彗星の軌跡   作:ニトロP

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第十三話 願いを歌に

 イベント当日まで、1ヶ月を切ったある日――

 事務所は少しずつ熱を帯び始めていた。

 

 朝から賑やかな音が聞こえる。

 キーボードを叩く音、プリンターの稼働音、それに誰かの笑い声。

 どこか慌ただしいけれど、それは決して悪い空気ではなくて、これからの未来に向けて動いている、そんな雰囲気だった。

 

 プロデューサーさんは、ここ最近はリーダーの杏さんと頻繁に打ち合わせをしている。今日は事務所にいるようだったけれど、朝から別室にこもって何やら真剣に話していた。

 

 「杏ちゃん、最近すっごくやる気ですよね」

 

 そんなふうに笑って言ったのは茄子さんだった。

 私も、思わず小さく頷いてしまう。

 

 本当に杏さんは変わった……というより、もともと持っていたすごい力を、今回のイベントでようやく全開にしているような……そんな感じだった。

 

 遅刻もほとんどしなくなったし、いつもは「めんどくさい~」ってソファに寝転んでいたのに、今は誰よりも先に資料を読んで、プロデューサーさんと真剣に打ち合わせをしている。

 

 「ふふ、本気になった杏ちゃんは頼もしいですね」

 

 茄子さんは嬉しそうに微笑んでいた。

 

 みくさんも――

 

 「ねぇほたるちゃん、これ見てにゃ」

 

 私のそばに来て、一冊のファイルを広げて見せてくれる。イベントの詳細資料だった。

 

 「ガイドのセリフ、こんな感じでいいかな? Pチャンにも見てもらったけど、やっぱりちゃんと伝えられるか不安で……」

 

 「大丈夫だと思います。みくさん、すごく丁寧に準備されてますし……お客様もきっと、楽しんでくれると思います」

 

 「にゃふ……ありがと。ほたるちゃんがそう言ってくれるとちょっと安心するにゃ~」

 

 彼女は少し照れたように笑って、ファイルを閉じた。

 

 真面目で努力家な彼女の姿を見ていると、時々、自分も負けていられないって思った。

 

 茄子さんはというと――

 

 「この前、パークの方と少しお話したんですけど、七夕の日はお天気が良くなるって占ってもらえたんです~」

 

 「え……占い、ですか?」

 

 「はい♪でも、ちょっとは当たるかもしれませんよ?あ、ほたるちゃん、見てくださいこれ」

 

 彼女が手にしていたのは、小さな七夕飾りのデザイン案だった。

 

 「こういうのをガイドエリアに飾るのはどうかなって。パークの雰囲気にも合いそうですし、来てくれた人たちも短冊を飾れたら、もっと楽しめるかと思って」

 

 「すごいです……茄子さん。そんな素敵なアイデア、どうやって思いつくんですか?」

 

 「ふふっ、なんとなくです。あとは、星に願いを……っていうテーマですしね」

 

 優しく笑う彼女の声に、何だか心がぽっとあたたかくなった。

 

 ……そう。みんな頑張ってる。

 それぞれのやり方で、このイベントに向き合っていた。

 

 すると、茄子さんが私の手元のバッグに目をとめて、穏やかな声で言った。

 

 「ほたるちゃん、今日も追加でレッスンですか?」

 

 「はい。ボイスレッスンと……笑顔の練習を。まだまだ私の笑顔はぎこちないって言われてしまって……みなさんの足を引っ張らないようにって、思ってて……」

 

 ここ最近、私はみんなよりもレッスン時間を増やしてもらっていた。

 それは、自分の未熟さがみんなの足を引っ張るかもしれないという不安と――

 それ以上に、みんなの頑張りを無駄にしたくない、という思いからだった。

 

 すると、みくさんが優しい顔で私の隣に腰を下ろしながら言った。

 

 「でもね、ほたるちゃん。頑張りすぎて体壊しちゃったら意味ないにゃ?ライブ前に倒れたりしたら、ほんとに困っちゃうよ〜」

 

 「そうですよ」と、茄子さんもにっこり。

 

