「……うん。ほたるになら、話してもいいかもな」
傘の中で、プロデューサーさんはふっと息を吐いた。
その声は、少しだけ笑っているようで、でもどこか遠くを見るような響きがあった。
「俺が星を好きになったのは、姉さんの影響なんだ」
「……お姉さん?」
思わず聞き返してしまった。
今まで、一度も話題に出たことのない人だったから。
「姉さんはとっても優しくて……星や宇宙みたいなロマンが好きでね。子供のころは、よく一緒に夜空を見てた。流星群とか、星座の話とか、いろいろ教えてくれたよ」
彼の横顔は、静かに思い出を辿るようだった。
その姿に、胸がじんとした。
「……でも、さっきの寂しそうな顔は……」
言いかけた瞬間、胸の奥に冷たい予感が走る。
言葉がうまく続かなくて、私は彼の返事を、ただ待った。
「……姉さんは、もういない。星になったんだ」
その一言が、傘の中にぽつんと落ちた。
私は、何も言えなかった。
ただ、彼の静かな声と、横顔を見つめていた。
「病気だったんだ。姉さんは昔から身体が弱くて。でも……最後まで俺や家族のことばかり心配してた。自分のことなんてそっちのけでさ」
静かな声だった。
それでも、その言葉の重さは、胸に深く響いた。
「もうすぐ最後を迎えるっていうのに……“誰かの為に一生懸命になれる、そんなカッコいい男になるんだよ”って……俺を励ましてくれてさ」
彼は、どこか遠くを見るようにして、小さく笑った。
けれどその笑顔は、優しさと痛みがまざり合ったようで――見ていて、胸がきゅっとなった。
「……っ、ごめんなさい……私……辛いことを思い出させて……」
勇気を出して聞いたことだったけど、それがこんな大切で悲しい記憶だったなんて。
私なんかが、踏み込んでよかったのか――そんな思いがあふれて、下を向いてしまう。
「気にするなって。俺こそ、デートでこんな話してすまない。それに姉さんは、他にも言ってたんだ。“私が死んでも星になって見守っている”って」
優しい声だった。
懐かしさと、温もりと、少しの寂しさをまとった声だった。
「だから……星を見ると、姉さんのことを思い出す。会いたくなって、寂しくなる。それで今まで見るのを躊躇ってたんだ」
雨の音が、静かに耳に落ちる。
言葉が、心に沁みて、涙が出そうになる。
でも私は、まだ黙っていた。
彼の想いを、最後までちゃんと受け止めたかったから。
「姉さんは……多分、アイドルになりたかったんだと思う」
ぽつりと、プロデューサーさんが言った。
「こっそり歌の練習してたりさ。アイドルの番組を一人で熱心に見てたり……そういうの、俺……知ってたから」
その光景が、プロデューサーさんの中にきっと、今でも鮮やかに残っているんだろう。
だからこそ――。
「だから俺は、プロデューサーになろうって思った。姉さんみたいに、アイドルになりたいって思ってる子を……精一杯、サポートしたいって」
その言葉を聞いて、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……じゃあ……私をスカウトして……今まで、プロデュースしてくれてたのって……そういう理由だったんですか……?」
どこか納得したような、でも少しだけ寂しさを含んだ声が、自分の口からこぼれていた。
彼は、ふっと笑って首を横に振る。
「いや……もちろん、姉さんのためってのもある。だけど……一番の理由は、やっぱり……」
私を、まっすぐ見つめる瞳。
「ほたるに魅力を感じたからだよ。だから、スカウトしたんだ」
その言葉が、胸の奥にじんわりと広がっていく。
「上手く言えないんだけどさ……あの時のほたるから感じたオーラって、今まで見てきたアイドルのそれとは……ちょっと違ってて」
プロデューサーさんは、少し照れくさそうに頭をかく。
「だからこそ……あの時、アイドルを辞めようとしてたのが勿体ないって思ったんだ。ほたるには、もっと輝ける場所があるって……そう、思ったんだよ」
私は黙って、目を伏せる。
彼は、そんなふうに……私のことを見てくれてたんだ。
……だけど、ふと浮かんだ疑問があった。
「……でも……こんな大切なお話……どうして私に……?」
