ヴィシア戦記 鬼神と呼ばれた男   作:kiakia

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第十話 正気と狂気、存亡をかけた戦い。

 

 

 

 メルセルケビールの海域に、再び爆音と水柱が咲き乱れる。だが、その光景は戦術的な常識から大きく逸脱したものだった。

 

 

 

 「全艦、最大戦速! 障害(モナーク)はローンに任せ、残員はリシュリューの追撃を継続しろ!」

 

 

 

 通信機から響く指揮官の号令。それを受けたジャン・バール、ル・マルス、そしてダンケルクの三隻は、あろうことか戦艦モナークという最優先に排除すべき脅威を真っ向から無視し、その側面を全速で突破し始めたのだ。

 

 

 

「……ふん、小癪な。この私を路傍の石とでも思っているのか!? 逃げ出せるなどと思うなよ!」

 

 

 

 一瞬、不快げに眉を顰めたモナークが、その巨大主砲塔を追撃部隊へと旋回させる。怒りを宿した砲撃が、逃走するヴィシア艦隊の背後を射抜こうとした――その瞬間。

 

 

 

 空間を圧するほどの青い幾何学模様の壁――物理障壁シールドが、空中で炸裂したモナークの砲弾を強引に受け止めた。

 

 

 

 

「……っ!? 防いだだと?」

 

 

 

 爆煙の中から現れたのは、重巡洋艦の枠を超えた威圧感を放つローンだ。しかし、ロイヤルの「執念」が産み落とした戦艦の斉射を無傷でやり過ごせるはずもない。

 

 

 

 ローンのシールドには蜘蛛の巣状の亀裂が走り、防ぎきれなかった衝撃が彼女の艤装を、そして黒を基調とした軍服に包まれた肌を容赦なく抉っていた。

 

 

 

「グ……ルル……ァ……ッ!!」

 

 

 

 

 ローンの背後で、意思を持つかのように蠢く生体艤装が、苦痛と怒りに身悶えしながら低く嘆いた。

 

 

 

 剥き出しになった機械の筋肉が痙攣し、熱を帯びた蒸気が噴き出す。ローンはその震える艤装の頭部を、愛おしい子供をあやすような手つきで、しかし骨が軋むほどの力で撫でながら狂気的な笑みをモナークに向ける。

 

 

 

「……あはっ。私に、私にここまで傷をつけるなんて。……ゆるせない……本当に、許せない……ッ!!」

 

 

 

 

 その瞳に宿るのは、理性を焼き尽くした純粋な殺意。滴る鮮血が彼女の端正な顔を汚すが、ローンはそれを拭おうともせず、狂おしい悦びに唇を歪ませて呟く。

 

 

 

「貴女も『あちら側』の存在――特別計画艦なら、私も礼儀として自己紹介をしましょうか。私はローン。鉄血海軍所属、特別計画艦ローンです」

 

 

 

 その名を聞いたモナークの瞳が、微かに、だが確かに細められた。

 

 

 

 特別計画艦。

 

 

 

 それは、人類の対セイレーン戦への執念を触媒に、人為的に造り上げられた決戦兵器。kansenとしての核であるキューブを遺伝子レベルから改造し、戦うため、殺すためだけに最適化された存在だ。

 

 

 

 彼女たちの実力は例外なく既存の艦の枠外にあり、一隻で戦況を塗り替える一線級の武力を内包した切り札である。

 

 

 

「……ほう。まさかこの戦場で、私と同じ『幻想』に出会おうとはな」

 

 

 

 

 モナークの口元に、ほんの少しだけ嬉しそうな、不敵な笑みが浮かんだ。自分と同格、あるいはそれ以上の深淵を宿した敵。その存在が、彼女の中に眠る誇り高き闘争本能をこれ以上ないほどに昂らせる。

 

 

 

「だが、だからと言って容赦はせん! 私が目指す覇道に、敗北も妥協も存在しない! 貴殿が勝者を自称するならば、その戯言ごと、この主砲で海の藻屑に変えてやろう! そこをどけッ!!」

 

 

 

「……どきませんよ。だって私は勝ちますから!」

 

 

 

 

 その宣言と共に、メルセルケビールの海上で「怪物」たちの真の喰らい合いが幕を開けた。

 

 

