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夜。海辺で星空を見上げていた。
「はぁ~」
大きな溜め息をつく。
もうすぐ16歳になる少年には、悩みがあった。
自分の存在価値。存在証明。そんな、思春期らしい悩み事。
黒い海が、静かに彼を見ている。
そして。しばらくして、夏樹は旅をすることにした。
◆◆◆
「お嬢様、起きてくださいまし」
「うー、ん…………」
「本日は、晴天でございますよ」
主人である遠坂凛の寝室のカーテンを開ける長身のメイド。
「……おはよう、夏樹」
「おはようございます。もうすぐ朝食ですよ」
「はーい」
メイド服の男、水嶌夏樹は、エプロンドレスを翻してキッチンへ向かう。
何故、彼がメイドの格好をしているのかというと、凛が年頃の娘だかららしい。長い髪を三つ編みのおさげにしているのも同じ理由だそうだ。
しかし、夏樹の身長は190㎝で、体重は78㎏である。それでも、冬木市ではメイドとして押し通していた。
「夏樹、朝食のメニューは何?」
凛は、テーブル席に座り、質問する。
「クロックムッシュでございます」と答えながら、銀色のトレイを運んで来るメイド。
「美味しそうね」
「ええ、もちろん。わたしの自信作でございますから」
凛の前に飲み物と料理を並べ、夏樹は、姿勢正しく脇に控えた。
「いただきます」
「どうぞ、お召し上がりくださいませ」
凛は、「美味しい」と言い、朝食を食べ続ける。
その後。凛の登校を見送ってから、夏樹は庭に出て、アークローヤル・スイートに火を着けた。
「ふう」
チョコレートのフレーバーの煙草は、彼のお気に入りである。
水嶌夏樹を拾ってくれた遠坂時臣が聖杯戦争で亡くなってから、10年が過ぎた。
桜様は、間桐家の養子になってしまったし、奥様も亡くなられ、凛様は独り。わたしが、支えなくては。
夏樹は、固く決意している。
さて。
夏樹は、日用品や食材の買い出しに行くことにした。
遠坂邸に施錠し、街へ出る。
旬の食べ物を値切り、セール品の消耗品を買い足し、帰宅した。
買ってきたものをしまい、掃除を始める。棚の埃を拭き、床を掃き、ゴミ出しをした。
終わってから、少し休憩をする。
紅茶を淹れて、チョコレートのアソートの箱を開けた。チョコレートは、夏樹の好物である。
「…………」
近頃、嫌な予感がしていた。彼の、そういう勘はよく当たる。
第五次聖杯戦争が始まるまで、もう少し。
◆◆◆
16歳の少年は、歩いて旅をしている。
故郷の千葉県から、西へ西へと歩いて旅をした。
そうして、数ヶ月後。水嶌夏樹は、冬木市を訪れる。
季節は、冬。粉雪が夏樹の上に降りかかる。
さて。どこかバイト先を探さなくてはならない。
夏樹が街を歩いていると、品のいい男を見かけた。家柄のよさそうな立ち姿が、彼の視線を釘付ける。
「君」
「はい……!?」
いつの間にか近付いていた男に話しかけられ、夏樹は飛び上がりそうになった。
「どうかしたのか?」
「あ、いや。すいません。なんでもないです」
慌てて、そう答えたその時、大きく腹の虫が鳴く。
「ふむ。空腹のようだ」
「…………」
夏樹は、赤くなって俯いた。
「よかったら、私の家へ来なさい。見たところ、旅をしているのだろう?」
「あ、ありがとうございます! 水嶌夏樹と申します。よろしくお願いします」
「私は、遠坂時臣」
「遠坂、さん」
夏樹は、呟くように名前を呼ぶ。
ちらちら降る雪が、街灯によって星のように光っている宵。
この出会いは、きっと、水嶌夏樹の運命だった。
◆◆◆
遠坂家のメイドは、腹を立てている。凛のサーヴァントであるアーチャーに対して。
「アーチャーさん、お嬢様にそのような不遜な態度は、いかがかと思います」
「君、いや、お前のように飼い犬にはならない。私は、サーヴァントではあるが、忠義の騎士ではない」
赤い弓兵は、面倒そうに夏樹に言葉を返した。
「はぁ。そうでございますね。あなたのような、どこの馬の骨かも分からない者には、期待するだけ無駄でございました」
メイド服の男は、慇懃無礼に喋る。
「では、これだけ。くれぐれも凛様のことをお守りするように、お願い申し上げますよ」
「言われるまでもない」
「はぁ、まったく。不快な男でいらっしゃいますこと」と、台詞を吐き捨て、夏樹は仕事に戻った。
