最期の記憶は、大事な宝からの裏切り。封印と再生の為に身も、魂もくべ入れようとした人型の端末を座に腰掛けさせたまま何度も、幾本をもの剣で串刺しにされた時のこと。
最初の記憶は、うすぼんやりとした意識ながらに守ろうとした家族の事切れた姿。人の身として誕生してから、既に生命の息吹きなく横たわる彼女、彼らが、グライス・エトワールとなった我が身の父母であったことを知る、絶望感。
此れが、心身ともに世界再生の為の炉心にくべた結果なのだとしたら、なんとも言えぬ。よもや世界の真核の中で、滅びゆく世界を見守っていれば人間は人間だけでなんとかしようとしたのだろうか。――――すくなくとも、こんなにも身を引き裂かれるような悲しみに溺れて逝くことはなかっただろう。
サーナイトから教わったグライス・エトワールが誕生した環境は、滞在するには、人間もさることながら身体的な機能もさほど覚醒してない赤ん坊にとっても、最悪な場所と言えるような場所だった。もちろん当然ながら、身重の女性なんてもってのほかのことであり、無理にでも出産を覚悟した母は息も絶え絶えであったと言う。それでも、廃墟のような隠れ潜んで出産する必要があったのは、ひとえに母親の出自が関係した。
生まれて初めて触れる外気にぶるりと身を震わせて丸くなる赤ん坊のことを、彼女は温もりを分け与えるよう誰よりも大切そうに抱きしめて、すぐさまおくるみに赤ん坊を包んだ。
『はやくこの子を安全な場所に、……っ』
腕の主は表情をわずかに強張らせたまま、血に濡れた寝台を片付ける。たったひとりで。ゆらりと手が増える。――――否、サーナイトの手を借りながらでも証拠を出来る限り消した彼女は、衰弱した肉体を前進させた。
一歩。また一歩と、牛の歩みよりずっと遅く、それだけ彼女が受けたダメージの大きさを物語っている。おくるみに包んだ赤ん坊を抱えたまま、よたりふらりと足取りが不安定な彼女はそれでも進む。追手につかまったが最後、赤ん坊の未来はたった一つに縛られてしまうことを懸念して。不安な心を慰めるように、赤ん坊の心を落ち着かせるように、なだめる手つきは一切迷いがなかった。
『■■に、だなんて……この母が、させませんからね。』
母親によく似た色味をもって誕生した我が子を見れば、父も思い直してくれるやもしれない。淡やかな期待が膨らみ、現状を見て萎む。
関係性を認めてくれなかったから家を出た。もう関係のなくなったはずの実家から追手が放たれたのは、胎の子が実家の裏山に聳え立つ<伝承にある始祖竜>の頭顱と共鳴してからである。今の年の瀬で、実家の血縁者は誰も懐妊しておらず、ならば可能性があるのは既に家を出た末娘だろうと判断を下し、父は決断を下したのだ。
主様の御命です。と言われてしまった以上は、望み薄と思うほかない。彼女の母が存命であったのならば、その眼差し一つで寒冷来るほどの横っ面を張り倒してでも止めてくれたのだけれど。
遅くに出来た子だったから、彼女の父母はよくよく末娘を愛しい姫と呼んで慈しんでくれた過去はある。なまじ可愛がられてしまったばっかりに、世論では「甘い」と切り捨てられるような理想を現実とすることを夢見る少女として育ち、実現できてしまう頭脳の持ち主でもあったがゆえに。国の伝承を守る為ならば我が子を差し出せと暗殺者まで仕向けてくるような冷酷さも持ち合わせる側面を知りながら、彼女は落差についていけなかった。
一番上に生まれたと聞く長兄は、わが子と同じように<共鳴者>であった。なんでも、龍脈を諫める為に崖からマグマの中央に突き落とされたという。