 

 

 だが、その戦況は端から見れば絶望的である。無傷でその威容を誇る戦艦モナークに対し、ローンは既に手傷を負っている。友軍を逃がすための盾となり、片方の生体艤装は衝撃で半壊、喘ぐような異音を立てて火花を散らしていた。

 

 

 

 何より、艦種としての絶対的な「格差」がそこにはあった。前衛艦である重巡洋艦のローンと、主力艦の王道たる戦艦モナーク。内包する火力、射程、そして一度に放たれる弾幕の密度――その全てにおいて、モナークはローンを圧倒していたのだ。

 

 

 

 ローンの誇る鉄壁のシールドでさえ、本気を出したモナークの主砲を零距離で受け続ければ、一瞬でガラス細工のように砕け散る。

 

 

 

 本来なら、一分と持たずに海の底へ沈められていてもおかしくない。しかし、ローンは粘りに粘った。血を吐き、艤装を削られながらも、彼女は狂気に満ちた笑みを絶やすことなく、王の行く手を阻み続けた。

 

 

 

 

 その執念の源は、遥か遠方へ進む指揮艇の中にある。

 

 

 

 

「……ローン、三時方向。大気の揺らぎから次射を予測しろ。……今だ、左舷へ二十度転舵、シールドを重ねて一点に集中させろ」

 

 

 

 

 通信機から響く、指揮官の平坦な声音でありつつも、寸分の狂いもない指示。指揮官はジャン・バールたちの指揮を執り、リシュリュー追撃戦の真っ只中にありながら、同時にローンへの個別指揮を並行して行っていたのだ。

 

 

 

 それは単に「複数の部隊に命令を下す」といった、凡百の指揮官が行う次元の行為ではなかった。全く別個の戦場で、全く異なる戦術目的を持った二つの戦闘を、脳内で完全に独立したフローチャートとして戦場をコントロールすると言う並列処理。

 

 

 

 右手で重いフライパンを振り、火加減を完璧にコントロールしながら、左手では目にも留まらぬ速さで食材を等間隔に切り刻んでいく。そんな、二つの思考をミキサーの様に織り交ぜながら、同時進行するという離れ業を平然と実行していたのだ。

 

 

 

 鉄の心を持ち、感情を捨て去り。自軍の損害を許容した上で敵を最短ルートで無力化する。まさに、民を守る為の指揮ではなく相手を殺すためだけの指揮を取る指揮官は早口で指示を行なっていく。

 

 

 

 

「ダンケルク、座標四・二・九へ偏差射撃。……リシュリューの逃走経路を一点に絞る。三秒後に弾着させ、彼女たちの回頭を強制しろ」

 

 

 

 

 追撃戦の真っ只中、リシュリューを抱えて逃げるベルタンの「数秒後の未来」を冷予測した指示が飛ぶ。ダンケルクが驚愕に目を見開きながらも、反射的に主砲の引き金を引く。

 

 

 

 直後、計算通りに逃走進路を塞ぐように巨大な水柱が爆ぜ、エミールたちは急制動を余儀なくされた。亡命派の逃走速度が、目に見えて鈍っていく。

 

 

 

 

「くっ…」

 

 

 

 

「ローン、今だ。モナークの右舷第二主砲塔の基部、旋回モーターが過熱している。……全火力、そこへ。迷わず突っ込め」

 

 

 

「……あはっ、仰せのままに……っ!」

 

 

 

 

 その着弾の振動が伝わるか伝わらないかの刹那。指揮官の意識は、すでに数海里後方のモナークへと跳んでいた。

 

 

 

 ローンの生体艤装が、まるで指揮官の指先の一部になったかのように唸り声を上げた。回避を捨て、盾を捨て、ただ一撃を叩き込むためだけに加速するローンの特攻。

 

 

 

 モナークが咄嗟に放った迎撃の弾幕を、指揮官の指示による最小限の身のこなしで潜り抜け、彼女の重厚な主砲がモナークの優美な艤装へと深々と突き刺さる。

 

 

 

 

 

「…っ…これ程とは…!」

 

 

 

 

 轟音。金属がひしゃげ、火薬が爆ぜる狂乱の響きがメルセルケビールの空を震わせた。ローンの生体艤装が剥き出しの牙で食らいついたのは、モナークの誇る重厚な装甲――そのわずかな継ぎ目、旋回モーターが過熱し、強度が低下していた一点だった。