 「私たち四人、全員そろって『Stellarium』なんですから。ほたるちゃんが欠けちゃったら、星座にならなくなっちゃいますよ?」

 

 そう言いながら、彼女はバッグの中から一本の小さな瓶を取り出して、私に差し出してくれた。

 

 「はい、どうぞ♪栄養ドリンクです。元気が出ますよ〜」

 

 「えっ……ありがとうございます……!」

 

 思いがけない気遣いに、胸の奥がじんわりとあたたかくなった。

 私が不安な時、ちゃんと誰かが見ていてくれる。

 そして笑って、そっと手を差し伸べてくれる――

 

 私は、心からこの場所が好きだと思った。

 

 すると――茄子さんが、ふいに小首を傾げて笑った。

 

 「あ、それはレッスンの後に飲んでくださいね。スタミナが100回復しますよ〜」

 

 「ひゃ……100……?どういう事なんですか……」

 

 思わず聞き返すと、彼女は相変わらずのんびりとした口調で答えた。

 

 「う〜ん……人それぞれスタミナの限界値が違いますから、一概には言えないですけど……大体、元気になります♪」

 

 「な、なるほど……?」

 

 いまいち理解は追いつかなかったけど、彼女の笑顔があまりにも自信に満ちていたので、それ以上ツッコむのはやめておいた。

 

 「……茄子さんって、たまによくわからない事言うよね」

 

 みくさんが、ぽつりと呟いた。

 

 私は手の中の、謎の栄養ドリンクを見つめた。成分表示は普通だけど……きっと茄子さんの言う通り、元気になる……そんな気がした。

 

 だから私は、深くは考えないことにして、そっとドリンクをバッグにしまった。

 

 ――

 

 その後、レッスンを終えた私は、床に座り込んでしばらく動けずにいた。張りつめていた身体の緊張が一気にゆるんで、まるで足元から力が抜け落ちていくみたいだった。

 

 最近はずっとこんな感じだ。体が重くて、思うように動かない日もある。

 だけど――それでも頑張らなきゃって思えるのは、やっぱりあの人のためで……。

 

 ……プロデューサーさん。私をアイドルにしてくれた人。私に、大切な夢を見せてくれた人。……そして、その彼の大事なお姉さん。きっと、彼女も夜空の向こうでこのイベントを楽しみにしてくれている。

 だから私は、誰よりも一生懸命にならなきゃって思った。

 

 ――でも。

 

 目を閉じると、視界の裏側に浮かぶのは、みんなの顔。みくさん、茄子さん、杏さん。それぞれがこのイベントに向けて動き出していて、頼もしくて……だけど、どこか遠く感じる時もある。

 私は、ちゃんとその中にいられてるのかな……。

 

 ――不安。

 

 そんな言葉が胸に浮かんだけど、今は自分が出来る事を精一杯やるしかない。そう思い直した。

 そして私はふと思い出して、横に置いていたバッグを開けた。そして中から小さな瓶を取り出す。そう、茄子さんがくれた例の……栄養ドリンク。

 

 ぱっと見は、どこにでもあるような栄養ドリンクだけど……茄子さんが言っていた「スタミナが100回復しますよ」って言葉が、どうにも頭に残ってしまって。

 

 「……100って、どういう意味なんだろう……?」

 

 あの時もそう思って聞いたけど、よくわからなかった。

 それでも……なんだか不思議と信じられる気がした。茄子さんがくれた物だし、悪いものじゃないってことくらい、わかってる。

 

 でも……やっぱりちょっと、怖いな。

 

 ……こういう時、私はいつも躊躇ってしまう。

 何かを信じて一歩踏み出すことが、まだちょっと苦手で。失敗したらどうしようとか、期待して裏切られたらどうしようとか……そんな事ばかり考えて、怖くなってしまう。

 

 だけど今日もレッスンで、私は精一杯頑張った。みんなに追いつきたくて、追い越したくて――。

 

 このままじゃ、ダメだ。

 

 私は、ぐっと瓶を握りしめた。まだ開けてもいないのに、どこかあたたかい気がしたのは、茄子さんの気持ちがこもっているからだろうか。

 

