ヴィシア戦記 鬼神と呼ばれた男   作:kiakia

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第十一話 傷だらけの勝利者達

 

 

 

 

 硝煙渦巻く追撃戦は今もまだ終わりを見せない。荒れる海面をエミール・ベルタンが必死の形相で突き進んでいた。その細い肩には、傷だらけになり意識を混濁させた枢機卿リシュリューが預けられている。

 

 

 

 その後方では、艤装の随所から黒煙を上げるジャンヌ・ダルクとベアルンが、迫りくるヴィシア艦隊を食い止めるべく必死の防戦を繰り広げていた。

 

 

 本来ならば、勝敗は決しているはずだった。数で勝り、弾薬も(ギリギリとはいえ)保持しているヴィシア側が圧倒的に有利だ。だが、この戦場でのヴィシア陣営の勝利条件は特殊である。

 

 

 

 ヴィシアの至上命題は、あくまでリシュリューの「捕縛」なのだ。彼女を海に沈めることは、アイリス教国の正統性を失墜しかねない最終手段であり、可能な限り避けねばならない。その生け捕りという勝利条件が、弾幕の密度を下げる結果となっているのだ。

 

 

 撃破であれば難しくはない。しかし、捕獲の難易度は一段目二段もそれを上回る。更に彼女の配下は最早殿として自身の命すらもかけながら妨害に特化しているのが遅滞という状況を生み出している。

 

 

 前線で砲を向けるマルスやダンケルクの心中には、割り切れぬ想いが澱のように溜まっている。

 

 

 

 心を鬼にし、軍人として割り切ろうとした矢先、視界に映るのはかつて共に笑い、共にアイリスの未来を語り合った戦友たちの姿だ。

 

 

 ロイヤルへと亡命し、袂を分かったとはいえ、彼女たちの根底にあるものは変わりない。たとえ彼女たちが祖国を裏切り、国民の防衛というkansenとしての、軍人としての役目を放棄した「裏切り者」であったとしても。それだけで引き金にかけた指の震えを止められるほど、ダンケルクたちは冷徹にはなれなかった。

 

 

「……これが、私たちの選んだ道だというの?」

 

 

 

 誰にともなく溢れたダンケルクの呟きは、爆音にかき消される。繰り返すが、このメルセルケビール海戦は、世界で初めてkansen同士が正面からぶつかり合った大規模な海戦である。そこには敵を倒すための「ノウハウ」など存在せず、ただ昨日まで肩を並べていた戦友の肌を、自らの砲火で焼き、切り裂くという未経験の恐怖と苦痛だけがあったのだから。

 

 

 

 

 

 直後、ローンからの通信を終えた指揮官は、一切の言葉を返さずに無言で通信を遮断した。静まり返ったブリッジに、吐き捨てるような低い声が漏れる。

 

 

「……ロイヤルのカスが」

 

 

 

 おかしいとは思っていた。ジャン・バールの狙撃によってモナークを大破させ、拘束に成功したという安堵感よりも、ローンが通信の最後に言い放ったモナークの言葉――その内容が、指揮官の中で違和感という名の最後のピースを埋め、一つの形を成した。

 

 

 

 そこでようやく、ロイヤルの陣営代表、クイーン・エリザベスの真の思惑に気付いてしまう。ロイヤルは確かに、メルセルケビールの地でヴィシアを粉砕しようとしていた。しかし、あの狡猾な女王の狙いはそれだけに留まらない。

 

 

 

 

 彼女は戦況がどちらに転ぼうとも、あるいはヴィシアとリシュリュー達がどれほど血を流し合おうとも、ロイヤルだけは一方的に利益を享受できるよう、この惨劇そのものを最初から企んでいたのだ。

 

 

 鉄血というイレギュラーに困惑はしつつも、傷を最小限に抑えながら覇権を確実なものにする為に。結局の所はリシュリューはエリザベスの築き上げた盤面の都合の良い駒にすぎないと。

 

 

 

「……あのクズ共は、いつか必ず殺す」

 

 

 

 人類種全ての敵である殺戮機械、セイレーンへの復讐に全てを捧げてきた青年が、その心にこの時、初めて「同じ人間側の陣営」であるロイヤルへの、本気の殺意が芽生えた瞬間であった。

 

 

 

