

 だが、その瞳に宿っているのは慈愛ではない。迷いを断ち切り、眼前の敵を「滅ぼすべき異端」と見定めた、峻厳なる異端審問官のそれであった。黄金の装飾が火光を反射し、彼女の存在そのものが神罰を体現する巨大な十字架のようにさえ見える。

 

 

 

 ローンの言葉は、確かに毒だった。だが、リシュリューはその毒を飲み込み、自らの罪業を背負ったまま、戦うための「鋼の意志」へと変換してみせたのだ。どれほど罵られようとも、どれほど貶められようとも、彼女は自身の正義を、アイリスの未来を、他者の手には委ねない。

 

 

 

 

 その光景を前に、先ほどまで嘲笑を浮かべていたローンの顔から、表情が消えた。煽りも、狂気も、愉悦も。その全てを剥ぎ取った真顔で、ローンは眼前の枢機卿を冷たく見据える。

 

 

 

 

「……見下げ果てましたね」

 

 

 

 

 それは、単なる罵倒ではなかった。自分の過ちを認めることさえ拒み、聖なる光の裏に独善を隠して戦場に立ち続ける偽善者への、底知れない嫌悪。

 

 

 

 

「ならお望み通り……何発でも当ててあげましょうかねッ!」

 

 

 

 

 ローンの声から艶やかさが消え、研ぎ澄まされた刃のような鋭利な響きだけが残った。感情を排したその瞳は、もはやリシュリューを「対話の相手」として見ていない。ただ、解体すべき障害としてその網膜に刻んでいた。

 

 

 ローンは後退を許さぬ猛速で、爆炎の残るリシュリューの懐へと強引に割り込む。追い縋るように、あるいは心中を辞さぬ覚悟で肉薄するその姿は、周囲に広がる海面を狂ったように跳ね上げさせていた。

 

 

 

 

「あのバカ……! これじゃオレが撃てないだろうが……!」

 

 

 

 通信機越しに、ジャン・バールの苛立ちに満ちた怒号が響く。本来なら主砲の偏差射撃でリシュリューの機動を殺す算段であったが、二隻の距離はあまりに近すぎた。

 

 

 

 

 迂闊に引き金を引けば、戦艦級の砲火はリシュリューごとローンをも消し飛ばしかねない。ジャン・バールの指が、不自然に欠落した艤装のトリガーの上で、もどかしく震える。

 

 

 

 

 

「っ……! この程度ならば、まだこちらも……!」

 

 

 

 

 リシュリューは迫りくるローンの猛攻を、艤装を盾に防ぎながら必死に距離を取ろうとする。だが、肉薄したまま一歩も退かぬローンの副砲が、至近距離からリシュリューの装甲を何度も叩いた。

 

 

 一発一発の衝撃が枢機卿の気高さを削り取り、白亜の艤装から火花と破片が舞い散っていく。本来重巡kansenはここまでゼロ距離で殴り合う事に向いておらず、接近戦を好むローンがどれ程までの逸材であるのかはリシュリューでも理解できてしまった。

 

 

 

「ほら、さっきの余裕はどうしたんですかぁ?」

 

 

 

 密着せんばかりの至近距離で、ローンは氷のような冷徹な言葉をリシュリューへ叩きつける。

 

 

 

「……鉄血公国には、我が同胞のために鉄血の力とならん事を、という言葉がありますし。私たちは知ってますよー?――血は海水よりも濃く、絆(おもい)は鉄より堅い――ということを」

 

 

 

 ローンの背後で、生体艤装の顎がリシュリューの首元に迫る。その狂ったような唸り声は、主人の怒りを代弁していた。

 

 

 

「私たち鉄血にとって、同胞への献身は何よりも重い。だからこそ……自分の理想を叶えるために祖国を捨て、妹に銃口を向ける貴女のような姉は、許せない以前の問題です。唾棄すべき、吐き気のする『ゴミ』なんですよ」

 

 

 

 リシュリューの瞳が、その言葉に一瞬だけ大きく揺らいだ。国を想い、未来を信じて選んだはずの亡命。だが、その結末が「自分を信じて残った妹を、他国の利益のために砲撃する」という歪な現実であることを、ローンは一切の容赦なく突きつけてくる。

 

 

 仲間を見捨てるのは鉄血として最も嫌悪する事。ローンもまたリシュリューを見る瞳の色は狂気でも憐みでもなく見下げ果てた存在だと軽蔑していた。

 

 

 

「黙れ……貴女に、アイリスの何が分かるというのです……!」

 

 

 

 振り払うようなリシュリューの叫び。だが、その砲門の先は未だ、最愛の妹ではなく、目の前のローンにしか向けられていない。その「中途半端な情」こそが、ローンにとっては救いようのない欺瞞に見えていた。