二番目に生まれた次兄は、生まれた時はそうではなかったけれど知恵を付けるにつれて共鳴するようになり、寒冷の海に身を鎮めることとなったという。
そして、今度は――――この身に宿った愛した殿方との宝を。そのような目に合わせてたまるものですか、と彼女はもつれて転がりかけた足を叱咤する。「仕方がなかった」の一言で諦観する父母に嫌気がさしたというのもあったけれど、幼かった彼女はよくよく遊んで叱ってくれた兄たちの犠牲が必要だったものだと思いたくない反発もあったのだと思う。
母はうんと愛してくれたけれど、父は――――結局のところ、誰にも差し出さなくてよい娘であったから可愛がったのだろう。「なにを恐れているのか知りませんが、あれは、関心を寄せる対象を定めたような感じでしょう。」とあきれをたっぷりに含んだ次兄の言葉を、彼女は覚えていた。
『私は呼ばれてしまったのでもう行きますが、おまえは市井に降って幸せにおなりなさい。』
まるでちょっと庭園を散歩してきます、と言うような口ぶりだった。
海に身投げした人とは思えぬざっくばらんとした物言い。けれど、母と同じように、彼女の幸せをただ願って言ってくれた次兄のド直球な愛情だった。
結婚を希った殿方を紹介しに帰ったときなんて「ウチの末妹は、まるで猪のような子ですから」と持ち上げる必要のない眼鏡をわざわざ指の腹で持ち上げて、妹の恋人にイジワルを宣うような兄だったけれど、――――それでも、人並みの幸せを願ってくれるやさしな兄だったのだ。
『お国の為にその身を捧げるのです、次兄様も本望でしょう。』
そんな陰口を囁かれてもよいような人ではなかった。彼女にとっては、大事な家族。居なくなった長兄や次兄のことを悪く言う人たちの居る国で、笑顔になんてなれるはずもない。反発するように研究にのめり込み、順応するように知識を吸収して行った。
彼女の母はそんな細やかな末姫の抵抗なんてお見通しだったのだろう。近くの大学ではなく、骨董品を取り扱う鑑定士を育てるホウエン地方の学校に通わせてくれたおかげで、勉学に集中することが出来た。実際に古代の遺物に触れて学ぶことで彼女が専攻した「消え去った古代歴史」に関する研究もひときわ進み、ポケモンセンターの<モンスターボール転送装置>の改良に役立ったのはオマケなのだけれど。
実績としては後者の方が大きく。
また、その過程で、彼女は、たった一人だけの愛しの殿方に出会うことが出来たのだ。
『巻き込んでしまって、ごめんなさい。それでも、わたくし、あなたと一緒に居たかったの。』
『よかよか。気にしぇんで。』
廃墟の影は、一つと一匹から。
二人と二匹に増えた。
後ろから追って来る足音も同じように増えてしまったけれど、何処か頼りない佇まいだった彼女は幸せ満天の笑みで彼の肩に寄り添った。
ひとりにしてごめんねと。どちらともなく謝り合う。大変だったでしょうと。どちらもお互いの姿から状況を把握して、労わり合った。同じタイミングで言ってしまうものだから、どうしようもなくおかしくなって。秘密を囁き合うようなひそりとした声でくすくす笑い合えば、不意に彼女の腕の中から声が上がった。
腕の中でもごもごと蠢くおくるみからは、ぴえんぴえんと鳴き声がする。奇妙なそれでも、サーナイトの記憶にうつる彼女らの眼差しは何処までも春の陽だまりのようだった。
『お、おお、もしかして僕らの子ばい? わあ、僕も抱っこ……ウウン、』
『ふふ、きっと大丈夫。わたくしたちの子だもの、強くなってくれはずですわ。』
わたくしたちは側で見守ってあげられませんから。