聞いていいのか迷ったけれど、やっぱり聞きたかった。
プロデューサーさんは、少しだけ間を置いてから答えてくれた。
「それは……さっきのプラネタリウムで、ほたるが手を繋ごうとしてくれたから」
「……えっ」
「昔さ、姉さんも同じように、俺が不安な時に手を繋いでくれたんだ。なんか……その時のことを思い出したというか……」
優しく笑うプロデューサーさんの顔に、どこか懐かしさを感じてるような気がした。
「久しぶりに……姉さんに会えたみたいで……嬉しかったんだ。だからこの話を、ほたるにならしてもいいかなって、そう思えたんだよ」
そう言って彼は小さく息をつく。
「……暗い話をして、ごめんな」
彼が、少しだけ申し訳なさそうに言った。
「いえ……大切なお話を、聞かせてくれて……ありがとうございます」
そう言うと、胸の奥がじんわりとあたたかくなる。
今の彼があるのは、お姉さんの言葉と優しさがあったから。
だからこそ、私は伝えたかった。
「今のプロデューサーさんを見て……きっと、お姉さんは喜んでますよ」
彼は、少し目を細めて空を見上げる。
「……そうだと、いいな」
その言葉のあと、少しだけ間があって。
「よしっ。じゃあ、これからどこに行こうか」
突然、いつもの明るい声に戻って、彼が言った。
あまりに唐突で、一瞬きょとんとしてしまったけれど――きっと、気持ちを切り替えようとしてくれたんだと思う。
「そうですねー……」
私も、これ以上暗くならないように、何か楽しいことを考えようとした。
そのときだった。
――キィィィッ!
後ろから、すごいスピードで走ってきた車が、すぐ横を勢いよく通り過ぎた。
そして、その車のタイヤが跳ね上げた泥が――
「……あっ」
白いブラウスに、茶色い泥が飛び散った。
ほんの数秒の出来事だったけれど、確かに私の服は汚れてしまっていた。
――
雨を避けて、私たちは近くのデパートに入った。
明るい館内に一歩足を踏み入れた瞬間、さっきまでの灰色の世界が嘘みたいに思えた。ガラス越しに見える外の景色は、まだしとしとと雨が降っていたけれど。
「……ちょっと見せて。ああ、泥が結構……」
彼が私の服についた泥を、そっとハンカチで拭ってくれた。
でも、生地が白かったせいか、泥はなかなか落ちてくれなかった。
「ごめんなさい……私、こんな服なんか選んじゃって……」
思わず、ぽつりと声がこぼれた。
「せっかく、今日は頑張って……おしゃれしたつもりだったのに……やっぱり……私って……」
胸が締めつけられるようで、うつむくしかなかった。
やっぱり私は、どんなに気をつけても、誰かの迷惑になってしまう。自分にがっかりしてしまう。
「……ほたるのせいじゃないよ。不運だったけど、怪我がなくて本当によかった」
そう言ってくれた彼の声が、思った以上に優しくて。
顔を上げられなくなるくらい、嬉しくて、申し訳なくて、苦しかった。
「服はクリーニングすれば綺麗になるよ。せっかくデパートに来たんだし……一緒に服を見に行こう。コーディネートなら任せてよ」
「……」
ああ、やっぱり……私は、この人のそういうところが好きなんだって、改めて思った。
「……私、プロデューサーさんの……そういうところが……好きなんです」
胸の奥から、どうしても抑えきれなかった言葉がこぼれた。
「どんな時でも優しくしてくれて……ちゃんと見てくれて……私なんかの言葉にもちゃんと耳を傾けてくれて……でも」
溢れ出してしまった。私の不安な気持ちが。
「……本当に私が彼女で、いいんですか?迷惑ばかりかけるし、今日だって……こんなふうに……」
言葉にしながら、自分が嫌になる。
私は、こんなにも情けない思いを抱えながら、恋をしていたんだ。
「……私、ずっと……怖かったんです。優しくされるのも、誰かに見てもらえるのも、嬉しいのに……どこかで、また迷惑をかけてしまうんじゃないかって……」
彼の顔をまともに見られなかった。
さっき泥をかぶってしまった服を見て、ああ、やっぱり……って、自分でも心のどこかで思ってしまっていた。
「……今日だって、こんなことになって……せっかくのデートだったのに……私と一緒にいると、きっと……疲れちゃいますよね……?」