 彼らが対峙しているのは、意思を持たぬ機械ではない。しかし、エリザベスが弄した謀略はあまりに卑劣であり、彼の内面に黒く濁った憎悪の炎を燃えたぎらせる。いつかその身体を八つ裂きにして、その首を全世界に問答無用で晒してやると。

 

 

 

「ぴ、ぴよぉ……っ」

 

 

 

 あまりに苛烈な殺気と、背筋を凍らせるような憎悪の念。傍らにいたマンジュウたちは、思わず縮み上がってその場から引き、怯えたように声を漏らす。

 

 

 だが、指揮官はそれらを一瞥すらすることなく無視し、再び、戦況モニターへと視線を戻した。直後、通信機からジャン・バールの荒々しい声が響く。

 

 

「……おい」

 

 

「勝てるぞ」

 

 

 

 呼びかけはそれだけだ。だが、今の二人にはそれで充分であったのだ。

 

 

 指揮官の短い返答はまさに阿吽の呼吸。ジャン・バールはそれだけで、指揮官がもはや迷いを捨て、勝利への道筋を確定させたことを理解する。

 

 

 

『……了解した。で、砲撃はどうする? このままブチ込んでやればいいのか?』

 

 

「いや、バカスカ撃つ必要はない。だが、いつでも奴らの退路を断てるよう、撃つ準備だけはしておけ。砲身を向けるだけでいい。それが最大の圧力になる」

 

 

 通信機越しにジャン・バールの短い了解の声が響くと、指揮官は一切の余韻を残さず、即座にその回線を断ち切った。

 

 

 

 ロイヤルへの憎悪で焼け付くような胸の内を、理性と思考で強引に塗りつぶす。感傷に浸る時間は一秒たりとも残されていない。一分一秒が惜しくて仕方がない。彼はすぐさま、次の指示を流れるように紡ぎ出す。

 

 

 

「ダンケルク、主砲を威嚇射撃に切り替えろ。奴らの逃走経路を先回りし、海面に機雷をばら撒くように弾幕を張れ。一歩も先へ進ませるな。」

 

 

 その冷徹な命令に、ダンケルクの指先がわずかに震える。かつての戦友たち嬲るように、を袋の鼠にするような戦術に躊躇いを持つ。

 

 

 だが、指揮官の声音には一切の迷いも容赦もなく。それはリシュリュー達を撃てない自身の心の弱さが招いた結果だと理解する。

 

 

 

「……ごめんなさい……」

 

 

 

 通信機から漏れた、消え入るような謝罪。それは狙われるリシュリューたちへ向けられたものか、あるいは。

 

 

 

 だが、指揮官はその言葉を一切の価値がないものとして切り捨て、無視をする。今の彼に必要なのは対話ではなく、戦果のみなのだから。

 

 

「マルス、ダンケルクの砲撃に合わせてベアルンが確実に妨害に動く。航空機の影が見えた瞬間に叩け。対空砲火で、上がってくる機体を一機残らず潰せ」

 

 

「…っ…了解、ですッ!」

 

 

 

 躊躇いながらも、ル・マルスは力強く頷いた。その瞳には、かつての仲間を撃つことへの悲しみや葛藤が隠しきれずに映り込みつつも、それ以上に、指揮官への全幅の信頼という光に彩られていた。

 

 

 もしも指揮官が、今のマルスに対して「今すぐあの裏切り者どもを殺せ」と冷酷に命令していれば、彼女は間違いなく精神的な限界を迎えて弱体化し、まともな戦力にはならなかっただろう。

 

 

 しかし、短いながらもこれまでの付き合いの中で、指揮官は彼女の純真な性格を完全に把握していた。その上で、彼女の戦意を削ぐことなく、むしろその能力を最大限に引き立てる役割と、最適の言葉を選び取ったのだ。

 だが、そこには優しさや信頼といった柔らかな感情は、微塵も存在しない。

 

 

 

 復讐に塗れた青年にとってマルスから向けられる無垢な信頼を受け止めるほどの精神的余裕など持ち合わせておらず、同時に、そんなものを受け止めようとする意思すら最初からなかった。

 

 

 

 彼はただ、盤上の駒として、勝つための最適解を淡々と選んでいるだけに過ぎない。

 

 

 

 一歩間違えれば、誰かが死ぬ。一歩間違えれば、リシュリューに逃げられて全てが水の泡になる。そんな、爪の先ほども妥協の許されない極限の状況において、指揮官は自らの手元にある限られた手札を観察し、その性質に合わせた最も効率の良い動かし方を徹底しているだけなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 追撃戦が進む中、荒れる海面を駆けるエミール・ベルタンたちは、絶望の淵で微かな光を手繰り寄せるかのように、ただ必死に希望を手繰り寄せながら前へと進んでいた。

