帝国の片隅に暮らす少年が、お嬢様冒険家天使アルケインと出会い、そして別れる話。

ハーフアニバーサリー、そして617記念
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バケツ一杯の勇気

1,少年と天使

 

 これはユーファリアの端の端、帝国のどこかで起こったことだ。

 帝都に生きる人々にとって帝都の外はどこでも「帝国のどこか」だ。

 たくさんある「どこか」の中でもここは特に端っこだった。この土地の名前を聞かれて答えられる人間は、土地管理局の職員だけではないだろうか。

 山地、平野、ときどき町がある。そんな土地だ。

 

 少年が山道を歩いていた。

 

 その手には丸いものが()げられている。

 少年はそれを『バケツ』と呼んでいたが、それはバケツには似ていない。

 取っ手がついていてぐらぐら揺れるのは確かにバケツっぽいが、問題は形だ。まん丸で、地面に置けば転がってしまう。だから、使うときにはずっと手に持っていなければならない。

 

 形だけなら、取っ手のついた金魚鉢のようだった。

 

 『バケツ』の表面は半分が白で、半分が透明だった。細かい傷がたくさんついていて、白が削れて銀色の地肌がところどころ見えている。また、透明な部分はキズで濁っていた。

 壊れていないのが不思議なくらいだった。

 

 少年は『バケツ』の中に石と土を入れて歩き続けていた。

 一歩進むたびにぐらぐらと揺れる『バケツ』から土がこぼれないように、一歩ずつ、一歩ずつ。

 頬に汗が伝う。うっすら濡れた髪が日焼けした首の後ろに張り付いていた。

 

 少年は下を向いて歩いていた。

 空を見上げたってろくなことはない。空の色も、雲の形も、季節の移り変わりも、晴れか雨かでさえ、彼には関係がなかった。

 どんな日でも、ただ土を運ぶだけだ。

 それだけが、短い半生の全てだった。

 

《ピチュ》

 

 どこからか、甲高い音が聞こえた。

 まるで金属を擦り合わせたような、甲高い、嫌な音だった。

 

《ピッピ》

 

 音は頭上からしていた。

 少年は空を見た――顔を上げるのは何年ぶりだろう――そこに見えたのは、黒い影だった。

 まるで、黒いゴムと金属で鳥を作ろうとして、途中で諦めたようなもの。

 それが何か、辺境の住民である少年ですら知っていた。

 

「神獣兵《しんじゅうへい》!」

 神獣――世界の敵。その手下にして先触れ。

 人類の敵。

 胃の裏側がぞっと痙攣を起こした。それは恐怖だった。少年は本能に突き動かされて身をかがめ、草の中に飛び込んだ。

 

《ピピチュ!》

 バババッ!

 

 神獣兵の耳障りな音――鳴き声だとはとても思えない――と共に、トゲのようなものが振ってきた。

 少年が一秒前までいた場所にトゲが深々と突き刺さり、地面を抉る。

 

「ひいっ……」

 悲鳴というよりは、肺が引き攣って勝手に喉から漏れた音だった。

 神獣兵は無様な翼をばたばたと揺らし、旋回してから少年のほうに体を向けた。

 ひとつしかない赤い目が、少年を捕らえていた。

 

 少年は『バケツ』を抱えていた。土はほとんどこぼれていた。それでも、彼はしっかりとそれを抱えていた。

 まるで、命よりも大事であるかのように。

 いや、それは事実、彼の命よりも大事なのだった。

 

「く、来るな……」

 『バケツ』を投げ捨て、逃げることができれば……少しは身軽になって、逃げ切れたかもしれない。

 だけど、彼にそんなことはできなかった。

 捨てることなんて考えたこともなかった。

 ただ抱えたままで、震えるしかなかった。

 

《ピッピピチュ~!》

 

 神獣兵が体をのけぞらせた。

 その時……

 

 プシュン!

 

 空気がはじける音がして、神獣兵の赤い瞳がブチ割れた。

「え……?」

 そのまま、神獣兵は地面に落ちて動かなくなった。

 

「な、なんだ?」

 まばたきする少年の頭上から……

 

「危ないところでしたわね」

 空から……

 天使が降りてきた。

 

 

2,山を動かす

 

 天使は歯車やネジ、シリンダーのついた翼をはためかせながら降りてきた。

 赤い髪はぐるんぐるんとロールし放題だ。こんな田舎では、あんな艶のある髪の持ち主はいない。

 その手には銃が握られていた。少年が知っているような火薬式の銃とはかなり形が違ったが、引き金と照準器がついている。

 

