ヴィシア戦記 鬼神と呼ばれた男   作:kiakia

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第十二話 王家に、栄光を

 

 

 

 モナークの周囲を満たしていた、鉄の暴風が終わりを迎えて数十分後。煤と硝煙が立ち込める海域の中央で、王家の戦士として圧倒的な威容を誇っていた彼女の艤装は、見る影もなく破壊し尽くされていた。

 

 

 

 主砲塔は不自然な方向にねじ曲がり、引き裂かれた装甲の隙間からバチバチと青白い火花が虚しく爆ぜている。最早、砲塔の一つを動かすことすら不可能な、完全なる満身創痍。

 

 

 

 海水を吸って重く垂れ下がるその身体は、ただ海面に浮かんでいること自体が奇跡と言える。

 

 

 そこへ、波を割って静かに近づいてくる影があった。歪な笑みを浮かべたまま悠然と佇むローン。そして、その背後から指揮艇を伴って現れた、指揮官とジャン・バールをはじめとするヴィシアの軍勢だ。

 

 

 

 近づきゆく彼らの姿を、モナークは壊れた艤装に身体を預けたまま、じっと見つめていた。ロイヤルの他のkansenへの対抗心を燃やす彼女の象徴でもあった燃えるような双眸。しかし、今のその瞳の奥にあるのは、死への恐怖ではなく、自身の役目を果たす事に失敗した自省で彩られてる。

 

 

 彼女は鋭かった。近づいてくるヴィシアの面々が纏う、張り詰めた、しかし確実に一つの目的を完遂した特有の空気――歓喜ではなく、血のつながった同胞をその手で捕縛し終えたと。彼らが勝利し、ロイヤルが完全に敗北した事を彼女は敏感に察知した。

 

 

(……終わった、か)

 

 

 

 

 リシュリューたちが逃げ切るための時間を彼女は稼げなかった自らの命を削り、ローンを引きつけ、文字通り盾となって海に立ち塞がり続けた。しかし、結局はローンをたった一人拘束したに過ぎず、そのローンを仕留めることもできなかったのだ。

 

 

 

 自らの血を吐くような奮戦も、すべては水泡に帰した。枢機卿たちが捕虜となった事実を、眼前の光景から残酷なほど正確に悟ったモナークは、自らの無力さに唇を噛む。誇り高き王家の戦士として生み出され、その存在を証明するために戦い抜いた結末が、この何も救えぬ完全なる敗北なのだから。

 

 

「下された命もこなせず、このザマとはな……」

 

 

 ぽつりと、掠れた声が彼女の口から零れ落ちる。それは誰へ向けたものでもない、自らの存在そのものへの痛烈な自嘲だった。

 

 

 モナークはそれ以上、何も語ろうとはしなかった。迫りくる敵艦隊を前にしても、その双眸から毅然とした光を失わないまま、ただ、己の運命を受け入れるように、静かにその目を瞑る。そんな静寂を破るように、ローンがその唇を歪め、静かに声を紡ぎ出した。

 

 

 

「モナークさん――」

 

 

 その呼びかけに、モナークは力強く瞑っていた目を見開いた。生きて虜囚の辱めを受けるというのなら、この場で肉体を塵にされた方がマシだと言わんばかりの、凄まじい眼光。彼女は真っ向からローンを睨みつけ、毅然と言い放つ。

 

 

「……殺せ。この身はどうなろうがロイヤルのもの……貴様達に話すことも言う事も、これ以上は何もない」

 

 

 

 きっぱりとしたその拒絶には、一片の迷いもなかった。

 

 

 

 私は決して屈しない。たとえ捕虜となり、どれほど惨たらしく凄惨な凌辱を受けようとも、あるいはどれほど甘美で慈悲深い厚遇を受けようとも、我が魂を縛る王家への忠誠が揺らぐことは断じてない。

 

 

 もし自分をこのまま生かして捕虜とするつもりなら、その時はこのボロボロの身体を、剥き出しの牙を以て、隙を突いてお前たちを食い破る呪いとなってやる。

 

 

 

 王家に忠誠を誓った身としての、それが最後の矜持。だからこそ、余計な慈悲など捨てて、今すぐここで自分を殺せ。

 

 

 死を目前にしながらも、モナークの全身から立ち上る覇気は些かも衰えていなかった。引き裂かれた軍服の隙間から滲む血は赤黒く、艤装の残骸が激しい火花を散らして彼女の横顔を不気味に照らし出す。その姿は、敗軍の将などという哀れなものではなく、最期の瞬間まで敵を呪い、食い破ろうとする一頭の飢えた狼そのものだ。

 

 

 誰もがその凄絶な覚悟に息を呑み、沈黙を余儀なくされる中、指揮艇のタラップから静かな足音が響く。指揮官が、護衛もつけず、丸腰のままで無防備に船首に迎えばモナークへその姿を現したのだ。

