彗星の軌跡   作:ニトロP

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第六話 影の棲む心

 事務所の中は穏やかで、窓の外からは柔らかな陽射しが差し込んでいた。

 

 けれど私の心は、ずっと落ち着かないままだった。

 

 誰かからの視線を感じるのは、決まって外にいるとき。

 一人で歩いている時や、プロデューサーさんと一緒に帰っている時。

 何気なく通りを歩いていても、背後にぴたりと視線が張りついているような気がする。

 

 あのデートの日。

 初めての幸せな時間の中で、ふいに感じたあの視線。

 あれから何度も、似たような気配を感じることがあった。

 

 振り返っても、そこには誰もいなかった。

 人混みに紛れて、ただ風が吹き抜けるばかり。

 

 最初は気のせいだと思っていた。

 偶然が重なっているだけ、そう自分に言い聞かせてきた。

 でも――

 

 あまりにも何度も続くから、今日も事務所に来る前から不安だった。

 また視線を感じるのではないかと考えるだけで、胸が締めつけられるようだった。

 

 私はノートを閉じて、机に顔を伏せた。

 

 ――また、今日の帰りもそうだったらどうしよう。

 

 大丈夫、大丈夫。

 心の中で何度繰り返しても、頭の隅から不安は消えてくれなかった。

 

 「……プロデューサーさん……」

 

 思わず口に出してしまった名前が、少しだけ心を落ち着けてくれる気がした。

 誰にも言わずに抱え込んでいたこの気持ちを、そろそろ打ち明けてもいいだろうか。

 

 やっぱり私には、あの人しかいない。

 こんな私の話にも、きっと耳を傾けてくれるはず。

 

 ――しばらくして、扉が開く音がした。

 私の名前を呼ぶ優しい声が聞こえて顔を上げると、プロデューサーさんがいつものように穏やかな表情で立っていた。

 

 「あっ……プロデューサーさん……」

 

 自然と立ち上がって、その人のもとへ歩み寄る。

 さっきまでの不安が、少しだけ遠のいていく。

 

 私は意を決して、胸の中に溜め込んでいた不安を口にした。

 ここ最近、外に出ている時に何度も視線を感じること。

 気のせいかもしれないけれど、怖いと思うようになってきたこと。

 

 彼は真剣な表情になって、私の話を最後まで聞いてくれた。

 そして優しく、でもしっかりとした声で言った。

 

 「……それは、もしかしたらストーカーかもしれないな。今はまだ決めつけられないけど、しばらくは外に出る時は俺と一緒にいよう。なるべく一人にならないように」

 

 その言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。

 だけど同時に、また迷惑をかけてしまったと思って、自然と目が伏せられた。

 

 「……ごめんなさい。私の不幸のせいで……」

 

 彼はすぐに首を振った。

 

 「違うよ。ほたるのせいじゃない。それより、何か心当たりはあるか?付きまとってくるような人物に」

 

 心当たり――そう言われて、少し考える。

 たしか……と、思い出す。

 

 「……そういえば、少し前……数ヶ月くらい前の握手会の時に、ちょっと気になる人がいました」

 

 記憶の奥から、あの男の人の顔がぼんやり浮かんでくる。

 

 「私の何が気に入ったのか、わからないんですけど……何度も握手の列に戻ってきて……変なことを言ってきたり、すごく近づいてきたりして。怖くて……でも邪険にできなくて……」

 

 あの時のことを思い出すだけで、体がこわばる。

 好意というより、圧をかけてくるような接し方。怖かった。思い出すだけで、少し手が震える。

 プロデューサーさんは真剣な目をして、続きを促すように言った。

 

 「その人は、今はどうなってるんだ?」

 

 私は記憶を辿りながら、でもきちんと伝えた。

 

 「あの時、スタッフさんが気づいて……それで、すぐに会場から出されて……出禁になったって聞きました」

 

 言い終えた時、また胸が少しざわついた。

 まさか、とは思いたくない。

 でも、心のどこかが、あの日の視線とあの人の目を重ねていた。

 

 「……そんなことがあったなんて、初耳だよ。どうして言ってくれなかったの?」

 

 彼の声は、どこか悲しそうで。責めているわけじゃないのは分かっていても、胸が痛んだ。

 

