あれから数日が経った。
イベントで歌う曲は何曲か決まって、次はそれらを本格的に練習していこう……という段階にきていた。
だけど私はどうしても、もう1曲……歌いたい曲を見つけてしまった。
その曲を初めて聴いた時、胸が熱くなって涙が出そうになった。
――ああ、これだって思った。
お客さんにこの歌を届けたい。
でも、それだけじゃない。プロデューサーさんにも……聴いてもらいたかったから。
彼と並んで歩く夜道で、私は気づいていた。
いつも彼が夜空の星を見上げて、悲しそうな顔をするのを。
その視線は、どこか遠くを見ていて……話しかけていいのか迷ってしまうほどに、深い寂しさが滲んでいた。
その理由を、私だけは知っている。
彼は、やっぱり星を見るたびにお姉さんとの別れを思い出すんだろう。
……でも星は、ただ悲しいだけのものじゃない。
願いを込めるもの、希望を届けるもの……そして、大切な人の想いが生きている場所でもあると、最近の私は思うようになった。
だから私は、この曲を歌いたい。
彼が星を見ても、つらくなくなるように。
過去の悲しみよりも、未来の光を感じられるように。
それが私にできる精一杯の――恩返しだから。
私の歌で、彼の心がほんの少しでも……軽くなってくれたら……いいな。
そう思いながら何度も聴いて、口ずさんで、声に気持ちを込めるたびに、胸の奥がじんわりと熱くなった。
「……うん。やっぱりこの曲も歌えるように提案してみよう」
そっと、呟いた声が部屋の空気に溶けていく。
これは、きっと私のわがままだ。そんな事はわかってる。
みんなで決めた曲があるのに、今さら自分の都合で歌いたい曲を言い出すなんて。
でも……。
彼の心の奥にある静かな寂しさに、ちゃんと寄り添えるのは……きっと、私だけだから。
だから、あの星のような想いに少しでも届くように。
この曲で、彼の心に光を灯すことができたら――。
――
次の日、私たちはいつものように事務所に集まっていた。
昼下がりのやわらかな光が差し込む会議スペース。
そこにはプロデューサーさんとアイドル全員が、テーブルを囲んで真剣な顔つきで座っていた。
「――という感じで、七夕ライブは歌がメインだ。ダンスの振り付けも多少はあるけど……ギャラクシー・シアターの演出に合わせて、歌で魅せるのが大事だな」
プロデューサーさんは手元の資料を確認しながら、そう話していた。
ギャラクシー・シアターは、全天周ドーム型のホールで、夜には本物の星空と連動したプロジェクションマッピングが演出される特別なステージ。
その幻想的な会場で、私たちは歌を届けることになっている。
「じゃあ、決めた曲の順番を考え――」
――その言葉にかぶせるように、私は思わず声を発していた。
「す、すみません……っ。あの、もう1曲……歌いたい曲を見つけたんですけど……いいですか?今さらで、ごめんなさい……」
全員の視線が私に集まる。
心臓の音が、苦しいほど早くなっていた。膝の上で握った手がじんわりと汗ばんで、指先にぎゅっと力を込める。
だけど……このまま何も言わなければ、きっと後悔する。
だから私は、みんなの視線が集まる中で、おそるおそるスマホを取り出した。
「この曲……なんですけど……」
そう言って、私はスマホの画面をみんなの前にそっと向ける。
再生ボタンを押すと、ライブ映像の音が流れ出した。
幻想的な照明、星屑のようなレーザー、そして胸に響くメロディ。
とあるバンドのライブ映像――その一曲に、私は心を奪われた。どうしても、この曲をギャラクシー・シアターで歌いたかった。
「あっ、このアーティストみく知ってるよ」
みくさんがすぐに反応してくれた。表情が明るくて、ほっとする。
「すごくいい曲だね。ライブの演出も凝ってて……世界観、好きにゃ」
「んー……そうだねぇ」
杏さんが背もたれから体を起こして、私のスマホをのぞき込む。
「確かにギャラクシー・シアターでやったら、星空の演出とめっちゃ合いそうじゃん?すごく幻想的になると思うよ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が少しあたたかくなった。
――ちゃんと伝わったんだ。
わがままかもしれない。けど、それでも言って良かった。
「ほたるちゃん」