 「……飲もう。信じてみよう……」

 

 小さく呟いた。

 

 私は少しだけ勇気を出して、瓶の蓋に手をかけた――。

 

 その時だった。

 

 急に、レッスン室の扉が開いて――。

 

 「ほたる。やっぱりここにいたか。お疲れ様」

 

 聞き慣れた優しい声に、私は思わずビクッと体を震わせてしまった。手にしていた瓶が滑りかけて、慌てて両手で包み込むように支える。

 

 ――落とさなくてよかった……。

 

 ホッと胸を撫で下ろしながら顔を上げると、そこにはプロデューサーさんの姿があった。驚きと同時に、心の奥にふわりとあたたかいものが広がっていくのを感じた。

 

 「あ、プロデューサーさん……お疲れ様です」

 

 そう返す私の声も、少しだけ弾んでいたかもしれない。

 

 すると彼の視線が私の手元にある瓶に注がれた。

 

 「ん?それって……もしかして茄子から貰った?」

 

 私は小さく頷いた。

 

 「はい。ちょっと前に、事務所でいただいて……」

 

 彼は軽く笑って、「やっぱりな」と言った。

 

 「俺も、前に貰った事がある」

 

 その言葉に、私は思わず身を乗り出してしまった。

 

 「そ、そうなんですか?……で、それで……どうでしたか!?」

 

 我ながら、少し食い気味だった。けれどそれだけ、このドリンクの正体が気になっていたのだ。

 

 だって、茄子さんの言葉の“効きそう”な感じと、よくわからない“不思議さ”が、心の中にずっと引っかかっていて――

 

 私は今、どうしても知りたかったのだ。

 

 これは普通の栄養ドリンクなのか。それとも……茄子さんだけの、何か特別なものなのか。

 

 ……だけど、彼は言葉を止めて黙り込んでしまった。

 

 その沈黙が、すごく――いやに長く感じられた。

 

 え……? 

 

 まさか、本当に変なものなの……?そんなはずないってわかってるのに、急に不安が押し寄せてくる。

 

 私は戸惑いを隠せずに、思わず声を上げた。

 

 「え……な、何で黙るんですか?怪しい物じゃ……ないですよね、これ……?」

 

 情けないくらいの声で聞いてしまった。心配しすぎかもしれないけど、でも――

 

 彼はそこでようやく口を開き、肩をすくめるようにして、いたずらっぽく笑った。

 

 「怪しいかどうかって聞かれると……うーん、怪しいな!」

 

 「っ……!」

 

 ふざけてるのか本気なのかわからず、胸がきゅっとなったけど――その顔は、冗談交じりの穏やかな笑顔だった。

 

 「でもまあ、元気にはなるよ。変な副作用とかはなかったし……まあ、あれだ。飲んだらわかるってやつかな」

 

 ……え、それ、全然安心できないんですけど……。

 

 私の中で迷いがぐるぐる渦巻いたけど、でも。

 

 ――茄子さんがくれた物で、プロデューサーさんもちゃんと飲んで、無事だった。

 

 なら、きっと大丈夫。

 

 私はゆっくりとドリンクのふたを開けて、小さく一度だけ深呼吸をする。

 

 「……わかりました。飲みます」

 

 そして意を決して、一口――そして残さず全部飲み干した。

 

 ――すると。

 

 あれ……?普通だ。

 飲んだ瞬間、私はそう思った。

 味も、よくある栄養ドリンクと大差ない。特に変な風味があるわけでもなくて、どこかで飲んだ事があるような……そんな感覚だった。

 

 だからちょっと肩透かしを食らった気持ちになって、小さく首を傾げる。

 やっぱり、ただの栄養ドリンクなんじゃ……そう思いかけたその時だった。

 

 「どう?体の調子」

 

 彼が、少し様子を窺うように言った。

 

 「え?別に、普通――」

 

 そう言いかけた瞬間だった。

 ふと、違和感――いや、違和感とは逆の異常な“快調さ”に気づいた。

 

 さっきまで鉛みたいに重かった身体が、嘘みたいに軽い。

 足も肩も、さっきまでバキバキに張っていたはずなのに……何もない。

 

