綺麗になれない私だから   作:にられば

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(2)沈黙の庭園

 深い海の底を、ハナコはただひたすらに歩いていた。海底の砂地は足を絡めとり、奇妙な異形の深海魚たちが悠々と泳いでいる。そんな世界にハナコは一人闇を歩いていた。

 

 その砂地の上に、ぼろぼろになった残骸があった。(BOAT)の残骸だ。

 ぼろぼろになって、燃やされて、そして積み荷は魚に食いつくされたそのガラクタが、底にいくつも転がっていた。

 

 そうして暗い海の底で、ガラクタの間をひたすらに歩いていた。何千、何万という時間をかけて積み重なったそのガラクタを、今はハナコ以外に知る者はいない。

 

 それ故に、その足裏をかさかさとおぞましいほどの蟲がいたことも、誰も知ることのないリアルだった。

 

「……ぅッ!!!!」

 

 その底を、小さな”(ムシ)”がかさかさと蠢いていた。

 いつの間にかそれは砂の全てと置き換わり、黒くグロテスクな生物的な蟲で埋まっていた。

 

「うッ!」

 

 生理的な嫌悪が込みあがる。生物としてありえないような形状をしたその奇妙な(ムシ)たちは何も気にすることなく蠢き続ける

 

「うっ、ごぶぇ、ヴぉぅぇ!!!、げほッ!」

 

 水の中で、それらはなぜか浮かぶことなく、でもこみ上げてくる吐き気と気持ち悪さにハナコは急に意識もしなかった窒息感を感じた。

 でも海底のはずのその場所からハナコは浮かび上がることもなく、そして藻掻く腕と足は水とは思えぬほどの抵抗感でその動きを封じられた。

 

 まるで息苦しい夢だった。深い海の底で、でも地続きとも思える何かに会えたことなんてなかった。陸地は見えず、光は届かないそこはとても暗く、そして寒い。

 それはまるで、お前は二度とそこへたどり着けないと言っているようだった。

 

 そうだろう?

 

 だって、海の底では、貴方(わたし)には出会えないのだから。

 

 

 


 

 

 

 

「うん、寝てる?」

「大丈夫そう?」

「多分……うなされてるけど」

「睡眠導入剤、これって」

「いい、ミネ団長の許可はあるし、処方箋もでてたものだから」

 

 

 

 

「浦和さん」

 

 

 

 

 

 

「浦和さん、起きてください」

 

 そう呼ばれてハナコは目を覚ました。

 聞きなれないその声に、ハナコは違和感を覚えて体を起こす。いつもと堅さの違うベッドと枕に、何処か体の節々が痛む。

 ぼんやりとして頭痛のする頭を持ち上げて部屋を見渡す。

 

「浦和さん?」

 

 係の委員が不思議そうにこちらを眺めていた。

 目を覚ましたその先には鉄格子。そして見慣れない壁や内装を見て昨晩の出来事を思い出した。

『申し訳ないっすけど、今日はあなたの事を寮には返せないんで。留置場も我慢してくださいよ』

 あの後、イチカはそう告げてハナコをここへと連れてきたのをぼんやりと思い出した。

 どうやら余りにも異常行動(露出徘徊)が目立つとのことで、一時的にこうして収容されることになったらしい。既に夜も遅いし逃走されても困るから、などと言われながらベッドに入った記憶をうっすらと思い出した。

 

「……そういえば、そうでしたね」

 

 普段と違うベッドのせいか、或いはこのぼんやりする頭のせいなのか体が重いような気もする。収容された部屋には時計の類は無いが、鉄格子の小さな窓からさす光は見て、珍しくそれなりの時間眠っていたのだろうかと思った。

 

「あの」声が聞こえた。その時、係の生徒が何か荷物を持っているのにようやく気が付いた。

 

「着替えを持ってきましたので、着替えてくれますか?」

「……えぇ、わかりました」

「貴女を待っている方が居ますのでお早めに。着替え終わりましたらまた来ます」

「…………待つ?」

 

 今のハナコはどう見ても犯罪者である。この後は取り調べと、場合によっては聴聞会だろうと考えていたが、どうやら違うらしい。

 そんなことを考えながらも、言われた通り、いつもより少し時間をかけて受け取った標準制服を身に纏う。そして担当の係員と共にハナコは留置場を出た。手錠や腰縄がないあたり、どうも取り調べや聴聞会といった面倒事は受けなくてもいいらしい。ハナコは別に受けても受けなくてもどっちでもいいのだが、少し不可解だ。