 

 

 

 その希望は、決して根拠のない幻想ではなかった。戦場で最も容赦がなく、慈悲のない怪物であるローンを、モナークがその身を賭して釘付けにしてくれたおかげで、亡命軍への圧力は目に見えて激減していたのだ。

 

 

 迫りくるヴィシア陣営の追撃は苛烈だが、その内情をリシュリューたちは正確に見抜いていた。追撃部隊の要であるダンケルクはすでに中破を余儀なくされており、ル・マルスやジャン・バールの傷こそ浅いものの、彼女たちはこの作戦の間ずっと戦い続けてきたのだ。

 

 

 

 その代償として残された弾薬は著しく削られており、開戦初期に見せたような海を埋め尽くす鉄の暴風を再現することは、もはや不可能であると彼女達は理解したのだ。

 

 

 

 さらに決定的なのは、リシュリューたちがかつての同胞であるヴィシア陣営のスキルや特性を完全に把握している点だった。

 

 

 

 今の追撃部隊には、自分たちを一網打尽にできるような範囲攻撃能力を持つkansenはもはや一人も居ない。ダンケルクは強力な特殊弾幕を展開できるものの、既に中破している上に本人の心にある躊躇いもあって、対セイレーン戦で見せたような容赦のない無差別弾幕を張ることは期待できなかった。

 

 

 

 マルスはただ機動性が優れているだけで、単体での面制圧能力はない。そして、ジャン・バールにしても、一発の火力が凄まじいスキルは驚異的ではあるのだが、今の亡命軍にとって本当の天敵となる、広範囲を一斉に薙ぎ払うような弾幕を展開できるわけではなかった。

 

 

 

 

 勝てる。リシュリュー様を逃がしきることができる。

 

 

 

 

 ジャンヌ・ダルクやベアルンの胸中に、消えかけていた確信の火が灯る。自分たちがここで肉の盾となり、ボロボロになったこの命のすべてを犠牲にしてでも立ちはだかれば、リシュリュー様だけは確実に、ロイヤルの待つ安全圏へと送り届けられる。

 

 

 

 その微かな、しかし確かな光明を掴み取るため、彼女たちは悲壮な覚悟を翻して最後の防壁…いや、肉壁となっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、彼女たちが今まさに掴みかけたその希望さえも、すべてはあの冷徹な指揮官によって意図的に生み出された錯覚であることに、気付く術などあるはずもなかった。

 

 

 

 

 ジャン・バールが最も信頼を寄せる男として、その指揮官の存在自体はリシュリューたちも事前に把握してはいた。しかし、彼の持つ底知れない冷徹さと、勝利をもぎ取るためならいかなる手段も厭わない執念の深さまでは、完全に把握しきれていなかったのだ。

 

 

 

 

 

 追うものと追われるもの。捕縛しようとするものと逃亡しようとするもの。死力を尽くしたこの極限の盤面において、リシュリューはすでに自らの持ちうるすべての手札を使い切っていた。

 

 

 

 ロイヤル艦隊やモナークという最高峰の盾すらも失い、残されたのはボロボロの直衛艦のみ。もはやこれ以上の隠し球など残されてはいなかった

 

 

 

 しかし、指揮官は違った。彼はこの土壇場に至る最後の最後、誰もが戦力が底を突いたと思い込むその瞬間に至るまで、決定的なカードをその袖の中に隠し持っていたのだ。

 

 

 

 

 鉄血艦隊による掩護。残存のケビール港の部隊。それらは全て今の盤面では扱うことはできない。だが彼が残した最後の仕込みは痛烈なタイミングでリシュリュー達を襲いかかることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ、この、反応は……っ!?」

 

 

 

 

 

 突如、防戦に務めていたジャンヌの口から、悲鳴のような驚愕の声が上がる。そして次の瞬間、彼女たちの索敵レーダーの盲点、完全に範囲外であったはずの死角から、まるで無防備な横っ腹を鋭く殴りつけるかのような、凄まじい速度で接近する二つの不穏な影が躍り出た。

 

 

 

 伏兵――否、最初からそこに配置されていたかのように完璧なタイミングで現れた、ヴィシア陣営の二隻のkansen。

 