 

 

「おい、お前……ッ!」

 

 

 ジャン・バールが咄嗟に彼の無謀を止めようと手を伸ばし、声を荒らげかけた。いくら満身創痍とはいえ、相手はロイヤルの特別計画艦だ。いつ最後の悪あがきで指揮官の命を奪いにくるか分からない。何より数年以上彼と向き合い続けた彼女にとって、今の指揮官の行動はあまりにも異質であったのだ。

 

 

 だが、その焦燥を含んだ動きは、隣にいたダンケルクによって遮られた。ダンケルクは何も言わず、ただ静かにジャン・バールの前に腕を差し出し、首を横に振る。今はただ、彼の背中を見守るべきだと、その沈黙の瞳が物語っていた。

 

 

 

 指揮官はモナークの放つ強烈な殺気の中、感情の起伏を削ぎ落としたような、淡々とした声で問いかける。

 

 

 

「見捨てられて、お前はそれでいいのか?」

 

 

 

 その言葉は、モナークの誇りを鋭く逆撫でした。ルビー色の双眸に更なる激昂の炎が宿り、低く唸るような声が返る。

 

 

「……何が言いたい」

 

 

「……利用されるだけされて、そのままポイ、それでお前は気が済むのか、って聞いてるんだよ」

 

 

 

 青年の瞳には、モナークに対する憐憫や同情といった生温かい感情は、微塵も宿っていなかった。そこに不気味に沈んでいたのは、暗く、昏い、純然たる「怒り」だ。

 

 

 

 それは、祖国に裏切られ、かつての同胞たちに都合よく見捨てられた彼女の境遇と、理不尽に全てを奪われた自身を重ね合わせた、復讐者としての激しい義憤であったのかもしれない。だが、当の本人はそんな感情の機敏に最早気づくこともなく、お前は捨てられたんだと。言葉以上に冷酷な現実をモナークへ突きつけていた。

 

 

 

「フッドやアークロイヤルが自分たちだけ都合よく逃げ延びるための時間稼ぎとして、お前はここに一隻だけ、都合のいい捨て駒として残された。使い捨ての道具としてな。ロイヤルの掲げる栄光の裏で、お前一人寂しく死ぬ。それが、お前の望んだ戦士の誉れなのか?」

 

 

 モナークは、船首の上から、ただ真っ直ぐに自身を見つめ返してくる男に目を向けた。その瞳は、まるで深く澄んだサファイアのように青く輝いていた。そのあまりにも鮮烈な色彩は、一瞬。モナークにクイーン・エリザベスの瞳を想起させたのだ。

 

 

 だが、それはあまりにも致命的な錯覚だった。眼前の男の瞳は、高貴な女王のそれとは明らかに別物だった。そのサファイアの奥底に沈んでいるのは、濁り、淀んだ、もっとドス黒く昏い何か。

 

 

 

 これまでにどれほどの地獄を這い回り、どれほどの理不尽に焼かれればこれほど歪むのかという、果てしない「痛み」を感じさせるような暗さが、そこには確かに存在していたのだ。

 

 

「生きたい、と悔しくはないのか? このままで終わりたくない、と口惜しくは思わないのか?……見捨てたやつを見返したいと、そうは思わないのか?」

 

 

 

 静かだが、一言一言が確実にモナークの傷口を抉るように響く。だが、その声には敵将を言葉巧みに懐柔しようとするような、薄汚い政治的意図は微塵も感じられなかった。

 

 

 これは、敗将への寝返りの打診などではない。ただの純粋な確認なのだろう。あまりにも理不尽に、あまりにも都合よく、切り捨てられたモナークの境遇に、奇妙なシンパシーを覚えた復讐者が、彼女の心の内をただ知りたくて語りかけているのだ。

 

 

 かつてセイレーンによって全てを奪われ、ただその復讐を果たすためだけに自分の命も、魂も、未来も、その全てを冷徹に盤面へ捧げ続けている自分。

 

 

 だというのに、目の前のモナークは、これほど残酷に裏切られてなお大人しく死を受け入れようとしている。それが、彼にはどうしようもなく歪に見えたのかもしれない。

 

 

 胸を焼き焦がすようなドス黒い憎悪や、世界を呪う激しい怒り。全てを、それこそ誇りも、これまで信じてきた栄光すらも犠牲にしてでも、自分を裏切った奴らに復讐を遂げようとする暗い渇望は、お前の中にはないのか――?

