アビドス3章読了後推奨です。
アビドス3章読了後推奨です。
初めまして。クシロという名前で文字書きをしている者です。
普段はpixivにssを投稿していますが、この度ハーメルンで投稿してみることにしました。
よろしくお願いします。
雨音が鳴り響く中でも、自分の腹の音はよく聞こえる。
そんなどうでもいい発見をした夜だった。
「───うわ、もうこんな時間」
ふと机に置かれたデジタル時計に目をやると、時刻は丁度日付を跨いだ頃だった。
最後に物を食べたのは何時間前の事だろうか。
今日(既に昨日だが)の夕食はコンビニの菓子パンふたつ。当番の生徒の前では「低燃費なんだよね」と見栄を張ったものの、成人男性の胃袋を満たすには到底足りやしない。
今日終わらせるべき仕事は残り僅かではあるものの、生憎とこちらのエネルギーが先に尽きてしまったようだ。
腹が減ったのである。
「ちょっと休憩、しようかなぁ....」
重い腰を上げ、固まった筋肉を無理やり引っ張るように伸びをする。いい音が鳴った。
腹だけではなく、全身が休息を求める抗議の声を上げている様だ。
「──大丈夫、後でやるから。後でやるから」
一方で、積まれた書類から発せられる無言の圧力には背を向け、そそくさと執務室を後にする。
そう、これは決して逃避ではない。一時的な戦略的撤退である。
軽く何か食べてから、万全な状態で残りの仕事を終わらせる。うん、我ながら完璧〜な戦略だ。
そんな誰に宛てるでもない言い訳を脳内で展開させながら、ひとまず食堂に向かう事にした。
「確かここに───あ、あったあった」
キッチンに置かれた段ボールを物色すると、出てきたのは見慣れたミッシンの鶏ガラ醤油のパッケージ。
誰もがご存知、たった三分でできる優れもの。多忙な時は随分と世話になったものだ。
そう、随分と世話に───
「────いや、違うな」
見つめること数秒。何を思ったか、手に取ったカップ麺をそのまま段ボールにしまい直す。
一見すると不可解な行動。
しかしこの『短時間で腹を満たし、業務を再開する』という目的に反するアクションは、これまでの己の怠惰に起因する事を理解していた。
思えば何日も、まともな料理を食べていない。
最近の食事はもっぱらコンビニのパン、おにぎり、エナジードリンク。そして.....カップ麺。
『時間』という対価を払うことなく空腹を満たせるこれらの魅惑の果実は、一方で代償を伴う事を思い出した。ただそれだけの事。
要するに飽きたのである。
「どうしようかな....」
自分でも驚く程に、ラーメンの口じゃなかった。芝関ラーメンで舌が肥えたのだろうか。
残念ながら手元にすぐ食べられるような物はなく、それならばと今度は冷蔵庫周辺を物色してみる。
しかし当然ながら、その辺りはいかにも「普段から料理をしない人」といった様子で、単体で食べようのない食材や調味料がいくつか置いてあるばかり。最後に食堂を使ったのが随分前だったのを思い出した。
唯一まともな収穫があったとすれば、冷凍室の奥に眠っていた冷凍枝豆を発掘したくらい。
晩酌でもしろってか。
「いや待てよ、逆にこれだけあったらなにか出来るんじゃないか?」
しかし諦める訳には行かない。既に戦いの火蓋は切って落とされ、腹の虫は警鐘を鳴らしている。
考えろ、考えるんだ。
これまでの人生、そして甲斐甲斐しくも自分に手料理を振舞ってくれた生徒を思い出せ。そこからヒントを得られればこの限られた食材から美味い夜食が作り出せる。
そういえばこの間もご飯作ってもらったな。あれから随分人が作ったご飯を食べていない。嗚呼米が、炊きたての米が恋しい──
──米?
