「最近緋の目をなりふり構わず収集しているという、ノストラード組の若頭殿で間違いありませんかな?」
「……その通りですが」
クラピカは眼前の男を見返した。男は気にした風もない。
「実はノストラード組にお願いしたいことがあって参ったのですよ。聞いていただければこれを無償でお譲りいたす」
「……」
クラピカは静かに息を吸った。
男が鞄から無造作に取り出したのは、紛れもなく同胞の緋の目だ。
「わたくしが持つ唯一の『クルタ族の』緋の目なのですが」
「条件とは?」
クラピカは迷わなかった。壮年の男は微笑んだ。
「わたくしの手元には、これ以外に五対の緋の目があります。意味がわかりますかな?」
クラピカは目を——その眼を、今はごく普通の焦げ茶をした眼を、見開いた。
「……なに?」
現在、クラピカが回収出来ていない同胞の眼は十対強。すべてとある王子が所有するものだ。
この世に存在する緋の目の総数は決まっている——五対もの例外があるはずはない。
「お分かりのようですな。訳を知りたければ後日、ここへ」
渡されたメモに書かれた日時の予定を、クラピカは死に物狂いで空けた。主導権を握られていることなどどうでもよかった。
調べてわかったことは、例の男が緋の目を定期的に売却していることだけ。それも、相場より安い値段で。
「ようこそ我がカンパニーへ」
「……前置きはいい」
「おや、そうですか。ではこちらへ」
男と連れ立って、厳重に警備の敷かれたビルの中を歩く。
「まずこちらが在庫ですな」
何気なく男が開けた扉の中、5対の紅い眼球が一斉にクラピカを見つめた。
クラピカは息を吸う。吸って、吐く。大丈夫。冷静だ。
「で、こちらがお渡しする予定のクルタ族の緋の目です。どうぞ、近寄ってよく見比べてごらんなさい。気付かれることはありませんかな?」
……気付くこと、など。
そう思いつつ、嫌悪感を捻じ伏せてクラピカはおぞましい物品を観察する。あるはずのないものがここにある。ならば何かおかしい点があるはずだ。それは論理的に当然の帰結だった。
――ちり、と。
目眩のような、些細だが見過ごせない違和感が、脳裡を灼いた。
何かがおかしい。それはわかる。何がおかしい?全て同じものなのに――
――『
クラピカは譲渡予定の緋の目と『在庫』を凝視する。忙しなく目線が往復する。
同じ。
色合いはおろか、虹彩の形、瞳孔の開き方、血管の走行ひとつに至るまで。
「……コピーか」
是、と男は言った。
「わたくしが入手したクルタ族の緋の目の、その完全なコピーです。だからこそ、『クルタ族の』緋の目でないことは買い手には説明いたしますし、値段も本物よりお手頃となっております。人の眼球には違いないのですがな」
「どういうことだ」
「それはこちらへ。――クルタ族である貴殿に、ぜひ会って欲しい人々がおります」
出自を知られているのはそれほど驚くことではない。ネオンの能力が失われるまで、大衆に露出するのも構わず民族衣装を着続けたのは他ならぬクラピカであるし、緋の目を集めていることも隠してはいない。
男は地下へとクラピカをいざなった。大切なものを地下に隠したくなるのは人間の性であるらしい。狭い通路に足音が殷々と反響し、等間隔に光る蛍光灯が不穏な影をつくる。
金庫のような扉——頑強だが、ある程度の練度に達した念能力者ならたやすく破れる程度の代物——をいくつも抜けて、やがて男が立ち止まった。
「この先です。――どうぞ、ごゆっくり」
重厚な扉が緩慢に開く――その密室の中で、少女がひとり、紅い眼を上げた。
「――」
クラピカは硬直する。
その真紅――世界に謳う、麗しの。
緋の目の紅。
背後で扉が閉まる音を、遠い脳の隅で聞いた。
知らない顔の少女が、ぱちり、とよく知った色の瞳を瞬いた。
「……?」
少女が何かを言った。
クラピカは眉をひそめて、
……雷のような衝撃に、小さく喘いだ。
震える息を吸って、たどたどしく言葉を紡ぐ。
――もう一度言ってください、と。
もう二度と話されることのないはずだった、血の海に消えた故郷の言葉を、唇から零した。
「クルタ族の方ですか?」
正確には、少女が発したのはクルタ族の言葉ではなかった。よく似た、しかし別の言葉だった。
……胸を裂くような、苦しいほどの郷愁。もう捨て去ったと思っていた。
「……そうだ」
「そうですか。では、きちんと挨拶をしましょう」
少女の言葉は酷く訛って聞こえたが、意味は通じた。
「我ら金波の民より、紅の隣人へ反物をお贈りします。この娘はシイ家のハイナと申します」
少女は胸の前で手を組んで一礼する。部族特有の、仰々しく飾った堅苦しい言い回しだった。
クラピカは乾いた唇を舐めた。子供のころに時々聞いた、昔ながらの挨拶の文言が、泡のように浮かび上がった。
「……我ら赤目の民より、金の客人に、宝玉をお返しします。……私は、クラピカと申します」
「懐かしい響きです。どうぞ、お座りになって」
金波の少女が示した椅子に、クラピカは半ば吸い込まれるように腰掛けた。
「誰が盗み聞きしているかわからないものですから、この言葉で。意味はわかりますね?」
頷いた。それしかできなかった。意識の大半はずっと呆然としたままで、まるで催眠にでもかかったかのようだった。
「まあ、何から話すものか、わからないのですけど……ひとまず、この娘のここに嵌っているのは緋の目です、と言います」