「あなた、おうちはどこですの? ここは危ないかもしれませんわ」

 天使は平然と手をさしだしてきた。少年はバケツを両手でひしと抱いており、どっちの手を出せばいいか分からなかった。

「え、えっと……」

「ああ! 迷子になってしまったんですわね!」

 少年が答えあぐねている間に天使は早合点した。どうやら彼女は、常人よりかなりハイテンポで生きているらしい。

 

「でしたら、一緒に探してあげますわ!」

 言うがはやいか、少女の姿をした天使は少年を抱え上げ、空へと飛び上がった。

「へ? うわぁあっ!」

 取り落としそうになった『バケツ』を慌ててつかむ。地面がぐんぐんと遠くなっていく。

 ばさっ、ばさっ……翼がはためき、(こずえ)を超えて上空へ。

 

「うわわわわっ!」

 味わったことのない浮遊感……お腹がぞわぞわする感触に、少年は悲鳴を上げる。

「さあ、おうちはどちらですの!?」

「わっかんないよ、上から見たことないんだから!」

 天使の腕に抱えられた少年は叫んだ。自分の理解を超えたことが次々起こる状況に、腹を立てていたのだ。

 

「どっちに飛べばいいかしら?」

 鉄砲を持っているのに無鉄砲とはこれいかに。天使は飛び上がったあと、どうするかを考えていなかったのだ。

「あっち!」

 少年は片手に『バケツ』の取っ手を握ったまま、一方を指さした。

「合点ご承知!」

 礼儀正しいんだかなんだかわからない返事とともに、天使は少年が指さしたほうへ進んでいく。

 

「そうだ! まだ挨拶をしていませんわ」

 天使は歯車のついた羽根をはためかせて涼しい顔をしていた。彼女にとっては飛ぶのが日常なのだ。

「わたしくはアルケインですわ! お見知りおきを」

「天使……なの?」

 少年も天使の噂を聞いたことがあった。

 

 虹色の林檎を囓ったものが変身するという存在。

 世界を滅ぼす神獣に対抗するもの。

 帝国最強の戦士部隊。

 

 羽ばたきとともにどんどん加速していく。

 眼下は森から平原、岩山に変わっていく。

 

「あら、あれは……」

 その先に山があった。

 頂上からはにょきっと塔のようなものが生えている。

 

「あの塔のふもとでおろして」

 少年が告げる。

 アルケインはその通りにした。

 

「山から鉄の塊が生えてますわ。もしかして、これは遺跡なのではなくて?」

 鈍い銀色に覆われた鉄塔は、山から生えている部分だけでもアルケインの身長の何倍もある。

「これを埋めるのがぼくらの仕事なんだ」

 その鉄塔の根本へ、少年は運んできた土を撒く。そして、風に飛ばされないように踏みしめて固める。

 

「ぼくらというのは?」

「ぼくの一族。ひいおじいちゃんのひいおじいちゃんの代から、ずっとそうしてる」

「どうしてですの?」

「帝国の命令で。何か月かに一回、帝国の使いが(ガルダ)を届けてくれるんだ」

「何のために?」

「知らない。でも、ずっとそうしてるんだ」

 

 アルケインは鉄塔をコンコンと叩いてみた。かなりしっかりと埋まっている。地表に出ている部分の何倍も、山の中に埋まっているのだろう。

「それじゃあ、この山はあなたの一族が土を盛って作ったんですの?」

「たぶんね」

 少年は彼らが飛んできた方角を見た。向かいにある山は、言われてみればこちら側がえぐれているように見える。

 

「あっちの山を削って、代わりにこっちの山を高くするんだ。それがぼくらの仕事」

「他の人はいませんの?」

「今はぼくだけ。いろいろあって……」

 少年は今日の成果を見下ろした。神獣兵に襲われたとき、『バケツ』の中身は半分以上もこぼれていた。

 

 アルケインは疑問に思った。

 どうせ一度に運べる量なんてたかが知れているのに、どうして悲しそうなのかしら?

 それから、仮説を立てた。

 この男の子には、これしかないんだ。この土を運んだ量こそが、彼にとっての生きた価値のすべてなんだ。

 帝国は何を思ってこんな命令を出したのかしら。山を動かせなんて。

 

「えっと、助けてもらったことだし……」

 土に汚れた顔をあげて、少年は天使を見た。

「お茶でも出すよ」

 

 

3,「オーパーツ!」と天使は叫んだ

 

 少年は丸太組の家(ログハウス)にアルケインを招き、カップに注いだ薄緑(うすみどり)色の液体を出した。

 アルケインがカップを傾ける動作は優雅で、洗練されていて、少年とはまるで違う生まれなのだろうことが察せられた。

 