「あ、米あるじゃん」
そうだ、料理はしないが「日持ちする」という理由で米は常備しているんだった。
という事は────
「──よし、これならいける!!」
「うへ〜、何がいけるの、先生?」
「ヘァッ!?」
空腹と深夜テンションって怖いよね。
そんな事にも気付いた夜だったらしい。
「ちょっと心配したんだよ?先生、いつもの所にいなかったからさ〜」
面白いものを見付けた。
そんな表情を浮かべ、来訪者は部屋の入口の前から1歩歩み寄る。一回り以上小さい体躯のてっぺんに生えた、薄桃色のアホ毛が揺れた。
アビドス高等学校三年、小鳥遊ホシノ。
今日(既に昨日かもしれない)のシャーレの当番に来ていた彼女だが、DUを直撃した突然の豪雨によって、アビドスに帰れなくなっていた。
幸いシャーレにはシャワー室や仮眠室をはじめ、生活できる設備が揃っている。そのため、一晩シャーレに泊まる運びとなったのだ。
夜も遅いので先に寝させた筈だったのだが.....
「ごめんごめん、何か用事?」
「んーん、なんか眠れなくてさ」
「それは珍し....くは、ないか。この時間、ホシノは起きてること多いもんね」
日頃気怠げな彼女だが、夜間にアビドス地区のパトロールを行っているのはふたりの秘密だ。
「まぁまぁ、私のことは置いといて〜。それより先生、こんな夜更けに何しようとしてたのさ?」
「ち、違うんだよホシノ。これはその、そうコーヒーでも淹れようと思ってさ」
「それで仕事の続きするってこと?私としては、そっちの方が見過ごせないかな〜」
「うっ、」
痛い所を付かれ、言葉に詰まる。
そんな姿を一瞥した後、彼女は物色されたキッチンに目を向けた。
「先生、料理するんだね」
そう呟いた表情には、混じり気のない微かな驚きが含まれていた。
珍しい形の雲を見たとか、猫を見かけたとか。それくらいの小さな発見をした時の顔。
「まぁ、私も大人だからねぇ」
「大人な先生はコンビニのご飯ばっかり食べてるのに?」
「時間があればするよ。時間があれば」
手料理というのは、殊の外時間がかかる。料理の時間は勿論、食材の買い出しや片付けの時間。
日々の激務を鑑みれば、台所から足が遠ざかるのもむべなるかな。故に、時折手料理を振舞ってくれる生徒への感謝は忘れてはいけないのだ。
「あれ、じゃあ今は時間があるってこと?」
「いい事教えてあげようか。夜食っていうのは、遅い時間であればあるほど美味いんだよ」
「うへ〜...」
なんでそこでちょっと引くんだよ。
「なかなか罪深いことしちゃってるね〜、先生」
「ホシノはしないの?こういう事」
「花の女子高生には難易度が高いよねぇ」
「あー...いや、裁判長、これにはやむを得ない事情があるんです。私は無罪です」
「ふーむ、じゃあおじさんにも分けてくれるなら情状酌量にしてあげましょ〜」
「ねぇその使い分けずるくない?」
そんな小粋な茶番を挟みつつ、米を炊飯釜に準備する。こういう時、無洗米は楽でいい。
「一応改めて聞くけど大丈夫?花の女子高生さん 」
「うへ、今はおじさんだから大丈夫」
そういうもん?うん、そういうもん。
「それに、先生の手料理を食べる機会なんて滅多になさそうじゃない?シロコちゃんに自慢しようかなぁ」
「シャーレに突撃してきそうだね、それ」
「うへへっ、確かに」
ん。私にも先生のご飯を食べさせるべき。
容易に想像できた。
「じゃあホシノは、今日は私と共犯だね」
「うへ〜。先生と大人の階段、登っちゃうね?」
「どこで覚えたのそんな言い方.....」
他校のピンク髪の生徒が脳裏を過ぎった。凄くいい笑顔でこっちを見ている。
いやいや、そういうのおじさんにはまだ早いから。
「それでコックさん。本日のメニューはなに?」
そう楽しげに問いかけるホシノを横目に、炊飯器のスイッチを押した。
「んー、食材有り合わせだから大したものじゃないんだけど」
「ま、こういう時は大人の私に任せなって」
静かな部屋には、軽快な炊飯器の音がよく響く。
「───今更だけど、アビドスの方は大丈夫かな」
「あっちも結構降ってるみたいだし大丈夫じゃない?銃も濡れるし」
「それもそっか」
