※虐めを推奨しておりません。
昇降口の正面で。泣いている。大事なあのこが、泣いている。恐怖に震えるだけの自身に悲しみを覚え、なにも出来ぬ無力さを嘆き、逃げようと必死にもがけども足を踏みつけられて不発に終わる状況への混乱もあるのだろう。
「やだ、やだっ、やめて!たすけて、たすけて先輩!」
彼女を掴んだままの
掴んだままの茶髪に、銀の刃物を挿し入れて。ジャギン。と音がした。抵抗の為にもがいていた少女の身体は、彼女自身の脱出しようとした力のあまりに前進する。真正面には、階段から落ちてしまわぬようにと配慮から鉄の棒で編まれた柵があった。ガイン、ゴオン、と物音を立てて彼女は衝突し、痛みにうめきながら踊り場でうずくまる。
「いやだ? やめて? たすけて先輩? ですって、面白いこと。うふふ、私が誰だかわからないのかしら、ハナノさんったら。これだから芋くさい田舎娘はイヤね。」
顔をぶつけてしまったのだろう。コメカミの辺りを押さえたまま呻く彼女の横髪を、オンナは再び引っ張り上げてその顔を強引に上向きへと変えた。
患部を押さえた手は反動でがくりと落ちて、髪の毛を引っ張る手に対して抵抗を見せる。そのおかげと言うべきかなんと言うべきか、彼女の顔にアザが見えた。きゅう、と心臓から血液が失せたように全身が冷え込む。何か言わねば、何かしなければ。ざんばらに切り捨てられた柔らかな茶色の髪が風に吹き零されて、さらさらと昇降口から外へと。目の前を通り過ぎる。
ハナノ・ブルーの両親は言った。髪は女の命なのだと。当時は人の身というものは散髪を定期的にするはずだが不便なのだな、と思っただけだったけれど――――なら、なら? 今流れて往ってしまったのは、彼女の命だと言うのか。
「ゴルダック、”引っかく”よ。髪を思いっきり切ってコーディネートしてあげましょう?」
女は嗤う。ひどくわらう。醜く哂う。
振り上げられたハサミに驚き竦み、縮こまった途端に突き飛ばされる華奢な身体。瞬間、全てを忘れて一歩を踏み込む。
人間の肉体での一歩ごときでどうこうなるものではない。しかし、彼はただの人間ではなかった。半血とは言えども始祖竜の実子。その魂を持つ身である。魂や肉体に掛けられた
肉体に掛かる負荷がなんだと言うのか。そんなものを怖れて間に合わなければ後悔することしか分からぬ。命の危機に瀕した彼女を助ける以上に大切なことは、頭の中にはない。
「ッや、ぁああっ!?」
「ブルー!」
だからこそ、彼は踏み込んだ。
ゆえにこそ、彼は踏み込んだ。
人間の肉体で定めた限界の境界線を、なんの前触れもなく抉じ開けて。躊躇うことなく踏み込み真綿に包まれた魂と肉体に掛けられた制御機能を無理矢理に開く。全身を奔る痛みで零れそうになる悲鳴を吐息に変え、ただ開放することだけを意識する。制御は後だ。今は開けてしまえば良いだけなのだから。
軋む。捻じれる。砕ける。壊れる。――――だから、なんだと言おう。人間の枠組みなぞに当てはまる生き方を覚え始めたばかりだけれども、元をたどれば人外なのだからやれるはずだ。
構造は分かる。原理も分かる。ならばあとは今の肉体に、以前のそれを再構築をするのみ。無理矢理に脳から心の臓腑を流れる最も濃厚なエネルギーを捻出する。それらを束ねて足の裏に肉体を流れるエネルギーを集束させ、今の自分でも出来る唯一の記憶再現。階段の真下から、踊り場まで一直線に跳躍して少女を抱きとめる。しかし、それでも足らぬ。落ちる。思考を切り替える。出来ることを探して、彼はあっさりと受け入れた。
「……目を、閉じて。」
「ッ――――」
耳元で囁くような一言に、腕の中の彼女は素直に応じてくれた。ぐるりと回る視界。当然だ、踊り場に帰着することは叶わなかったので落下という分岐点に差し掛かっている。
衝撃に備えるように唇を噛み絞る少女を灰茶色の腕に抱き留めながら、ゆっくりと流れに身を委ねることにした。無理矢理に生命エネルギーを、