言いながら、泣きそうになってしまう。
でも、それでも……言わずにはいられなかった。
そんな私の言葉を、彼は優しく受け止めてくれた。
「俺は……ほたるといると、疲れるどころか心が温かくなるよ。君の他人を思いやる優しい気持ちが、ちゃんと伝わってくるんだ。だから……あの時、告白してくれて、本当に嬉しかった」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥につかえていたものがふっと溶けた気がした。
肩の力が抜けて、ようやく、安心というものを思い出したようだった。
「……よかった……です……」
声が震える。でも、それはもう泣きそうだからじゃない。
嬉しくて、あたたかくて、泣きたくなるくらい――そんな感情だった。
「俺はね、ほたるの彼氏になれて……本当に、幸せだよ」
その言葉が、優しく心に染み込んでくる。
私はうなずいた。涙がこぼれないように、ただ静かに、彼の言葉を胸に刻んだ。
「……私も、幸せです」
思わず、ぽつりとこぼれた言葉は、心の奥からあふれ出たものだった。
彼のあたたかな瞳を見つめながら、私はそっと微笑む。
――プロデューサーさんは、私の太陽……
不幸ばかりの私に、光をくれた人。
まるで、暗い夜に差し込む朝日のように、私の心を照らしてくれる。
「じゃあさ、服……見に行こうか」
彼が明るい声で言った。
「……はいっ」
私は頷いた。
並んで歩く足取りは、さっきよりずっと軽く感じた。
――
服売り場に着くと、彼は棚を見ながら私に話しかけてきた。
「どんな系統の服がいい? ほたるが着たいって思うの、なんでも選んでいいから」
私は少しだけ目を伏せて、口元に力を込めた。
「……私、明るい色の服って……着るの、おこがましい気がして……。だから、いつも地味な色ばかり選んでて……」
不幸な私が明るい服なんて着たら似合わない――ずっと、そう思い込んでいた。
けれど、彼はすぐに首を振って笑った。
「そんなの、気にしなくていいんだよ。明るい色の服だって、きっとほたるに似合うと思うよ。だからさ……たまには試してみなよ」
その声は、どこまでも優しくて、まっすぐだった。
私は思わず彼の横顔を見つめ、胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
少しの間、棚の前で迷ったあと、私はある服を手に取って彼の方を見上げた。
「……じゃあ、これは……どうでしょう?」
私が差し出したのは、淡いミントグリーンのブラウス。
春の風みたいに柔らかくて、ほんのりと透け感のある生地に、小さなレースがあしらわれていた。
彼は一瞬目を丸くして、それからふわっと笑った。
「うん、春らしくて、ほたるに似合うと思うよ」
その声に少しだけ胸が高鳴る。
「それに合わせるなら……下は、ベージュか白のスカートがいいかもな。ふわっとしたシルエットのやつ。全体的に軽やかに見えるし、ほたるの雰囲気にも合ってると思う」
私は思わず、手にしたブラウスと並んでディスプレイされていた白いスカートを見つめてから、彼に微笑んだ。
「……すごくいいと思います。流石、プロデューサーさんですね」
そう言うと、彼は少し照れくさそうに頬をかいて、小さく笑った。
「……まぁ、仕事柄これくらいはね」
その姿を見て、私もくすりと笑った。
プロデューサーとしての頼もしさと、彼としての優しさ。そのどちらもが、胸に温かく染みていくようだった。
彼に背中を押されるようにして、私は試着室へと向かった。
手にした春色の服を胸元にそっと抱きながら、カーテンの内側に入る。
鏡の前で、そっとメガネを外した。
帽子も取り、髪を整える。
まるで、自分自身をさらけ出すような気持ちだった。
(似合ってなかったら、どうしよう……)
不安が胸をよぎる。でも、それ以上に、彼の言葉を信じたい気持ちが勝っていた。
意を決して、カーテンをそっと開ける。
「……どう、でしょうか」
彼がこちらを見て、言葉もなくじっと見つめる。
そして、ゆっくりと何度も頷いてくれた。
「うん……やっぱり明るい色の服も、すごく似合ってるよ」
その目はまっすぐに私を見ていて、優しくて、どこまでも温かかった。
