彗星の軌跡   作:ニトロP

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第一章 Relationship
第一話 彗星の生誕


 春の陽射しが柔らかく差し込む昼下がり。

 白菊ほたるは、所属するアイドル事務所の屋上に立っていた。

 風は穏やかで、晴れ渡った空の下、彼女の瞳には決意の光が宿っている。

 

 「……プロデューサーさん」

 

 ――俺は、彼女の呼びかけに静かに振り返る。

 

 「私……ずっと、ずっと言いたかったんです。……プロデューサーさんのことが……好き、です」

 

 その声は震えていた。でも、はっきりと聞こえた。

 

 「この三年……たくさん迷惑かけて……何度も助けてもらって……。だけど、アイドルとして歩いてきた中で……私の一番の幸せは……プロデューサーさんがいてくれたことです」

 

 吐き出すようなその言葉に、覚悟と想いが込められていた。

 

 静寂が流れる。俺は驚いた顔をしながら、ただ少しだけ目を細めて、空を仰いだ。

 

 「……幸せ、か」

 

 その一言は、遠い記憶を引き寄せるように、ふわりと春空に溶けていった。

 

 ――今から三年前。

 

 俺が初めて彼女を見かけたのは、都内のあるスタジオだった。その日、別のアイドルの撮影で立ち寄ったスタジオの隅に、ひときわ小さくうずくまる少女の姿があった。

 

 その場にいたスタッフの声が、耳に入ってきた。

 

 「また? あの子、組みたくないって言ってドタキャンされたってさ」

 

 「白菊ほたるの不幸体質の噂、マジっぽいな……あの子と組んだアイドル、前回も怪我してたし」

 

 白菊ほたる。その儚く、それでも消えそうにない存在感が強く印象に残った。声をかける時間もなく、その日はただ目に焼きつけただけだった。

 

 ――数日後の休日。

 

 なんとなく立ち寄った公園で、偶然にも再び彼女の姿を見つけた。

 人の少ないベンチの端で、一人、静かにうつむいていた。その肩が震えているのを見て、泣いているのだとわかった。そう気づいた時、足が勝手に動いていた。

 

 「……どうしたの?」

 

 声をかけると、彼女は驚いたように顔を上げた。涙で濡れた頬。真っ赤な目。

 

 「……あ……」

 

 それだけ呟いて、また俯きながら、ぽつりぽつりと語りはじめた。

 

 「……私、アイドルだったんですけど。やっぱりダメだったんです……。事務所……また倒産しちゃって……」

 

 「また……?」

 

 「前の事務所も、その前も……私が入った所……全部……なくなっちゃって……。もう、どうしていいか……」

 

 言葉の一つひとつに、諦めと自責の念がにじんでいた。

 

 「……みんなを幸せにできる。そんなアイドルになりたかった。でも、もう無理ですよね。私みたいな子が……アイドルなんて……」

 

 彼女の声は消え入りそうだった。けれど、その目だけは、諦めきれない願いを抱えていた。

 

 その目を見て、思わず口に出していた。

 

 「……君は、自分のせいだって思ってるかもしれない。でも、それでも夢を捨てていない。……それって、とても強いことだと俺は思う」

 

 彼女が驚いたようにこちらを見た。自分にそんなふうに言ってくれる人がいるなんて、思ってもいなかったという顔だった。

 

 「……幸せになりたい?」

 

 俺の問いに、彼女は黙ったまま、しばらく目を伏せて――それから、震える声で答えた。

 

 「……なりたい……幸せに、なりたいです……!」

 

 その涙は、救いを求めるだけのものではなかった。心の奥から、自分で願った「希望」だった。

 

 自分は芸能プロダクションのプロデューサーだと告げ、スカウトしたいと微笑む。差し出した手に、少しだけ迷ってから、彼女がそっと自分の手を重ねたとき――春の空に光が差したように感じた。

 

 その時、俺は思った。

 

 ――この子は、きっと彗星みたいな存在なんだ。

 

 長く、暗い宇宙のような人生を彷徨ってきたのだろう。でも、だからこそ、いま放たれる光は強く、真っすぐで、ひときわ美しい。

 

 自分の不幸を呪いながら、それでも諦めずに前を見ようとするその姿は、どんな輝きよりも心を撃った。

 

 それは、他のアイドルとはまた違った光……どんなに儚くても、確かに存在して、誰かの胸に焼き付く――そういう光。

 

 「幸せになろう。……君を、最高のアイドルにしてみせるよ」

 

 ――それが、始まりだった。

 

 ――

 

 そして今現在、目の前にはあの時と同じ――いや、それ以上に強いまなざしを向けてくるほたるがいる。

 彼女の想いは嘘ではない。俺も分かっている。この一年、彼女の笑顔にどれだけ救われてきたか。

 

 でも――

 

 「俺は……」

 