その時、優しい声がして顔を上げると、茄子さんがふわりと微笑んでいた。
その目はどこまでも澄んでいて……何もかも包み込んでくれるようだった。
「素敵な曲を見つけてくれて、ありがとうございます♪私も歌いたいです。いいですよね、プロデューサー?」
そう言って彼女は小さく首を傾けながら、胸の前で両手を合わせて、子供がお願いするような仕草を見せた。
その仕草も笑顔も自然で、まるで舞台の女神様が願いをかけるような……そんな不思議な雰囲気だった。
「……出たっ!」
杏さんが、わざとらしく大げさに手を挙げながら言った。
「茄子の悩殺スマイル〜。これは断れないでしょ、プロデューサー?」
彼は、思わず苦笑いを浮かべていた。
「はは……そんな甘えたポーズしなくても大丈夫だよ。ちょうど曲数、少し足りないかもと思ってたし」
その言葉を聞いたとき、私は胸の奥で何かがほどけるような気がした。
みんながこの曲に賛同してくれたことが、本当に嬉しかった。
――
それから数日後。
無事に曲も決まり、イベントに向けて私たちは忙しくも楽しい日々を過ごしていた。
歌の練習や振り付け、衣装の打ち合わせ、それから天体の勉強も――やることは山ほどあるけれど、不思議と疲れは感じなかった。
みんなと同じ目標に向かっている。それだけで、元気がわいてくる気がした。
茄子さんが先日提案してくれた「七夕飾り」の案も、正式に採用されていた。
今日はその飾りをどこに設置するか、ガイドエリアのレイアウトを考える打ち合わせが行われていた。
「入口のアーチのところに笹を飾るのはどうでしょう?お客様が最初に願いごとを目にできたら、きっと印象にも残ると思いますよ」
茄子さんが優しく微笑みながら、配置案を口にする。
それにみくさんがすかさず――
「それ、いいにゃ!星のテーマパークってだけでもロマンあるのに、さらに願い事ができるってなったら最高だと思うにゃ〜」
「しかもそれが、うちらのライブに繋がるって思ってくれたら……なんか特別感あるじゃん」
杏さんも、ソファーに寝転びながらもやる気のある声を出していた。
「じゃあ、願いごとを書ける短冊とペンも準備しないとな。濡れても大丈夫な素材で……後は、夜のライトアップに合わせた演出も考えよう」
プロデューサーさんが資料を確認しながら、真剣な顔で話していた。
私はその様子を見ながら、自然と笑みがこぼれていた。
幻想的な夜空の下で、揺れるたくさんの短冊たち――そこに込められた一人一人の想いが、星に届きますように。
私も自分にできる精一杯を込めて、この場所を彩っていきたい。
そんな風に、強く思った。
話が一通りまとまってきた頃、彼がふと何かを思い出したように言った。
「あ、そうだ。ライブの衣装、できてたんだ。サイズが合うか確認してくれ」
そう言って、近くに置いてあった白い箱を手に取り、みんなの前で蓋を開けた。
中に入っていたのは、和風の意匠を取り入れた、夜空の星をモチーフにした浴衣のような衣装だった。
紺色を基調にした柔らかな色合いに、金糸のような刺繍で星がちりばめられていて、一目で心を奪われた。
「今回は激しいダンスもないから大丈夫だとは思うけど、いつものライブ衣装より動きにくいから気をつけて」
彼がそう言い添えた。
「わぁ……素敵です」
思わず息を呑んでしまった。
この衣装を着て、あのギャラクシー・シアターの舞台に立つところを想像しただけで、胸が高鳴った。
「かわいいにゃ〜!でも、こんな和風の衣装でライブなんて初めてだけど……大丈夫かなぁ?」
みくさんも目を輝かせながら、袖をそっと手に取っていた。
「大丈夫ですよ。私はこういう衣装、慣れてますから。みなさんの着付けは任せてください」
茄子さんが、ふんわりとした笑顔でそう言ってくれた。
その表情は、まるでみんなのお姉さんのようで、どこか頼もしかった。
「じゃあ任せたー!よかった〜杏、自分じゃこういうの絶対ムリだもん」
杏さんがホッとしたように手を挙げながら、相変わらずの調子で言ってくる。
なんだか、みんなのやりとりを見ているだけで、笑顔になれた。
この衣装を着て、みんなと並んで舞台に立つ日が待ち遠しい。
そう心から思った。
「じゃあ、みなさん着替えに行きましょう。プロデューサー、ちょっと待っててくださいね♪」