 

 

 

「何もわかりませんけど?ふふ、面白いことを仰いますねえ」

 

 

 

 

 至近距離で弾ける火花を照明代わりに、ローンは蔑みの笑みを深めた。リシュリューの艤装を押し留めるその力は、言葉を重ねるごとに増していく。

 

 

 

「なんせジャン・バールさんや指揮官さん、それに可愛いマルスちゃんからもお話は聞きましたけれど……。結局のところ、私には貴女様が亡命した『高潔な理由』とやらは、一向に理解できませんでしたもの」

 

 

 

 ローンの冷たい瞳が、リシュリューの揺れる黄金の双眸を射抜く。

 

 

 

「政治の場で意見が通らなかったからといって、いきなり私派を集めて親ロイヤル派をまとめ上げ、挙句の果てには民間人やkansenまで巻き込んで国を割った。……私の手元にある情報は、『リシュリューは自分の思い通りにならない国を捨てた売国奴である』。それだけですよ?」

 

 

 

「……っ! それは、貴方たち鉄血が撒いた種でしょう……!」

 

 

 

 リシュリューが、絞り出すような怒号を返した。振り払おうとする艤装から聖なる光が溢れ、ローンのシールドを激しく削り取る。

 

 

 

「貴方たちがアズールレーンを離脱し、レッドアクシズを結成したことが全ての始まりです。セイレーン技術を積極的に研究し、その『禁忌の力』に溺れようとする方針が、エウロパ大陸の分断を煽り、アイリスを、世界を裂いたのです……!」

 

 

「ああ、嫌だ。また人のせいですか。……呆れ果てて言葉も出ませんねえ」

 

 

 

 ローンは心底から吐き捨てるように、その言葉を遮った。シールド越しに伝わるリシュリューの聖なる光――その熱量さえも冷笑の対象でしかないと言わんばかりに。

 

 

「確かに鉄血は研究をしていましたし、サディア帝国や、今のヴィシア聖座……当時の貴女様たちを勧誘したのは事実です。ですがね、枢機卿殿。私たちは無理やり首輪をつけて連れてきたわけじゃあないんですよ」

 

 

 ローンの生体艤装が、逃げ場を塞ぐようにリシュリューの側面に回り込む。その巨躯が放つ威圧感は、もはや一つの檻であった。

 

 

 

「大陸が分断された? 分断を選んだのは貴女たち自身でしょう。私たちが提示したセイレーン技術研究というなの力を、自国の防衛に必要だと判断し、対等な立場で手を取った。それがヴィシアの選んだ『意志』です。……それなのに、自分の思い通りに国が動かなかったからといって、すべてを他人のせいにして被害者面ですか?」

 

 

 

 

 ローンの瞳が、暗い愉悦を孕んで細められる。

 

 

 

「自分たちの正義を貫けなかった無能さを、鉄血のせい、時代のせい、分断のせい……。そうやって何かのせいにし続けなければ、貴女様は自分が妹を撃っているという現実から、今にも壊れてしまいそうですものねえ」

 

 

 

 リシュリューの唇が、怒りと、それ以上に言葉にできない屈辱に震える。

 

 

 

「……黙りなさい……ッ!!」

 

 

 

 激昂と共に放たれたリシュリューの近接信管弾が、ローンの肩口で炸裂した。衝撃波が至近距離で弾け、鉄血の重巡洋艦の肌を、服を、そして肉を焼く。だが、ローンは微塵も揺るがなかった。

 

 

 焦げ付いた皮膚から立ち昇る、胸の悪くなるような異臭。それを自身の「怒り」の燃料にさえ変えるかのように、彼女はただ、背後の指揮艇から届く「声」を待っていた。

 

 

 

 リシュリューの意識は、今や完全に目の前の「ケダモノ」に釘付けにされている。

 

 

 

 それは単なる戦術的な膠着ではない。ローンの放った、枢機卿としての矜持を泥靴で踏みにじるような毒。それに対する、聖女としての、あるいは一人の女としての拭いがたい激情。リシュリューの視界からは、もはや戦場全体の俯瞰図は消え、ただ目の前の忌まわしき「真実」を叩きつけてくる異物しか映っていない。

 

 

 

 指揮艇のモニター越しにその光景を注視していた指揮官は、リシュリューの砲身の僅かなブレ、そして呼吸の乱れから、彼女の精神的な防御壁が完全に崩壊したことを見抜いていた。

 

 

 