 

 

 

 白波を蹴立てて肉薄する二つの影は、現れると同時に一切の躊躇なく、海面を鋭く切り裂く無数の魚雷を一斉に解き放つ。殺意を孕んだ鉄の魚たちが、逃げ道を塞ぐように扇状に広がりながらリシュリューたちの足元へと殺到し、その白煙の軌跡が絶望の網となって彼女たちを縛り付けた。

 

 

 

 

 不意を突かれたベアルンとジャンヌ・ダルクには、それを回避するだけの間も、迎撃するだけの猶予も残されてはいなかった。

 

 

 

 

 

 爆音。

 

 

 

 

「がはっ…リシュリュー、様!!!」

 

 

 

 

 

 

 猛烈な水柱が連続して立ち上り、爆煙がアイリスの亡命軍を飲み込んでいく。ベアルンは迫りくる衝撃の中、咄嗟の判断で自らの艤装を盾にし、ベルタンとリシュリューの身体を覆い隠すようにして爆風を遮ってみせる。

 

 

 

 

 その代償はあまりにも重かった。直撃を受けたベアルンの飛行甲板は無残にねじ曲がり、内部の伝達系は完全に焼き切れ、艦載機の運用能力を永久に喪失しており、小柄な彼女の右腕はどう見ても骨折している。

 

 

 

 

 ジャンヌもまた、爆圧に煽られて装甲の大部分を剥ぎ取られ、大破の身となっていた。血の混じった海水を吐き出しながら、二隻の聖騎士はかろうじて海面に立ち尽くすが、その身体はもはや動かすことすら奇跡に近い状態だった。

 

 

 

「……ベルタン、あなたに任せます。リシュリュー様を……どうか」

 

 

 

 

 ベアルンが、煤に汚れた顔で静かに呟いた。立つのがやっとのはずのジャンヌもまた、自らの剣を杖代わりに海面へ突き立て、リシュリューの退路を塞がせないためにその場に踏みとどまる。二人は並び立ち、

 

 

 

 背後へ進むベルタンを急かすように、乱入者たちと迫りくるヴィシア艦隊をその満身創痍の身体で睨み据え、最後の肉壁となろうとしていた。

 

 

 

 

「……わかりました~」

 

 

 

 

 涙声の混じった、しかし確かな意志を宿した声で、ベルタンは応じた。どうにか、ちぎれそうな心を引きずりながら、彼女は意識を失いかけているリシュリューの身体を必死に支え、最後の最後まで逃げ延びるべく再び機関を限界まで蒸気させ始める。

 

 

 

 そして、後ろを振り返れば、力尽きかけながらも命の灯火を燃やす二人の決死の背中が守護者のように立ちはだかり。その必死の逃亡を阻むように立ち塞がったのは、ガリソニエールらと共に本国から派遣されてきたヴィシア聖座の援軍――ヴォークランとタルテュであった。

 

 

 

 彼女たちは、激戦が始まる直前まで戦場から遠く離れた遥か遠方海域で、気配を殺して待機を命じられていた。本来の彼女たちの役目は、戦いから逃亡を図るであろうロイヤル艦隊を足止めするための猟犬としての待ち伏せだったのだ。

 

 

 しかし、鉄血という大きなイレギュラーの介入や、リシュリューたちの予想外の乱入によってメルセルケビールの盤面が混沌を極める中、あの指揮官はリシュリューたちが逃亡を図ったまさにその刹那、遠方にいた彼女たちへ直接通信を繋ぎ、「予測した逃亡ルートへ先回りして待ち構えていろ」と命じていたのである。

 

 

 

 それだけではない。激しい戦闘が繰り広げられる最中であっても、指揮官はタルテュたちへ何度も、逃亡する亡命軍のルート予測や風向き、潮流による進路変更のデータを途切れなく送り続けていた。

 

 

 

 いくら広大な海であっても、負傷者を抱え、列をなして一方向に逃げようとする艦隊であれば、その限られた移動速度から算出される矛先の予測など、彼にとって容易なものだ。彼女たちがここに完璧なタイミングで現れたのは、偶然などでは断じてなく、指揮官という怪物が手繰った糸の結び目だった。

 

 

 

 

「なんで……っ、なんでこうなっちゃうのかなぁ!!」

 

 

 

 

 

