愉快な日々を過ごしたサーナイトとエルレイドも寄る年波には勝てず、度重なる無茶で引っ越し当初から崩しがちだった体調を完全に崩し、すっかり衰弱した彼らは一年前に儚くなった。
穏やかな風が、まるで慰めるように頬を撫でた。赤と白のまんまるフォルムを見下ろしながらグライスは額を寄せる。本当は、墓に添えるつもりで磨き上げて持ち出した。意外と表情豊かで積極的な面ばかりを見せるサーナイトのことを思えば、家の目立つところに飾り立ててやることも考えたのだけれど、今日から暫く大きなばかりの城のような家を空けることになる。
誰も居ぬ城の中に、此の空っぽの小さな宿を置くには、どちらも宿泊する家主を亡くしたばかりで虚しさばかりがあろう。
何度も。何度も、投げたり擦ったり引きずったり落としたり。冒険の軌跡が見て取れるサーナイトと母、エルレイドと父の歴史を感じるモンスターボールは、彼らの絆の証だった。
『わたくしたちがあなたの側に居たいのです。―――ずっとずっと、もっと大きくなってしわくちゃのお爺ちゃんになるまで見届けたかったのです。』
そんな言葉を遺されてしまっては、家に置き去りにするのは気が引ける。もうしばらくは側に感じて居たい気持ちもあるけれど、安全な場所で見ていてほしいと言う気持ちもあった。そうはならぬよう制限を掛けるつもりで持ち歩かせる気だったのかもしれないが、正義感の強いあの子たちとも共に歩むのだから両親以上の傷や冒険の痕跡を、残してしまうことになるだろう。
グライスは直感した。此の魂が欠片ほども残らず燃え尽きてしまうまで、普通の人のようには生きられない。だから、せめて安心して眠れるよう、成長したところをしかと見せてやろうと。
「モンスターボールは、オレが持って行くことにした。」
サーナイトナイトやエルレイドナイトなるものも彼らを火葬する際に燃やした。だから、正真正銘、モンスターボールはサーナイトとエルレイドの形見である。本来であれば失ってしまうのは嫌なので大事にしまったままにしておくのだけれど、姿かたちを決して見ぬままモンスターボールにただ告げることにした。
手を組んで案じる人影を見ぬふりをして。しかと意気込んで、少し古ぼけた空港のパンフレットとガタガタの刺繍で「ようこそ、カントー地方へ」と織り込まれた二枚のタオルを箱に詰める。燃やしてしまうのは勿体なくて、出しっぱなしにするには辛くなるそれは、家の倉庫に収納する予定のものだ。
「……空港、と言えば。」
カロス地方からカントー地方へ引っ越してくる際に搭乗した飛行機を思い出す。飛行機に乗る場合、ポケモンのサイズや重量によってはモンスターボールの中に入ってもらう必要があると説明を受けた。
サーナイトやエルレイドのような所謂、重量も含めた人型ポケモンはチケットさえ購入していれば人間と同じ額で椅子に座ることも可能である。人間と似たような形と質量なので椅子の設計に不備なく腰掛けられる利点は大きいかった。人型ポケモン、と区切るだけあって大型のポケモンについては飛行機の強度や積載量によって当然のことながら対応が変わってくる。
もし、乗車予定の飛行機が一般旅行用の飛行機ではなくてポケモントレーナー用の飛行機であったのならば、バトルを想定した強度と積載量となるからモンスターボールから顕現させたままでも大丈夫なつくりをしていたので知らぬままで終わっただろう。
しかし、グライスたちが乗ったのは旅行客用のほどほどの飛行機である。大きな声で説明されたのは、あの駄々っ子全開のアローラ観光客に向けてのものだった。
厳重注意を受けているアローラ地方らしい装いの観光客の視線の先に居るホエルオーはまさしくその最たる例。大型のポケモンは必ず入場前にモンスターボールの中に滞在をと職員からの注意喚起が行われ、従えば良し、従わねば当然のことながら飛行機に搭乗できず置いてきぼりをくらうのだ。
それに腹を立てて口コミで悪役に仕立て上げようにも、ポケモン可愛さに駄々を捏ねるポケモントレーナーたちの姿は数多く、理由を察したポケモン協会側から派遣されたジムリーダー等が厳格な調査を重ね、得た情報より処罰が下される。
故に、航空会社もああして強気に出ることが出来るのだが。ぱちりと目が合うと、航空会社の社員は目を吊り上げて「子どもが居るのですよ。」と語尾を強めに言った。おや、と目を丸くするうちに、ネバーギブアップと胴体を飾るTシャツよろしく諦めを知らぬ観光客に対して、諦めを覚えさせたようだ。
『あなたの大事なホエルオーに子どもを押し潰させるおつもりですか。』
最終手段として「あそこの坊ちゃんも一緒に乗車するんですよ。」と一手に出ており、効果は抜群のようだった。ちょっと笑った。
『それは……ごめんよ、マイ・スイートエンジェル。また海水旅行をしようね。』
『ボエェ』
よた、と千鳥足のようになってしまったエルレイドの足に抱き着く形で支えながら事の成り行きを見守っていると、へにょんと垂れ下がった柘榴の瞳とかち合った。
騒ぎは収束したな。移動するか。二つの意味で問うように見つめると、エルレイドは緩やかに首を左右に振る。ふー、と吐き出す息の重さと仕草がまるで仕事に疲れた人間のようだった。エルレイドのように格闘タイプ複合のエスパーであれば、精神統一することで幾分かはマシになるようだけれど、基本的にエスパータイプのポケモンたちは人の感情に機敏だ。
クレーマーや対応など。あそこまで大きな感情の連続では、受け取る側であるサーナイトやエルレイドからしてみれば、必要以上のことまで聞き取れてしまって大変だっただろう。
あらあら。と顔をしながらムーフォースの準備をする彼女をなだめすかしながら、別の意味で苦労してんだなコイツ、のような色がにじみ出てしまったのだろうか。エルレイドが「まァ……」と言わんばかりに視線を彷徨わせた。なんとなく騎士のような高貴で優雅な印象があったけれど、このなんとも言えぬ普通のおじさんのようなこのエルレイドも好きだな。
あくタイプのポケモンたちも機敏な方だが、彼らは感情の折り合いをつけるのがとても上手だから特に体調を崩すことはなく。逆に、エスパータイプのポケモンは、そう言った感覚は一種の暴力のように感じるのだとかで神経質になりがちなはずなのだけれど。
(……ある意味、神経質ではあったのか?)
