”道を踏み外せば魂が引き裂かれてしまうよ。”
そのように、置いて行くことを当たり前のように宣言したあなた様の決意のかたさを
終わったことだ。話はそれで終わりだと切り捨てるように、太古の人々が犯した大罪を放り投げてあなた様は唇を開きました。それで。と続きを促すためでございました。死んだ後の感覚をあなた様は夢うつつのようだったと語られましたから、おそらくはサーナイトの自己を強めて狭間へと出た瞬間、迷子になることを防止するためなのでしょう。
自己を持たずに揺蕩えば、魂が狭間に落ちて砕けるとおっしゃったから。あなた様が“そう”なられたとき、おそばに在りましたら共に往けましたのに。あんなのは経験しない方がいい。弱音らしき弱音をあまり口にされぬあなた様からそのようなことをしれっと宣われたときにサーナイトやエルレイドがどきりとしたことなど、あなた様はご存知ないのでしょう。
時代が時代だけに、サーナイトが側に居られなかったことが悔やまれますわ。魂が引き裂かれるほどの痛みを伴って崩壊する感覚を―――きっと経験したことなのでございましょう。
「ふふ、たとえオマエたちが側に居たとて、オレは一人で往くだろうよ。――――当時、必要だったのは崩れ逝く世界を支えられる柱なのだから。」
その役目を果たせるのは、世界を守護する竜だけである。
だからこそ、かつての自分は人々の選択を最善と信じて身をくべた。
故にこそ、誰かを連れてまで逝くような場所でもなかった。
なんにせよ、そもそもの話、誰かと一緒に狭間に身をくべるつもりもない。当時は、―――あの時、は、―――だって、それが唯一世界の延命できる治療法だと、信じたから。その後のことはさておきとして。すなわち、グライスの選択だ。宣言すると、不意に、目の奥で記憶が弾ける。
『何か、まだ何か別の方法があるはずだ! ああクソ木偶の坊どもめ、どうして奴らは解決策を講じず、キミ一人に世界を背負わせてばかりいる!!』
『どうかお考え直しくださいませ、最初からあなた様頼りの作戦ですわ……! いいえ、もはや頼るだなんて言葉で語ることすら烏滸がましい。世界救済の旅路を歩まれる以前より、あなた様は世界を守護して来られた――――なのに、この仕打ちはあまりにも手酷い裏切りです!!』
ほんとうに……?
本当に、自分だけの選択だったのだろうか。
『――――……
『仕方がなかったんだよ。そうでもしなきゃ
『ただの村人だったんだぜ? せっかく世界を巣食う病魔を打ち倒したって言うのに、あんなにも命懸けで守った帰るべき場所がなくなるのは、嫌だったんだ。』
ぼうっと記憶を反芻する。
誰の声だったか。
いけませんわ。今はまだ、思い出さずとも良いのです。うっかりで記憶の蓋がこじ開けられてしまっては、意味がなくなってしまうからそれだけは避けなくてはならないのです。
重ねがけるように意識を真綿で包む。白銀と柘榴がじっと見つめ合って、先に視線を逸らしたのはサーナイトだった。――――今はまだ、思い出させるつもりはなかったのだ。ポケモンたちは大昔より引き継ぐ”何か”があるから、うっかり懐古の情を深めてしまうことがある。引きずられるようにしてサーナイトの中に居る存在の好奇心を刺激し、我が子が抱える重荷を分かち合おうと傷口を突っつく真似をしてしまった。
たとえ、どんなものを抱えて居ようとも愛しの子であることに変わりはないけれど。側で一緒に居てあげられることすら出来ぬままであることを、彼女は嘆く。
――――だからこそ、サーナイトとして残せる
先ほどあなた様が仰ったように、若旦那様は御子の安否確保を優先されたのです。それ以外の情報は如何せん赤ん坊の頃の記憶だからか、あなた様自身あまり理解できていないのでしょう。
意識はうすぼんやりとあったようですけれども、何故だかおぼろげで。思い出そうとすると頭痛の他にも身体が深く重たくなってしまうようですから、サーナイトが<おまじない>を掛けさせていただきました。
だから記憶をたどろうとするたびに、何かを察知したサーナイトの妨害を受けて、今の今まで自分で振り返ると云うことは断念してきたほどでござましょう?