早炊きのご飯が炊きあがるまでおよそ20分。何とも言えない時間だが、幸いホシノは話し相手になってくれるらしい。
冷凍枝豆を小皿に開けながら、他愛ない話を続ける。話題は自然と、アビドス高等学校の生徒についての話になった。
「みんな元気にしてる?」
「もちろんだよ~。あ、でも時々寂しそうかも。先生が最近来てくれないからじゃな~い?」
「その節は申し訳ない...」
アビドス高等学校、ひいては世界の存亡にまで発展した事件から時は流れ、キヴォトスは日常を取り戻した。つまり「シャーレの先生」の激務も相変わらずで、ここ暫くはアビドスに足を運ぶ余裕が無かったのだ。
「今日もついてこようとするシロコちゃんを宥めるのに苦労したよ~」
テーブルに上体を投げ出しぼやく彼女だが、後輩想いの彼女のことだ。元気のいい後輩を思い出してその頬が緩んでいるのはまさに一目瞭然。
しかし、同時に違和感。
「別に、一緒に来ても良かったんだよ?」
寂しがっている後輩を置いて一人で来るのは珍しい気がして、そう問いかける。
──いやー、可愛い後輩の頼みを断れなくてさー。悪いけど大目に見てよ、先生。
そういう場面を想像したのだが.....
「ん?ごめん先生、今なんて?」
そう言って彼女は首をかしげた。
代わりに応えるかのように、建物を叩く雨音がザァザァと部屋に響く。
「あぁ、雨で聞こえなかったのか。次からもうちょっと声張るね」
「うへー、そうしてくれると助かるよ。おじさんはもう耳が遠くてさ~」
「そうだね。ところでホシノ、耳赤いけど大丈夫?」
「...それを言うのは野暮だと思うなー.....」
あ、突っ伏した。
「一人で私に会いたかったんだ?」
「う、うへ~...」
珍しく「勝てた」のが嬉しくて、思わず追い打ちをかけてしまう。
なんて悪い大人なんだ。
「.....」
暫く様子を見守っていると、やがてむくりと顔を上げた。
誤魔化したいのか、臨戦状態に似たきりっとした表情を浮かべている。しかしその顔はどこか不満げにも見えた。
「悪い、珍しくてつい」
じと目で睨む視線の圧力に思わず白旗。耳から頬にまで広がった色に気付かないふりをしたのは、まさしく「大人」の対応というものだろう。
決してビビった訳ではない。
「──何か手伝おうか?先生」
「あー、いや、まだ大丈夫かな」
「おじさんいじめて楽しかった?」
「ごめんって」
私が悪かったです、もうからかいません。
そんな意味を込めて両手を上げると、彼女はようやく留飲を下げてくれた。
「みんなに言っちゃおうかな~。『おじさん、先生にいじめられた』って」
「誤解されたらどうするの...」
留飲、下がってないかも。
「と、ところでさ!対策委員会は順調?」
枝豆を電子レンジに入れながら、話題の軌道修正を図る。これくらいの量なら解凍にそう時間はかからない。
「うへ、よくぞ聞いてくれたね~。えっと、最近は────」
幸い今度こそ気は済んだようで、彼女も椅子の背もたれに体を預け、リラックスした様子で話してくれた。
砂漠に眠っていた希少金属を再び探しに行ったこと。
相変わらず書類仕事が苦手なこと。
商店街に遊びに行ったら、以前より活気があったこと。
最近特にホットな話題はセリカとアヤネ、一年生二人のアイドル計画だそうだ。
「この前の会議は二人の衣装を考えたんだよ~。でもせっかく覆面水着団らしい衣装をノノミちゃんと考えてきたのに、『露出が多すぎるわよ!』ってセリカちゃんに怒られちゃってさぁ」
「そりゃそうだよ....なんで覆面水着団ベースで考えたの」
「先生はどんな衣装が良いと思う?」
「あ、私に聞いちゃう?セリカとアヤネに関しては一家言あるよ私」
「うへー、流石だね先生」
そんな話をしているうちに、電子レンジが解凍の完了を告げた。
レンジから枝豆を取り出し、軽く手を洗う。そして小皿をもう一つ取り出し、解凍した枝豆を鞘から外して小皿に移していく。
そんな作業をしている手つきを見つめる彼女と再び目が合った。
「──ホシノもやる?」
「やる」
よっこいしょ、と腰を上げたホシノが隣にやってきた。
なんか、本当におじさんのような仕草だった....