夜中に外出する凛のために、コートを綺麗にし、すぐに着られるようにする。
そして、彼女の靴を磨き、きちんと揃えた。
その晩。遠坂凛とアーチャーを見送り、夏樹は煙草に火を着ける。
「ふぅ」
煙を吐き、遠坂邸の庭から夜空を眺めた。
今夜は、とても月が綺麗で、星灯りは霞んで見える。
「…………」
かつて聖杯戦争で命を落とした恩人を想い、夏樹は黙祷を捧げた。
時臣様、葵様、どうか安らかに。
煙草を一本吸い終えてから、夏樹は自室へ戻る。
それから、魔術師として主人のために出来ることをしようと思った。
「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る」
精神集中のための歌を声に出し、魔術回路を起動させる。
水嶌夏樹は、小さな水晶玉に魔力を込めた。切実な祈りと共に。
◆◆◆
黒いスーツを着た男は、遠坂時臣に支えている。遠坂家に身を寄せ、時臣を主人としてから、今年で8年。
遠坂時臣は、聖杯戦争のための準備を進めていた。
使用人の水嶌夏樹は、その手助けをしている。
「時臣様、お召し物の用意が出来ております」
「ああ。ありがとう、夏樹」
時臣の着替えを手伝い、最後にリボンタイを結んだ。
「お支度、完了でございます」
「……夏樹も、もう24歳か」
自分より背が高くなった夏樹を見上げて、時臣は感慨深そうに言う。
「はい。どうかなさいました?」
「いや、立派になったと思っただけだ」
「ありがとうございます」
「君は、本当にここを離れなくていいのか?」
「ええ。わたしは、ご主人様のお側におります」
「……そうか」
その後。時臣の弟子、言峰綺礼が訪れ、夏樹はふたり分の紅茶を淹れた。
夏樹は姿勢正しく時臣の横に控える。
もうすぐ、敬愛する主人とは会えなくなるとも知らずに。
◆◆◆
「夏樹」
「はい、お嬢様」
「私、同盟を結ぶことにしたわ」
「同盟、でございますか?」
「ええ。セイバーを連れた衛宮くんとね」
「衛宮……」
その名前には、聞き覚えがあった。
前回の聖杯戦争の参加者に、そのような名前の男がいたはずである。
「その方は、いえ、なんでもございません。凛様がお決めになったのでしたら、わたしは異存ありません」
「そう」
それから、遠坂凛と衛宮士郎は、共に行動するようになった。
そんな中で、実は、恐ろしいことが裏で進行している。
夜な夜な人を、サーヴァントを喰らう影。
数日後。凛のアーチャーも、同盟者のセイバーも犠牲になった。
その上、間桐桜も聖杯戦争に関わっていると知り、夏樹は青ざめる。
「そんな……桜様が…………?」
「事実よ。あの子は、ライダーのマスターをしているわ」
「争うというのですか? 実の姉妹で……」
「…………」
凛は、一度唇を引き結んだ。
「そうなるわね。あの子が手を引かないのなら」
しかし、今のところは同盟者の家で保護されているらしい。
「では、問題となるのは、間桐の翁ということでございますね」
「そうね。アサシンを逃がしてしまったから、また仕掛けて来るはずよ」
「なんとも往生際の悪いお人でございますこと」
「まったくだわ」
疲れて椅子にもたれかかる凛を気遣い、夏樹は紅茶を淹れた。
「夏樹。あなたも付き合いなさい」
「はい。では、失礼いたします」
凛の向かいに座り、夏樹も紅茶を飲む。
「凛様、チョコレートはいかがですか? 甘いものは疲労に効きますよ」
常備しているブランドチョコレートの箱をテーブルに置く夏樹。
「ありがとう、いただくわ」
「ええ。ご遠慮なく、どうぞ」
凛は、チョコレートアソートの中から、赤いハート型のものを指先で摘まんで口にした。
「うん。美味しいわ」
「お口に合ったのなら、よかったです」
夏樹は、柔らかく微笑む。
ふたりが休息をとっている一方で、間桐桜の歪みは、着々と大きくなっていった。
雪が降り積もるように、暗闇が増えていく。
◆◆◆
「時臣様…………」
遠坂時臣の墓前にて、水嶌夏樹は膝をついて泣いた。
「水嶌」
「……言峰さん」
いつの間にか、背後に言峰綺礼がいる。感情の読めない顔で、立っていた。
「あなたがついていながら、何故旦那様をお守り出来なかったのですか?!」
夏樹は、叫ぶように言峰を詰める。
「そのことについては、心より無念に思っている」
