魂 ソ メ パ ン チ (無添加) 作:哀しみを背負ったゴリラ
踏みつけと突き刺しという野蛮な方法で異形を暴力的に滅ぼした青年は、暫し何かを考え込む様子を見せてから、大きく息を吸い……努めて優し気な声色を作り、レイナへと向けて言葉を続ける。
「怖いモン見せちまったな。悪ぃ。こいつら、本当なら普通の人間の目には視えねぇんだが……特定の条件下で一般人にも視認出来るようになっちまうんだ。例えば、強力な禁足地とか、こいつらの巣に連れ込まれた時とか────もしくは、今のレイナちゃんみたいに、こいつらに命を狙われた時とかにな」
「命って……何よそれ。嘘をつかないで頂戴。幽霊なんてもの、そんなもの居るわけが……」
理解不能な青年の発言を反射的に否定し、しかし命を狙われたという言葉に背筋が凍る感覚を覚えるレイナ。
彼女の感情は、そんな事はあり得ない。何かの手品だと叫んでいるが、自身がその目で見たという動かしようのない事実が、理性が、彼女の現実逃避を阻む。
そんなレイナに気遣うような視線を向けつつ、青年は自身の服の汚れを手で払うと、大きく伸びをして言う。
「居るわけがねぇって言いたくなる気持ちも分かるけどな。それでも……いくら目を瞑っても、居るモンは居るんだから仕方ねぇ。昔の某アニメで、言霊使いが言葉で妖怪をただの『もの』に変えて倒すって展開があったんだけどよ、俺達みてぇな一般人ではそうはいかねぇだろ?」
そうして、伸びで吸った空気をゆっくりと吐き出してから、まるで幼子に言い聞かせるような優し気な様子で青年は言葉を続ける。
「だから身の安全の為にも、『この世には目には視えない闇の住人達が居る』って、そういう認識だけはしといた方がいいぜ? 現に、俺がレイナちゃんを見つけられたのも、この化物が居たからだしな」
「何よ、それ。どういう……」
未だ、現実に思考が追いついていないレイナに対して、すっかり呼吸を整えた青年はレイナの方へと向き直る。
「さっき、レイナちゃんは『どうして二乃ちゃんが助けられねぇといけない状況に居ると考えているか』『どうやって自分が此処にいるのを知ったのか』そう俺に聞いたよな?」
「ええ……そうね。確かに聞いたわ」
「その答えが、さっきのアレだよ」
そう言うと、レイナに向けて青年は右手の指を三本立てて見せる。
「3日前、教室に行った時にな。行方不明になってる時雨沢二乃ちゃんの机の周りが、腐ったみてぇな臭いのする液体でびしょ濡れだったんだよ。始めは、いじめか何かと思ったんだけどよ……どうにも俺以外はその液体の存在にも、臭いにすらも、誰も気付いてる様子がなかった」
腐ったヘドロと肉を混ぜたような異臭を思い出したのか、顔を顰めつつ青年は続ける。
「そんでもって、今日の朝学校に行ったら、レイナちゃんの机の周りも同じ匂いの液体で濡れてて、おまけに当人は無断欠席をして、更には町中で姿が見かけられたって言うじゃねぇか。そりゃあ、因果関係を考えねぇ方が無理だろ。案の定、町をちっとばかし歩けば、鼻が曲がる臭いが香ってきやがった」
「……」
反射的に自身の服を嗅ぐレイナであるが、そんな臭いは全く感じられない。
青年は苦笑しながら、化物が消えたからもう臭いは消えたぜ、と言ってから言葉を更に続ける。
「で、挙句に腐った臭いを辿ってこの商店街まで来てみりゃあ、レイナちゃんの肩には、臭いの元の赤子モドキの化物が乗ってるときた────この状況を見れば誰だって、時雨沢二乃ちゃんの身にも似たようなのが憑いてて、そいつに何かされてんかもしれねぇ、そう思うだろうよ?」
「それは……」
理屈は、通っている。青年の言葉を聞いたレイナは、口を噤みながらもそう考えた。
化物という前提こそ荒唐無稽ではあるものの、しかしその存在証明は先程成されてしまったばかりだ。なればこそ、青年が二乃を助けに来たという言葉は本当であり……
「……つまり、先生は本当に霊のようなモノが見える人で、二乃はさっき見た様な化物に襲われて攫われたと────先生はそう考えているのね?」
「攫われたのか捕われたのかはわからねぇが、少なくとも俺の予測が正しけりゃあ、家出の類ではねぇのは確かだぜ」
青年の言葉を聞いたレイナは自身のスカートの裾を強く掴む。
そして、少し震える声で再度口を開く
「……それなら、もし、そうだとしたら。二乃はもう、無事ではないかもしれない……そんな可能性もある、のよね」
レイナの懸念は無理からぬことであった。
時雨沢二乃が失踪してから、既に少なくとも3日の時間が経過している。
青年は言った。化物が見える時は、化物に命を狙われた時でもあると。
レイナが赤子モドキに憑かれたのは、青年の目撃証言からするに、恐らく先日の夕方以降。
つまるところ、先ほど見た赤子モドキは僅か1日足らずで人を殺そうとする、それ程に凶暴な異形であり……3日も前にそんな異形に干渉された二乃は。もう。
信じたくはない。首を横に振りたくなるような最悪の可能性に思い至ったレイナは、縋るような目を青年に向けて────しかし青年は、そんなレイナの問い掛けにあっさりと答えた。
「二乃ちゃんは無事に決まってんだろ。大丈夫だ、安心しろレイナちゃん」