「スーッとしますわ!」

 感想のほうはあまり優雅ではなかったが、野草を煮出したお茶を嫌がりもせずに飲んでくれたのはうれしかった。

 

「林檎を齧って天使になるって本当?」

「ええ、本当ですわ」

「天使になれなかったらアッパーなテンションになって踊り続けて死ぬって本当?」

「聞き間違いですわ」

 アルケインは肩をすくめて訂正する。

(ハイ)になるんじゃなくて、(アッシュ)になるんですわ」

 死ぬ場合があることは本当らしい。

 

「一緒に齧った友達が灰になったところを見たっていう仲間がいますのよ」

「どうしてそんなことを?」

「私の場合は……何もかも失って、灰になろうが天使になろうが同じだと思ったからですわ」

「何もかもって?」

「今までの人生をかけて集めてきた、遺失物(オーパーツ)をすべて没収されてしまいましたの」

「帝国に?」

「他にいまして?」

 少年はうなずいた。オーパーツはとんでもない力を持った品々だ。ユーファリアでは、オーパーツの数が国力を決めると言っても過言ではない。

 

「でも、オーパーツを集めてたって……」

 いったいどんな人生を送ってきたのだろう。アルケインの姿は妙齢どころか少女のようにさえ見える。

 いや、それよりも。

「そんなに大事なものを失くしてイヤにならなかった?」

「もちろん、死ぬほど悔しく思いました!」

 アルケインが頭を抱えて叫んだ。その時の気持ちがフラッシュバックしたのかもしれない。

 

「ですが、何もかも失ってグレゴールの林檎を齧り……初めて空を飛んだ時、感じましたの」

「何を?」

自由ですわ」

 少年はぽかんとしていた。まるで、遠い国の意味不明な言葉を聞いたかのような表情だ。

 

「全部なくなったのに?」

「別の言い方もできますわ。背負わなければならない荷物がなくなって、身軽になったと」

「別のことをやり始めなきゃいけない」

「それで今は神獣を撃滅しながら自分の目と手でオーパーツを探しているのですわ!」

 アルケインは早口にまくしたてた。どうやら、神獣の残骸からはオーパーツが出土することがあるらしい。……この場合は出神というのだろうか?

 

「天使部隊はオーパーツ探しには最適な場所ですわ。あちこち飛び回っていますし、協力すれば神獣を倒すことだって……」

 身振りを加えてアルケインがしゃべっているとき、ふいにその背後に人影が現れた。

「お話し中、失礼します」

「「うぎゃー!」」

 少年と天使はそろって声を上げた。扉があいた気配はなかったはずだ。

 

「お、おばけ!?」

「この白っぽさ、間違いありません!」

「間違いです」

 腰のホルスターに手を伸ばしかけたアルケインを見下ろしながら、白っぽい人影はため息をついた。

 

「よく見てください、アルケイン。私です」

「なぜわたくしの作戦名(コールサイン)を……って、ミスルトゥだったんですの」

 人影をまじまじと見つめたあと、アルケインは力を抜いた。

宿り木(ミスルトゥ)?」

 そう呼ばれた女はおそろしく白い顔をしていた。その赤い瞳が少年に向けられる。

「はい。天使のようで天使じゃない、ちょっと天使なオーパーツ。ミスルトゥをよろしくお願いします」

 少年は何が何やらわからなかったが、突っ込んでも話が進まなさそうなので重要なことを聞くことにした。

 

「どうやって入ってきたの?」

「私は体を液状(リキッド)にすることができますので。この通り」

 ミスルトゥの手が白くとろけて床に落ち、それがつま先から吸収されて再び手が生えてきた。

「うわぁ……」

 かなり異様な光景だった。

 

「わたくしのいちばんの収蔵品でしたのよ」

「今は晴れて自由の身です」

 何やら複雑な背景があるらしい。

「わたくしについてきてましたのね?」

「誰かが見張っていないと、すぐに無茶なことをしでかしますから」

「危険を冒すのが冒険(アドベンチャー)ですわ」

 

 天使たちが話すのを眺めるうちに、少年にもだんだんと状況がのみこめてきた。

 アルケインはいま、天使としての任務についていない。休暇中なのだろう。この天使はどうやら一人になるとどこかに飛んで行く(へき)があるようだ。

 もっとも、その(へき)のおかげで彼は命を救われたのだが。

 ミスルトゥは、彼女をこっそり見張っていたのだろう。それは任務なのだろうか。そこまではさすがにわからなかった。

 