雨に打たれた花のようにしなり俯く彼女は、ゆっくりと腕の中の赤ん坊を彼に託した。しっかり頭やお尻を支えて赤ん坊を抱き留めた彼は、命のぬくもりに感嘆の息を零す。何も出来んことなかよ。産後から頑張って走り続けてくれた彼女をもう片方の腕で抱き、自身も怪我でふらふらであるにもかかわらず、彼は歩き始める。
どうか休んで。案じるように訴える声が上がったが、彼の歩みは止まらなかった。廃墟の中を、まるで自分の庭のように練り歩く姿には薄っすら恐怖が纏ったのだろう。
『どちらに行かれるの?』
『……ウン、此処の廃墟を走りまわったんだけどね。……この子の成長、もうちょっとだけ見たくって――――だから、ポケモンたちの協力を得ることにしたんだ。』
『逃げ切れるのです?』
『ごめんなあ。それは僕もでけんかった。けど、……ゆるされない行為だけど、エルレイドがゆるしてくれたんだ。ほんとうは、此処を破壊するつもりだったんだよ。でもね、』
彼は告げる。
唯一生き延びることの出来る方法を。
あまりにも非道で許されざる行為を。
あまりにも危険で赦されざる行為を。
彼女は驚愕する。
それは、永年連れ添ってくれた友人を侮辱するような行為である。
それは、永年寄り添ってくれた家族を傀儡とするような行為である。
『――――…、どうかな?』
『――――……でも、』
躊躇う。
足踏みを踏んでしまうと言うことは、幾ら極限まで擦り減った精神力とは言えども、その手段に惹かれてしまったことを意味する。自己嫌悪。自己憎悪。混乱に陥った彼女は、自身と同じように地獄の底で煮え立った釜の蓋を覗き込む彼の目を見た。
もう、とっくに、覚悟を決めてしまったのですわね……。今こうしてわたくしたちは死の窮地に追いやられてしまったことから、きっと、息子の未来を案じてのことなのでしょう。
あの子を連れたサーナイトやエルレイドが、無事に逃げ切れるとも限らない。追手に捕まってしまって、生まれてきたことを後悔するような躾を受けて、長兄や次兄のように――――。そんなのはダメよ。彼女は恐怖に震える心を叱咤する。
何も出来なかったあの頃のようになんの力も持たぬ少女の身ではなくなったはずなのに、彼女の出来ることと言えば、あの頃のようにこうして手を引いて逃げ回ることだけだった。
同じ結末を迎えさせるぐらいなら――――!!
せめて。
せめてあともうすこし。
もうすこしだけ、わたくし自身の手で守りたいと思ってしまったの。
『お願い、サーナイト。わたくしと一緒に地獄におちてくださる?』
『サナ。』
『……! まあ、まあ、昔からあなたはわたくしの危機に駆けつけてくれる姫騎士だものね、ありがとうサーナイト。とても、たのもしいわ。』
振り返り、震える手を誤魔化すようにもう片方の手で掴んで抑え、彼女はサーナイトに問う。すこしの間も入れずに「然り」と肯定してみせたサーナイトに、目をぱちくりとさせた彼女は大輪の向日葵が咲き誇るような笑みを見せた。
昔からそうしてきたように、サーナイトは両手を握り込んで彼女の額と自分の額を合わせる。穏やかに微笑み合う姿は、まさしく庭園の花そのものだ。
『ありがとう、ほんとうに。ありがとう、サーナイト。』
『エルレイドもありがとう、僕のワガママきいてくれてありがとうね。』
一枚の絵画のような麗しき光景を尻目に、彼も自身のパートナーを労わる。
こちらは日常風景のように、同年の同性のように肩を組んで慰め合うような光景だったけれど、どちらもお互いが大切だと語り合う姿勢だった。
パスポートや身分証明が出来上がるまでは、生まれ故郷であるカロス地方を離れるわけにもいかぬ。とは言え、身分証を作ろうとすれば居場所が特定されてしまう。前途多難な一歩だが、こうして、グライス・エトワールの逃亡生活は始まったのである。