「「....」」
ぷち、ぷちとお互い無言で枝豆を剥いていく。
やがてホシノの方から口を開いた。
「なんか、こういう作業って無言になっちゃうよねぇ」
「あーわかる。こういう内職みたいなアルバイトはしないの?」
「額が額だからね。外で稼ぐ方が効率いいんだ~」
「確かに」
皿に手を伸ばすと、互いの腕が僅かに触れる距離。
時折肘を掠める寝巻の布地の感触がなんともくすぐったい。
「それでも借金完済はまだ遠いんだけどね~。おじさん、もう少しのんびりしたいんだけどな」
「いい方向には向かってると思うよ。アビドスの復興、進んでるんでしょ?」
「うへ、そうだね。これもみんなが頑張ってくれたお陰だよ~」
「うん、本当にかわいい、私の自慢の後輩」
そう呟く彼女の視線は窓の外。アビドス砂漠がある方角。
その表情は普段浮かべる表情とは違い、どこか大人びていて。
「───ホシノ」
───思わず、その手を握った。
「うへっ、どうしたの先生、」
驚いて此方を見上げるオッドアイ。その揺れる水面を見つめ返し、落とす言葉がひとつ。
「ホシノが、守ってきたんでしょ」
見下ろせるほどの体躯、一回り以上小さな手。
その小さな背中に背負ってきたものは、どれだけ大きかったのだろう。
「全部、君が捨てなかったからそこに在るんだよ」
それでも全部抱えて前に進む。そう決めた彼女に、どうか気付いてほしいと思った。それだけの事。
「先生」として。或いは新しく生まれた、彼女との関係のため。
「───うへへっ、」
瞬きと、ほんの僅かの静寂。
丸く見開かれた二つの星が、ゆるりと弧を描く。
「ちゃんとわかってるよ──相棒」
繋いだ手が、握り返された。
「大丈夫だよ。もう一人でどこかに行ったりしないからさ」
「...ごめんね。弱い大人で」
「ううん。私もこういうの、まだ照れくさくってさ」
結局のところ、彼女には見抜かれていたようで。
それでも、普段の「大人」の仮面を外したこの一時が心地良いと思った。
「『私』も入れて、皆で対策委員会。そうだよね、先生?」
「ああ。私の相棒が一人除け者なんて許さないぜ」
「うへ~、すぐそうやって恰好つけるんだから」
「でも、ありがとね。せんせい」
その笑顔が見れるなら、仮面を外すのも悪くない。
そう思った矢先、空気の読めない炊飯器の音が部屋に響き渡った。
「お、良い感じ」
炊飯器を開け、立ち昇る湯気の向こうを覗けばそこには艶のある炊き立てご飯。
空腹を否応なく刺激する白米の匂いに思わず唾を飲み込んだ。
「こんなの見せられたらお腹空いちゃうね~。それで、結局何作るの先生?」
手に持ったしゃもじでご飯をさっくり混ぜていたところを、背後から覗き込むようにしてホシノが問いかける。
「うーん...料理の名前がある感じじゃないんだけどね」
「うへっ?」
「あえて言うなら───『こういうのでいいんだよご飯』って所、かなっ」
そう応えて、先程下ごしらえを終えた枝豆を炊飯釜に投入。
豆が均等になるように、再び切るように混ぜ合わせていく。
「あ、混ぜご飯だ」
「そうそれ。でもこれだけじゃ終わらないよ、ホシノ!」
このタイミングで、台所で発見されたイカレたメンバーを取り出す。
かつお節、揚げ玉、粉チーズ、そしてめんつゆ。