 

 

 爆炎が収まった後、そこには無残に歪んだ鋼鉄の残骸が晒され|,防御に秀でた特別計画艦であるモナークにとって、本来なら巡洋艦の砲撃など決定打にはなり得ない。しかし、一点に集中させたその貫通力は、モナークの副砲群の制御系を完全に粉砕し、一部の主砲旋回機能を強引に焼き付かせている。

 

 

 

 艦種という努力では変えることが不可能な根源的な差を、彼らは。あの指揮官の元であっさりと乗り越え、今もなお戦場に立っている。

 

 

 

「……っ、見事だ。この混乱の中で、我が艤装の喉笛を的確に突いてくるとはな……!」

 

 

 

 

 モナークは流石に目を見開いた。艤装から噴き出す黒煙が彼女の美しい軍装を汚すが、その瞳に宿る覇気は衰えるどころか、さらに鋭利な殺意を帯びていく。

 

 

 

 その時だった。彼女の耳元、通信機から何らかの緊急連絡が届く。それは、リシュリューたちの撤退状況、あるいは接近するロイヤル本隊に関する予期せぬ「警告」だったのかもしれない。

 

 

 

 モナークの表情が一瞬、苦渋の色に歪む。だが、彼女は即座にそれを押し殺すと、目の前の怪物――ローンを、一人の武人として素直に賞賛する。

 

 

 

「……認めよう。ローン、そしてお前を操るあの『指揮官』。あれは単なる凡夫ではない。あれこそが、我が女王の道を阻む最大の障害にして、倒すべき最大の敵であると!」

 

 

 

 モナークは再び主砲を持ち上げる。艤装の損傷により砲撃の精度は落ちているはずだが、そこから放たれる重圧は先ほどよりも遥かに増していた。彼女は覚悟を決めたのだ。もはや自分一人の勝利などどうでもいい。

 

 

 ただ、あの指揮官という男だけは。ロイヤルネイビーの一員として、ここで書く始末に消さねばならない。

 

 

 

「今すぐお前を排除し、お前達指揮官を潰す。……たとえ私のこの身が、この海で朽ち果てようとも。あの男だけは……あの怪物だけは、ここで絶対に抹殺させてもらうッ!!」

 

 

 

 それは、己の存在すべてを賭けた「抹殺」の宣告である。しかし、その殺意を向けられたローンは、一瞬「……なるほど」と呟いた後、獰猛な色を隠せない瞳に愉悦の色を交えて、甘く、毒々しい笑みを浮かべた。

 

 

 

「……あはっ。それは、とっても困りますねぇ。あの方は、私個人としても中々に見所があると感じていますし……何より、彼の力はレッドアクシズにとって必須の力ですから」

 

 

 

 

 ローンは、血に塗れた自分の手をそっと頬に当てる。指揮官に操られ、命を削り、敵を穿つ。その行為に、彼女はかつて感じたことのない充実感を抱いていた。

 

 

 

 彼という人間がもたらす破壊には一瞬の美と調律すら今の彼女は感じており、たった一人で独占したいとさえ願っている。

 

 

 

  身体には激痛が走り、既に中破相当のダメージを負った彼女は、いつその命の灯火が消えてもおかしくはない。しかし、ローンは確信していた。

 

 

 あの冷徹な指揮官は、自分という最高級の駒を最大限に利用し尽くした上で、たとえ相打ちとなってでもモナークを潰す算段なのだと。

 

 

 捨て駒にされたなどの悲しみなど、微塵もない。むしろ、その徹底した非情さに、彼女の心は震えていた。

 

 

 自身は使い潰されてもいいと述べていたが、文字通り指揮官は自身にこんな強敵にたった一人で相手をしろと述べている。しかし、それは時間を稼いでここで死ねなんて命令ではなく、ローンたった一人でモナークを倒せると彼の頭脳が叩き出したからである。

 

 

 ならば、やるべきことは一つ。

 

 

 

 

 楽しもう。

 

 

 

 この命を、最後の一滴まで使い切って。

 

 

 

 

 