 枢機卿といえど、感情を持つkansenだ。一度「個」としての憎悪に火が点けば、その高潔な判断力は濁る。彼女が亡命派の増援を待つための「時間稼ぎ」に徹していれば、まだ勝ち筋はあった。しかし、ローンという劇薬を投入したことで、リシュリューは自らその勝機を投げ打ち、目の前の論敵を排除するという短絡的な陥穽に嵌まり込んだ。

 

 

 

 状況は、完全に詰んでいる。

 

 

 

 

 指揮官の瞳には、もはや一人の女性としてのリシュリューは映っていない。ただ、排除すべき座標と、それを貫くための最適解だけが網膜に刻まれていた。

 

 

 

 

「……ジャン。ターゲットの意識が、完全にローンに固定された。これ以上の論戦も、状況維持も……時間の無駄だ」

 

 

 

 

 通信機越しに、低く、しかし戦場に死を告げる鐘の音のように響く指揮官の声。その声には、故郷を焼かれ、すべてを失った者だけが持つ、徹底した虚無と冷徹さが宿っていた。

 

 

 

 ジャン・バールは、己の心臓の鼓動よりも速く、艤装の火器管制システムが「ロックオン」の文字を赤く点滅させるのを感じていた。ローンが自らの身を晒し、リシュリューの死角を、そして心の隙間を抉り広げた、千載一遇の好機。

 

 

 

「三……」

 

 

 

 指揮官の秒読みが始まる。リシュリューはまだ気づかない。自らの背後で、最愛の妹が「鬼神」の指揮の下、かつてないほど冷酷な偏差射撃の照準を合わせていることに。

 

 

 

「二……」

 

 

 ローンの笑みが深まる。その口元は、勝利への愉悦ではなく、ただ「図面通り」に事が進むことへの、絶対的な信頼に歪んでいた。

 

 

 

 

「一……。今だ。撃て」

 

 

 

 ――解(ファイア)。

 

 

 

 

 

 世界の沈黙を切り裂いたのは、ジャン・バールの、欠落した艤装から放たれた断罪の咆哮だった。

 

 

 

 指揮官の冷徹な演算によって導き出された弾道は、回避も、防御も、そして「奇跡」さえも許さない。一分、一秒の狂いなく放たれた二筋の神速の閃光は、ローンと組み合うリシュリューの艤装の心臓部――動力機軸の接合部へと正確に突き刺さった。

 

 

 

 爆轟。そして、ひときわ高く、悲鳴のような金属の断裂音が戦場に響き渡る。

 

 

 アイリスの象徴たる白亜の艤装が、内部からの圧力に耐えきれず、無残にその破片を海面へと撒き散らした。リシュリューの身体が、衝撃波によって糸の切れた人形のように弾け飛ぶ。

 

 

 

 静寂が戻った海面で、黒煙を上げながら浮いているのは、もはや「枢機卿」という威厳を失った一人の女であった。

 

 

 

「あはっ……。いい景色ですねえ。神様も、今日はお休みのようです」

 

 

 

 最早死に体のリシュリューへと、ローンがゆっくりと歩を進める。その肩からは今も焼けた肉の異臭が漂っているが、彼女はそれを気にする素振りも見せない。満身創痍で海面に横たわるリシュリューを見下ろし、ローンは通信機の向こう側にいる指揮官へと問いかけた。

 

 

「指揮官様。どうされますか? ……このまま海の藻屑にして差し上げますか? それとも、私なりの『慈悲』を、その喉元に突き立ててあげましょうか」

 

 

 

 ローンの声には、純粋な殺意が混じっている。だが、その問いに対する指揮官の返答は、凍てつくほどに事務的だった。

 

 

 

『……生かしておけ。本当なら、今すぐにその腹を掻っ捌いてやりたいところだが……そいつがいるべき場所は、ここではない。鉄血とヴィシアが用意する法廷だ』

 

 

 

 

 

 それは救いではなく、死よりも過酷な辱め。祖国の裏切り者として、白日の下に晒し、その名誉を完膚なきまでに叩き潰すという宣告。

 

 

 

 だが、リシュリューはまだ終わっていなかった。

 

 

 

 

 折れ曲がった艤装を支えに、震える腕で海面を押し、なおも前を見据えようとする。血と煤に汚れ、意識を混濁させながらも、その瞳の奥にはまだ「アイリスのために」という、呪いにも似た光が消えていなかった。

 

 

 

「……まだ……まだ、私は……!」

 

 

 

 

 

 掠れた声で、リシュリューが残った火力を絞り出そうとした、その時だった。

 

 

 

「リシュリュー!!!!」

 

 

 

 

 海面を爆ぜさせる猛速で肉薄したジャン・バールが、言葉よりも先に、その拳を姉の顔面に叩き込んだ。

 

 

 