その言葉は故郷の言葉ではない。同じルクソ地方で細々と交流のあった、別の少数民族の言葉だ。クラピカからすれば訛りがひどく、違和感が強い。
それでも。――それでも。
その響きを、振り払うことができない。
「金波の民がここにいるのは自衛の結果です。紅の隣人が滅んだのを知った金波の民は、次は自分たちだろうと思いました。金波の民の市場価値は知っていますか?」
「……頭部」
「はい」
少女は特徴的な玉虫色の長髪を揺らして頷いた。
金波の民――共通語で、シッカ族。頭髪に見える部分は、シッカ族の頭皮でしか育たない世界五大奇虫のひとつ、スベラムシの触角である。
その生態と、宿主から引き剥がすと死んでしまう特徴から寄生虫マニアに、また見た目のよさと奇妙さから人体収集家に求められる。
「当然、頭を取られたら死んでしまいますので。誰かに庇護を求めようという話になりました。金波の民は、同胞を守りたかったのです」
その気持ちは、クラピカにも痛いほどわかる。
「それには付加価値が必要でした。金波の民の頭部でもなく、守り神たるアササキレでもなく、売りに出せるものが」
知らない単語があった。スベラムシのことだろうと、クラピカは痺れた頭で考察する。
「それが、これです」
少女は目の下を指で叩いた。
「金波の民は、紅の民の魂を、この身で増やすことに成功しました。ねんのうりょく、です」
わかり辛い言い回しだが、出回っている緋の目の出処を理解した。このハイナという少女が、念能力を使ってコピーしている——
「そういうことになっています。嘘です」
「……え?」
「嘘です。ねんのうりょく、が使えるのはこの娘だけなので、ここにはこの娘しかいませんが、これは本来、全ての金波の民ができることです。元となる紅の民の魂さえあれば」
確かに少女の精孔は開いている。だが、それが関係ない?
「この言葉で話している理由がそれです。動かないでくださいませね——ここなら見えないでしょうか」
少女は立ち上がって、監視カメラを避けるようにクラピカの隣に移動した。
「前回の納品を考えるとちょっと早いですけれど、まあいいでしょう。ぎょう、を怠ってはいけませんよ」
「――ま、」
制止よりも、少女が自身の指を眼球に突き立てる方が早かった。
「く……」
少女が呻く。苦鳴を漏らしながら、血濡れた玉を眼窩から引きずり出す。
それを、おのれの指で、呻き声程度で済ませる狂気に、磔にされたように動けない。
「……と、このように、隣人の魂は……納品、されるのですが」
血の涙を流しながら少女は息を切らす。その手には視神経をぶら下げた眼球が握られている。
「再生、するのですよ」
ぞぶり、と。
窪んだ瞼が見る間に盛り上がる。鮮血を押し出すようにして盛り上がり、球となり、瞼が上がる。わずか二十秒ほどで、少女はぱちぱちと元通りの紅眼を瞬いた。
焦点を失ったままの紅い瞳がクラピカの胸のあたりを彷徨う。
「まあ……見えるようになるまでは、もう少しかかりますが。ねん、を使っていないのが、わかりましたか」
「……ああ……」
信じ難いことに、確かにそれはオーラの操作ではなかった。
「これが、アササキレが金波の民にもたらす加護です」
三かける十年です、と少女は言った。
「その間……アササキレが体から羽ばたくその日まで、金波の民の肉体は完全に保たれます。病も怪我も、アササキレは決して許しません」
「……なるほど」
寄生虫による再生能力。それは頭部のホルマリン漬けなどよりもよほど価値があり、そして隠しておくべきことだ。地下深く、幾重もの扉のうちに監禁されなければならないほどに。
しかし、その防備が幻影旅団にはなんの意味もないことを、彼らは知っている。
「だからこれは、金波の民のチカラではないのです。金波の民にできるのは、身体に異物を住まわせること。故に守り神は金波の民の体内でしか育ちませんし、この娘は隣人の魂を増やすことができました」
少女は緋色の眼を伏せた。
「……改めて、許しを請います、クラピカ。紅の民を弄ぶような真似をしたことを」
でも、と続いた声は強かった。
「でも、金波の民は力尽きることができないのです。隣人の命以上に、守り神を存続させつづけていくことが、金波の民の使命だからです。今まで受けてきた恩恵に報いるために——そのために、この娘は、自分の眼を抉って緋の目を根付かせ、月に一度、あの男に納めています」
すべては部族のために。眼を抉り、自由を奪われ、地下深くに閉じ込められても。幾月も幾月も、自身の眼を抉り出す苦行に苛まれようとも。
狂気などではない。眩しいほどの、クラピカがもう二度と持てない、それは献身だった。
「長の末子、シイ家のハイナより、蜘蛛を退けたクラピカ様に伏してお願い申し上げます。どうか、どうか我が一族をその翼下にお囲いください」
この最後の台詞だけが――監視先に伝えるためだろうか、共通語だった。
クラピカは深く息を吸った。
……胸が痛い。あるはずのないものが、じくじくと痛い。
もう得られないもの。奪われてしまったもの。
怒るのは筋違いだ。これはただの嫉妬で、何の合理性もありはしない。ここに来たのは取引のためだ。同胞の眼を取り戻す。そのためならなんだってする。
「いいだろう……確約する」
ため息と共に、押しだすように故郷の言葉で呟いた。
「……もう、その言葉で話しかけないでくれ」