 血と憎悪に染まったこの海で、同じ「計画艦」という宿命を背負った同胞同士。最後の最後まで、美しく、無残に殺し合おうではないか。

 

 

 

 

「だから……ええ、良いですよ。お互いに命をかけましょうか。女王陛下への忠誠も、鉄と血の絆も、ここでは関係ありません」

 

 

 

 ローンの背後で、半壊した生体艤装が再び飢えた獣のように咆哮を上げる。

 

 

 

 

 その瞬間、ローンの瞳から理性の光が完全に消失した。歓喜を通り越し、得も言われぬ悦楽に浸るような、恍惚とした表情。

 

 

 

 

「……ッ!?」

 

 

 

 

 モナークは、生まれて初めて戦慄した。目の前の女が、自分自身という存在に「怯えている」ことを、彼女の誇り高い本能が理解してしまったからだ。

 

 

 

 

 ローンの足元、裂けた軍服の間から、海面へとポタポタと液体が滴り落ちる。それは恐怖による失禁でも、単なる傷口からの出血でもない。

 

 

 

 死と生の狭間で繰り広げられる究極の殺し合い。その極限のストレスと興奮が脳を、肉体を、理屈を超えた絶頂へと叩き込み、彼女の股を濡らしたからである。

 

 

 

 戦場に咲いた狂戦士の姿。戦いの中に産まれ、戦いの中に生き、そして戦いそのものを本気で愛してしまっている異常者。

 

 

 

「なぜだ……! お前はなぜ、これほどに傷つくの中で、それほどまでに……笑えるのだッ!?」

 

 

 

 

 

 モナークの叫びは、震えるような困惑に満ちていた。

 彼女にとって、戦場とは己の価値を証明する唯一の祭壇である。実在しなかった「幻想」という呪い、捨て去られた設計図の悔恨。それらを濯ぎ、私は無能ではない、捨てられるべき無能ではない、「私はここにいるぞ」と全世界へ向けて咆哮することこそが、彼女を突き動かす原動力である。

 

 

 

 だが、目の前で悦びに身をよじらせるローンのそれは、モナークが必死に守り抜こうとする「自尊心」や「実存の証明」といった高潔な理屈を、根底から嘲笑い、踏みにじるものだった。

 

 

 

 

「ふふ……あはははは!理由?そんな脆くて壊れやすいものが、この火薬の匂いの中で必要だと思っているのですか?」

 

 

 

 ローンは、引き千切られた艤装の一部が海面に沈む音さえも、愛おしい旋律であるかのように耳を澄ませる。彼女にとっての戦いは、自分を証明するための手段ではない。ましてや、誰かに認められるための吟味でもない。

 

 

 

 ただ、壊したい。

 

 

 

 ただ、蹂躙したい。

 

 

 

 

 その純粋すぎる破壊衝動の前では、モナークが背負う不遇な傑作機としての悲哀など、退屈な飾りに過ぎなかった。

 

 

 ローンの瞳は、もはや焦点を結んでいない。ただ、目前にある「破壊すべき美」だけを網膜の奥に焼き付けている。

 

 

 

 

「衝動、虚しさ、憎悪……ふふ、そんな名前をつければ、この快楽を汚せるとでも思っているのですか?」

 

 

 

 彼女が求めているのは、もっと原始的で、もっと剥き出しの感情である。艦砲の火蓋が切られ、放たれた弾丸が敵の装甲を抉り、肉薄する瞬間の、あの掌に伝わる硬質で重い手応え。木っ端微塵に壊し、形あるものを無価値な鉄屑へと変えていくその一瞬に、彼女は自らの魂が沸騰するような熱を感じていた。

 

 

 この狂気的な愉悦、この底なしの渇望だけは、自分を「駒」として扱う指揮官にも、共に戦う大切な鉄血の同胞達にさえも、理解される必要はない。

 

 

 

 これは、この世界に産み落とされた自分にだけ許された、最高の贅沢なのだから。理解されなくてもいい、自分だけの最高の情動であるのだから。

 

 

 

 

「私はただ、望むがままに渇望しているだけ。鋼鉄がひしゃげる音、火薬が弾ける匂い、そして……私より強いはずの貴女が、無様に壊れていくその瞬間を!」

 

 

 

 

 吠える。

 

 

 