 呟いたその言葉は、彼女に向けたものではなかった。プロデューサーとしての自分と、一人の男としての自分が、胸の中でせめぎ合っていた。

 規律。倫理。彼女の未来。事務所の信用。守るべきものは多すぎて――だけど、そのどれよりも強く、今、彼女を抱きしめたいと思ってしまう自分がいた。

 

 この想いを認めたら、彼女はきっと傷つくこともある。でも、だからこそ、自分が守りたいと思った。

 どう返事をするべきか……わからないまま、口を開いた。

 

 「……俺の事を好きになってくれてありがとう。でも答えは……すぐには出せないよ」

 

 彼女が小さく、でも理解するように頷いた。

 

 「……はい。それでも、ちゃんと……伝えたかったんです」

 

 静かに、でも確かに、彼女の想いが俺に届く。答えを急がせることなく、ただそこに想いを置いた彼女から、今までにないほどの強い光を感じていた。

 

 ――これは始まりだ。そんな予感がした。彼女の“彗星”のような光が、俺の中に強く灯っていた。

 

 ――

 

 夜の静けさが部屋を包んでいた。窓の外では風がカーテンを揺らし、どこか遠くで電車の通過音が鳴っている。

 俺はソファーに深く身を沈め、両肘を膝にのせたまま、掌で顔を覆っていた。

 

 ――今日は、忘れられない日になった。

 

 「プロデューサーさんのことが……好き、です」

 

 事務所の屋上で告げられた、ほたるの想い。言葉を詰まらせながらも、泣き出しそうな瞳で、それでもまっすぐに伝えてきた彼女の声と姿が、何度も脳裏をよぎっていた。

 

 「好き……なんです……私……ずっと……」

 

 あの彼女が、自分の想いを言葉にするために、どれだけの勇気を振り絞ったのか。

 それを考えると胸が締めつけられる。

 

 彼女の涙は、ただの感情の吐露じゃない。

不安、願い、未来を預ける覚悟――すべてが詰まっていた。

 

 「……ダメな男だな、俺」

 

 苦笑する。

 彼女の告白に驚き、戸惑い、答えを出せないまま逃げてきたのは自分のほうだった。

 

 机の上に置かれたファイルをぼんやりと見つめる。

 そこには、これまでの彼女の活動記録が綴られていた。

 

 デビュー当初から撮影中に機材トラブルが続いたり、共演者が急病で降板したりと、信じがたい「不幸」がついて回った。

 でも、彼女はそのたびに自分を責めて、誰よりも傷ついて、それでもステージを降りようとしなかった。

 

 「プロデューサーさん……私、みんなを幸せにしたいんです」

 

 そう言って、涙をこらえて笑った日のことを思い出す。

 彼女の夢はただ一つ、誰かの笑顔の支えになることだった。

 

 でも、その夢を一番近くで支えてきたのは、他でもないこの自分だ。

 

 ――プロデューサーとしての理性と、一人の人間としての想い。

 その狭間でずっと揺れていた。

 

 しかし、今のほたるの姿を見て思った。

 「彼女がアイドルである以上、守らなきゃいけない」と思っていたのは、結局自分の都合だ。

 彼女自身は、もうとっくに自分の意思でここに立っている。

 

 なら、自分もまた誠実であるべきだ。

 彼女の想いにただ応えるんじゃない。

 自分の言葉で、自分の覚悟で、きちんと伝えなければならない。

 

 ふと、スマホを手に取る。

 今の時間なら、もう事務所には誰もいないかもしれない。

 それでも、頑張り屋な彼女はまだ残っているような気がして――。

 

 短く深呼吸して、玄関の靴を履き、夜の街へと飛び出した。

 

 ――

 

 事務所に着いたとき、風は少し冷たくなっていた。

 誰もいないかもしれないと思っていたが、そこにいたのはやはり彼女だった。

 

 「……まだ残って自主トレしてたのか、ほたる」

 

 呼びかけると、ほたるが振り返る。

 驚いたような瞳で口を開く。

 

 「あ、はい……あれっ?プロデューサーさん、帰ったんじゃ……」

 

 「ほたるがまだいる気がして戻ってきたんだ」

 

 そう言いながら、彼女のそばまで歩いた後、静かに気持ちを伝えた。

 

 「今日の返事がしたくて。俺も……ほたるのことが、好きだよ」

 

 それは、まっすぐな気持ちだった。

 プロデューサーとしての立場ではなく、一人の男としての想い。

 

 ほたるが息を呑む。

 目が、まんまるになってこちらを見つめていた。

 

 「この一年、君が頑張ってきた姿をずっと見てきた。いつも自分より周りを優先して、誰よりも傷ついて、でも……誰よりも優しかった」

 

 「プロデューサーさん……」

 

 「君の告白を聞いたとき、迷ったよ。この立場で、君と向き合うことが正しいのかって。だけど、君が本気で俺に想いを伝えてくれたからこそ、俺も逃げたくなくなった」

 