 係の生徒に続いて無意識に階段を上り、眩しい光の中へと足を踏みいれた。

 開いている扉の先へとふら付きながら足を踏み出せば、だがそこには予想しても居なかった人物がいた。

 

「やぁ、ハナコ。久しいね」

 

 艶のある琥珀色の瞳、肩に止まる小さな鳥たち。そしてその大きな耳と尻尾は誰が見ても見間違えることは無い。伝統と派閥が色濃く残るトリニティ総合学園、その政治の中枢で、まさに天上といっても過言ではない場所に居る人物。

 

「セイア、ちゃん」

 

 待っている人は、百合園セイアその人だった。

 

 

 

***

 

 

 

 ティーパーティーの庭園は何処までも広い。広大な敷地を有するトリニティ総合学園の中でも、その庭園だけは今という時間から切り離され、静寂と自然にあふれていた。

 

 そんな庭園の中、少しだけ盛り上がった場所にひっそりと佇むガゼボには、一人の少女が本を読みながら座っていた。

 その座る主人に呼び出されたハナコはゆっくりと歩きながら―――落ちた体力のせいで足元が覚束無いだけだが――――近づいていく。

 

「こんにちは、セイアちゃん」

 

 若干堅い声ではあったが、声をかけるとセイアは目線を上げ、ハナコを見ると嬉しそうに微笑んだ。

 

「やぁ、今朝から何度も呼び立ててすまないね」

「いいえ。でもセイアちゃんのおかげで早くに出られたのですもの」

「そうか。ならばもう少し反省を促すべきだったかな?」

 

 そう軽口を叩くセイアは口元に微笑みを湛えていた。

 

「まぁいい。ここは庭園だ。人目を気にすることはない、座るといい」

「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて」

 

 セイアはそう言いながら対面の席を薦めた。本来ティーパーティーの生徒であっても簡単に座ることが許されないその場所を、だがハナコは慣れたもので特に遠慮することもなく席に着いた。

 ティーパーティー御用達の庭園は、一般生徒は中に入るどころか、その周囲に近づくことも難しい。つまりセイアの言う通り、ここは全てから切り離された場所だ。周囲には物陰はなく、人が気づかれずに近づくことは困難。見聞きしたことも発された言葉も、ここでは全て自然の中に溶けていく。

 

「まさか、君が留置場に居るとは思いもよらなかったが、こうして身柄引き受けが出来たのは僥倖だね」

「えぇ。ありがとうございます」

 

 本を傍らに置いたセイアはそう言って笑う。

 随分と愉快な性格をしているこの友人は、時折よくわからないことを言ったり突拍子もない行動をする。エデン条約の一件の後からそれはエスカレートし、噂によれば最近は随分と派手に暴れまわっているらしい。

 しかし、セイアの奇行――もとい、思慮深い行動の数々は今まで裏目に出たことは無い。それは過去の実績もそうだし、今までの騒動において、さして大きな混乱からトリニティを守り抜いた手腕に現れている。もちろん、今までの生徒会長――桐藤ナギサ――の采配もあるだろうが、予知と鋭い頭脳は間違いなく学園を良い方向へと導いてきた。

 

「でもセイアちゃんはいいのですか?」

 

 だからこそ、今回の一件が理解できない。

 

「はて、何か問題が?」

「私の事、いろいろと聞いているのではないのですか?」

 

 現在のハナコは、外の言い方だと最重要容疑者辺りが近いだろうか。一時的ではあるが正義実現委員会に拘束されていたのは事実であり、罪状は兎も角、周囲から見れば一括りに何かやらかした人と見られるもの。伝統と面子、権威が何よりも重んじられるこの場所ではその経歴は語るまでも無く傷や攻撃対象となりうる。

 ハナコ自身はどうでもいいのだが、セイアはそうは行かぬだろう。この状況を利用してセイアを貶めようとする連中もいない訳ではないのだ。

 

「私をここへ招くことは、セイアちゃんにとっては有利にはなりません」

「それで?」セイアはとぼけたように首をかしげる。

「退出を許していただきたく」ハナコは至極真面目にそういった。

 