「ところで」

 ミスルトゥが棚のほうを見た。

「珍しいですね。あなたがオーパーツを前にして落ち着いているなんて」

「「オーパーツ?」」

 少年とアルケインがそろって声を上げた。

 ミスルトゥの視線の先には、少年が『バケツ』と呼ぶものがさかさまに置いてある。底が丸いので、さかさまにしないと安定しないのだ。

 

「はい。これは一種の装置ですね」

「そのバケツが? まさか。ずっと昔からうちにあるんだよ」

「少しお借りしても?」

「いいけど……」

 ミスルトゥは『バケツ』に手を触れた。その指先がどろっと溶けて表面を伝っていく。

 

「解析完了……プロテクト解除」

 わずか数秒の間に、白い天使は何かをしたらしい。

「かぶってみてください」

「何が起きるの?」

「命にかかわるようなことはありません」

 なぜかもったいぶるミスルトゥに対して、少年は唇をとがらせながら『バケツ』をさかさまにかぶった。白く変色した透明パーツごしに、ぐにゃっと歪んだ天使たちが見える。

 

「それで?」

 と、少年が発した声が、大音量で響いた。

「きゃー! びっくりしましたわ!」

 今まで静かに成り行きを見守っていたアルケインが声を上げた。少年の声が、彼女のスカートに取り付けた無線機から聞こえてきたのだ。

「その装置には、無線通信機が内蔵されているようです。今の帝国軍が使っている無線機くらいなら簡単に傍受させることができます」

「では、ほんとうにオーパーツ!」

 アルケインが興奮気味に叫んだ。その瞳は爛々(らんらん)と輝いている。頭のてっぺんからつま先まで、空気の代わりに好奇心でパンパンに膨らんだ風船のように思えた。

 

 欲しいですわ!

 

「ダメだよ」

 アルケインの全身から発せられるオーラを感じて、少年はバケツをしっかと抱え込んだ。

「お、お金ならありますわ。いえ、それより、他の容器や台車と交換でも……」

「これじゃないとだめなんだ」

 ミスルトゥは腕を組んだ。

「なぜです? 運搬のための容器としては、非合理的です」

「父さんもこれを使ってたんだ。爺さんも。だから、これじゃないとだめなんだ」

 

 少年の目は真剣だった。理屈ではなく、手放すことなど考えられないのだ。

「わかりましたわ」

 アルケインは肩を落としながらも、野草茶の残りを飲み干した。

「わたくしだって無理に奪うようなことはしたくありません。あなたにはそれが必要なのでしょう。しかし……」

「しかし?」

 アルケインは窓の外を見た。

 

 空には黒い雲が広がりつつあった。

 

「ここは危険ですわ」

 どうして、と少年が聞くより早く、ミスルトゥが続いた。

「神獣が来ます」

 

 

4,一刻の猶予

 

「神獣兵は神獣の先触れ。手下が現れたということは、親分がすぐにやってきます」

 ミスルトゥが淡々と告げる。

 どうやら、アルケインが少年を助けたときにも彼女は見ていたらしい。

 だがそんな細かいことを気にしている場合ではない。

 

「神獣が現れたら、どうなるの?」

「このあたりは滅びます」

 白い天使の声には確信があった。

「生き物は死に絶え、建物は消え去り、場合によっては空間ごと蒸発します。そのあとに何が起きるのかは、神獣しだいです」

 少年の理解を超えていた。

 

「でも……逃げるって言っても、どこに?」

 少年はすがるようにバケツを抱きしめていた。

 アルケインは思った。他に行くところがないんだ。

 少年は現金(ガルダ)をもらっていると言っていた。だから、時々は町に行って買い物をするのだろうが、自分のことを町の一員だとは思っていない。

 他の場所では生きていけないと思っているのですわね。

 幼いころの私と同じように。

 

「お湯をいただける?」

「いいけど……何に使うの?」

 アルケインはごそごそと器具を取り出し、その中に鍋の湯を注いだ。

 チッチッチッ……器具の中から歯車がこすれ合う音が規則的に鳴り始める。

「これは蒸気計時機(スチームタイマー)。30分経ったら音を鳴らして知らせてくれる優れものですわ。この音がなるまでにわたくしは神獣と戦う準備を整えます。あなたはそれまでに逃げる準備をなさい」

「でも……」

「準備ができていなくても、時間が来たらわたくしが放り出しますわ!」

 有無を言わせぬ強い口調。少年には天使が本気で言っているとわかった。

 

 それだけ、事態は切迫している。

 