 「……あれ?うそ……?か、体が……軽い!?」

 

 我ながら驚くほど大きな声が出てしまって、思わず口元を手で覆う。

 でも、それくらい信じられなかった。本当に、疲れが全部どこかに飛んでいってしまったみたいで。

 

 すると彼は、ああ……という感じで、やっぱりなと言わんばかりに笑った。

 

 「不思議だろ?何故か効くんだ……怖いくらいにな」

 

 そう言って少し苦笑しながら私を見るその顔は、どこか半分呆れているようで、半分は誇らしげでもあって。

 

 私はその表情を見て、少しだけ笑ってしまった。

 

 「すごいですけど……何なんですか、これ?」

 

 信じられないほど元気になった体を感じながら、私は手に持った空の小瓶を見つめて、彼に尋ねた。

 

 彼は肩をすくめて、少し苦笑するように言った。

 

 「いや、俺もよくわからない。茄子に聞いた事もあるけどさ、天然なのかはぐらかしてるのか……笑顔でふわっとかわされるんだよな。結局、謎のまま」

 

 「そうですか……」

 

 そう、彼女の“すごさ”は、いつも私たちには理解できないことばかりだった。

 

 「それに、私とは真逆の……あのものすごい幸運も謎ですし……」

 

 つい本音がこぼれてしまって、口に出した後に少しだけ恥ずかしくなる。

 でも彼は、それを否定するでもなく、少し遠くを見るような目で続けた。

 

 「なんかさ、茄子って……時々、人智を超えてるっていうか……そんな感じがするんだよな」

 

 「……わかる気がします」

 

 「うん。だから、なんとなくだけど、茄子の事はあんまり深く考えすぎないようにしてる。いろいろ考えても答えが出ないし。でも……少なくとも、みんなの幸せを思って動いてくれてるのは、間違いないと思ってる」

 

 その言葉には、茄子さんへの信頼が込められていて――私も自然と少し微笑んでいた。

 

 確かに茄子さんは不思議な人だけど、私も彼と同じ気持ちだった。

 

 「ところで……あの、プロデューサーさん。何か私に用事があったのでは……?」

 

 ふと思い出して尋ねると、彼は「あっ、そうだった」と軽く額を叩いてから、真面目な顔で言った。

 

 「今みんな集まってるんだ。ほたるも来てくれるか?」

 

 「はい、もちろんです!」

 

 そうして私たちは並んで廊下を歩き始めると、彼は話題を切り出した。

 

 「ミニライブと、最終日の七夕ライブなんだけど……どっちも、星とか七夕をテーマにした曲じゃないとダメなんだ。まあ、テーマパークとのコラボだから当然なんだけどさ」

 

 「……まぁ、そうですよね。でも……」

 

 言いかけた私の言葉を、彼は先回りして受け取る。

 

 「うん。だけど、今のみんなの持ち歌には、そういうのを題材にした曲は無いんだ」

 

 その言葉を聞いて、私は少し先の展開が見えた気がした。

 

 「……なるほど。つまり何を歌うか――カバー曲を選ばないといけないって事ですね」

 

 「その通り。今みんなで候補を出し合ってる最中だ。だから、ほたるにも意見を聞きたくて」

 

 「わかりました。……私も、何か合いそうな曲がないか考えてみます」

 

 星に願いを――このテーマパークにふさわしい、心に届く一曲を。

 そう思いながら、私は一歩、足取りを速めた。

 

 ――

 

 みんなのいる部屋に戻ると、3人ともソファーや椅子に腰かけて、それぞれスマホとイヤホンで何かを聴いていた。

 その様子から、真剣に曲を探しているのが伝わってくる。

 

 すると茄子さんが私に気づいて、優しく微笑みながら話しかけてきた。

 

 「あ、ほたるちゃん。お疲れ様です♪ドリンク飲んで元気になりましたか〜?」

 

 「は、はい。あの……ありがとうございました」

 