 セイアはそういえば、聞こえなかったかのように耳をピクリと動かした。そうしてしばしの沈黙の後、口を開いた。

 

「もちろん、君の事については大方把握している。そしてそのうえで、君を呼んだ。君に心配されなくとも、私の方でいくらでも手は打っている」

「……そうでしたか」

「別に心配しすぎだと思うがね。我々は友人同士だ。私が友人を呼んで、こうして会うことに何ら問題は無いだろう」

 

 だがその心配はセイアの言葉によりなんでもなかったように流される。

 

「だが時間は有限だし、我々の持つ時間は何にも代えがたい価値を持つ。退出は話を聞いてからでも遅くはあるまい?」

「そう、ですけど」

 

 こうなったときのセイアは頑固だ。清楚で物静かな印象とは違い、実際のセイアは相当に頑固な性格をしている。頭がいい分それはかなり()()()()。ハナコはそれを重々承知していたから反論することを辞めた。要するに、ハナコは諦めていた。セイアとの付き合いはそういった我慢強さやある種のあきらめが必要になる。

 

「君の話は以上かな?」

「……えぇ、まぁ、そうですけど」

「では、いきなりで悪いが本題に入ろう」

 

 そう言って、セイアはテーブルに一つの封書を置いた。

 

「こうして留置場から君を呼んだもの、理由はただ一つ。君に頼みごとをお願いしたいからだ」

 

 その封書は一目で高級品とわかるような上質な紙で作られ、さらにその封緘にはトリニティの印璽による封蝋がされているものだった。

 

「これはトリニティ総合学園、ティーパーティーから連邦捜査部シャーレへ宛てた正式な書簡だ。これを君に届けてほしいんだ」

 

「私がですか?」ハナコは思わず聞き返した。

「まぁ、待ちたまえ。今から説明する」だがセイアはそういったものの言葉が続かない。

「……といっても、だな」

 

 沈黙を埋めるために紡がれる言葉が風に溶けた。「君に、というよりは君が行くべきだからこれを預けた、というのが正しいかもしれないね」

「……どういう意味です?」

 

 だがようやく出た言葉も、ハナコには意味が分からず困惑を隠しきれなかった。

 セイアの発言は時折衒学的で、突拍子もないような言葉遊びを始めることがある。もちろんそれを即座に理解することはハナコであっても難しいし……むしろその様子を楽しんでいる時もあるから余計に意味が分からない時もあるのだが、今回のそれは謎かけ、というよりはむしろ何かの確信を持っての言葉のように感じられた。

 

「ま、言ってみれば簡単な話だよ。これは正式な書簡と言っても、モモトークや暗号化された電子文書を介さない以上、その正当性を保証するのは手紙そのものだけ。だからこそ届ける行為に正当性を持たせる為に、私が信頼できる君に頼みたいんだ。君は、私と先生両方に顔が利くからね」

「理由は理解できますけど、答えにはなってませんね」

 

 偽造や正当性保持の為の使者、という話は確かに理解できるものだが、それは既に数十年以上前に消えた伝統である。トリニティはそういった伝統を重んじる部分はあるものの、既に消えた伝統を持ち出す蓋然性が今の会話からは見当たらない。

 

「そうだね。これは理由というよりは説明だな。強いて言えばこれは……単なるお節介の様なものかな?」

「お節介?」

「うん……いや、これは存外に説明が難しいな」

 

 セイアはあっさりとハナコの指摘を認めたが、会話を重ねるほどに余計に話がこじれたようにも思う。二人の会話の間には、以前のようなテンポやリズムはなく、ハナコにすれば何処かもどかしいとさえ感じた。しかしセイアは体調が悪いわけでもなく、むしろ悩む瞬間でさえ楽しそうな様子であった。

 

「セイアちゃん」

「うーむ……ん、どうかしたかい?」

「なんだか、変わりましたね」

 

 ただ、意味は分からないが、セイアの様子は何処か雰囲気が異なる。

 例えるなら、何かを得たというものだろうか。以前のような影や暗さはなく、セイアの様子は以前と比べ良い方向に様変わりしていたように感じた。以前を完璧だったと表現するならば、今のセイアはむしろ不完全であり、欠けていると言える。だけどその欠けたその状態がむしろ彼女を彼女足らしめているようにハナコは感じた。

 