 

 

 まるで自らの胸の内に燻る漆黒の炎を、目の前の鏡に映し出そうとするかのように、青年はただ静かに、その答えを求めていたのだ。

 

 

「……それでも、私はロイヤルのkansenだ」

 

 

 

 だが、モナークの口から突き放すように放たれたのは、あまりにも頑なで、どこまでも愚直な、決別の言葉だった。

 

 

 

 

 その声に、揺らぎなど微塵もなかった。

 

 

 

 全身の装甲を剥ぎ取られ、心臓部たる機関を焼き切られ、死の淵に立たされているというのに。

 

 

 ロイヤルという大国に都合よく切り捨てられ、ただ一隻で冷たい海へ置き去りにされたというのに。

 

 

 彼女のアメジスト色の双眸は、未だに傲慢なほどの輝きを失ってはいなかった。いや、死を目前にした今だからこそ、その光はより一層の純度を増して、爛々と燃え盛っている。

 

 

 

 ――それは、ドス黒い復讐の炎に身を焦がす指揮官にとって、ひどく眩しいものだ。

 

 

 

 認めたくはなかった。そう認めてしまうこと自体が、自身の存在を、これまでの歩みを否定されるようで激しく嫌悪感が走った。

 

 

 

 理不尽に全てを奪われたのなら、世界を呪い、殺戮機械達を奈落の底へ引き摺り下ろすことこそが、彼の選んだ唯一の生きる術だ。だからこそ、どれほど無惨に捨てられようとも、なお自らを切り捨てた「王家の栄光」に忠を尽くそうとするモナークの在り方が、理解できなかった。納得など、できるはずもなかった。

 

 

 愚かだと吐き捨てるのは容易い。だが、この血生臭いメルセルケビールの海で、己の信じる美学を最後まで貫き、誰よりも誇り高く戦い抜いたのは、目の前の傷だらけの戦士であるという事実だけは、認めざるを得なかったのだ。

 

 

 

「……ああ、そうかい」

 

 

 

 指揮官はぽつりと呟く。サファイアの瞳から暗い熱が引き、元の凍てつくような冷徹さへと戻っていく。これ以上の言葉は無意味だった。交わることのない二つの信念。ならば、これからの結末はただ一つしかない。

 

 

 そして、ゆっくりと振り返ると、すぐ後ろに控えていたダンケルクに視線を向けた。

 

 

 

「ダンケルク、駆逐たちを連れて先に戻ってくれ」

 

 

 

 その低く、静かな声に込められた意図を、ダンケルクは瞬時に察する。これからこの場で何が行われるのか。それを、先ほどの戦いでただでさえ心を痛めている若い駆逐艦たちに見せるべきではないという、彼なりの配慮。

 

 

 ここから先に行われる事を、自分も見なければいけないという気持ちもある。しかし、ダンケルクは汚れ仕事を行おうとする彼等を止める事はなく、ただ静かにマルス達に語りかける。

 

 

 

「ええ……わかったわ。ほら、皆……先に戻りましょう」

 

 

「指揮官…私も…」

 

 

「駄目よ。いきましょう、ね?」

 

 

 

 ダンケルクは否定は許さない声音でそう言うと、傷心しきったヴォークランとタルテュの肩をそっと抱く。そして、何度も、何度も後ろ髪を引かれるように振り返るマルスを優しく促しながら、彼女たちは波を立ててその場を離れていく。

 

 

 遠ざかっていく駆逐艦たちの艤装の音が完全に潮騒へと溶け込み、海域に重苦しい静寂が戻ってくる。その静けさの中、ローンが、気だるげな足取りでモナークへと歩み寄った。

 

 

 

 彼女の視線が向いたのは、満身創痍のモナークが、今なおその右手に固く握りしめていたもの。それは気高き象徴であり、美しくも禍々しい輝きを放つ、ルビーをあしらった高貴な軍杖だ。

 

 

 ローンは躊躇うことなくその軍杖を掴むと、慈しむような手つきで引き抜きながら、鈴を転がすような声で微笑んだ。

 

 

「約束通り、戦利品として……頂きますね」

 

 

 激戦の衝撃を受けてなお、傷だらけになりつつもその先端の宝石は気高い赤色の輝きを失っておらず、軍杖は折れてはいない。それは、幻想から生まれ、ただ一隻で戦場を駆けた彼女が抱き続ける、唯一無二の矜持そのものなのだろう。

 

 

 モナークは、それを奪い去るローンの手を拒まなかった。いや、最早彼女の指先には、自身の魂とも言えるその杖を保持し続けるだけの力すら、残されてはいなかったのだ。力なく解かれた指先から、誇りがするりと滑り落ちていく。

 

 

「……フン、好きにしろ」

 

 

 

 モナークはただ、吐き捨てるようにそう呟き、視線を逸らした。その様子を後ろで見守っていたジャン・バールは、死に体の敗者から無慈悲に物品を略奪していくローンに対し、一瞬、不快感を隠そうともせずに冷たい視線を向けた。海賊の名を引く自身ならいざ知らず、この状況で戦利品を漁るその執念深さに、冷徹な軽蔑を覚えたのだ。