茄子さんがいつものように、にこやかな笑顔でそう言って、私たちを引き連れて部屋を出ていく。
その扉が閉まる瞬間、私は彼の方を一度だけ振り返った。
彼は椅子に腰かけながら、どこか優しい目をして私たちを見送っていた――
――さて、しばらくして。
静かになった部屋の中で、一人残された俺は、椅子に深く座り直した。
みんなが衣装に着替えて戻ってくるまで、どうせ時間がかかるだろう。
その間に少しだけ目を閉じて、深呼吸する。
イベントまでもうすぐだ。
準備は順調だが、気を抜けるタイミングなんて一つもない。
そんなふうに、イベントの事をあれこれと考えていると――扉が開いて、茄子が一人だけで姿を現した。
「お待たせしました。まずは私です。じゃん♪どうですか?」
軽く袖を広げて、くるっと一回転して見せる。
どこか浮かれた様子だったけど、それ以上に似合っていた。
濃紺の布地に星がきらめくような刺繍が施されたその衣装は、彼女の柔らかい雰囲気によく映えていた。
「うん、いいね。やっぱり茄子は和装が似合うな〜」
素直にそう言葉が出た。
というか、もはや着慣れてるレベルだと思う。本人がそう見せてるだけかもしれないが。
「ありがとうございます♪ちなみにサイズは全員ピッタリでした」
そう言って微笑む彼女は、和装美人という言葉がぴったりだった。
「……って、他のみんなは?」
そう聞こうとした瞬間、彼女が手をパッと上げて言った。
「では、エントリーナンバー2番。杏ちゃんです。どうぞ〜♪」
「……あ、そういう流れ?」
苦笑いしかけた俺は、思わず肩をすくめる。
天然なのか、それとも場を盛り上げようとしているのか。よくわからないけど――
まあ、楽しそうならそれでいいか。
なんだかんだ、こうしてアイドルたちが笑ってくれているのを見るのが一番嬉しい。
「う〜、なかなか動きにくいなー」
そう言いながら、杏がのそのそと入ってきた。
歩幅の小さい足取りで、帯を気にしながら歩いてくるその様子は、まるで着付けを嫌がる子どもそのものだった。
「ではプロデューサー。感想をどうぞ♪」
すかさず茄子が、軽やかに話をふってくる。どうやら完全に見せ物扱いだ。
俺は、杏の姿を見て思う。
――やっぱり今だに小学生くらいにしか見えないんだよなあ。
「うん。かわいいぞ〜。なんか七五三みたいで」
からかうように言ってやると、杏はふてくされたように口を尖らせながらも、あまり気にしていない様子だった。
「こういう体型でも需要あるから平気だし」
そう言ってドヤ顔をしてみせるあたり、やっぱりタダモノじゃない。
(つ、強いなメンタル)
心の中でそう呟く。だが実際に杏には根強いファンがついているのも事実だった。
ネットの一部では「現代の妖精」とまで言われていたし、あの天使みたいなビジュアルと毒舌のギャップがたまらないという声もよく聞く。
――本人のやる気さえあれば、もっと上を目指せるのに。
そう思いながら、次に登場するであろう誰かの姿に、自然と期待が高まっていく。
「ではエントリーナンバー3番。みくちゃんどうぞ〜♪」
茄子が手を叩きながら朗らかに呼び込むと、奥の部屋から元気な声が返ってきた。
「は〜い☆」
現れたみくの姿を見た瞬間、思わず俺は目を丸くした。
……なんだその猫耳としっぽは。
和風の衣装に完全にマッチしていないとはいえ、不思議と彼女には似合ってしまっているのがまた悔しい。
「どう?Pチャン。みく、セクシーだったりする?」
そう言ってにゃっと笑いながら、軽く胸元を引いてみせた。衣装は着崩され、艶やかな浴衣アレンジになっている。確かに、破壊力はある。
でも――
「いや、さっそく魔改造すなー!」
反射的にツッコまずにはいられなかった。
「だ、大丈夫だってば。衣装に穴とか開けてないし。ちゃんとリバーシブルで縫い目も目立たないようにしたんだから〜♪」
そう言いながら近づいてきて、得意げな笑みを浮かべ、しっぽを揺らして俺の前でくるっと一回転する。
「ほらほら、ね?いいでしょ?」
「う〜ん……でも、ねこ座はないしなぁ」
ちょっと考えたふりをして言い返すと、彼女はすかさず両手を腰に当ててむっとした顔になった。
「なら、みくがねこ座になるにゃ!」
まっすぐに言い切るその目は、茶化すどころか本気で自分のアイデンティティを貫いているようにも見えた。