「以前であれば、理由をつけて断言していたはずなのに、今は言葉一つに悩んでいる。前のセイアちゃんに比べれば、今のセイアちゃんは人間のようで、少し新鮮です」

「以前は人間じゃなかったみたいな言い草だね」そう言いながらもセイアは笑う。その表情に前のような翳りはない。

 

「そうだね。話が脱線するがちょうどいいだろう」

 

 そう言ってセイアは紅茶を口に含んだ。

 

「実は最近、()を見なくなったんだ」

()を?」

 

 唐突にそう語るセイアの顔は、憑き物が落ちたかのように晴れ晴れとしていた。

 セイアと一年次からの付き合いであるハナコは、セイアの予知夢についてもうっすらと把握しており、度々体調を崩していたことも知っていた。それにエデン条約前後の騒動も、補習授業部や先生と共にその当事者として関わっている。

 

「ハナコも知っている通り私は未来がわかる。それ故に、以前の私なら君の言う通りこうするべきだと断言しただろうし、必要ならその過程や理由も説明したはずだ。でも今はもう違う。というより、もう私には見ることは出来ないし、()()()()()()()()()()

「必要、ない……?」ハナコがそう言って息を呑んだ。

 

「もしかして、セイアちゃんは夢を捨てたのですか」

 

 必要があるから能力を選べるなんて都合のいい話なんてない。そもそもこの世界はそういう風にうまく作られていない。自分の能力は不可逆的に結びついている。だからこそ、能力を捨てることは自分の手足を捨てることと同義だ。

 しかし、ハナコの疑問に「厳密にいえば予知を捨てたわけではないけどね」とセイアは答えた。

 

「正確な言い方をすれば、予知自体は残っている。適切に表現するなら、その力が変化し()()したというのが正しいかな。今の私は未来を知ることは出来ないが、代わりに勘が鋭くなった感覚はあるからね」

「……つまり、能力の結びつき方を変えた?」

「正解だ」

 

 楽しそうにハナコの指摘を言い当てるセイアは、以前に比べ愉快な性格に随分と拍車がかかっている。それはまるで無邪気な子供だった。

 

「つまるところだね、今の私には断言できるだけの根拠も予知も何もないんだ。ただ私の勘がこうするといい、とだけ告げている。それ故に手紙を君に託そうと話しているし、こうして来てもらっている。というわけだ」

 

 ハナコが見つめる先に、金色の髪がふわりと揺れた。セイアには迷いがなかった。

 セイアはまっすぐにハナコの目を見つめた。その瞳を、ハナコは初めてまじまじと見たような気がした。

 

「信じてはくれないだろうか」

「いえ、別に信じてないわけじゃないんです。手紙を届けること自体は問題ないのですけど……」

 

 手紙を届けてほしいという依頼だったが、結局なぜ私が届けることになるのかの理由を聞けていない。理由は知らなくても別にいいのだが、それを知っておきたいというのは我儘だろうか。

 

「でも……意味が分からないんです」

 

 意味は一意に決まるものではない。言葉の意味とは、その前後の文脈や共有するものによって容易に変化するものだ。

 別にわからなくてもいい。それは仕方がない。だけどこうして友人と共有できる文脈が何一つないという状況が、ハナコにとってはたまらなく居心地が悪い。

 

「別に私じゃなくてもいいのではないのですか?」

 

 そう問いかけたのも、ある意味その不快感のせいかもしれない。意味のない問いかけに、すれ違う会話。衒学的と言えば聞こえはいいかもしれないが、伝わらなければ意味などないというのに。

 

「うむ……そう言われればその通りなんだが」

「……?」

「あぁ、だがこれだけは言える」

 

 セイアは席を立ちあがっていった。

 

「手紙には意味がないけれども、それを届けるという行為には意味がある。手紙(シニフィアン)は必ず宛先に届く(回帰する)ものだからね」

「必ず届く?」

「そうだ。手紙の中身は()()()()()()()()この際どうでもいいと言える。ただ、それが届くこと、そこに届ける行為に意味がある」

 

 セイアの話は掴み処がなかった。ふわふわと語られるそれは、でも何処までも遠い何かを見ているかのように見えた。それが、ハナコにとってはセイアはとても遠くへ行ってしまったかのように感じた。

 

「それに先生は、きっとわかってくれるはずだからね」

「……よくわからないです」

「別にそれで構わない」セイアはすました顔でそう告げた。

 