 魚雷を放ち終えたヴォークランは、普段の陽気さを完全に失い、その小さな身体をガタガタと罪悪感と悲しみで震わせていた。戦友を傷つけ、敬愛すべき枢機卿を追い詰めるこの現実の重さに、彼女の心は悲鳴を上げている。

 

 

 

 

「ごめんなさい、リシュリュー様……」

 

 

 

 その隣で、タルテュもまた深く俯き、自身の罪を噛み締めるように声を震わせた。

 

 

 どんな時でも動じないはずの彼女のマイペースさは、この残酷な戦場においてはただの痛切な義務感へと変貌していた。

 

 

 

「もうやめなよみんな!。嫌だよ!なんで護教騎士団同士が殺し合わなきゃいけないの!?なんでロイヤルなんかに従ってこんな事してるの!?」

 

 

 

 

 ヴォークランの叫びが、激しい混線状態の通信回線を鋭く引き裂いた。大破したジャンヌたちの機関音と、吹き付ける潮風の音だけが、彼女の悲痛な声を虚しく反射する。

 

 

 

 

「フッド達は、自分たちだけさっさと逃げ切ったのに……! なんでリシュリュー様達だけが、こんなに傷つかなきゃいけないの!?」

 

 

 その言葉が投げつけられた瞬間、戦場に奇妙な沈黙が鳴り響いた。後方にて砲身を向けたまま動けないダンケルクも、対空砲の照準を合わせたまま硬直したル・マルスも、そしてリシュリューを支えるエミール・ベルタンさえも、誰もが何も言い返せなかった。

 

 

 

 ヴォークランは決して、複雑な国際情勢を深く見通せるような知的なタイプではない。普段はただ元気で、陽気に仲間たちと笑い合っている、そんな普通の少女だ。だが、そんな彼女の目から見ても、今この海の上で突きつけられている歪な現実だけは、いやでも理解できてしまっていた。

 

 

 

 

 ロイヤルだけが、あまりにも都合よく全員がこの海域から逃げ出したのだ。

 

 

 

 

 メルセルケビールに大艦隊で押し寄せ、ヴィシアの同胞たちを恫喝し、容赦のない先制攻撃を仕掛けて戦火を開いたのはロイヤルのはずだった。それなのに、鉄血という不測の事態が介入した途端、フッドたちは命懸けで援軍に来たリシュリューたちを見捨てて、今この瞬間も悠々と本国へと帰還している最中にある。

 

 

 

 それなのに、なぜ、窮地に陥った亡命軍を救うために、命を懸けてこの地獄へ引き返してきたのが、特別計画艦とはいえモナークたった一隻だけなのか。

 

 

 

 他のロイヤル艦隊が、傷ついたリシュリューたちを助けにくる様子など、どこをどう探しても微塵もありはしない。

 

 

 

 

 答えは一つしかない。

 

 

 

 

 リシュリューたちアイリス亡命軍も、そして彼女たちを撃たざるを得ない自分たちヴィシア聖座も。アイリスの信仰も、血のつながった姉妹の絆も。

 

 

 

 

 その全てが、ただロイヤルという大国に都合よく踊らされ、都合よく消費されているだけの、哀れなチェスの駒に過ぎないのだと、残酷な真実がむき出しになってその場に転がっていた。

 

 

 

 

 無論、ベアルンたちとて反論はあった。

 

 

 

 

 ヴィシアの優れた指揮官による緻密な迎撃によって、アリシューザをはじめとするロイヤル艦隊が次々と傷ついていったのは紛れもない事実である。

 

 

 

 さらにそこへ鉄血艦隊の苛烈な反撃が重なったのだ。これ以上の深刻な損害を避けるために撤退を最優先としたロイヤルの判断は、大局的な戦略として決して間違いとは言えない。

 

 

 

 いかなる陣営であれ、極限状態において自国の戦力を優先せざるを得ないのは当然の立場であり、そんな満身創痍の状況下にあってなお、最高機密である虎の子の特別計画艦――モナークを単艦でこの地獄へ派遣したことは、ロイヤルなりの最大限の誠意であると、そう信じる余地は確かにあった。

 

 

 

 しかし、ベアルンはその言葉をどうしても口に出すことができなかった。

 

 

 

 アイリスを離れ、ロイヤルに身を寄せる亡命軍という「客将」の立場である自分たちが、庇護者であるロイヤルを公式に批判することも、あるいは哀れな言い訳で弁護することも許されないという冷厳な事実。複雑に絡まり合った各国間の情勢や、自分たちの危うい立ち位置が、彼女の喉を強く締め付ける。