 ドンッ、という、肉と骨が潰れる鈍い音が響く。手加減など一切ない。文字通り、相手を殺すための質量を込めた一撃。

 

 

「がっ……!?」

 

 

 

 リシュリューの身体が海面を数回バウンドし、水柱を上げながら激しく転がる。

 

 

 端正だったその顔立ちは、今や無残に歪んでいた。裂けた唇からはどす黒い血が溢れ出し、折れた歯が白く海面へとこぼれ落ちる。

 

 

 

 ジャン・バールは、拳に伝わる姉の体温と、骨の砕ける感触を、憎しみのままに噛み締めていた。無言で、ただ荒い呼吸だけを吐き出し、立ち上がることさえ叶わなくなった姉を、地獄の底から見下ろすような瞳で睨みつける。

 

 

 

 かつて敬愛し、背中を追いかけた姉。自分たちを捨て、今また「正義」の名の下に自分たちを撃とうとした女。

 

 

 

 

 その激情は、もはや言葉にできるほど生温いものではなかった。ジャン・バールの震える拳から滴る血が、ヴィシアの海に静かに溶けていく。

 

 

 

「……二度と、その面で『妹』なんて言葉を吐くな。お前は国を裏切った罪人だ」

 

 

 

 低く、そして決定的な決別を告げるジャン・バールの声。海面に沈む姉であったモノを、彼女はもはや一瞥もしなかった。拳に纏わりつく血の粘り気さえも、裏切りの代償としてその身に刻み込む。

 

 

 

 リシュリューを沈黙させ、目標は達成された。

 

 

 

 

 ――そう、確信した刹那であった。

 

 

 

 

 

「指揮官! 少し……いえ、かなり不味いことになりましたよぉっ!」

 

 

 

 

 通信機から響いたのは、いつもの余裕をかなぐり捨てたローンの、切迫した叫びだった。

 

 

 

 

 

「鉄血の追撃部隊が、殿を務めていた戦艦タイプの個体に強襲を受けました! ……それだけじゃありません。こちらへ向かって、数隻……いえ、この機影は!」

 

 

 

「ッ! おい、下がれ! 艦載機が来るぞ!」

 

 

 

 

 ジャン・バールの喉を裂くような警告とほぼ同時だった。

 

 

 

 雲を割り、死神の羽音を響かせて急降下してきたのは、アイリスの誇る航空母艦――ベアルンの艦載機群。リシュリューの単騎突入は、やはりただの無謀ではなかった。

 

 

 

 彼女が血を流し、その身を挺して稼ぎ出した「数分間」。その僅かな空白を縫って、亡命派の主力たちが、聖域を奪還せんと牙を剥いたのだ。

 

 

 

 直後、ジャン・バールとローン、そして意識を失いかけているリシュリューを分断するように、海面へと爆撃と雷撃が乱れ飛ぶ。

 

 

 

 雷撃と爆撃機が螺旋を組むように攻撃を開始する。

 

 

 

 垂直に突き立てられた水柱の壁が、ヴィシアの海を白く染め上げる。至近距離での炸裂により、ジャン・バールとローンの視界は遮られ、物理的な衝撃波が彼女たちを後退させた。

 

 

 

「……全員犠牲になってでも、枢機卿だけは回収しようというのか」

 

 

 

 

 指揮艇のブリッジで、指揮官は忌々しげに舌打ちをした。

 

 

 

 

 モニターには、煙を吐きながらも接近してくるアイリス亡命派の艦影――ベアルン、エミール・ベルタン、ジャンヌ・ダルクとかつての「同胞」たちの姿が映し出されていた。

 

 

 

 勝利の目前で、戦場は再び混迷の極みへと突き落とされる。リシュリューを「法廷」へ引きずり出すための捕縛作戦は、亡命派の捨て身の反撃によって、文字通りの泥沼へと変貌しようとしていた。

 

 






・枢機卿戦
 ローンとジャン・バールが枢機卿と戦う耐久戦。じつは原作では7ターンの耐久ダイスとなっており、限りなく大破に近い中破となりつつもリシュリューは時間を稼いでしまったのでベアルン達の援軍がきてしまいました。

・ローン
 なんとなく枢機卿がなぜ亡命したのかは予想をしつつも、その結果が鉄血出身の彼女からすると到底受け入れる事も出来るはずのないもので、かなりローンも枢機卿への悪感情は強め。接近戦を仕掛けたのは指揮官の指示ではなくアドリブでした。


 次回自由アイリス派の面々も加わった枢機卿撤退戦。フッドやアークロイヤルが撤退に成功した今、残りは殿と化した亡命軍の撤退のみ。しかし、ロイヤルも黙っておらず、ある最終プランを実行することに…


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