「だったらどうしてお茶なんか……」

 少年は目の前のことを考えることから逃げたくて、赤い天使を責めた。

「人を……」

 アルケインが身を震わせた。

「人を守って戦っているんだと、感じたかったからですわ。私たちが空の上で神獣と戦っているとき、その戦いを近くで見ている人などいません。神獣を目視できる範囲に入るだけでも危険だからですわ。戦闘が予測された時点で全員を退避させます。もしわたくしたちがおらず、神獣だけがいたら……そこに人など残っておりません。時々、空の上から町を見ていると、精巧に作られた模型のように感じる。丘陵が落とす影も、川の流れも、絵の具で描かれただけの偽物に映る。本当は艦の中に居るわたくしたちだけが生きていて、帝国も王国も、戦争だって誰かがでっちあげた嘘じゃないかって、そんな風に思えるのです。空虚……神獣より恐ろしいものがあるとすれば、わたくしの心に生まれる空虚ですわ。負けるのはまだ受けいられますけど、勝っても負けても同じだと思うようになるのが恐ろしい……」

 

 チッチッチッ……。

 アルケインが唇を閉じ、即時機の歯車の音だけが響いた。

「だから、私たちが守るために戦っている大地に人間が暮らしていることを感じたいのです。誰かが生きてると感じられなかったら、私たちの戦いは無間地獄と同じなのですわ。だから……だから」

 触れあいたかった。

 語らいたかった。

 天使でも、将官でも、何が何だかわからないことをのたまう謎の存在でもなく……

 

 人間と。どこかにいる誰かと。

 

 少年は理解できた気がした。

 あのとき。

 自分の元に天使が舞い降りたとき。

 救われたと感じたとき。

 天使もまた、救われていたのだと。

 

「では私は、確かめたいことがありますので」

 にゅるん。

 ミスルトゥは白い液体と化して、窓枠の隙間から外へと染み出していった。

 たぶん、入ってきた時にも同じように隙間から来たのだろう。

 

 少年はなんと答えていいか分からなくて口を閉ざしたが、振り返って戸棚の中を探った。そこには何代か前の曾祖父だか高祖父が帝国から受けた命令書があるはずだった。

 他に何を持っていくだろう。

 30分、いや25分以内に決めないと。

 

 少年が持ち出すものを探し始めたのを見て、アルケインもまた自分の持ち物を確かめた。

 蒸気式拳銃(スチームガン)は高性能だが、巨大な神獣にダメージを与えるには心許ない。

 弾数も多くはない。もっとたくさん持ってくればよかった。

 ごとり。

 一挺しかないロケットランチャーをテーブルの上に出す。整備不良はない。だが、撃てるのは一回だけ。神獣を必ず倒せる時に使わなければならない。

 ミスルトゥの支援があるとしても、神獣を倒すことができるか……。

 ここにもっとたくさんの天使がいれば。

 

 それとも、急いで取って返し、本隊に神獣発生の前兆ありと報告するか?

 

 そのほうが賢いのだろう。

 神獣兵を発見したら軍へ報告するのが、天使のみならず帝国民の義務だ。こんな山奥から知らせようと思えば、今すぐ飛びたつのが賢明だ。そうに決まっている。

 こんな誰も名前も知らないような地方が神獣に滅ぼされたって、構わないじゃないか。

 

 だけど、アルケインは想った。

 

 ここは模型でもなければ絵の具でもない。

 

 丸太にしみついた生活の香りを。

 野草茶の味を。

 少年を抱いて飛んだ重みを。

 この体は覚えている!

 

 ドォン!

 

 その時、地響きがした。

 ガルダをありったけ入れた封筒を懐にしまおうとしていた少年が姿勢を崩して転びかける。

「まさか……!」

 アルケインは窓を見た。

 

 空に巨影。

 

 ジリリリリリ!

 即時機がけたたましく鳴った。

 

 神獣が空にいる。

 

 

 5,神獣襲来

 

「いつの間にこんなに近くに……!」

 アルケインは銃弾をポーチに戻し、ロケットランチャーを背負う。

「わたくしが神獣を引きつけます。少しでも遠くまでお逃げなさい!」

「でも!」

「だいじょうぶ、神獣は天使を追いかける習性があるのですわ」

『それは軍事機密ですよ、アルケイン』

 アルケインの無線機から、ミスルトゥの声がする。自身がオーパーツである彼女は、通信機能も内蔵しているのだ。

 

「ずっと聞いていたんですの! いえ、それより、今どこにいるんですの?」

『もう少し時間がかかりそうです』

 ミスルトゥは質問をはぐらかした。よく耳を澄ませると、カチャカチャと何かをいじっている音がする。

 アルケインは模造天使に指示をすることを諦め、少年に向けて振り返った。

 

「さあ、早く!」

「う……うん!」

 促されて、少年はわずかばかりの荷物を肩掛けにし、最後に『バケツ』を掴んで駆け出していく。

 アルケインは背中の翼を羽ばたかせ、真上に向かって飛び上がった。

 