 「……すみません……。私、こういうこと……わりとしょっちゅうで……。それに、それ以降は見かけなかったから……もう大丈夫だと思ってて……」

 

 小さな声で答えると、彼は深く息をついた後、優しく微笑んでくれた。

 

 「……そっか。でも、今度からは何でも相談して。ひとりで抱え込まないでさ」

 

 そう言って、そっと肩を寄せてくれる。

 そのあたたかさに、胸の奥がじんわりと熱くなった。

 

 「ほたるみたいに大人しくて優しい子は、変なやつに目をつけられやすいんだから……俺は、それが心配なんだ」

 

 真剣なまなざしと、穏やかな声。

 そのすべてが、私の心を守ってくれているようだった。

 

 迷惑ばかりかけてしまう自分が情けなくて、申し訳なくて。

 でも、彼がそばにいてくれることに、安心して……。

 

 気づけば、目の奥がじんわりと熱くなっていた。

 

 彼は、何も言わずに私の肩を引き寄せて、そっと抱きしめてくれた。

 

 その胸の中はあたたかくて、優しくて、震えていた心が少しずつ落ち着いていくのがわかった。

 

 ――もっと、強くなりたい。

 彼に守ってもらってばかりじゃなくて、ちゃんと前を向けるようになりたい。

 そんな気持ちが、心の奥に芽生えていた。

 

 ――

 

 そして仕事を終える時間になった。

 事務所の中が少しずつ静かになり、今日も一日が終わろうとしている。

 

 「お疲れ様にゃー」

 

 「お疲れさまでした♪」

 

 入り口の方から、みくさんと茄子さんの声が聞こえてくる。二人とも軽やかな足取りで帰り支度をしていた。

 

 「杏は?」と彼が聞くと、

 

 「定時ぴったりですぐ帰りましたよ」と茄子さんが少し苦笑まじりに答える。

 

 「……あいつらしいな」

 

 彼はそう言って、楽しそうに笑っていた。

 

 その何気ないやりとりと、みんなの明るい雰囲気が、いつもの事務所を満たしていた。

 ――あぁ、大丈夫。まだ怖さはあるけれど、私は一人じゃない。

 

 自然と、少しだけ気持ちが落ち着いていくのを感じていた。

 

 帰り道、私とプロデューサーさんは並んで歩いていた。

 駅までの道は、春の風が少し肌に心地よくて、昼間の不安も、少しずつ薄れていくようだった。

 

 「今日の撮影、みくのアドリブすごかったな。あれ、台本になかったろ?」

 

 「はい……急に、猫の鳴きまねしながら歌い出して……私、笑いそうになりました」

 

 「俺も後ろで堪えるの必死だったよ。カメラ止めるわけにもいかないしな……」

 

 彼との他愛もない会話は、どうしてこんなに温かいのだろう。

 自然と口元がゆるんで、思わず笑顔になってしまう。

 

 ――でも、ふと。

 

 また、あの感覚が私を包んだ。

 前方から、誰かの視線を感じる。強く、じっと、見つめてくるような気配。

 

 私は思わず足を止めてしまい、身構えた。

 

 ――まさか、また……。

 

 でも、その視線の主は、どんどんこちらへ近づいてくる。

 そして、はっきりと見えてきたその姿に、私は思わず目を見開いた。

 

 「……杏さん?」

 

 彼も少し驚いたように言った。

 

 「帰ったんじゃ……?」

 

 「ああ、うん」

 

 杏さんはポケットに手を突っ込んだまま、気だるげに答える。

 

 「新作のゲーム、今日発売だったんだよねー。それ買いに行ってたの」

 

 「……なるほど。だから定時ダッシュだったのか」

 

 彼が納得したように小さく笑う。私も、ちょっとホッとした。

 

 ――でもその次の杏さんの言葉に、また息をのんだ。

 

 「にしてもさぁ……ラブラブなカップルじゃん。いやー青春って感じ?」

 

 「……えっ」

 

 思わず、私は声を上げてしまった。

 

 「し、知ってたんですか……?」

 

 杏さんはにやりと笑ったまま、私を見つめていた。

 

 「やっぱりそうだったんだ」

 

 杏さんがぼそりとつぶやいて、口の端を緩めた。

 