どうしたって心配なのです。おちおち眠れませんから、封印は解かずに往きますわ。サーナイトのそれは時が来れば、おのずと解けるようになっておりますからご安心ください。
「記憶の蓋か。ふふ、そんなこと、とっくの昔に知っていた。オマエの言うことだから、信じて待つとしよう。――――とは言え、すでに此の身はグライス・エトワールとして誕生したのだから、必要になるとは思えんが。」
そうですわね。
必要に駆られなければそれでよいのです。
サーナイトとしましては、無用の長物となってくれることを願うばかりなのですわ。
彼女が言うように、自分の意識に掛けられた封印が気にならんと言えば嘘になる。記憶領域に生じた不自然な空間こそが、きっと彼女の仕掛けた封印だろうと。
グライス・エトワールの記憶には、自分が生まれたときの記憶など露ほどもなかったから。同じように、親との記憶もなかったから。滝に打ち付けられる水のようにザアザアと脳内に送り込まれてくる衝撃的な映像の数々に、生存率は絶望的であることだけは理解させられたのだけれども。
サーナイトたちの記憶にあるのも本当に、それだけだった。その後のことは一切ない。今ではグライスが年を重ねるたびに彼らも同じほどに年を重ねたゆえに、生まれの場所についてはこれ以上分からなかったのは無理からぬことだろう。
記憶というものは薄れゆくものだ。上塗りされた記憶は、カントー地方にやって来た後のものばかりだったから、引っ越してからの印象が強かったのだろうとも思う。
記憶領域の空間を改めるのは、することもなかった守護竜ならではの、ただの興味だ。彼らの傷を穿り返してでも無理矢理に聞きたいわけでは、どうしてもつよく知りたいわけでもなかったし。平和な記憶はそのままにしておくべきだと言った。
「一つだけ問おう。」
「サナァ?」
「ルレイ?」
床の間で緩やかに瞼を持ち上げながら、サーナイトとエルレイドは穏やかな顔持ちの少年を見上げる。選択肢を二人に差し出す姿に、再び失ってしまうのではと恐怖から背中がぞわりとした。
「オレは、此処を拠点とする。幼馴染が居ると言うのもあるが、――――おそらく、世界の混乱を御するエネルギーが集中する場所は、カントー地方だ。少し気になることもある。」
世界樹のようにそびえ立つ鉱物の遺跡。
そして、カロス地方に在ると言う伝説の竜の頭。
「親の代わりを立派に努めてくれたオマエたちの、最愛のパートナーが居たであろう国でなくともよかったのか。今なら手続きを踏めば、同じ墓石の下は無理でも、同じ国の土の下に入れてやれる。」
「サナ」
「イド」
イヤです。
キッパリ否定した。
彼女たちが追われた理由は不明のままだった。
胎の子を懸命に守ろうとしたことから、自分に関係のあることなのだろうとはなんとなしにあたりを付けてアレコレ探ってみたものの、結果は思わしくないものばかり。生きていれば聞いてみたかったような気もするが、サーナイトやエルレイドのように危険から遠ざけるべく回答をはぐらかされるのだろうなと思った。
しかし、知らぬままと言う方が危険のような気もするのだ。彼女たちは振り切った。一応は振り切れたと言うべきなのだろう。――――でも、もし、国外に手が及んだら?
