ポケモントレーナズスクールでは、受講する前提として、学科や修めるべき課目が違う場合には校舎も異なる。なので、授業がまるっと被ることもなければ教室に普通科の生徒が紛れ込むようなこともない。……よっぽどのこと、たとえば、社会見学のような形で一般人を見学に迎え入れることはあっても、ポケモンリーグ協会の審査を突破した
ゼロ歳から通学は可能な十歳までの義務教育機関だからと誰も気にしたことはないようだが、そもそもの話。ポケモントレーナーズスクールに通学できること自体、エリートの証のようなものなのである。分かりやすくいうなれば、ポケモントレーナーズスクールで最優秀の成績を飾ったポケモントレーナー科の生徒には、ポケモンリーグ挑戦権が与えられるのだから。通常ではポケモンジムをめぐってジムリーダーに認められたうえでバッジを獲得し、はじめて得られる挑戦権だ。それを在学した上で成績を残すことで得られると言うのだから、何を以てしてエリートと呼ばれるのかは察しやすかろう。
ポケモントレーナーズスクールの見学を申し込むような一般人の枠組みは、一応あるにはある。しかし、用意された枠組みは二種類で、そのどちらもが過去のポケモンリーグ参加者を護衛に携えるスポンサーか、専門職への就職を控えた卒業生となる。将来を賭けた重要な一場面であるから不正があっては以ての外。不祥事があっては、せっかく掴んだ若者たちの未来を潰すことになるので「事故」も「事項」もあってはならぬものとポケモンリーグの定めた規則を厳守し続ける学園長の手により、濃密な精査が行われるはずだ。
ポケモンリーグ協会とも親密な関係である以上、問題が発生するあらゆるリスクを排除したうえでの養育環境をつくる義務がある。故にこそ、問題が発生することの方が
そんな厳格かつ保守的な学園長が、ポケモントレーナー科の教室に一般生徒が紛れ込むような事態を許容するはずない。見つけ次第、停学処分を下して反省文やら課題やらを雪崩手前の山のように提案し、出来なければ退学処分を下すほどに線引きに関しては冬の山なのである。
ポケモントレーナー科の所属か否かを見極めるには、ポケモンたちとの触れ合いの場面を観察した方が事を迅速に進められる。
普通科のカリキュラムにはあまりないポケモンたちとの触れ合いは、今後旅に出るであろうポケモントレーナーの卵たちにとっては呼吸するように出来なくてはならぬ永遠の課題である。初対面の人間とだって挨拶をして言葉をかわし、
未知の異能を操るポケモンと共存を目指すからこそ、ポケモンを前に興奮より先に恐怖が勝るなどの状況は、自身の生命線を懸ける死活問題に直結する。カントー地方のポケモントレーナーズスクールでは、そのような理由から普通科を選んだ子どもたちの安全面や精神面を考慮して、入学当初からポケモンとの触れ合いを積極的に行うことで有名だった。
入学時にも説明や同意書などのチェック項目があり、了承をした生徒以外はポケモントレーナー候補生が受ける受領を受講するどころか、見学すら叶わないのが当然のこと。
「だからこそ、此の状況は不可思議であると判る。……っしょ?」
「無理やりくっつけたな……でも、うん、言いたいことは分かる。」
不慮の事故で学内の女子生徒が負傷した。
此れを聞くだけならば、ポケモントレーナー候補生のトレーニングだと言える。しかし、あらゆる前提条件を踏まえて
原因を探るために、少年は立ち上がった。見学の申請は此処しばらくなかったことは御高齢の教員に協力を仰ぎ、荷物を運ぶと装って職員室へ立ち入ったのである。
「ヨルノズク先生、」
「なんだね?」
「……学校の教師の入れ替わりって、今の時期にもあり得ることなのだろうか。」
「はて……まあ、色々事情があってお休みされる先生も少なくはないことだし、此処でも修行に出ると言って出て行く先生もいらっしゃったし、それほど珍しいことではないかもしれないね。」
それは…………この間、体育の授業中に飛び出していった熱血教師のことだろうか。
ほんの数日前まで、それはもう炎そのもののような男が居た。代々炎タイプのポケモンをパートナーに、生活習慣や安全性、共存する方法を人々に教え伝える家系に誕生したその男は、家々や近隣住民のみならず多くの人にどうか誤解なきよう知ってもらいたいッ!!!!!という熱意をもってしてポケモントレーナーズスクール教員募集の門戸を叩き尽くし、見事にカントー地方の学校で教員の座を獲得した。
しかし、事は順風満帆には行かず。授業は毎度適格ながら熱すぎてうまく教え伝えることが出来ぬ日が多く、とうとうままならぬ我が身をそれはもう学校中に響き渡るほど盛大に恥じ入り、「修行に行ってくる!」とヨルノズク先生に残りの授業を手引書ともども押し付けたバクフーン先生なるものが居たのである。
今では<バクフーン先生によるダイナミック課外授業>なる伝説として囁かれており、噂話をウマイ具合に利用した学園長によって実際にビデオレターでの授業を実施。
思わぬ教材を確保したとホクホク顔の学園長を見るからに、お互いに良好な環境に落ち着いたようではあったけれど。…………そういうの、ではなくて。