 ローンの生体艤装が、もはや稼働限界を無視した駆動音を立てて再び突進を開始した。海水を割り、飛沫を熱線で蒸発させながら、瞳を爛々と輝かせた怪物が肉薄する。

 

 

 

「……っ、来い、狂犬めが!」

 

 

 

 

 

 

 モナークは即座に迎撃態勢をとるが、先ほどの痛撃で副砲の制御系が死んでいる。咄嗟の判断で、彼女は本来空へ向けるべき対空砲群を水平へと強制固定した。

 

 

 

 高角砲と機銃が織りなす弾幕のカーテンが、ローンの突撃経路を埋め尽くす。本来は航空機を叩き落とすための高速連射が、ローンの装甲を削り、シールドを火花と共に叩く。

 

 

 

 それは決定打にはならずとも、ローンの肉薄を食い止める確実な壁となって機能している、だが、その弾幕の向こう側から、愉悦に満ちたローンの声がモナークの耳に突き刺さる。

 

 

 

 

「……いいんですかぁ? そんな風に、私を遠ざけるだけで。私を今すぐ殺さなくても?」

 

 

 

 ローンの笑い声は、硝煙を突き抜けてモナークの鼓膜を汚した。

 

 

 

「一分……一秒、時間をかければかけるほど、貴女が護るべき枢機卿サマを、マルスちゃんやジャン・バールさんたちが追い詰めますよ? 時間は私たちの味方、貴女にとっては……ただの処刑までのカウントダウンでしょう?」

 

 

 

「……ッ、貴様……!」

 

 

 

 

 モナークは無言で主砲を斉射した。それがローンの挑発であり、自身の冷静さを奪うための心理戦だと理解していても、動揺を完全に抑え込むことはできなかった。

 

 

 

 

 放たれた砲弾は、しかし、当たらない。指揮官の誘導を受けたローンは、最小限の挙動でモナークの「焦り」を読み取り、死の線からひらりと身をかわし続けている。

 

 

 

 モナークの胸中に、ドロリとした焦燥が染み出していく。自らの役割は、リシュリューたちが安全圏へ逃亡するための時間を稼ぐことだった。

 

 

 

 

 当初、彼女はこの海域で鉄血の艦隊を単独で足止めし、圧倒する殿として君臨するはずだったのだ。しかし、現実はどうだ。たった一隻の、壊れかけた重巡洋艦に、自分という戦艦が釘付けにされている。

 

 

 

 追い払おうとすれば、巧みに隙を突いて食らいつき、無視して追撃部隊を撃とうとすれば、身を挺してそれを阻んでくる。

 

 

 

 

 形勢は、いつの間にか逆転していた。

 

 

 

 

 足止めをしているのは自分ではない。自分がローンという怪物に足止めされているのだ。モナークとローンの戦いは、ついに千日手の一歩手前へと至っていた。

 

 

 

 

 互いに決定的な一撃を放てず、しかし離れることも許されない、血を流し続けるだけの不毛な均衡。互角――それはあくまで、火力をぶつけ合う戦闘における優劣に過ぎなかった。

 

 

 

 作戦目標という天秤において、モナークの役目はすでに破綻している。彼女の任務は亡命軍の「盾」となることだったが、今や彼女はローンという檻に閉じ込められ、一歩も動けぬまま大切な時間を浪費させられていた。

 

 

 

 

 血を流し続けるだけの不毛な均衡。数分間、地獄のような砲火の応酬が続いた後、ローンがふと声を漏らした。

 

 

 

「……モナークさん」

 

 

 

 

 その声は、これまでのような狂気的な叫びではなく、冷酷なまでに落ち着いた、死の宣告に近い響きを持っている。

 

 

 

 

「貴女……まさか、この戦いを『決闘』だと思っているのでしょう? ふふ……あははは! 私は一度もそんなことは言ってませんし、思ってすらいませんよ?」

 

 

「……何だと?」

 

 

 

 

 不審に思ったモナークが主砲を向けた、次の瞬間。ローンが吸い込まれるような速度で、不自然なほど急激にその場から離脱した。

 

 

 

 

 

 ――視界が開ける。

 

 

 

 

 

 逃げたか、とモナークが追撃しようとした刹那。水平線の彼方、追撃戦の真っ只中にいるはずの戦場から、海面を舐めるように突っ切る「巨大な飛翔体」が高速で接近してきた。

 