一つ一つではご飯のおかずになり得ないこれらの食材。しかし、そのポテンシャルを引き出すための工夫さえあれば問題ない。
「うへ、盛り沢山だね」
「こういうのはあるだけ入れるのが美味しいんだよ」
分量なんて量らない。思うがままに具材を炊飯釜にぶち込んでいく。
あと軽く混ぜ合わせるだけであら不思議。あっという間に混ぜご飯の完成である。
「いい匂い。先生、これで完成?」
「折角だし、食べやすいようにおにぎりにしようか」
さて、ラップはどこにあったかな。
戸棚を再度物色しようと思った時、横から伸びた手が代わりに手渡してくれた。
「わたしもやっていーい?」
「じゃあ私ホシノのおにぎり食べたいなぁ」
「うへ~、じゃあ先生のと交換ね」
掌の上にラップを軽く広げ、その上におにぎり一個分のご飯をのせる。そこからラップでご飯を包み込んで、成形。
手水を付けて素手で握る方法もあるが、この方が手が汚れなくていい。朧げなネット知識だったが存外役に立つものだ。
「先生上手くない?」
「この前フウ、えっと、ゲヘナの料理が得意な子に教えてもらったんだよね。使う機会あると思って」
「なんで急に....あ~、成程ねぇ」
「わかった?」
「生徒の誰かの為なんでしょ~?」
「正解」
そんな会話をしながら手を動かしていると、共同作業の甲斐あって窯のご飯はすぐに消えた。
「よし、これで」
「完成だね」
多少武骨ながらも三角に握られたものと、小ぶりな丸形が二つずつ。
形の違うおにぎりが隣り合う様子に思わず頬が緩んだ。
「ホシノのおにぎり可愛いね」
「うへっ、そ、そうかな。今度三角にするやつ教えてよ」
「もちろん。あ、写真撮っとこ」
シッテムの箱を取り出し、今夜の思い出を記録しておくのも忘れない。今度アロナに強請られそうだなぁと思いながらシャッターを押す。
ついでにホシノも画角に入れようとしたが、バレて止められてしまった。
「お、おじさんはいいからさ。それより冷めちゃう前に食べようよ~」
*
「はい、どうぞ先生」
「ありがとう」
給湯器で淹れてきたお茶を手渡すと、先生はふにゃ、と気の抜けた笑みを浮かべて受け取った。
自分の分はそのままテーブルに置いて、向かい合うように椅子に腰を下ろす。隣の席も空いてはいるが、並んで食べては話し辛いだろう。
断じて隣に座るのが恥ずかしいとかではない。
「「いただきます」」
そして、夜食を前に手を合わせる。
どちらともなく言葉が重なった。
先生が握った三角のおにぎりを手に取り、かぶりつく。
「!?」
あ、美味しい。
一口頬張った瞬間最初に浮かんだのはそんな純粋な感想だった。
しかし、同時に疑問を覚える。
「(──でもなんだろう、これは)」
最初に抱いた印象に間違いはない。一方で、似たような料理を口にしたことが無いもので、「なぜ」美味に感じたのかが分からなかった。
その真相を探るべく、二口目は先程より慎重に咀嚼してみる。
最初に口の中に広がるのは、かつお節とめんつゆに起因する出汁の香り。古来より「おかか」としておにぎりとの相性に定評のある風味が否応なく食欲を刺激する。
次に食感。通常のおにぎりには存在しない、枝豆と揚げ玉が絶妙なアクセントとなっている。驚くべきことに、めんつゆを加えていたにも関わらず米の状態が良い。恐らく、最初から米は硬めに炊かれていたのだろう。
