――空が、まだ空でなかった時代。
そこに広がるのは、無限の深淵。
世界は名を持たず、地に名前はなく、天に星はなかった。
ただ、“存在”があった。
その中央に立つは、セレヴィアン・エル・セノーテ。
「……魔法とは、理の再構築に過ぎぬものかもしれんな」
彼はひとりごちる。
先に創り出した術式、それによって招かれた異形の魔物。
因果は複雑に絡み合い、意図なき世界すら応じ始めていた。
その様相に、彼は強く心を動かされていた。
恐怖ではない。歓喜でもない。
ただ――知識欲である。
「我が創るものは、すでに世界へ波紋を投げ始めた。
ならば、この反応をさらに観測せねばなるまい」
手をかざす。
魔素の流れを読み、今度はより精緻な術式を描く。
「《大系構造式・改》――基盤より、築き直そう」
この時、セレヴィアンは魔法体系という構造を初めて確立した。
術式は単発ではなく、連続し、関連し、相互補完される“理の網”となる。
炎は熱を、熱は拡散を、拡散は風を、風は流れを生み――
彼の術は、すでに世界の現象すら模倣し始めていた。
その構築に数世紀を費やす。
この時間に、彼は無数の失敗を重ねた。
だがその都度、彼は立ち止まらなかった。
一歩ずつ、確実に進む。
ある日、空にひび割れが走った。
世界の虚無に、突如として出現した“光の傷痕”。
それは時空の歪みではなく、何かが“外”から入ってくる兆しだった。
セレヴィアンは即座に立ち上がる。
「……この流れ、これは……」
それは、まるで“空”という概念そのものが歪んでいるようだった。
そして、裂け目から姿を現したのは――
巨大な白き獣。
六つの翼を持ち、全身を聖なる光に包まれた、
まるで神話に登場する天馬のような姿。
しかし、それは馬ではない。
その眼差しには知性が宿り、背中の翼は空の概念すら拒むかのような神々しさを持っていた。
セレヴィアンはしばらくその姿を見つめ、そして名付ける。
「……“聖獣グラン=ヴァルド”。
我が言葉が届くならば、応じてみせよ」
聖獣は鳴き声ひとつあげぬまま、ゆっくりと地に降り立った。
まるでセレヴィアンの呼びかけに応じたかのように。
「……知性を持つか。あるいは、共鳴か」
その瞬間だった。
再び――空間が歪む。
今度の歪みは、先ほどの聖なる気配とは正反対。
黒く、毒のように濁った空間の破れ。
そこから現れたのは――
全身を鎧のような黒鱗で包んだ異形の獣。
四肢を持たず、漂うように宙を動く、魔素の塊。
「……影喰らい《シェイド・ドレイク》か」
セレヴィアンは静かに言う。
この存在は、先に彼が無意識に発生させた負の魔素に反応して、
歪んだ空間から自然に発生したものだと理解していた。
“理”が存在すれば、必ず“異端”が生まれる。
これは、彼自身が望まずとも生じる宿命のようなものだった。
「来い」
影喰らいが雄叫びをあげる。
魔素を収束し、空間を裂くような波動を放つ。
だが、その瞬間。
「《連環構築式・雷鎖》」
セレヴィアンの詠唱とともに、
無数の雷鎖が空間に奔り、影喰らいの身体を束ねた。
しかし、影喰らいはそれを引きちぎり、なおも突進する。
その凶暴さに、セレヴィアンの眉がわずかに動く。
「……では、初めて使おう。“連続発動式”。」
彼は指を鳴らした。
「《雷鎖・拡大術式》」
「《重力場・収束》」
「《崩壊圏・集中》」
3つの術式が、同時に空間に展開される。
雷鎖は数を増し、重力場が影喰らいを地に押さえつけ、
最後に“崩壊圏”がその身体を内側から引き裂いた。
影喰らいは断末魔のような叫びをあげ、
濁った魔素へと還元されて消えた。
しばしの静寂のあと――
聖獣グラン=ヴァルドが、静かにセレヴィアンに歩み寄る。
その巨大な頭部を、セレヴィアンの眼前に差し出す。
「……理解の証、か」
セレヴィアンはその額に手を添え、そっと目を閉じた。
その瞬間、互いの思考が微かに交錯した。
名もなき世界において、
初めて言葉を介さず“心”で通じ合った瞬間だった。
「ならば共に在れ。聖なる獣よ。
我が創るこの世界に、お前の存在もまた、必要だ」
グラン=ヴァルドはひとつ、誇らしげに嘶き、
その身体を光へと変えて、セレヴィアンの周囲を飛び回る。
こうして――
セレヴィアンは“聖獣”という新たな可能性を知った。
魔法、精霊、そして獣たち。
彼は知る。世界が、動き始めたということを。