 

 

 

「っ……!? しまった……!!」

 

 

 

 

 回避は不可能であった。それはローンが体を張って作り上げた射線。それは指揮官がこの為だけに練り上げた最初で最後の本命と言える砲撃。

 

 

 

 メルセルケビールの海を割るような大爆音と共に、超重量の徹甲弾がモナークの左舷へと直撃した。衝撃波が海面を叩き、巨大な水柱がモナークの姿を飲み込む。

 

 

 

 

 彼女の左半身を覆っていた優美な艤装は、文字通り跡形もなく吹き飛んだ。装甲がひしゃげ、内部の駆動装置が火花を散らしながらぐちゃぐちゃに爆散する。

 

 

 

 

「が、はっ……ぁ……っ!!」

 

 

 

 

 モナークの体は木の葉のように吹き飛ばされ、海面を何度もバウンドした末、うつ伏せの状態で冷たい波間に叩きつけられた。

 

 

 

 

 静寂が鳴り響く。だが、彼女は死んでいなかった。震える腕で海面を押し、血だらけになりながら、執念だけでその上身を起こす。

 

 

 

 

 軍帽は失われ、美しい髪は血と海水で張り付いている。彼女は霞む視界の先、弾丸が飛んできた方向を、呪うように睨みつけた。

 

 

 

 

「……ジャン・バール、か……!」

 

 

 

「卑怯とは言わないでくださいね。貴女は戦艦でありながら、その射程と役目を忘却していた。いつ、いかなる時でも超射程を持って圧倒的な火力を叩き込めるのが戦艦の利点。私という存在との『遊び』に怠けて、ジャン・バールさんという脅威を忘れたのが、貴女の敗因です」

 

 

 

 血を吐きながら絞り出したモナークの言葉に、ローンは小さく首を振った。

 

 

 

 その顔からは先ほどまでの狂気的な恍惚が引くと同時に、ローンはふっと肩の力を抜く。

 

 

 

 

 先ほどまでの異様な昂ぶりとは打って変わり、激しく息を荒く吐きながら、深く血まみれとなった自身の脇腹を抑え、軽く唸る。

 

 

 

 

「……グルル……」

 

 

 

 背後の生体艤装が、傷ついた主人を気遣うように低く、心配そうに唸りながらその巨体を寄せた。ローンもまた限界ギリギリだったのだ。

 

 

 

 

 アドレナリンが切れた瞬間、せき止めていた疲労と、身体を焼き焦がすような激痛が一気に彼女を襲い、気絶寸前まで追い詰められた彼女は何かの錠剤をポケットから照り出すとガリっと噛み砕く。

 

 

 それでもローンは膝を屈さず、苦痛に顔を歪めることもない。ただ、弱音の一つも吐かずに、目の前でボロボロになったモナークを見つめ、錠剤を差し出しながら静かに呟いた。

 

 

「痛み止めです。飲みますか?」

 

 

「敵から受ける施しなど必要ない」

 

 

 

「……貴女は」

 

 

 

「言うな」

 

 

 

 その後の言葉を、モナークが短く、鋭く拒絶した。

 二人の間に流れるのは、慰めも情けも介在しない、ただ戦果だけが残された重苦しい沈黙。

 

 

 

 

 

 ローンはふと、モナークの右手に目を向けた。左半身の艤装は完全に消失し、海面を漂う内部装置の残骸に囲まれ、自身もまともに動けぬほどの大破。

 

 

 

 

 それほどの傷を負い、死の淵に立たされていながら、彼女はルビーをあしらった誇り高い軍杖を、今もなお、白くなるほどの手で握り続けている。

 

 

 

 それは、折れてなお輝きを失わない、彼女という「幻想」が抱き続ける唯一の矜持。

 

 

 

 

「良ければ、それをいただけませんか?」

 

 

 

 

 ローンの静かな問いかけに、モナークは血の混じった視線で彼女を睨みつけた。

 

 

 まだ死んでいない。略奪など死んでも許さん、まだ屈していない。その瞳に宿る威圧感は、敗北してもなお、王者のそれであり。決して屈しない王家の戦士の一員であったのだ。

 

 