「やってやりますわ!」

 神獣と相対する。巨大な神獣に対し、アルケインはあまりにも小さい。赤い髪が風でたなびく。嵐に飲み込まれる蝋燭のようだ。

 

 神獣は戦艦のようだった。のよう、というのは、どう考えても戦艦としての機能を満たす形はしていないからだ。

 全体としては戦艦の形に近いが、異様に前方が膨らんでいる。向かい合うと、まるで極端に遠近感(パース)が強調されているかのようだ。

 途中で折れ曲がった推進装置(スラスター)はホバリングのために下をむいている。後ろ側から鉄でできた脚が生えているように見える。そのまま地上に降りて、戦艦が歩行(ガウォーク)すると言われても信じてしまいそうだ。

 側部には文字がプリントされている。

大天使(アークエンジェル)』。

 

「天使をおちょくってますのね」

 アルケインは心の中で神獣を名づけた。

 諧謔(かいぎゃく)の神獣。そう呼ぶことにする。

 

《暁の水平線に なにかを刻む》

 

 神獣の謳。世界を書き換える力。謳を発し続ける限り、神獣にはあらゆる攻撃が通じない。

 天使を除いて。

 

「食らいなさい!」

 プシュン!

 蒸気式拳銃が空気圧の音を立てて銃弾を放つ。携行武器とは思えない飛距離と威力を持つ弾丸は、しかし分厚い装甲に阻まれてあちこちに弾かれてしまう。

 

《撃っていいのは 撃たれる覚悟がある奴だけだ》

 

 耳障りな謳とともに、神獣のねじれた砲身が天使を狙う。

 ドンッ! ドンッ!

 砲撃の音が続けて響く。砲弾はなぜか巨大化させた銃弾の形をしていた。しかも、薬莢がついたまま飛んでいる。

 神獣のやることは無茶苦茶だ。

 

「つうぅ……!」

 すんでのタイミングで天使はかわしたが、巨大な質量が巻き起こす衝撃に翼をとられ、姿勢を崩す。

 きりもみしながらアルケインは砲弾が大地に大穴を開けるのを見た。

 だいじょうぶ、少年が逃げた方角ではない。

 ばさっ。

 翼を開いて姿勢を立て直す。

 

「時間さえ稼げれば……」

 短い戦いでわかったのは、神獣の装甲を打ち砕くほどの力を時分が持っていないこと。

 ロケットランチャー一発で落とせるような、ヤワな敵ではない。

 だからアルケインは神獣の注意を引くことを決意した。できるだけ大きな動きで飛び回り、少年とは反対方向に引きつける。

 

 だが、神獣の砲撃はアルケインの意図を封じるかのように続いた。

 天使が向かおうとする機先を制するように照準し、そのたびにアルケインは反転しなければならなかった。

 

《エネルギー充填 60パーセント》

 

 神獣の前方に巨大な穴が開き、奇妙な光を発し始めた。

 咒歌防壁が収縮していく。

 神獣の全身が、巨大な砲身なのだ。そして、その(のろ)いをエネルギーに変えて放とうとしている。

 もし放たれれば、土地管理局の職員はこうぼやくことになるだろう。

 やれやれ、また地図を書き換えないと。

 

 

6,バケツ一杯の勇気

 

 ひゅぅんっ!

 空気を切り裂く音を立てて、白い物が横切った。

 飛来した物体は神獣の関節つきのスラスターに突き刺さる。制御を乱した神獣が空中で傾いた。

 

「ミスルトゥ!」

 白い天使が翼のように広げた枝をはためかせている。

「間に合ったようですね」

 飛来したのはミスルトゥが自らの肉体から生み出す槍だ。質量の分、弾丸よりはいくらか威力がある……それでも、装甲が薄い間接部をうがつのがやっとだ。

 

《エネルギー充填 80パーセント》

 

「間に合ったわけではなかったようですね」

「涼しい顔で言っている場合ではありませんわ!」

 大声で突っ込むアルケインに対して、ミスルトゥはなおも涼しい顔で新しい槍を作り出した。

 

「私が注意を引きます。アルケイン、その間に神獣の注意を引いてください」

「注意ばっかり引きつけてどーするんですの?」

「9時の方角です。罠を仕掛けました」

「9時……」

 アルケインは左斜め後ろを振り返った。ミスルトゥの参戦で、周囲を見る余裕が生まれていた。

 

 山がある。

 その山の頂上から鉄塔が覗いていた。

 