最後に味だ。炊きたてのご飯の甘さと出汁や枝豆のうま味が混ざり合い、それをチーズやめんつゆの塩味が引き締めている。
一見適当に投入していた食材が持つそれぞれの長所が混然一体となり、このおにぎりの一つの「味」を成している。そう分析し、お茶を一口啜った。
間違いない、このおにぎりは───
「───うん。相変わらず、よくわからないけどうまいねこれ」
どうやら、先生も同じ結論に辿り着いたみたいだ。
手元に目をやると、既に一つ目のおにぎりが無くなろうとしていた。丸形の方。大口でかぶりついた跡がある。
「先生やるね~。おじさんびっくりしちゃったよ」
「やっぱり美味いやついっぱい入れたら美味くなるんだよなぁ」
そんな軽口を言いつつ、再度おにぎりに口をつける。うん、やっぱり何故だかやみつきになる味だ。
「でも今までより美味いかも。きっとホシノが握ってくれたからだね」
「うへっ?せ、先生のやつも美味しいよ~。人が握ってくれたおにぎりって無性に美味しいよねぇ」
「わかる」
こんな時でも、先生の軽口は相変わらず心臓に悪い。当然のように放たれた言葉に対して、うまく応えられているだろうか。
表情から狼狽が悟られないように、やや俯きがちに咀嚼する。そして嚥下したところで、先程の言葉に対して疑問を覚えた。
「あれ、『相変わらず』『今までより』って?」
感じた違和感は言葉だけではない。その仕草もだ。
初めて作った食事であれば、最初の一口目は多少慎重になるはず。先生にはそれが無かった。
空腹だっただけかもしれないけど....
「あー...いや、別に大したことじゃないよ」
二つ目のおにぎりのラップを剥がしながら、先生はそう言った。
「──まぁ、私にも一人で日々のご飯に苦心する時代があったってところかな」
そう応える先生の目は、何か過去を懐かしむように見えた。
そっか、と呟いて手元のおにぎりを見つめる。
多分これは、先生が記憶の中から引っ張り出してきた料理だったのだろう。学生時代の話だろうか。彼が、向き合っている生徒達とそう変わらない歳の頃の話かもしれない。
「じゃあ、これは先生の思い出の味ってことだね」
「そういう事になるね」
期せずして訪れた機会に心臓が跳ねるのを自覚する。
先生は、普段自分の話はあんまりしない。専ら生徒の話を聞くばかりで、多分先生自身もそういう在り方が気に入っているんだと思う。
そんな先生が「それ」を共有してくれた。その事実が妙にくすぐったい。
「じゃあさ、もっと聞かせてよ。先生のこと」
───だから、その心にもう少し触れてみたくなった。
空腹とか、深夜テンションとか、普段と違うシチュエーションのせいかもしれないけど。
せっかくのチャンスをみすみす見逃せるほど、今の私は無欲じゃない。
「あんまり、面白くは無いと思うけどなぁ....」
「今日くらいいいじゃん~。シロコちゃん達には秘密にしてあげるからさ」
美味しいご飯を食べながら、二人きりで語らう。そんな夜があってもたまにはいいじゃないか。
そんな思いが通じたのか、先生は少しぬるくなったお茶で口を湿らせてから私の目を捉えた。
夜の帳の色の瞳に、オッドアイが反射する。今の彼の眼には一人しか映っていない。
ああ、なんか嬉しいな。
「───それじゃ、私の話でもしようか」
今だけは、もう少し夜が長くなったって構わない。
そんなことを思った。