 

 

 

 なにより、ヴォークランの痛切な叫びにここで同調してしまえば、ロイヤルにとって自分たちがただの都合の良い捨て駒に過ぎないという真実を認めてしまえば、最早――リシュリューを奉じ、祖国を裏切り者と罵られてまでロイヤルへと手を伸ばした自分たちの選択が、その歩んできた苦難の道の大義そのものが、根底から瓦解してしまうからだった。

 

 

 

 

「いきなさい、ベルタン!」

 

 

 

 

 沈黙を切り裂くように、ベアルンが叫ぶ。最早、彼女たちに残された唯一の使命は、ベルタンにリシュリューを託し、ロイヤルの地へと送り届けさせることだけだった。そのためであれば、残された命のすべてをここで燃やし尽くしても構わない。

 

 

 

 ベアルンの右手は、先ほどの魚雷の直撃によってあらぬ方向へと不自然にひしゃげて曲がっていた。艦載機を失い、艤装を砕かれ、まともな攻撃手段など何一つ残されてはいない。その隣に立つジャンヌもまた、艤装の大半を喪失し、ただ一本の剣を海面に突き立てて身体を支え、近づき、牙を剥くヴィシア艦隊を睨みつけている。

 

 

 

 

 まともな戦闘などできようはずもない。だが、二人が命懸けで這いつくばってでも、その身を挺して敵の艤装に抱きつき、自爆を狙ってでもタルテュたちを足止めできれば、ベルタンがリシュリューを連れて逃げ切るチャンスはまだ残されている。その剥き出しの死線と、底知れない執念。

 

 

 

 

「う、うそ……、そんな身体で、まだ……っ」

 

 

 

 肉壁になろうと凄絶な覚悟を見せる二人の姿に、ヴォークランは顔を青ざめさせ、涙を浮かべて絶句した。

 

 

 

 

「……これが、護教騎士の、覚悟……」

 

 

 

 

 タルテュもまた、その静かな瞳に耐え難い痛みを滲ませ、言葉を詰まらせる。自分たちが放った魚雷が彼女たちをそこまで追い詰めたのだという罪悪感が、二人の駆逐艦の心を容赦なくすり潰していく。

 

 

 

 だが、戦場はその感傷すらも踏みにじる。理念も想いも。ただ鉄によってねじ伏せられるものなのだから。

 

 

 

 

「……こんな事は、したくはないのだけれども……ごめんなさい」

 

 

 

 

 ぽつり、と重く、悲痛な響きを帯びた声でそう呟いたのは、中破の身を引きずりながら砲身を巡らせていたダンケルクだった。

 

 

 彼女は、傷ついた二人の騎士を無視し、そのさらに後方――リシュリューを抱えて必死に海面を逃走しているベルタンへ向けて、その巨大な主砲の狙いを定めた。

 

 

 

 指揮官の命令は絶対だ。どれほど心が引き裂かれようとも、軍人として、ここで引き金を引かないという選択肢はダンケルクには残されていなかった。狙いはベルタンの直掩ではなく、彼女の進むべき未来の海面。

 

 

 

 激しい爆鳴と共に、ダンケルクの主砲から火を噴いた。

 

 

 

 

「……っ、きゃぁぁっ!?」

 

 

 

 

 凄まじい衝撃波と、天を突くような巨大な水柱が、必死に逃走していたエミール・ベルタンのすぐ目の前で爆発した。

 

 

 

 結果は、本当にギリギリだった。

 

 

 

 直撃こそ免れたものの、至近弾による猛烈な爆圧と沸き立つ海水がベルタンの軽量な艤装を激しく叩き、彼女の身体を容赦なく横転させかける。視界は白濁した水飛沫に遮られ、至近弾の凄まじい爆圧が、ただでさえリシュリューを抱えて限界を迎えていたベルタンの華奢な軽巡艤装を容赦なく打ち据えた。

 

 

 

 衝撃に耐えかね、激しく海面へと叩きつけられた彼女は、身体を奔る激痛とこれまでの疲労の限界により、そのまま深い闇へと引き摺り込まれるように意識を失い、気絶した。

 

 

 

 

「ベルタン……っ!リシュリュー様……!」

 

 

 