「留置場から君を引き上げたのも、これがそもそもの目的だ。夜中に行う徘徊行為(代償)についても、私の方で処理しておこう。少なくとも今後の君に悪いようにはならない程度には誤魔化しておくさ」

「……知っていたのですね」

「言っただろう。状況については把握していると」

 

 気づいていたのだろうか。

 ハナコは緊張で一気に体が硬くなり、反射で肩が鋭く動いたのを自覚した。

 

「ハナコ」そんな様子をみて、セイアは何かを察したようにこちらを見つめていた。

 

「はぁ……化粧で上手く隠しているようだが、見ればわかるよ。()()()()()()()()()()

「……それは別に」

「関係ないというつもりかい?」

 

 関係ない、あなたに言われる筋合いはない。そうして拒絶する言葉はどうしてか口から零れ落ちる。だけどそれをセイアは中途半端に切り上げる。

 

「ナギサが言っていたが、ヒフミから相談があったようだ。ハナコの様子がおかしいとね。最近授業にも出ておらず、部活にも出てこない。救護騎士団からも薬を受け取りに来ないと報告があった……ミネとセリナは、本気で君の医療措置入院を検討している」

「……」

「知らないだろうから言うが、最近の徘徊行為についても、正義実現委員会は君を要保護対象として常に監視している。昨日の何かと理由をつけた留置もそうだ。……今は何とか出来ているのだが、これ以上何かを起こされると私の力ではもう庇い切れない。君なら、この発言の意図がわかるはずだ」

 

 医療保護措置、措置入院。不眠症の私が眠れぬことで、多くの人間に迷惑をかけている、らしい。そしてその言葉たちが示す内容は多分、ろくでもないことだろうというのは容易に察することが出来た。

 だから。

 

「…………脅し、ですか」

「笑止。これだけ言ってもまだわからないのか?」

 

 セイアは珍しく鋭く声を荒げた。初めてのその声色にハナコは再び体が強張るのを感じた。

 ハナコはその優しさも、セイアの気持ちを受け取れない。なぜならそれが自分の中の何かを追い立てるようなものに思えたからだ。

 

「私も君の友人なのだよ。それに、他にもできた友人たちのことも考えるんだ。君は自身の身をもう少し顧みるべきだろう」

「そんなこと!」

 

 誰がそんなことを頼んだのだ。喉から出かかった言葉の鋭さに、ハナコはその言葉が自分のものではないような感覚を覚えた。

 でも、セイアの言葉に抵抗しなければならないと思った。世界のすべてがトラウマティックに変化する、そんな幻想を、しかし過敏になった感情はそれに鋭く反応する。

 だから決してそんなことを言いたいわけではなかったのに、言葉は何処までも敵意と悲しみに満ち溢れて口から零れていく。

 

「ハナコ、落ち着いて聞くんだ」セイアは静かに言う。

「それだけ皆に心配されているということがわからないかい? 今の君には心配し、手を差し伸べてくれる仲間がいるのだよ」

「……仲間」言葉にしたそれは、今までのハナコが求めていたものだった。

 

 仲間という存在が、救ってくれる。

 だけど、それが無条件に何かを救うわけではないというのも、仲間が出来たからこそ知ってしまった絶望だった。人が周りに居ることと、それが自分自身を見ていることは違う。

 それをまた絶望と表現してしまう自分が嫌いだ。

 でも嫌いだというほどに、思考はその先へ進むことはない。まるで夢の中のようにもやがかかり、自由が利かなくなるように。

 

 

 ふと、今朝見た夢を想像した。

 海の底、ぼろぼろになった(BOAT)の残骸がそこら中に落ちている。

 それはまるで何かの意味作用を持っているようにも思えた。それは暗喩と換喩が入り乱れた想像(イマジナリー)の世界で、でもハナコはそれが何を象徴(シンボリック)しているのかを理解できなかった。

 ふと、砂嵐の喩えを思い出した。唐突なそれは瞬く間にハナコの眼前を砂で埋め尽くした。

 砂嵐は白く、そしてすぐにハリケーンのように視界を黒く濁った轟音となり、感覚器官を支配した。濁り、風は冷たく体にあたり、それは雨のような水滴が体を激しく打ち付ける。