 

 

 だが、ジャン・バールはすぐに違和感に気づき、眉をひそめる。

 

 

 

 杖を手にしたローンの瞳は、戦場で他者をすり潰す悦楽や、残虐な快感に濁ってはいなかった。ルビーの光を反射するその双眸は、むしろ驚くほど静かで、どこか深く、仄暗い悲しげな色を湛えていたのだ。

 

 

 ローンは軍杖をそっと胸に抱き寄せると、モナークを見つめ、ぽつりと独白のように言葉を漏らした。

 

 

 

「貴女とは……もっと違う形で、会いたかったですね……」

 

 

 

 それは、造られた兵器としての共感だったのか、それとも、互いの全力をぶつけ合った末に生まれた、彼女なりの奇妙な哀悼だったのか。ローンはそれ以上何も語らず、ただ静かに身をかがめると、血と煤に汚れて海面にぷかぷかと浮かんでいた、モナークの軍帽をもそっと拾い上げた。

 

 

 

 愛おしい記憶の破片を拾い集めるかのようにそれを手元に収めると、彼女は満足したように、寂しげな背中を向けて一歩、その場から下がる。

 

 

 

 そして、彼女と指揮官が見守る中、取り残されたモナークは、自らに向けられる無言の殺気の意味を正確に汲み取っていた。その視線の先にあるのは、ただ一つ。敗者に対する、慈悲の一撃だと。

 

 

「……やはりそうなる、か」

 

 

 

 モナークは自嘲気味に、しかしどこか得心がいったように低く呟いた。捕虜になれば牙を剥いて食い破ると宣言したのだ。生かしておけば必ず足元を掬われる。そんな危険分子を温情だけで生かしておくはずがなかったのだから。

 

 

 だが、彼女に後悔はなかった。初めての戦場。初めての死闘。リュウコツの奥底にある記憶で彼女は戦うこともなく見捨てられていた。しかし、今の彼女は戦い抜いたのだ。モナークは自身が「ここにいる」と戦場で示すという、輝きを見せた事に満足感すら覚えていた。

 

 

 

 

 彼女は、存在していたのだ。

 

 

 

 

 

「悪いな。流石に自主的にじゃないなら……抱え込む、と言う訳にはいかない」

 

 

 指揮官の言葉は、酷く乾いていた。そこには憎悪もなければ、命を奪うことへの躊躇いもない。ただ、自らの陣営の安全を確保し、目的を完遂するための、至極当然な通告だ。

 

 

 青年が軽く顎を引く。それが明確な合図であり、ジャン・バールが、一歩前へ踏み出す。重厚な金属音を響かせながら、彼女の主砲がゆっくりと旋回し、海面に横たわるモナークの胸元へとその黒々とした砲門を向けた。

 

 

 

 至近距離。艤装を失った生身の身体など、一撃で消し飛ばせる距離だ。

 

 

「……何か、言い残す事は?」

 

 

 そっと砲門を向けたまま、ジャン・バールは掠れた声でそう尋ねた。眼前の戦士が示した最期の意地に対して、彼女なりの敬意を払うかのような、静かな問いかけだった。

 

 

 モナークは向けられた大口径の砲口を真っ直ぐに見つめ返し、ただ、最期までその気高さを崩さないまま、小さく唇を動かした。

 

 

 

「……王家に、栄光を」

 

 

 

 それが、ロイヤルの特別計画艦として生まれ、ロイヤルの捨て駒として死にゆく彼女の、最初で最後の、あまりにも愚直な遺言だった。

 

 

「……そうかよ」

 

 

 ジャン・バールは小さく、それだけを返した。

 

 

 

 次の瞬間、刹那の閃光が世界を白く染め、鼓膜を震わせる轟音が夜の海へと抜けていった。

 

 

 

 激しい硝煙が風に流され、やがて視界が開けたとき、そこにはもう、燃える双眸を持った戦士の姿はどこにもなかった。

 

 

 

 ただ、一つ。

 

 

 

 名もなき海のとある場所で、小さな水飛沫がぽつりと上がり、静かに波紋を広げながら、冷たい海原の底へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

  ……………。

 

 

 

「おい、泣いてるのか?」

 

 

 泣いてなんかねえよ…そんな暇は無いんだ。

 

 

「そうか…そうだ、な」

 

 ……戻ろう、ヴィシアへ。

 

 

「…ああ、行くぞ」

 

 






 モナークはここにいました。

 誰が何と言おうと、誰が何と否定しようと。

 彼女は最後の最後まで王家に忠誠を捧げ、存在していたのです。

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