 倒れた二人を救おうと、大破した身を震わせてジャンヌが必死に這い進もうとする。だが、その前に立ち塞がったヴォークランとタルテュの二人がかりによって、まともな抵抗もできぬまま無情にも組み伏せられ、その場に完全に拘束されてしまった。

 

 

 

 一方、最後の希望すらも目の前で潰えた光景を見つめていたベアルンは、ぷつりと糸が切れたように崩れ落ち、海面にその身を投げ出した。

 

 

 

「ベアルンさん……! しっかりして、ベアルンさんっ!」

 

 

 

 

 慌ててヴォークランがベアルンの元へと駆け寄る。しかし、目の当たりにした彼女の艤装は、最早海面に浮くことすら不可能なほどに無残に破壊し尽くされていた。

 

 

 

 もう戦えない、誰も守れない。何もかもがおしまいなのだと、そんな逃れられない現実を理解した瞬間。これまで彼女の心を蝕んでいた凄まじい心労、戦友と殺し合うストレス、そして肉体が負った深刻な大ダメージが一気に限界を迎え、ベアルンは静かに意識を途切れさせたのだ。

 

 

 

 硝煙が薄れゆく戦場に、ただ波の音だけが虚しく響く。そこへ、波を厳かに掻き分けながら、指揮艇に率いられたジャン・バールたちが静かに姿を現した。

 

 

 

 

 ダンケルクやマルスが見守る中、ジャン・バールはゆっくりとした足取りで歩みを進める。彼女が向かったのは、海面に力なく横たわる、かつてのアイリス教国の象徴である枢機卿。

 

 

 

 傷だらけになり意識を混濁させた姉、リシュリューのすぐ傍らまで近づくと、その双眸で敗者の姿を冷徹に見下ろした。

 

 

 

 凍りついたような静寂が支配する海の上で、彼女はただ一言、低く、重く告げた。

 

 

 

 

 

「……チェックメイトだ、姉さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、世界で初めてkansen同士が正面から激突した大規模海戦――「メルセルケビール海戦」は、凄惨な結末とともに幕を閉じた。

 

 

 

 レッドアクシズ、アズールレーン、そのどちらの陣営も深く傷つき、ボロボロになりながら戦い抜いた地獄の狂宴。だが、この戦いの勝者が誰であるかは明白である。アイリスの亡命軍を率いる枢機卿リシュリューを完全に捕縛し、さらに海域へ不当に侵入した侵略者たるフッドたちのロイヤル艦隊を叩き出して撃退せしめたレッドアクシズの、完全なる勝利であった。

 

 

 

 

 しかし、戦火が収まっても、この海で流された血がもたらした波紋は収まるどころか、世界を激しく揺るがしていく。

 

 

 

 

 大義名分を掲げて押し寄せ、傲慢な恫喝行為に及んだロイヤルに対するヴィシアの憎悪は、最早誰の手にも収拾がつかないほどに燃え上がっていた。ヴィシア聖座はすぐさま、アズールレーンとの決別を決定。

 

 

 

 

 正式にレッドアクシズへの加盟を発表すると同時に、ロイヤルへの宣戦布告を全世界に向けて突きつけ、鉄血の指導者であるビスマルクもまた声明を発表する。「ヴィシア聖座は我らの不磨の同胞であり、その正当なる権利と尊厳は、鉄血の鋼鉄の意志によって守られる」と。

 

 

 

 

 一方で、泥を塗られた形となったロイヤルもまた、このまま黙って引き下がるような柔な陣営ではなかった。ロイヤルは、アズールレーンを独断で離脱した上で人道に反する「セイレーンの技術の無差別な研究・利用」に走るレッドアクシズの危険性を、改めて強く批判。

 

 

 

 メルセルケビールにおける恫喝行為はヴィシア側の狂言であり「事実無根である」と一蹴した。批判の目を巧みなプロパガンダでかわしながら、正義は我らにありと徹底抗戦の構えを崩さない。

 

 

 

 言い訳と欺瞞、そして剥き出しの敵意。かくして、真実が何であれ、世界の歯車は最悪の形で噛み合ってしまった。アイリス教国の分裂という悲劇を発端とした火種は、ヴィシア・鉄血の連合戦線と、海軍大国ロイヤルという、互いに退くことのできない巨大な対立構図を生み出し、世界をさらなる大戦の濁流へと引き摺り込んでいくのだった。

 

 

 