手摺りに捕まって耐えれば落下を防げる。耐えきれなかったとしても落下速度をおとすことで受ける衝撃を和らげられるはず。
そんなことしか脳になかったものだから、突き飛ばされた少女が万が一にでも希望を抱かぬように細工が為されていることに気づけなかった。手摺りには事前の細工があったのだろう。ぬめりけが強くて止めることは叶わず、下手をすれば二人とも転落による事故死として処理を受けかねん。抱きしめるのではなく踊り場に押し返せば良かった? ――――否、涎を滴らせながら牙を研ぎ澄ませる獣の前に、獲物を持たぬ子ウサギを差し出すような真似は出来ぬ。
最良だったとは言えまいが、あの一瞬で出来る最善だった。ポケモンたちが居る世界でグライスの肉体はまるきり弱者としか言えぬ強度であるが、受け身の取り方は天下一品である。
故に、彼は自分の身の心配はしておらん。打ち所が悪ければ、彼の腕の中に居るとは言えども少女の方が危険だろうとすら案じている。クッション材があっても衝撃を受けて中身のガラスが割れてしまったケースは多々あってしまうのだから、ただ来たる衝撃を緩和させることを意識しなければならない。
覚悟の上のことである。
それを承知で飛び込んだ。
迫りくる床の面積が広がるにつれて、彼は衝撃に備えるよう少女の身体をやさしく強く抱きしめる。一度目の衝撃。二度。三度。あ、転がる。頭を庇うように首を潜ませ、まるで激流の中で揉まれたかのように背中と肩を打ち据えた。
「オーダイル!」
「だぁいる!」
彼は自身の怪我も気にせず腕の中で意識を失った少女の姿を改める。頭部、踊り場の上での怪我以外は見当たらず。腕や足も異常なし。手首にはひねったようなあとがある。手摺を掴もうとした手は、彼ともう一人分の二つあった。掴んで踏ん張って支えようとしてくれたからこそ、耐え切れず落下の結末をたどったときに捻ってしまったのだ。
背中から後ろ手に回った手までに配慮しきれず、落下の際には少し体重をかけてしまったのだから彼が負わせてしまった負傷とも言える。服の下はさすがに女医に診てもらうとして、見えるところは今の落下で手首の他には負傷を受けてはいないようだった。安堵して。全身から一気に力が抜ける。
彼のそばで同じように少女のことを軽く診断していた教師は、少女を避けるように横へと崩れ落ちた身体を咄嗟に抱き寄せて顔色を見た。ひきつった呼吸の中に、負傷を見出した。
「オーダイル!今すぐ救急車を二台よんでくれ!」
「ダァイル」
新米教師はポケモントレーナーズスクールと連携をとる緊急病院に二人を搬送した。実行犯の捕縛は、ヨルノズクとともに彼のパートナーが請け負う。捕縛して。事情聴取して。落下してからの出来事を目の当たりにしたのはオーダイル先生とあだ名が付けられた若手教師だけだった。注意喚起と説明をする必要があるのだろう。けれど、それから、それから、と倒れ伏したまま担架で運ばれゆく身体に視線を向けたまま離れない。
心配なのだろうと老齢の教師は理解する。奇妙な呼吸を繰り返す少年をちらちら見つめる姿に、オーダイルをパートナーに持つかつての教え子にそっと言った。子どもたちが転がり落ちたのだと報告を耳にして、慌てて駆け寄った老齢の教師は先生からは後でも聞き取りは出来るからと校長を諫め、ヨルノズクに指示を出す。
嘴の先にくわえられていたのはオーダイル先生の鞄と、子どもたちの荷物だった。出発する前の声掛けをしている救急隊員に視線を向け、オーダイル先生の背中をそっと押す。むかし、老齢の教師がそうしてもらったときのように。
付き添ってあげなさい、と対応して見せた手当の報告も必要だろうからと。言葉を受けて、慌てて名乗り上げたオーダイル先生も救急車に乗り込んだ。
そうして、グライス・エトワール。全治約6ヶ月の負傷。ハナノ・ブルー。約2週間の負傷。診断結果は揃って入院となった。