「あそこですわね!」

 そこに何があるのかは分からなかったが、ミスルトゥが行けというのなら、疑うよりも信じるほうがいい。アルケインは身を翻し、鉄塔へ向かって飛んだ。

 

《エネルギー充填 100パーセント》

 神獣の謳は続いている。

「くっ……! あとは発射するだけ……!?」

 ミスルトゥの槍が牽制を続けているが、神獣の内部で高まるエネルギーの増大を止めることができない。

 

「もう少し引きつけてください」

「しかし……!」

 無情にも神獣の謳が高まっていく。

 

《エネルギー充填 110パーセント》

 

「なぜ100パーセントで撃たないんですのっ!?」

 だがとにかく、一瞬だけ猶予があった。射撃で注意を引きながら、神獣をおびき寄せる。

 ミスルトゥに気を逸らされても、諧謔の神獣がターゲットしているのはアルケインだった。徐々にその後を追って、山へと近づいていく。

 

『聞こえますか、少年』

 ミスルトゥの声は無線を通じて、少年が持つ『バケツ』へと伝わった。

「えっ!?」

 少年は――木々の間を走り抜けていた。しかし、どこまで逃げても神獣の偉容が見えなくなることはない。隠れられる場所もあろうはずがない。町がある方向へと夢中で走っていただけだった。

 

 せめて逃げ切らなければならない。そう思っていたはずなのに、なぜミスルトゥは少年に声を掛けたのか。

 

『アルケインを助けたいと思いませんか』

 バケツごしに聞こえる声を聞き取るため、少年はそれを被った。

「そ、そりゃ、助けられるなら……助けたいけど!」

『では、頼みがあります。数字を数えてください』

「いち、に……」

『逆です。10から減らしていってください』

「なんでそんなことを?」

『説明している時間はありません』

 

 少年は振り返った。

 神獣の体中に生えた砲身が火を噴くたび、轟音が響く。

 天使の姿ははっきりとは見えなかった。

 巨大な影が進む先には、見慣れた山があった。

 

 走りながらでは呼吸が苦しい。

 足を止めて、少年は息を吸い込んだ。

 

「10……9……8……」

 足下でなにかが震えたような気がした。

「7……6……5……」

 微かな震えは次第に大きな揺れになった。

「4……3……」

 その揺れを起こしているのは、あの山だった。

 

 頂上に鉄塔が生えた山。

 一族が百年以上をかけて、土の下に埋め続けた山。

 濁った『バケツ』ごしに、その山になにかが起きようとしているのが分かった。

「2……」

 

 ふと、何もかもが終わってしまうような気がした。

 取り返しのつかないことをしようとしているんじゃないか。そんな思いが少年の胸中にわき上がって来た。

 

 神獣は鉄塔山の上を飛んでいた。

 かなりの距離がある。天使が気を引いてくれているなら、このまま神獣をどこかへ連れて行ってくれるんじゃないか。

 そうすれば、明日からはまた山を動かす仕事に戻ればいい。どこかで神獣が暴れたって、帝国が滅びるわけじゃない。

 今日はもう一回死にかけているんだ。疲れている。ここでへたり込んで続きを数えられなくても仕方ない。

 『バケツ』の中は少年の吐いた息がこもっている。苦しい。汗だくだ。暑苦しい金魚鉢を脱ぎ捨てたって、誰にも怒られるいわれはない。

 

「1……」

 

 だが少年は数えた。

 体ひとつで神獣と戦う天使ほどには強くはない。

 だけど、声をあげることならできる。

 ほんの一息。

 バケツ一杯の勇気を振り絞ることなら。

 

 なぜか、少年には次に発するべき言葉が分かった。

 

発射(リフトオフ)

 

 山が吹き飛んだ。

 猛烈な爆発が、100年間積み上げてきた岩と土を吹き飛ばしたのだ。

 その爆発は神獣の真下で起きた。

 

《エネルギー充填 120……》

 

 神獣の謳を遮る轟音。

 吹き飛んだ山の下から、銀色の巨大質量がせり上がる。それは炎を噴き出しながら、空へ向かってまっすぐに飛び上がり――そして、神獣に直撃した。

 

 少年は知る由もなかったが、神獣にぶつかったそれは打ち上げ機(キャリアロケット)と呼ばれる巨大な人工物だった。

 一族が埋め続けてきたものは、ロケットの発射台だったのだ。

 ロケットは神獣によって軌道をそらされながら、なおも空へと飛び上がっていく。

 

「なんですのぉ!?」

 爆風に煽られながら、アルケインは声をあげた。

 無線機からミスルトゥの声が聞こえた気がするが、その内容までは聞き取れない。

 しかし、艦腹に直撃を受けた神獣の装甲が剥がれ落ちているのがわかった。だから、聞こえはしなかったけど、何を言われたのかは分かった。

 

 アルケインは背負っていたロケットランチャーを構えた。狙う必要はない。巨大な神獣の土手っ腹には、これまた巨大な穴が開いていた。

「目にもの、見せてやりますわ!」

 

 ドッカン!