「……っ!」
彼は、嘘をついていると思った。この男には、まともな感性がないのだと思った。
夏樹のその考えは当たっているが、言峰が時臣を殺したというところまでは分からない。
「わたしは、あなたの顔を見ていたくありません。失礼します」
夏樹は言峰に背を向け、時臣の墓に一礼してから、遠坂邸へと帰る。
戻ってから。水嶌夏樹は、凛の元へ行った。
「お嬢様……」
「夏樹、泣いてたの?」
少女は、青年の目元を見て心配そうにする。
「バレてしまいましたか。でも、大丈夫でございますよ。凛様のことも、奥様のことも、夏樹にお任せくださいませ」
「うん……」
水嶌夏樹は、優しく凛の頭を撫でた。
そして、彼女を精一杯守ろうと誓う。
◆◆◆
その日。間桐桜は、堕ちてしまった。
彼女が決壊した最後の一滴は、間桐慎二によるもの。彼は殺された。
遠坂凛は、妹の桜と戦うことを決める。
「お嬢様……」
「夏樹。私は行くわ、あの子のところへ」
「かしこまりました。何なりとお申し付けくださいまし」
「宝石剣ゼルレッチの設計図を持って来てちょうだい」
「はい」
メイドは、主の命令に従い、彼女を送り出した。
そして、遠坂凛は決戦の舞台へ上がる。
「姉さんは、ずるい…………」
桜の怨嗟の声を受け流し、対決する凛。
結果的に。遠坂凛は、実の妹を手にかけられなかった。
桜に致命傷を負わされて、倒れる。
姉を手にかけた桜は、凛からの想いに触れ、絶望した。
意識を失い、滑り落ちる凛の体。
その凛が身に付けている小さな水晶玉が、淡く光る。
それは、水嶌夏樹の魔術によるもの。凛を生かそうとする魔術回路を助ける治癒のお守りだった。
水晶玉の治癒魔術が起動したことに気付いた夏樹は、主人の元へ走る。
「凛様!」
すぐに水嶌家が受け継いできた治癒魔術を駆使して、凛を助けようとした。
水嶌家は、代々治癒魔術を研究してきた家系である。
今使わずに、いつ使う? わたしは、もう誰も喪いたくない。
「お嬢様、夏樹が必ずお助けいたします……!」
水嶌夏樹の献身的な治療により、意識を取り戻した凛は、「あの子を、桜を助けてあげて……」と小さく告げた。
「かしこまりました。お任せくださいましね」
夏樹は、倒れている桜の元へ行き、治癒魔術を施す。
どうか。また、姉妹で笑える日が来ますように。
◆◆◆
先日の戦いで、言峰綺礼とイリヤスフィール・フォン・アインツベルンは世を去った。
桜の想い人、衛宮士郎は帰って来ない。
凛は桜を気遣い、努めて明るく振る舞った。
「帰って来るわよ、必ず。それが、どんな形であれね」
「姉さん……」
しばしの間、遠坂邸で療養してほしいとの夏樹の嘆願があったため、姉妹は共に暮らしている。
「おふたり共、朝食の用意が出来ております。お席へどうぞ」
「ありがとう、夏樹。行きましょう、桜」
「はい」
メイドは、ブラウンシチューとバゲットをふたりの前に並べ、凛の脇に控えた。
「いただきます」と、ふたり。
「はい。お召し上がりくださいまし」
「あの、夏樹さんは、何故メイド服を着ているんですか?」
桜が、小さく疑問を口にする。
彼女が遠坂の家にいた頃の水嶌夏樹は、黒いスーツを着ていたからだ。
「お嬢様は、お年頃ですから。男とふたり暮らしとなると、色々と邪推されるのですよ」
「そう、なんですね」
「私は、夏樹がメイドになる必要なんてないと思ってるわよ」
凛は、さらりと言う。
そして、こう続けた。
「それに私、夏樹と結婚するから」
「えっ?」
「凛様、それは…………」
「昔、約束したのよ。私が大人になって、好きな人がいなかったら結婚するって」
「お嬢様、まだ3年ほどあります」
「そうね」
「…………」
桜は、姉の発言のせいで、ぽかんとしている。
「桜様が驚いていらっしゃいますよ」
「桜は、衛宮くんと。私は、夏樹と。それでいいじゃないの」
「ね、姉さん…………」
「まったく、お嬢様は明け透けでございますね」
ふぅ、と夏樹は溜め息をついた。
朝の日の光が、3人を優しく照らしている。
それから、回復した桜は衛宮の家に移り、その場所を守ることにした。
数年後。
「凛様」
「夏樹、その話し方はもう相応しくないわよ」
「そうおっしゃられましても……」
「はぁ。仕方ない人」
純白のウェディングドレスに身を包んだ遠坂凛は、わざとらしく溜め息をつく。