「普段アイドルをプロデュースしてる俺が言うんだから間違いないよ。……自信持って」
その言葉が、胸の奥深くまで染み込んできた。
まるで、ずっと心の中で閉じこもっていた私を、やさしく外へ連れ出してくれるようで。
「……ありがとうございます……」
気づけば、私はそっと微笑んでいた。
春色の服に包まれた自分の姿を、ほんの少しだけ好きになれた気がした。
――そして彼は、あの春色の服を私にプレゼントしてくれた。
さすがに申し訳なくて、最初は遠慮したけれど……初デートだし、今日の思い出にほたるにぜひ着て欲しい――そう言ってくれた彼の想いに、私はとうとう首を縦に振った。
あたたかい気持ちに包まれて、その優しさを素直に受け取ることにした。
その後は、デパートの中を二人であちこち巡った。
雑貨を見たり、本を手に取ったり、何気ない会話を交わしながら、ゆっくりと時間が流れていった。
特別な場所じゃなくても、彼と一緒にいるだけで、私はこんなにも心が安らぐのだと初めて知った。
不安も、後ろめたさも、彼の隣にいるとすっと溶けていく。
それが、ただただ嬉しかった。
気づけば、外はもうすっかり暗くなっていた。
いつの間にか、あの雨もすっかり止んでいた。
濡れたアスファルトに街の灯りが映り込み、夜の訪れを優しく告げていた。
「気がついたら、もう遅くなったな」
デパートの出口を出たところで、彼がぽつりと呟いた。
時計を見なくても、街の灯りと空気の冷たさが時間の経過を教えてくれる。
「……あっという間でしたね」
そう返すと、彼は少し申し訳なさそうに微笑んだ。
「思ったようにエスコートできなくて、ごめん」
私は慌てて首を横に振った。
「……いえ。全然、大丈夫です。すごく楽しかったですから」
それに――と、ほんの少しだけ勇気を出して、彼の横顔を見上げる。
「また……会って、デートできますから。……ですよね?」
自分でも情けないくらい声が小さくて、言い終えた後も不安で胸がいっぱいになった。
けれど彼は、すぐに、迷いなく頷いてくれた。
「もちろん。何回でも行こう。どこにだって、ほたると一緒なら」
その言葉が、冷えた夜風よりもずっと優しく、心に染み込んでいった。
駅へと向かう帰り道、私たちは並んで歩きながら、他愛もない話を続けていた。
今日見たお店のこと、今度食べに行ってみたいお店のこと――どれも些細な話なのに、彼と話しているだけで胸が温かくなる。
そんな中、彼がふと立ち止まるようにして言った。
「……ほたるに話したおかげで、姉さんのこと……少しだけ吹っ切れた気がするんだ。ありがとう」
顔を上げると、彼はまっすぐな目で私を見ていた。
その表情が優しくて、切なくて、胸がぎゅっと締めつけられる。
「だからさ……今度は本物の星を、二人で見に行かないか?」
私はすぐに頷いた。
「……はい。私で良ければ」
口にしたその言葉が、風に乗って静かに夜の空へと溶けていく。
その瞬間だった。
なぜか、背筋がぞわりとした。
――誰かに、見られている気がする。
「……どうした?」
彼が私の様子に気づいて、心配そうに声をかけてくれる。
私は少し戸惑いながら、周囲に視線を向けた。
「……今、誰かの視線を感じた気がして」
言いながらも、自分でもおかしいと思う。
だって、あたりは人通りも少なく、周囲には誰もいないのだから。
彼も念のため辺りを見回してくれたけれど、首を横に振って言った。
「……気のせいじゃないか?今のほたるはメガネに帽子……それに、普段着ないような服を着てるし。気づかれることはないと思うよ」
「……そうですよね」
私はそう返して、何とか自分に言い聞かせるように小さく笑った。
――きっと、気のせい。不幸を気にしすぎて、ちょっと神経質になっていただけ。
そう思うようにして、私は彼の隣に並び直した。
今日一日で、彼との距離が近くなったと感じ、充実した幸せな時間だったな……と私は思っていた。
――だけど、この時の私はまだ知らなかった。
あの時感じた視線が、ただの気のせいなんかじゃなかったこと。
そして――この穏やかで幸せな一日が、後に起こる“不幸”のきっかけになってしまったことも。