 「今の言葉で確信したよ。……かまかけてみたら、案の定って感じ」

 

 私は――しまった、と思った。

 軽く投げられた言葉に、反射的に反応してしまったことに気づいて、彼の方を見上げる。

 

 「……すみません……」

 

 バレてしまったことを、私は申し訳なく思って小さく謝った。

 彼も少し焦ったように、杏に話しかける。

 

 「杏……よくわかったな」

 

 「んー、なんとなく?」

 

 杏さんは気だるげに肩をすくめて、淡々と続けた。

 

 「最近の二人、なんか空気違ったし。距離感もそうだし……わかるでしょ、そういうの」

 

 彼が言いかけた。

 

 「この事は……」

 

 それを杏さんは、あくびまじりにさえぎった。

 

 「大丈夫だって……言いふらしたりしないよ。めんどくさいし」

 

 そう言いながら、いたずらっぽく笑った。

 

 「ただ、意外だなーって。プロデューサーの相手がほたるってとこが」

 

 私は胸の奥がひやりとするのを感じながら、それでも杏さんの笑顔に、どこか安心していた。

 茶化すようでいて、でも一線は越えない――そんな彼女らしさが、少しだけ救いだった。

 

 そして彼は少し真剣な表情で、彼女に向き直った。

 

 「でもさ、最近……ほたるのこと、尾行してたんだろ?内緒にしてたのは悪かったけど、ほたるが不安がってたんだ。だから、そういうのは……もうやめてくれないか」

 

 彼の言葉に、私は思わず彼女の顔を見た。

 だが、彼女はきょとんとしたように首を傾げた。

 

 「え?なにそれ?杏、今日たまたま通りがかっただけだよ。尾行とか、そんなの知らないし」

 

 彼女の言葉は、からかいの色もなく、本当に心当たりがないようだった。

 

 じゃあ――あの時も、あの時も、今日以外の全部は……彼女ではなかった?

 

 背筋が冷たくなった。あの視線の正体が、杏さんだと知って少しだけ安心していたのに、それが思い違いだったなんて。まだ、終わっていなかったのだ。

 私たちをじっと見ていた誰かは、今もどこかで――

 

 心臓がどくん、と重く打つ音が耳の奥に響いた。彼の隣にいながら、私はまた、あの日々と同じように不安の中に引き戻されていく気がした。

 

 「なんかあったみたいだね。どういうこと?」

 

 少しだけ真剣な顔になった彼女が、立ち止まって尋ねた。

 

 彼は、今までに起きた出来事――私が最近感じていた不安な出来事を話し出した。

 デートの時から感じる何者かの視線、そして以前の握手会のトラブルでの、その男の存在についても彼女に説明した。

 

 話を聞き終えた彼女は、ふと空を見上げて小さく呟いた。

 

 「ふーん、そんな事があったんだ。初デートの時から……ねぇ」

 

 「杏じゃなかったとすると……やっぱりストーカーの可能性が高いな」と彼がこぼすと、彼女は少し考え込むような顔をした。

 

 「うーん、今の所は何とも言えないよねー。でも、また何かあったら教えてよ。協力くらいはしてあげるからさ……飴玉くれたら、だけどね」

 

 「安いな……」

 

 彼が少し笑って肩をすくめると、私はほっとして頭を下げる。

 

 「ありがとうございます……杏さん」

 

 「いーよいーよ。こう見えてもほたるよりも年上だし、頼ってくれていーからね」

 

 そう言って彼女はドヤ顔を見せると、ポケットからゲーム機を取り出して気ままに手を振りながら歩き出す。

 

 「じゃ、ゲームあるから帰るねー。あんまり遅くなんないようにしなよ」

 

 そう言って彼女は去っていった。

 背中だけが見える距離になっても、どこか頼れる雰囲気が残っていた。

 

 「……でも、やっぱり警察に相談した方がいいんでしょうか」

 

 彼の隣を歩きながら、私は不安な気持ちを隠せずにそう尋ねた。けれど彼は、少し首を振ってから静かに答えた。

 

 「まだその人物の姿も見てないし、実害がないと警察は動いてくれないんだ。今の段階では……難しいかもしれないな」

 

 それはきっと正しい判断だった。けれど、私は気持ちが沈んでしまって、自然と声が小さくなった。

 