彼の方は特に。約8メートルの高さから同年代の少女を抱えて落下。階段の凹凸とした部分に背中から転がるように強打したことにより、背骨・肋骨・左肺を負傷し、呼吸が一時的に引き攣り。呼吸の引き攣り具合の経過から呼吸器の導入を検討するまでに至ったので。
少女の方は、階段の踊り場から突き飛ばされた際に手すりを掴もうとして手首を捻挫。振り回された凶器で両腕を軽く負傷。ぐるぐるに巻かれた包帯は見た目は派手だけれども、中で塗り込んだ薬が取れてしまわぬよう、乾燥してしまわぬようにと理由でつけられたものだった。
ほんとうに見た目だけなの。俯いたまま痛みはないと虚勢を張る少女を両親は抱きしめる。彼女の両親は、少女を守るために多く怪我を負った少年へ感謝の念を抱く。娘の命の恩人だと咽び泣きながら看病を申し出て、女医にやんわりと断りを入れる。少年から事前のお断りもあったし、罪悪感に苛まれる少女を前に、無菌室で保護をしているので面会謝絶なのだとは言えなかった。
やんわりと。曖昧に。病室すら教えてもらえぬまま少女たちの時間は過ぎ去り、少女は慣れ親しんだ環境での療養で心身ともに健康をゆっくりと取り戻していった。
「ねえ、ブルー。……ポケモントレーナーを目指すの、やめない?」
そんな中、学校側の対応が早かったおかげで、犯人は普通科の先輩だと判明した。
そして、ポケモントレーナーを目指す少女の身を案じる。人間、異物に対する排他的な感情は湧き上がるものだ。ポケモンを忌避する村だってあるのだから一人旅ともなれば、今後似たようなことが起きる可能性は高く、その上に今回のような助けの手だってあるものとも限らない。ハナノ夫妻が、少女の旅路を渋るようになったのは無理からぬことだった。
また、今回の一件により、ポケモントレーナーズスクールの環境に監査・審査が入った。授業態度や日常風景等を鑑みて、ハナノ少女を突き飛ばした実行犯を含む数名を退学とし、ポケモントレーナー資格を永久剥奪する異例の事態となったのだ。
事件解決をもって、ブルーの学校環境は完全に改善と相成ったが、ハイではよろしくーと言って教室に馴染むことは出来なかった。
独りを極めたことにより彼女の知識は現役ポケモントレーナーとほぼ変わらず、現行の授業を追い抜いてしまったことも原因に挙げられる。――――よって、グライス・エトワール、ハナノ・ブルー、マサラ・レッド、オーキド・グリーンの四名に関しては、オーキド研究所預かりの野外授業を特例として認可することとしたのである。
階段から転がり落ちるのめっちゃ痛いですよね……。
*グライス・エトワール(名前グライス、家名エトワール)
グライス少年の口調は、わりと序盤……0歳から10歳までブレッブレです。ある程度の年齢もしくは状況まで進行しなくちゃ「ならん。」だとか、「せぬ。」とか言っちゃう古めかしい前々世の名残りがあります。始めたばかりの「っすよね」口調は、最近の若者たちは丁寧な言葉を軽快にさせたのだな……とか大真面目に思っちゃってます。
なんなら前々世の記憶の影響があんまりにも強くって! 自分以外をか弱き生命だと認識してしまいがちなので、うっかり庇護欲を爆発させてます。オメーもそこに仲間入りしてんだよ、と自覚するまで絶対長ェ……と思うのでしばらくモダモダしちゃう。
なお、ブルー少女を庇って落下したのも主な理由はそれです。十割がた六割はそんな感じ。残りの四割は「大切な幼馴染」なので。
誰だって自分の大切なものを雑に扱われるのって誰だってイヤでしょ? うんと大事にしてって思うはず……。つまりは、そう言うわけです。彼の魂はどうしたって竜なので独占欲はツヨツヨちゃんなのでしたって……コト……! 自分は大丈夫だけどこの子は落ちたら怪我じゃ済まんよなあ、とわりとそれだけの理由で行動したりもしてます。オメェもなんだよ。自覚しろ。