 だが、世界はまだ知らない。この凄惨なメルセルケビール海戦という衝突すらも、これから始まる未曾有の激動の、ほんのわずかな「プロローグ」に過ぎなかったということを。

 

 

 

 そして、ロイヤルが思い描いていた完璧なはずの計画は、この一戦で大きく狂うこととなった。不落の象徴たるフッドやネルソンといった海軍の最高幹部たちが大損害を被り、その戦力基盤に致命的な亀裂が入ったことで、彼女たちの戦略は大幅な修正を余儀なくされたのだ。

 

 

 

 その結果として――「本来、これより先の戦場で死すべき定めであった者たち」が生存し、歴史の表舞台に立ち続けるという、未知の未来へ発展したことは、盤面を弄ぼうとした女王への最大の皮肉と言えるだろう。

 

 

 

 

 その因果のうねりは、他陣営の運命をも急速に変え始めていた。

 

 

 

 

「まだまだ非才ではあると思いますし、自分……俺には経験が足りない、そして頼りないと思われても仕方ない事は理解しています。それでも、俺を信じて下さい。絶対皆さんを裏切りません、絶対皆さんを死なせません、絶対皆さんを守ります。その為に、俺に力を貸してください!」

 

 

 

 

 ヴィシアの海戦の裏側、鉄血の本国において、そう声を張り上げる一人の青年がいた。復讐に塗れたメルセルケビールの指揮官とは異なる、未熟ながらも純粋な決意を宿した瞳。だが、加速する世界の戦火は、彼にのんびりと経験を積む猶予など与えはしない。この世界線の歪みにより、とある新任指揮官は、本来の予定よりも遥かに早期の内に、過酷な実戦へと配備されることが決定した。

 

 

 

 さらに、地中海の風が吹く壮麗な宮殿でも、新たな野心が頭をもたげる。

 

 

 

 

「我々もこの流れに続くべきでしょう。全ては帝国の栄光の為に」

 

 

 

 

 レッドアクシズに加盟するとある国家は、ヴィシアが示した大戦果とロイヤルの失墜を好機と捉え、虎視眈々と戦力の増強を開始。新たな作戦計画の立案に乗り出していた。

 

 

 

 歯車は回り、歴史は徐々に、しかし確実に誰も知らぬ形へと変わっていく。

 

 

 

 その全てを、遥か高次元の虚空から見つめ、冷徹に観測している殺戮機械たる人類の敵たるセイレーン。彼女たちは、予測不可能な変転を遂げていくモニターを前に、凄惨な笑みを浮かべていた。

 

 

 

 定められた収束を拒絶し、イレギュラーな歴史を辿り始めたこの「枝」が、一体どこへ行き着くのか。彼女たちにとっては、それすらも極上の実験に過ぎない。

 

 

 

 引き裂かれた姉妹の絆、踏みにじられた信仰、そして大国の謀略への怒り。海を渡る風に乗って、血を吐くような怨嗟の叫びが木霊する。

 

 

 

 

「ロイヤルなんて!!滅んでしまえ!!!!」

 

 

 

 

 全ては――あの赤く染まったメルセルケビールの海から、狂い始めたのだから。

 

 

 





・ヴォークランとタルテュ
 彼女達の出現はダイスによるもの。モナーク出現というファンブルの後のすぐの判定にて。

攻撃判定
dice1d27=27 (27)
1~4.ジャン君
5~6.ローン
7~9.マルス
10~13.ダンケルク
14~16.ジャンヌ
17~19.ベルタン
20~22.ベアルン
23~26.モナーク
27*おおっと*←ファンブル


*おおっと*
dice1d10=9 (9)
1~3.また、誰か抜けてきた…
4~6.通信…!?
7~9.…この反応…ヴォークラン達?←確定
10.困るのよ、ここでアイリスを潰されてはね?

 10であればエリザベス達が出現し、1〜3ではロイヤル組の援軍が増える。そんな状況下で唯一の幸運である予備戦力であるタルテュとヴォークランが出現した事により戦況は逆転。最後に残された攻撃判定にて。

dice1d10=3 (3)
1.させませんっ!
2.させません…!
3~9.命中、させてしまった←確定
10.*おおっと*

ベアルンとジャンヌがロストしてでもダンケルクの攻撃を受けようとするも、ベルタン達に命中。この瞬間ヴィシア陣営の勝利は確定し、歴史は大きく史実とは違う結果となるのでした。


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  • なんかイメージと違う
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