 「……そうですよね」

 

 つい肩が落ちてしまう。それに気づいた彼が、そっと私の歩調に合わせながら優しく話しかけてくれた。

 

 「だから、なるべく人通りのある大通りを歩くようにしよう。時間が遅くなりそうな時は、今日みたいに俺がそばにいるから。安心してよ」

 

 その言葉に、少しだけ胸の奥が温かくなった。不安は完全には消えないけれど、彼がいてくれる――それだけで、私はまた前を向ける気がした。

 

 ――

 

 それから、しばらく経った日のことだった。

 

 今日のレッスンも終わって、事務所にいた私は、もうすぐ帰る時間になっているのに、まだ立ち上がれずにいた。

 

 彼に言われた通り、できるだけ一人で外を歩かないようにした。

 遅い時間になりそうな時は、彼が一緒にいてくれたし、人通りの多い道を選ぶようにも心がけていた。

 

 ……なのに。

 

 人混みの中でも。

 彼と一緒にいる時でさえも。

 

 どうしても、誰かの視線を感じてしまう。

 

 周囲を見渡しても、上手く隠れているのか、姿は見えない。でも……確かに誰かに見られているのは間違いなかった。

 

 

 ……誰……?

 

 やっぱりストーカー……?

 それとも……週刊誌の人とか……?

 でも……私は、まだそんな……知名度のあるアイドルじゃないのに……。

 

 頭の中が、ぐるぐるする。

 次々に浮かんでくる不安に、呼吸が少しだけ速くなる。

 

 考えれば考えるほど、怖くなってきて。どうしてこんな事に……って、自分を責めてしまいそうになる。

 

 ――だめ。落ち着かないと。

 

 心の中でそう言い聞かせても、焦りと不安が、じわじわと胸の奥を蝕んでいくのだった。

 

 ――そんな時、プロデューサーさんと杏さんが戻ってきて、私の前に立った。

 

 「やっぱり、まだ……つけられてる感じがするのか?」

 

 彼がそう尋ねて、私は小さくうなずいた。

 

 「はい……なんだか……まだ、ずっと、誰かに……」

 

 言いかけたところで、杏さんがじっと私を見つめた。

 

 「初デートの日から……だったよね?その日の事、詳しく教えてよ」

 

 私は一瞬迷ったけれど、いつもより真剣な目をしている杏さんを前に、ゆっくりとうなずいた。

 

 あの日、予想外に雨が降っていたから、予定を変更してプラネタリウムに行って……不幸で服が汚れてデパートで買い物を……そして帰り際に誰かからの強い視線を感じた事。

 彼のお姉さんのお話だけは、さすがに伏せたけれど、それ以外はできる限り思い出しながら丁寧に伝えた。

 

 「へーそんな感じだったんだ。てかデートでプラネタリウムとか、ロマンチックすぎでしょ。……でもプロデューサーは、ほたるの不幸体質の事も計算して、雨降った時のデートプランもちゃんと考えときなよねー」

 

 杏さんがちょっと笑って、彼を肘でつつくような仕草をした。彼はばつが悪そうに小さく笑った。

 

 「いや、面目ない……」

 

 そんな彼を見て、私は慌てて首を振った。

 

 「いえ……そんな……プロデューサーさんが謝らなくても大丈夫です。私の不幸が悪いので……それに、服もコーディネートしてもらえましたし。私、あの日は幸せでした」

 

 杏さんはふっと笑った。

 

 「ま、ほたるが幸せならいっか。……で、その時に買ってもらった服、あれから着たりしてないの?見た事ないけど」

 

 杏さんのその言葉に、胸がちくりとした。

 あの服を、私が着ない理由……今だに暗い色の服装をしているのには、わけがあった。

 

 「えーと……せっかくのプレゼントなんで……ちょっと、勿体無くて……」

 

 そう言いながら、足元を見つめた。

 だけど、それだけじゃないことも、ちゃんと伝えたかった。

 

 「それに……明るい色の服って、まだちょっと……恥ずかしいというか……」

 

 そう言った途端、彼の声が聞こえた。

 

 「俺は、全然似合ってると思ったけどな……」

 

 視線を上げると、彼が少しだけしゅんとした表情をしていて、胸がぎゅっとなった。

 あの服、気に入ってくれていたんだ。ちゃんと、わかってたのに……私は、慌てて首を振った。

 