 

 ロケット弾は剥き出しになった神獣の内部構造にぶち当たり、とんでもない爆発を起こした。ロケットの威力だけではない。神獣がに溜め込んでいたエネルギーに誘爆したのだ。

 

 白光。

 

 神獣の全身が崩れ、灰となっていく。

 白くたなびく煙を残しながら、打ち上げロケットは空の彼方へと飛んでいった。

 

『標的の沈黙を確認』

 ミスルトゥの声がようやく聞こえた。

『神殺しを成し遂げました』

 

「誰かの台詞を引用したい気分ですわ」

 滅びた諧謔の神獣へ向けて、アルケインは手向けの言葉を贈った。

「最強冒険家のわたくしには勝利と栄光こそがふさわしい――おほほのほ!」

 

 空はよく晴れて、山は跡形もなくなっていた。

 

 

7,お別れですわ

 

 日が傾いていた。

 

 吹き飛んだ山と、少年の家から南へ少し――高原に町がある。

 その町のすぐそばまで、アルケインは少年を運んで飛んできた。

 空は何事もなかったように晴れわたっている。

 

「到着ですわ!」

「あの……白い天使は?」

「ミスルトゥ? たぶん、どこかで見ていますわ。いつもわたくしの視界から姿を消すんですの」

 それが彼女らの距離感なのかもしれない。

 

 少年の手の中にはまだ『バケツ』があった。

「どうして、うちにこれがあったんだろう?」

「これは想像でしかありませんけど……」

 と前置きして、アルケインは考えた。

「あの飛んで行ったものは、帝国にとってはきっと都合が悪いものだったんですわ。それをすべて埋めつくして、『なかったこと』にしようとした。しかも、それを起動できる一族にやらせることで、自分たちに従わせる……埋めるのをやめようとすれば、反逆罪にできますもの」

 少年の背にひやりとしたものが走った。

 一見してそうは見えないが、アルケインは帝国軍の所属天使なのだ。帝国のやり方がどういうものか、知らない立場ではない。

 

「じゃあ……」

 少年は『バケツ』……起動装置をさしだした。

「あげるよ、これ」

「いいんですの!?」

 満面に喜色をにじませてアルケインが叫んだ。

 

「だって、これを持っていたら身分を明かしてるようなものでしょ。ぼくにはもう必要ないし……」

「それでは遠慮なく」

 アルケインはうやうやしくオーパーツを受けとった。

 

「これからどうするんですの?」

「わからない。今まで人生ぜんぶがあの山を埋めることだった。これからどうしたらいいのか……」

 少年の心にぽっかりと穴が開いたようだった。すべてのじかん、すべての労力を費やしてきたものが、消えてしまったのだ。

 少年は、自分が泣きそうになっていることに気づいた。頭の後ろ側がずきずきして、目頭が熱い。

 

「では、自由ですわね」

 その言葉が、あふれかけた涙をぴたりと止めた。

「自由?」

 異国の言葉のように聞こえたそれの意味が、唐突にわかった気がした。

 

 風が吹いた。高原の匂い。花の匂い。遠くで犬の吠える声。

 少年は静かに頷いた。

 

「ありがとう、アルケイン」

「いいえ! すばらしいものを頂きました」

 アルケインが『バケツ』をすっぽりと被った。

 他人が被った姿を見て、少年はそれが最初からヘルメットの形をしていたのだと気づいた。

 

「もう、大丈夫」

「どうかお元気で」

 天使は翼を羽ばたかせ、オレンジ色の空へと舞い上がった。

 

「やっぱり土臭いですわー!」

 くぐもった声とともに、天使はどこか遠くへ飛んでいった。

 

 少年は町を振り返った。

「おっと……」

 先祖から受け継がれてきた命令書が懐に入っていることを思いだし、それをビリビリに破いた。

 先祖と少年の繋がりを証明するものはもうない。

 家に帰れば何かあるだろうけど、帰るつもりはなかった。

 

 バケツの感触を懐かしく思った。でも、自分で手放すことを決められたのだ。

 寂しくて不安で、だけどさわやかな気持ち。

 少年は思った。

 もし空を飛べたら、きっとこんな気持ちだろうな。

 

『バケツ一杯の勇気』〈了〉




6月17日に間に合ったということにします!
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