 彼女が、小さく息を飲んだ。

 

 「……それって、本当に……?」

 

 「もちろんだよ」

 

 そっと手を伸ばし、彼女の肩に触れる。

 ほたるの肩がびくりと震えたけれど逃げなかった。

 

 「これからも、君のプロデューサーでありたい。そして、一人の男として……君と向き合いたい。だから俺と付き合ってほしい」

 

 ほたるの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 それは、絶望でも諦めでもなく、希望の涙だった。

 

 「いいんですか……?こんな私が……プロデューサーさんと……ありがとうございます……!」

 

 「こんな君だから好きになったんだ。自分のことを誰よりも低く見て、それでも誰かの笑顔のために頑張れる君を放っておけるわけがない」

 

 ほたるが小さく笑った。

 涙を拭いながら、それでも確かに微笑んだ。

 

 「……私、幸せになってもいいんでしょうか?」

 

 「いいに決まってる。幸せになろう、ほたる。俺と一緒に」

 

 その時、夜空にひとすじの流れ星が走った。春の夜空に現れたその光が、ふたりの想いを祝福するようにきらめいていた。

 

 ――まるで運命が、背中を押してくれたかのように。

 

 ――

 

 電車の窓に映る私の顔がぼんやりと揺れていた。

 もう外はすっかり暗くて、家路を急ぐ人たちの気配と、遠くの車の音が静かに耳に届く。

 

 ――夢みたい、だ。

 

 プロデューサーさんから、ちゃんと言葉で返してもらった。

 

 「俺も……ほたるのことが、好きだよ」

 

 今も、耳に残っている。あの声の温かさも、手のひらに残るぬくもりも。

 

 身体の芯がふわふわしているような、浮いてしまいそうな感覚。

 それなのに、手足の指先だけが妙に熱を持っていて、何度も手をぎゅっと握ってしまう。

 

 (私、本当に……恋人になれたんだ)

 

 何度心の中で言葉を繰り返しても、信じ切れないような気持ちが残る。

 こんなに幸せなことが、自分に起こるなんて。誰かに好かれるなんて。

 それも、ずっと憧れてきたあの人に。

 

 (こんな日が来るなんて、思ってなかった……)

 

 家に着いても、どこか地に足がつかないままだった。

 ドアを開けて靴を脱ぎながら、いつもの部屋の空気が今日はまるで違って感じる。

 

 ただいま、って声に出そうとしてやめた。

 一人暮らしの部屋には返事なんてなくて、それが当たり前だったのに、今夜はちょっとだけ寂しい。

 

 バッグをソファーに置いて、制服のまま腰を下ろす。

 さっきまでの出来事が、本当に現実だったのか確かめたくて、何度も目を閉じては開いて、胸に手をあててみた。

 

 ドキドキしてる。

 

 不安じゃなくて、怖さでもなくて……こんなに嬉しい気持ちで心臓が鳴るなんて知らなかった。

 

 (私……ちゃんと、幸せになっていいのかな)

 

 でも、その喜びの隣にはひとつだけ小さな影がある。

 もしも誰かにバレたら、怒られるかもしれない。

 プロデューサーさんに迷惑がかかったらどうしよう。

 アイドルなのに、恋人がいるって知られたら、ファンのみなさんは――

 

 喉の奥がぎゅっと締まる。

 息が少しだけ浅くなって、肩に力が入った。

 

 (……だめ、こんなこと考えちゃ)

 

 せっかく、あの人が言ってくれたんだ。

 「君だから、好きになった」って。

 それを、疑うみたいなことはしたくない。

 

 深く息を吸って、吐く。何度か繰り返すと少しだけ気持ちが落ち着いてきた。

 

 私は、選んでもらった。

 それなら今度は、私が応えたい。

 あの人の隣にふさわしくなれるように、ちゃんと努力したい。

 

 目を閉じると、あの笑顔が浮かぶ。

 やさしくて、まっすぐで、時々冗談を言って笑わせてくれる。

 あの人の隣で、ずっと笑っていられたら――

 

 (がんばらなきゃ……ううん、がんばりたい。今は、そう思える……)

 

 ――けれど、夜は長かった。

 

 ベッドに入っても、胸の鼓動が収まらなくて、何度も寝返りを打った。

 天井を見上げても、スマホの画面を見ても、考えることはひとつだけ。

 

 ――プロデューサーさんのこと。

 

 あの言葉。あの手のぬくもり。あの眼差し。全部が胸にこびりついていて、思い出すたびに顔が熱くなる。

 

 布団をかぶって丸くなって、目をぎゅっと閉じる。

 夢じゃない。何度確認しても、現実だった。

 

 (明日、会ったとき……私、ちゃんと顔を見られるかな)

 

 恥ずかしい。でも、会いたい。声が聞きたい。

 

 胸の奥が、あたたかくて、少し苦しくて――

 

 まるで、初めて春を迎えたみたいな、そんな夜だった。

 

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