「あまりに素行が悪ければ、自主的に居なくなってもらうこともあるぞ。」
「ダァイル」
ぱち、と目を瞬かせて。
見知らぬ影が二つ。すぐさま最低限の礼儀をとった。
目の前の男は、同じようにお辞儀の礼をとったオーダイルを褒めるように肩を叩き、長年連れ添ったパートナーのように同じタイミングで笑顔を浮かべた。明朗な表情を浮かべるヨルノズク先生の気配を過敏に感じ取り、悪い人ではない、と無意識に判断を下す。
「……こんにちは。」
「おお、オオダイラくんじゃないか……! 今日から出勤だったんだね!」
「おう、こんにちは。ヨルノズク先生はよしてくださいよ、俺ァもうあんたの生徒じゃなくて同じ職場で働く後輩かつ同僚、でしょう?」
「ははは、すまないね。教え持った生徒が同じ職場で働いてくれるだなんて、教員明利に尽きるものだから、つい興奮してしまって。……っとと、グライスくん、彼は新しくポケモントレーナー科の教員として席に加わったオオダイラくんだ。普段は君たちの担任の補助に入ってくれる、副担任というやつだよ。」
学校も動き出した、ということは例の件が学園長の耳にも入ったのだろう。新たな副担任ということは、此処では入れ替える予定はあるということ。
ふうん。とうなずき、見られて困るようなことでもないので遠慮なく行動を再開した。件の担任専用に誂えられたデスクを見下ろすと、教室から出入りするときには誰の手にも触れぬよう大事に抱きかかえて歩く出席名簿と書かれたバインダーは、彼のデスクのうえで乱雑に置き散らかされている。コーヒーの香りも色も染み込んだ出席名簿は、生徒の個人情報の塊であるというのにも関わらず普段から雑な扱いを受けているのだろう。
見開かれたページ。開かれたまま置き去りになったバインダーの角度。めくれ上がったページの隅っこの具合に、重なり合った資料の順番。ありとあらゆる配置をあらかた記憶に叩き込んで、躊躇なくとある日付のページをめくる。バラバラバラと数枚ほど同じ日付の出席名簿があり、それはそのまま偽装工作の証拠として記録した。
目的の授業の出席簿は、その日の実際の出席者の記録がある。当然のことながら、普通科の少女の名があった。その上、御丁寧に怪我を負った時の責任の所在は本人にあると同意書すらある。
此処まで事前調査をした上で、グライス・エトワールは幼馴染たちに情報を共有した。 そして、彼らは役割を分担して各自得てくる情報を定める。
その一、怪しげな行動をとる職員が居る。それは担任教師だった。気になって調査したところ警戒レベルを引き上げることとなり、様子を見守りながら状況把握につとめる。
その二、バクフーン先生のような異例中の例はあるものの教員の入れ替え時期は自由であり、今の時期にも不特定多数の異動はある。
その三、異動事由は的確なものでなくてはならない。
かわいいかわいい幼馴染を仇名す輩なんぞに容赦のよの字もかけてやる必要などない。じゃあちょっくら頑張るか! となったわけである。
学校内部の情報をかき集めながら注目を集めるグリーン。標的となってしまったのであろう少女の側に控えるレッド。そして、学校外部からの情報を収集し、得た情報の総量をまとめ上げて証拠の裏付けをするグライス。彼らの証拠集めは、たった一日を浪するだけで終了した結果。
「学園長の落とし物があるんだった!」
「とても大事なものだから、急ぎ渡さなくては。」
以上に至ったというわけである。
「杜撰な。」
「おじいさまにお伺いしてみようかな……。」
「…………(絶句)」
しかし、調査の進捗は予想以上に進んで、なぜ今まで見つかることなく出来てしまったのか不思議に思うほどには、あからさまなやり取りだった。
言い逃れることの出来ぬ証拠品を見つけ出すには日替わりのパスワードが必要だったが、グライスにとっては造作もなきこと。彼の側にずっと居るパートナーポケモンの口を滑らせればよいだけである。意識して、ただ一言。「バチュル」と名を呼ぶだけ。全てを見透かすような雪原がやわらかく解けるように細まり、下手すれば子どもの手のひらより小さなバチュルの頬を指先でやさしくなぞって放たれた一言である。そんなことを美少年されてしまったら、と想像しただけでも少女たちは沸き立った。
教室内での出来事である。傍らでその犯行を目撃したグリーンは、思わずぶるりと震える己の体を支えるように抱き恐れおののきながら言った。「高位の”メロメロ”だ……!」と。
あと数日。
学園長が引き継ぎの予定もあるからと定めた日程までは、件の担任は泳がされることとなった。漫画やアニメーションではすぐさま入れ替わるような描写ではあったが、現実世界でそれは流石に困難なことである。妥当なものだと受け入れる生徒や親御はなるべく穏やかに過ごせることを望んで、学園長は全力を尽くすと宣誓した。
本人としては急激な異動で苛立ちがあるようだが、その矛先を生徒に向けようものなら副担任が目を光らせ、職員室で八つ当たりしようものなら学園長が笑顔を向ける環境では、どうしようもないようだった。
さて、教員による嫌がらせは解決した。とささやくなか、新たな事実が発覚するまでは、彼らは確かに平和な学生時代を過ごしたのであった。