微笑みながら告げられた言葉。そのあまりにあっけない、二乃の無事を保証する言葉に、逆にレイナは焦りを募らせてしまう。
「安心って……あの化物は人の命を狙うような化物なのでしょう!? もう3日も経っているのに、何を根拠にして」
叫ぶような、友人を失うかもしれないという恐怖を孕んだレイナの言葉を、青年は右手を前に出して遮った。そして、快活な笑みを浮かべながら真っすぐレイナの目を見て
「レイナちゃん。俺はさ、
その眼。青年の眼を見て、レイナは先ほどの赤ん坊モドキに抱いたものとは別種の恐怖を覚えて口を噤んでしまった。
どこまでも真っすぐで純粋で、まるで殉教者のように
それは、底が見えない深い森の奥の腐った沼のような、そんな印象をレイナに与えた。
レイナの眼前のこの青年は、物質的な根拠を持って二乃が無事だと言っている訳ではない。
ただ、心の底から……主人公である自身が動くのだから無事であるに決まっていると、そう信じているのである。
「────さて、そんじゃあ時雨沢二乃ちゃんは俺が見つけて助け出しとくから、レイナちゃんは学校に戻ってな。まだ臭いが残ってる内に追わねぇとならねぇんだ。悪ぃが送迎までは出来ねぇぜ」
レイナの硬直と沈黙を自身の主張に対する肯定と判断したのか、青年はレイナの頭に手をポンと置いてから、商店街の奥。薄暗いその道の先へと視線を向けて歩き出す。
……恐らく、この得体のしれない教育実習生の青年に後の事を全て任せれば、この一件は何らかの形で決着を見せるのであろう。
先程レイナが見た彼の瞳からは、そう思わせる程の強い意思のようなモノが感じられた。だというのに
「────待ちなさい」
気付けばレイナは、先へ進もうとする青年の背中へ向けて制止の言葉を投げかけていた。
「二乃を助けに動くというのなら、私も連れて行きなさい」
呼び止めて、そして震えの混じった声で、しかしはっきりとそう言い切っていた。
レイナの言葉に振り返った青年は、彼女の要求を理解しつつも、困ったように眉を顰める。
「……友達を助けてぇって気持ちは分かるし、そういうのは大好きだがよ。教師が生徒をわざわざ危ねぇ場所に連れて行く訳にはいかねぇだろ。悪ぃが、諦めて────」
「拒否すれば、この防犯ブザーを起動するわよ」
「!?」
レイナの懐から取り出されたあまりに現実的な嫌がらせの提示に、青年の眼が見開かれる。
「お、おまっ!? いくらなんでも、それはちょっとズルいだろうがよ!? 説得ならもうちょっとこう、あるだろ! 交換条件を出すとか、情に訴えるとか!」
「警察に訴えるわ」
「誰が上手い事言えって言ったんだよ!?」
慌てふためく青年。だが、それも無理からぬ事だろう。
先程片鱗を見せた通り、青年は強い。体術も、暴力も、異形への耐性もだ。
だが────女生徒と、平日の昼間に、ひと気の無い場所で、二人きり。
そんな状況を警察に見られて乗り切れるような権力は、持っていないのである。
「……言っとくけどな、そのブザーを作動させる前に、手から叩き落す事だってできんだぞ?」
「そう。暴力まで混じったら、警察の疑惑が確信に変わるわね」
「ぐぎっ……!?」
暫しの間、レイナの弱い立場だからこそ出来る恫喝に青年がたじろいでいると……不意に彼女は、青年に向けて深く頭を下げた。
「お願いします────先生、お願いします。大切な友達を、絶対に助けたいんです。囮にでも捨て駒でもなんでもなります。無事に助けられたら、私の持っている全部を捧げても構いません。だから────連れて行ってください。お願いします」
「……お、おい」
……レイナのこの行為は、青年に着いていきたいという願いは、はっきり言ってしまえば彼女の我が儘だ。
彼女には化物が見える訳でもなければ、化物と戦う手段を持っている訳でもない。
ただの女学生。足手纏いも良い所だ。
ただ、それでも。
その事を自覚しても尚、レイナには青年に着いていきたかった。
それはひとえに……誰かに全てを任せるのではなく、自分も時雨沢二乃を助けるための力になりたいと、そう思っているからだ。
彼女が今も苦しんでいるとするのであれば、そんな彼女を救い出すのを、彼女の命運を、名前も知らない青年に託し押し付けたくないと、そう考えているのだ。
そして万一、二乃が無事ではなかった場合は────せめて、友人である自分が最期までその傍に居てあげたいと、多賀山レイナという少女は、そう思っているのである。
レイナに頭を下げられた青年は、暫しの間腕を組み、困ったようにうめき声を上げていたが……やがて大きく息を吐くと、人差し指を立てた。
「……一つ、約束しろ。とりあえず、俺の傍を離れるな。そうしたら────全部から守ってやる」
青年のその言葉。同行の承諾の言葉を受けたレイナは、深々と下げていた頭を上げてから、もう一度だけ頭を下げ、そうして真剣な表情で静かに青年の眼を見る。
「ええ────ずっと傍で胸を押し付け続けるくらい訳もないわ」
「教育委員会に聞かれたら一発で教育実習強制終了させられそうな捏造発言やめてくれねぇかなぁ!!!?」
かくして
行方不明になった友人を探し求める、性格の捻じれた女子高生。
自身を主人公である等と嘯く、教育実習生の青年。
此処に、奇妙な縁で巡り合った二人組の怪奇譚が幕を開ける──────