――やっぱり、みくってすごいな。
時にふざけて、時に甘えて、でも誰よりも「自分らしさ」に真剣で。こうして目立つのが恥ずかしくないのは、自分の信じたスタイルに誇りを持ってるからだろう。
「しょうがないな……でも今回はファンじゃない一般の人も多そうだけど、大丈夫か?」
そう言いながらも、内心ではもう答えは決まっていた。
あの日。彼女の告白を断って、付き合ってあげられなかった。
だから、できる範囲で彼女の願いを叶えてあげたいという気持ちがあった。
けれど、それだけじゃない。
普段のファンイベントとは違って、今回はテーマパークとのコラボ。子ども連れの家族やカップルなど、いわゆる「アイドルファンではない人」たちも多く訪れる。
猫耳と尻尾のついたアイドル衣装が、果たしてどこまで受け入れられるかという懸念は、やはりあった。
けど、彼女は一歩も引かずに胸を張って答えた。
「平気だよ。むしろ新たなファンをゲットするチャンスだもん!み〜んな、みくの魅力でメロメロにしてみせるにゃ!」
頼もしいとすら思えるほどの宣言に、思わず笑ってしまった。
「幻想的なステージの雰囲気、壊しすぎるなよ?あんまりやりすぎると、お客さんドン引きするぞ」
ちょっとからかうように言うと、彼女は頬をふくらませて言い返してきた。
「そ、そんな事にはならないもんっ!」
猫耳をぴょこぴょこと揺らしながら抗議する姿は、まさに猫のような可愛さで――うん。だからいつも、ちょっかいを出したくなるんだよな……と思った。
そんなやりとりを横で見ていた杏と茄子が、ひそひそと話していた。
「なんかさー、最近ちょっとギクシャクしてたけど、ようやく前の二人に戻ったって感じ?」
杏がそう言うと、茄子も静かに微笑んで頷いた。
「そうですね。みくちゃん……ちょっと吹っ切れたような感じがしますね」
その言葉を聞いて、俺も少しだけ心が軽くなった。
まだ完全に元通り、というわけにはいかないかもしれないけれど――こうしてまた、笑い合える関係に戻れるなら、それだけで十分だと思えた。
「それでは最後、エントリーナンバー4番。ほたるちゃん、どうぞ〜」
茄子がそう言うと。
「ほらほら。お待ちかねだよ、プロデューサー」
杏が、隣で立ったまま気のない声で冷やかしてきた。
「いや、別にそんな……」
軽く否定しつつも、頬がわずかに熱くなるのを自覚した、その時だった。
ほたるが、まるで音を立てないかのようにそっと現れた。
「その……茄子さんやみくさんみたいに、スタイル良くなくて……すみません」
視線を落とし、申し訳なさそうに言った。
――だけど俺は、見惚れて言葉が出なかった。
確かに、茄子やみくのような大胆な色気はない。けれど、その控えめさと柔らかい雰囲気が、和装の落ち着きと見事に溶け合っていた。
夜空のような濃紺の布に、金糸の星が静かに輝くその姿は、舞台照明がなくとも十分に人の目を引きつけるだろう。
他のみんなの時より、キラキラして見えたのは自分の彼女だからなのか――そんな事を考えながら黙っていると、杏が口を開いた。
「ねぇ、見惚れてないで何か言ってあげればー?」
その言葉にはっとして、慌てて声を出す。
「ほ、ほたるも似合ってるよ。うん、綺麗だ」
「……え、そんな……綺麗だなんて。で、でも……嬉しいです」
ほたるは照れながらも、安堵したように微笑んだ。
「もぉ〜Pチャンの反応、みんなと違うじゃん!」
みくが、頬を膨らませながらそう言うと、みんなで笑い合った。
――よくわからないうちに始まったコンテスト?だったが、おかげで次のイベントへのプレッシャーが少し和らいだ気がした。
星空のライブ衣装に身を包んだアイドルたちの姿は圧巻で、彼女たちを見ていると――このイベントは絶対に成功する、そんな確信めいた予感が胸に宿った。
そしてふと、ほたるを見ると目が合った。
彼女は微笑み、強く頷いた。
俺が今まで見てきた彼女の中で、一番力強い目をしていると思った。
――俺のために、本気で姉さんの夢を叶えようとしている。
その想いが、はっきりと伝わってきた。
……ありがとう、ほたる。
君がそんな気持ちで頑張ってくれるなら、俺も負けない。みんなのために、何だってやってやる。
このイベントで――みんなを、もっと上のステージに立たせてみせるから。