 

「……これが欲しければ、戦利品として無理やり持っていけ。私がまだ生きて、この意思が残っている以上……最後の最後まで、私は貴殿らに屈することはない」

 

 

「……そうですか。ふふ、残念です」

 

 

 

 ローンは静かに頷き、それ以上の追及をやめた。彼女はゆっくりと、力なく海面にその場を預ける。もう、モナークにトドメを刺す力も、これ以上の戦闘を続ける気力も、今の彼女には残されていない。

 

 

 彼女も限界だったのだ。世界初のkansen同士の戦闘にて連戦につぐ連戦。さらにはモナークという本来格上である圧倒的な強者との戦いは以下にローンであってもその精神と体力を限界ギリギリまで底値へと叩き落とす。

 

 

 

 まさに死闘であった。どっちが勝利してもおかしくはない。しかし、不思議とローンは自身の勝利であると喧伝する気にもならず。モナークもまた敗北した身の上なれど彼らを卑怯と罵る感情は全くなかった。

 

 

 

「ええ、いいでしょう。では……マルスちゃんたちの戦いが終わるまで、ここで待機しましょうか。私も、もう流石に……これ以上は動けそうにありませんから」

 

 

 

 狂乱の後の、残酷なまでの静けさ。二隻の「計画艦」は、互いに血を流し、ボロボロになった姿を晒しながら、遠くで響くジャン・バールたちの砲声だけを、ただじっと聞き続けていたのであった。

 

 





・ローン
 たった一人でモナークの相手をしろ……と見せかけて実はモナークによる長距離狙撃までの時間を稼ぐ様にと戦闘し続けるのが彼女の役目。しかし、その事実を直前まで伝えられなかったが為に内心死を覚悟しつつも余りに最高の殺し合いのシチュエーションに絶頂する程興奮していたのは内緒。自身の性格を理解しているからこそ痛み止めの錠剤には精神を押しつかせるビスマルク特製の効能が詰まっており、彼女は自身の狂気と向き合いつつも、他者にそれを押し付けず。理解されようともせず。折り合いをつけて楽しんでいるのでした。

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▼幕末最強の人斬り集団、新撰組。▼その影に暗躍した一人の男の物語____▼「クソッタレ……! こんなのが経費で通るわきゃねぇだろ土方ァァァ!!!」▼新撰組の黒羽織、鬼の金庫番。▼名を秋無出雲、脳筋バラガキの中で必死に資金繰りに苦しむ勘定方筆頭であった。


総合評価:6371/評価:8.89/連載:65話/更新日時:2026年05月09日(土) 08:00 小説情報

破滅フラグしかないボンボンに転生してしまった件 〜グフに踏み潰される運命なんて、全力で回避してやる!〜《完結》(作者:kiakia)(原作:機動戦士ガンダム SEED DESTINY)

「なんでよりによって、アイツなんだよぉぉぉぉ!!」▼ 目覚めると、そこはガンダムSEED DESTINYの世界。よりによって視聴者から「無能・姑息・情けない」と叩かれ、悲惨な最期を遂げた御曹司、ユウナ・ロマ・セイランになっていた。▼ 時は本編開始直前。目前にはユニウスセブン落下、大西洋連邦との泥沼の軍事同盟、そしてキラやシンとの敵対という、回避不能な破滅フラ…


総合評価:22826/評価:8.6/完結:154話/更新日時:2026年05月06日(水) 00:00 小説情報

自分の事をNTRエロゲの竿役だと思っているおじさんVS幼少期から光源氏(動詞)されたが嫌いになるわけないシスター(作者:心理的継続性を持つおじさん)(オリジナルファンタジー/コメディ)

今更転生自覚おじさん「やべぇ…NTRエロゲの竿役おじさんじゃん。作品としては楽しめるけど、現実はNGなんだよね。主人公君と結ばれて幸せにおなり。ってことで身を引くね」▼幼少期の頃から光源氏(動詞)されたが生活のほとんどを握られていたり、欲しいものは言えば買ってくれたり、ちょっかい掛けても怒らない為に嫌いではないし、なんなら結婚するんだろうなと思ってそれなりに…


総合評価:7005/評価:8.6/連載:27話/更新日時:2026年05月12日(火) 13:47 小説情報


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