 あの異様に効きすぎるドリンクのことは、まだ体がふわっと軽く感じるくらいだったけれど……。

 何故か、深く追及してはいけないような、そんな気がして、私はそれ以上触れない事にした。

 

 その時、プロデューサーさんが全体を見渡しながら声をかける。

 

 「で、どうだ?何か良い曲はあったか?」

 

 杏さんがソファーにもたれたまま、スマホを軽く持ち上げて見せた。

 

 「ん〜、まあ定番だけど……コレかな」

 

 そう言って画面を指差した彼女の表情は、少し気だるげだけど、どこか自信も感じられるものだった。

 選んだその曲が、私たち“Stellarium”のステージにどんな光をもたらすのか――。

 私と彼は興味と期待が入り混じった気持ちで、杏さんのスマホを覗き込んだ。

 

 「なるほど……“君の知らない物語”か。夏の夜にピッタリだな」

 

 彼が感心したように呟いた。

 

 「でしょ?アニソンだけど、一般にも知名度あるし……ただ、ちょっと悲しい曲なんだよねー」

 

 杏さんがそう言って肩をすくめる。確かにあの曲は、綺麗で切なくて、心に残る旋律と詞を持っている。

 

 「いや、でもいいんじゃないか?」

 

 彼が頷きながら口を開いた。

 

 「確かに失恋をテーマにした曲だけど……お客さんに感動してもらうためには、こういう曲でも――」

 

 そこで、ふと表情が止まった。言葉の続きを呑み込むように目を伏せる。

 

 私も、すぐにその意味がわかった。

 

 ――みくさんのことだ。

 

 失恋したばかりの彼女に、こんな切ない曲を歌わせるなんて……それは、もしかしたら彼女の心の傷を抉ることになるかもしれない。

 

 だけど、意外にもみくさんは――笑っていた。

 

 「うん。良いと思うにゃ。しっとりと歌い上げれば、みんな感動するかも」

 

 そう言って優しく笑った彼女の笑顔は、少しだけ寂しそうで、それでも凛としていて。

 私は、そんな彼女の強さに胸が締めつけられた。

 

 「そ、そっか。じゃあ……この曲は七夕ライブで歌うって事で、いいか?」

 

 彼の問いかけに、私たちは順に頷いた。

 

 「……あー、みくさぁ。本当に大丈夫?」

 

 杏さんが、少し心配そうに眉をひそめて、みくさんを見る。

 

 だけど――

 

 「大丈夫だよ杏ちゃん」

 

 彼女は微笑んでいた。

 

 「みくは、この歌詞の子と違って……ちゃんと伝えられたから」

 

 その言葉には、どこか達観したような穏やかさと、わずかな強がりのような響きがあった。

 そしてすぐに、いつもの調子で彼の方に顔を向けて――

 

 「しっかり心を込めて歌うから、ちゃんと聴いてよね?それでみくのこと、考え直してもいいんだよ〜?」

 

 からかうような口ぶりで、にゃっと笑ってみせた。

 

 彼は、気まずそうに視線を逸らして「ハハ……どうかな……」と曖昧に笑った。

 

 ――なんだか立場が逆転してしまったみたい。

 

 以前は彼の方が、よくみくさんをからかっていたのに。

 今はみくさんが、彼を茶化すような場面の方が増えた気がする。

 

 けれど、そんな明るさの奥にある彼女の気持ちを思うと――

 胸が少し痛くなった。

 

 それからも、私たちはスマホを手に、それぞれの想いを胸に曲を探し続けた。

 もっとお客さんに喜んでもらえるように。もっとこのイベントを特別なものにできるように。

 意見を出し合いながら、笑い合いながら、時には真剣に悩みながら――

 

 その中で、私は改めてみくさんの強さを思い知った。

 心の奥を打ち明けて、傷ついたはずなのに。

 それでも前を向いて、笑顔で曲を選び、みんなのために動いている。

 その姿はとても眩しくて……私も、彼女みたいに強くなりたいと思った。

 

 最高のイベントにするために。

 私も、逃げずに前を向いて……彼の隣に、胸を張って立てるように。

 

 その夜は、事務所の一室で遅くまで音楽と私たちの声が響いていた。

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