 雨だ。水が圧倒的な力を持って襲い掛かる。それは根源的な恐怖を想起させた。あるいは生まれた瞬間に見つけ出したその喪失。襲い掛かるその恐怖というなんとも言いようがないそれが根源的であり、まるで現実のようでもあった。

 溢れでるそのイメージの話に、ハナコは思考の洪水を想像した。

 水流に流され、でもその流れに抗おうとしてもこの身一つでは抗えない。それは強大な圧力であり、そして意味の奔流だった―――

 

 

 

「ハナコ」

 

 

 セイアの声が聞こえた。

 その時、ようやく体が震えていることを自覚した。同時に、ハナコはその言葉に無性に腹が立ったのを自覚した。なぜだろう、今すぐこの場で手紙を破り捨ててしまいたい。

 

 聞くな!

 耳を塞ぎ、言葉を理解することを拒む。それは体の内側から身を焼き尽くすような力を孕んでいる。

 捨てろ!

 聞いたもの、受け取ったものを取り込めば、そうして出来たものは必ず蝕む。それを受け入れたら最期、私はどうなってしまうのだろう?

 殺せ!

 そう叫ぶ声が聞こえる。

 ただそれだけは確かに自分の中から出てきた声だった。

 

 最早合理性はなく、あったのは衝動とありもしない幻想への抵抗。

 急激に湧き上がるその怒りと抵抗の感情は収まらず――

 

 

 

「やめたまえ」

 

 

 

 気づけば銃をセイアに向けていた。

 引き金を引く手がカタカタと揺れ、しかしその銃口はしっかりとセイアを向いていた。

 そのハナコを取り囲むように、何処から出てきたのかわからない白制服のティーパーティーの生徒が銃を向ける。

 

「ハァッ、ハッ、……ハ、わ、たしは」

「大丈夫だ、ハナコ」

 

 セイアは周りの生徒を手で制しながら、ゆっくりと近づいた。

 

「ここでは私はただの百合園セイアだし、同時に君は浦和ハナコだ。先も言った通り、この庭園はそうである場所で、そうであることを否定しない」

 

 二人の間には沈黙が落ち、結局ハナコそれに言葉を返すことが出来なかった。

 まるで何千メートルも走った後のように息は落ち着くことがなく、そして手の震えは止まらない。

 

「ここでの出来事は全て()()()()()()()()()。気にしないでいい。……触れても構わないかな?」

 

 セイアはそう言って、ハナコの手に静かに触れた。

 セーフティを掛けて、そしてゆっくりと銃を持った手を下に下げる。

 

「ごめん、なさい」

「大丈夫だ」

 

 震えた声で何とか答えた。上がり続けた息は落ち着くことなく、緊張して全身に入っていた力が緩やかに抜けていくのを感じた。

 

「私は……」

 

 ハナコに頼みごとをするのは大抵なにか言葉の裏があった。たとえば自分の派閥に取り込むため、或いは何かコネクションを得るため。ハナコの類まれな能力を使いたいがため。

 ハナコは常に何かに利用され、駒として見られ、或いは価値のある人間として見られていた。そこにハナコの意思はなく、そして本当の意図は何処までも隠され、見抜けなかったらその先はきっと利用され、搾取され駒として動くことを要求され続ける牢獄の奴隷になる。そんな世界に生きていた。

 

 だから、抵抗するしかなかった。

 抗い、身を守ることでしか生きることが出来なかった。誰かが体に入り込み、その視線を一心に受けるなんて二度とごめんだ。それでも一人で生きざるを得ない世界、そうして適応することでしか生きることのできない世界で、少しでも自分を見せれば()()()()のだ。

 

 例え、どんなに力が発揮できなかろうが、ハナコは戦わざるを得ないのだから。

 それでも理性はいつだって優秀だ。

 だからセイアは語り掛ける。

 

「手紙は思いを伝えるために、相手の為に書かれるものだ。そして手紙は必ず届くようになっている。君の心配も、そして問題もいずれ同じようになるもの。世界はそうやって出来ているし、案外うまくいくものだよ」

 

 だけどハナコは終ぞその意味を受け取り損ねたままに、でもそうであることを理性的に正しいと思って行動する。

 

「だから大丈夫」

 

 君は理性の人だからね。

 セイアはそう呟いた。

 

 そうしてハナコは庭園を退出した。

 

 

 

 

 手紙は、これから目的地へ届いていく。だけど、ハナコは本当の意味をまだ知らなかった。

 

 

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