グライスだけでは飽き足らず、グライスの大切な子らに手が及んだら。そもそもの話、グライスが捕まるところをジッと見ているだけのような子たちではないので、何かしらの手段で抵抗する最中に大怪我を負ってしまったら? 怪我で済めば安い買い物をしたと言えるけれど、命すら落としてしまったら。
厭なもしもばかりが思考を滑る。胸を占める空気が重く息苦しく感じ、ふー、と大きく息を吐く。気持ちを落ち着けさせる為の行動だった。
「無論、普通の会話もしてみたかったという気持ちはある。」
サーナイトは思うのです。生まれたばかりのヒナがオヤを求めることは、生きとし生きるイノチの一つとして当然の感覚だと、そう思うのです。
あの時代であれほど渇望なされた<家族>なる存在を今回の生でお求めになられることとて、奪われるばかりであったあなた様にはあって然るべきことだと我々思うのです。
だって、あの時代のあなた様の御母堂様は、あなた様の性質を知らず己の生まれ育った環境を基準とした育児を行われました。その結果、<守護者>と対立する性質に苦しむこととなり、善行であなた様を猛毒で侵したのです。その他にも、あの時代の御尊父様は、次元の狭間から死にゆくあなた様のことをただ見守ることしか為されなかったのですから。
温もりをお求めになることは、決して悪いことではありません。諦めさせる一因となることが口惜しや。恥ずかしがるようなことでも、諦観するようなことでもございませんのよ。
「オレの側でよいと言ってくれたのだから、……見渡せる場所に、――――そうだ。城が見える丘にしよう。木陰でよく物語を聞かせてくれたことを覚えているか?」
「エルレェ」
恥じ入るようにエルレイドが臥したまま肩を竦めるという器用な芸当をした。手振り身振りで音読を担当したのは、何を隠そうエルレイドであったのだ。
前世の名残りか、ポケモン界隈あるあるの「なんとなく言ってることわかる」系統の感覚なのかは分からなかったが、グライスの頭にはポケモンたちの声が言葉として聞こえてくる。ポケモンと仲良しなんだね、で終わらせられるのはグライスの特性を知ったポケモンたちが、それぞれ合わせてくれるからであった。
大きくなるにつれて、通常はポケモンの言葉は音通りの――――たとえば、ピカチュウであれば「ぴかぴかちゅうちゅう」としか聞こえぬことを知り、やんわり隠すようになったけれど。
読み聞かせはエルレイド担当だったし、物事の善悪を考える道徳の授業を課したのはサーナイト担当だったし、身体の動かし方を説明するのはエルレイドだったし。とわりと役割を当てはめながらも器用にグライスを育ててくれたのは、ポケモンたちだった。――――だからこそ、その環境で育ったからこそ、ポケモンの言語がなんとなしに分かるのだろうと周囲に思わせる為の囲い込みであったことを知ったのは、つい先日のことだったが。
「オマエたちが好んだ樹木を植え、大輪の花を咲かせようか。……そうすれば、愛するパートナーの思い出を供に添えてやれぬオマエたちの心を幾ばくか慰めてくれよう。」
あなたの心は、一体だれが慰めてくれると言うのです。
祈らずにはいられない心地とは、このことをいうのでしょうね。憂慮の含んだ柘榴をゆらりと彷徨わせた彼女は、穏やかなままの眼差しをする我が子に手を伸ばした。
もう視界も朧気で見えなくなってしまった顔の輪郭をなぞるように一度、すっかり冷え込んでしまって思い出せなくなった頬の熱を感じるように一度、自分たちが居なくなった後にもどうか無事であってくれますようにと祈るように、もう一度。
太古の更に大昔。
世界が未だ<地球>と名付けられる前の、そんな大昔。ポケットモンスターが魔獣ではなく、精霊と呼ばれる時代のかなしみの物語に秘密がございました。
転生を繰り返したのであろう擦り減った魂から見て取れる深き愛情は、今もなお世界に注がれたままであったことは我々の想像した通りであり、語り継がれた通りのお方でしたね。
そんな彼を呪縛から解き放つ為には何が必要なのか分からず、右往左往しました。人間社会に馴染めずに何度も挫折もしました。■■したサーナイトの目を通して全てを理解した愛しき■■は、あの子に降りかかる災厄の未来に絶望し、出来ることは全てやってきたつもり。―――あくまでもつもりでしかございませんわ。
「……おやすみ、愛した人たちよ。」
こんなにも優しな瞳をする子を、たったひとり過酷な未来になんて置いて行きたくなどないのだと自由の効かぬ身となったサーナイトは嘆く。■■■■■は憂う。
―――嗚呼、なんて運命と云うものはいけずなの!
まだまだずっとそばで――――あの子の成長を、見守っていたかったのに。
ぱたりと落ちたサーナイトの手を、グライスはゆっくり握りしめて。エルレイドにも同じことをしてやる。顔を近づけ、熱を分け、緩やかに訪れる別れを見送ったのだ。