 「い、いえ、着たくないわけじゃないんです。ただ……まだ勇気が出ないだけで……」

 

 言いながら、自分でも情けなくなってくる。

 でも……また着たいって気持ちは、本当だった。

 あの服を着たときの、少しだけ自分に自信が持てた気がしたあの感じ――あれを、忘れたくない。

 

 そんな私たちを見て、杏さんがあきれたような顔で言った。

 

 「ねぇプロデューサー……何ちょっと拗ねてんの?てかほたるも、明るい色の服着ても全然変じゃないんだからさー、着ればいいのに」

 

 からかうような声。でもその奥に、ちゃんと優しさがあるのが、わかる。

 ――いつか、堂々とあの服を着て、彼の隣を歩けるように……なれるといいなと思った。

 

 「んー、やっぱその日から着てないのか……」

 

 杏さんがぽつりと呟いた。

 その横顔は、いつもの無気力そうなものじゃなくて、ほんの少しだけ真剣に見えた。

 何か考えているのかな……と、私は小さく首をかしげる。

 服がどうかしたのかと私が尋ねようと口を開きかけた、その時――

 

 「ま、今までの話を聞いててさ。ちゃんと清い付き合いしてるのがわかったから、よかったよかった」

 

 そう言って、杏さんはけらけらと笑った。

 その笑顔は、なんだかからかっているようで、でも少しだけ安心してくれているようにも見えた。

 

 「当たり前だろ。ほたるは高校生なんだからな。ちゃんとプラトニックな関係だって」

 

 隣で彼がそう言って、私は思わず頷いた。

 もちろん、ずっとそういう関係でいたいと思っているってわけじゃないけど……でも、彼がちゃんと私のことを考えてくれてるのは、わかっていた。

 

 「えー?ちゃんと高校卒業するまで、一線超えないでよー」

 

 杏さんがまた、茶化すように言って、私は顔が熱くなるのを感じた。

 でも、私はちゃんと答えなきゃいけないって思って顔を上げた。

 

 「……大丈夫です。それに今は……プロデューサーさんが隣にいてくれるだけで……私、幸せですから」

 

 その言葉は、私の心から出たものだった。

 本当は、もっといろんな不安もある。怖いこともある。だけど――

 彼が近くにいてくれるだけで、それが全部、少しだけ和らいでくれる気がした。

 

 「おぉー、眩しいくらい純粋だねー。ま、ほたるが大人になったら年の差なんて今より気にならなくなるよ」

 

 そう言って、杏さんは私と彼の顔を交互に見ながら、いたずらっぽく微笑む。

 

 「えーと、プロデューサーってほたるの何個上だっけ?たしか茄子と同い年だったよね?」

 

 「そうだな。俺は今23だよ。だから8……いや、もうすぐ7歳差になるか」

 

 彼の言葉に、胸の奥が軽く跳ねた。

 

 「私の誕生日、ちゃんと覚えていてくれてたんですね……嬉しい」

 

 小さな声でそう呟くと、彼は優しく微笑んだ。

 

 「もちろん覚えてるよ。4月19日……もうすぐだな」

 

 彼が、私の誕生日を覚えていてくれた――その事実が、胸の奥でふわりとあたたかく広がった。思わず顔が緩んでしまいそうになるのを、必死で抑える。

 

 「だから、ほたるに不安な気持ちのまま、誕生日を迎えてほしくない。早く何とかしないとな」

 

 まっすぐにそう言ってくれる彼の声が、少しだけ強くて優しくて、心に沁みた。

 

 「なんか彼氏っていうより、ほたるのお兄さんって感じだよね」

 

 杏さんが肩をすくめながら、呆れたように笑う。

 

 「でも、ほたると付き合うにはプロデューサーみたいな誠実な人じゃないとね。うん、お似合いだよ」

 

 私は思わずうつむき、両手を胸元でぎゅっと握りしめる。

 

 「……はい。ありがとう……ございます」

 

 言葉にした途端、顔が熱くなってしまった。

 まだ事件は何も解決していない。それでも――こんなふうに、あたたかい空気に包まれる時間が、少しだけ不安を忘れさせてくれるような気がした。

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