タキシードを着た水嶌夏樹は、困り笑いをした。
ふたりは、今日、結婚する。
結婚式は、つつがなく進み、凛はブーケトスをした。
それを手にしたのは、間桐桜。
「次は、桜の番ね」
「姉さん……ありがとう…………」
「どういたしまして」
凛は、満面の笑みを浮かべた。
夏樹は、全ては妹のためにしているのだと気付いていたから、その光景を笑顔で見ている。
その晩。遠坂夏樹になった男と、その妻である凛は、遠坂邸の庭で星を見た。
「今夜は、春の大三角形が綺麗でございますね。一等星の獅子座のレグルス、乙女座のスピカ、牛飼い座のアークトゥルス」
「夏樹は、星が好きね。まあ、私も嫌いじゃないけど」
「あなたと見る星空は、いつもより美しく見えます」
「……っ!? なによ、それ。反則じゃないの」
凛は、顔を赤く染める。
「わたしの運命の人は、もういませんが、あなたのことは本当に愛しく思っておりますよ」
「そ、そう。当然よね。私も、夏樹のことが好きよ」
「ありがとうございます。末長く、よろしくお願いいたしますね」
「ええ。よろしくね、夏樹」
ふたりは、そのまま寄り添って星を眺めた。
遠坂夫妻が、桜の結婚式に出席するまで、あと————。
『おまけ』
遠坂夫妻の娘たちは、双子の姉妹である。
姉の冬美と、妹の雪。ふたりは、とても仲が良く、いつも一緒にいる。
冬美と雪は、現在10歳だ。
長い黒髪を一本の三つ編みにした元気溌剌な姉と、同じくらい長い黒髪をなびかせているのんびり屋な妹。
休日なので、ふたりで遠坂邸の庭で遊んでいる。
「雪、のぼって来なよ!」
「むりだよー」
冬美は、庭の木に登り、雪を呼んだが、雪は地面の蟻の巣を見ながら断った。
「お母さんにおこられるよー」
「バレなきゃいいの!」
「こらっ!」
「ママ!?」
いつの間にかやって来た背の高い男、ふたりの父親が、にこやかな表情のままに冬美を注意する。
「ママ、ワタシは止めたんだよ」と、雪は弁明した。
「冬美さん、降りなさい」
「はーい……」
渋々、木から降りる冬美。
「ママ、ボクが木にのぼってたこと、お母さんにはだまってて!」
「仕方ないですね。今回だけですよ?」
ママこと、遠坂夏樹は腕を組んで答えた。
「やったぁ! お母さん、おこるとめちゃくちゃこわいからさぁ」
「怒ったら、誰でも怖いと思いますけれど」
「ママはこわくないよ。ママ、かた車して!」
「ずるい。ワタシも」
「順番にですよ」
190㎝ある夏樹は、冬美を肩車する。
「高ーい!」
「冬美さん、ちゃんと掴まっていてください」
「はーい!」
しばらく冬美を肩に乗せた後、今度は雪を肩車した。
「高いねー」
「雪さん、わたしの首を絞めないでください」
「ごめんなさい」
「ボクも、ママくらいデカくなりたい!」
「でしたら、ちゃんと食べて運動して寝るのですよ」
「はーい!」
冬美は、片腕を上げる。
「いいお返事です」
「ワタシは、ママみたいなまじゅつしになりたい」
「では、きちんと基礎から学びましょうね」
「はーい」
雪は、片腕を上げた。
夏樹は、雪を降ろしてから、娘たちの頭を撫でる。
「おふたりとも、危ないことはしないでくださいね。あなたたちに何かあったら、わたしは泣いてしまいますから」
「はーい」と、ふたりの声。
「では、わたしは凛様をお迎えしに行きますので。お留守番をよろしくお願いしますね」
「うん!」
「いってらっしゃーい」
双子たちは、夏樹を見送った後、虫取りを始めた。
雪の頭に止まった紋白蝶を、虫取り網で捕獲しようとした冬美だが、妹しか捕まえられずに終わる。
そうしているうちに、両親が帰宅した。
「ただいま」
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい」
姉妹のユニゾンが響く。
「いい子にしてた?」と、お母さんこと、凛が尋ねた。
「してた!」
「してたよー」
「あんまり夏樹を困らせちゃダメよ?」
「困ってませんよ」
「もう、夏樹は甘過ぎるんだから」
両親を見ながら、双子はクスクスと笑う。
「さあ、そろそろ夕食よ。家に戻りましょう」
「はーい」
「今日は、凛様が作ってくださいますよ」
こうして、遠坂家は、賑やかな日々を送り続けた。
厳しいけれど優しい凛と、穏やかで優しい夏樹のことが、冬美と雪は大好きである。