突発的ムーンフォースがその最たる例だったな、と思い直した。
その後、どうやら好きという色が出たのかして、クールな騎士系であろうエルレイドのでれっでれっレアな顔を間近で見れて、かなり得した気分であった。マァ、うちのサーナイトはサーナイトで、サーナイトらしからぬ活発さを披露してくれるのだけれど。
彼女たちの性格は基本的には母性だったり、姉性だったり、とにかくそのような包容力のあるものを感じるはずである。
幼さを感じるのはラルトス時代だけだと思っていたが、どうにもこのサーナイトも中身は元気な女性のように思えてならなかった。エスパータイプのポケモン族として、気持ちが弾けてしまうと頭が痛くなってしまうのではと案じたこともあったけれど、体調面や精神面の健康診断を行って無用の心配だったことだけは安心出来た。
洗濯機以外で洗濯する為に、洗濯板をお借りして水タイプばりに元気よくザバザバやった時に自分が泡だらけになって「あらぁ?」という顔をしたサーナイトを目撃したオーキド博士に「うむ、好奇心旺盛なマイペースな子じゃの!」と太鼓判を起こしてもらったのだ。
閑話休題。
グライス一行はカロス地方からカントー地方への移動には長く優雅な船旅ではなく、手早く疾走感のある飛行機を利用して引っ越しをした。
とは言え、飛行機での旅路も当時は幼子であったグライスはすっかり引っ越し前夜の準備等による疲労で眠ってしまって、移動中のことはてんで記憶にない。鉄のつばさが風を切り、子どもの寝顔をただ映す。
ぷうぷう寝息を立てて無防備な顔をさらす子どもの姿を、ホエルオーのパートナーが微笑まし気に見守り、子ども好きなのだろう。ブランケットを購入してくれたことだけは数年越しで知ることになった。顔を会わせるようなことがあれば、何かお礼をしなくては。彼らはカントー地方を経由して、アローラ地方に引っ越すようだ。
その映像を見たのは、記憶の封印を確認されたときのことだった。当時お菓子でお礼を表現したのは、サーナイトである。
その後、空港に到着し、役所に赴いてすぐのことだっただろうか。
サーナイトはじゃじゃーん!と効果音つきでどや顔を披露した。音源は何処から? と思ったらエルレイドの持つスマホからだった。先のタオルは、この時のものである。
カロス地方の言葉で「ようこそ、カントー地方へ」と筆で殴り書かれたバスタオルを広げて、彼女なりの気配りだったのだろう。あらゆる意味で驚愕した。とってもパワフル。そして、記された文字にはアメイジング。驚愕の連続で後にも先にも恥じを殴り捨ててババッと二人の顔を見上げたことも記憶に新しい。
ようやくのことで事実として受け止めたグライスは、少年の顔がひょっこり顔を出して、それはもう大きな声で大はしゃぎしたのだ。
カントー地方。
そこに、踏み入れたことで。
エルレイドの腕からうごめきながら降りて、パタパタと空港中をはしゃぎ回る子ども。ちょろちょろする好奇心旺盛な子どもに気を悪くするでなく、空港で働くポケモンたちはにこりと笑ってそれぞれの特徴を見せつけるように仕事をしてくれた。ポケモン最高。興奮度は増した。
予想以上に大興奮したグライスの年齢相応の姿に涙ぐみながら、二人は子どもの質問に一生懸命答えようとしてくれたが、残念ながら興奮のあまり何も聞えなかった。自分の動悸が凄くて……。
何を伝えようとしてくれたのか今でもまったく分からず、大興奮のグライスをただなだめようとしただけなのかもしれない。けれど、今ならなんとなくわかる。ヒトカゲ、ゼニガメ、フシギダネの生息を問うたことに対する、ニュアンスとしては、「いるよ、いるいる。」だろうか。
飛行機で疲労した身体に鞭うつ自覚はないまま興奮を高ぶらせるから、グライスをどうにか窘めようと右往左往する二人の前に、一人の救世主が現れた。
『はっはっは、元気な子じゃの。坊やが口に出したポケモンたちは、きちんとカントー地方におるよ。わしのポケモンでよければ、あとで見せてあげよう。』
その人が。
その人こそが。
今のグライスの保護者代理である。
当時は興奮のまま倒れそうだったグライスのことが心配だからと理由だろう。誘拐事件はよく発生してしまったので、警戒レベルだけは順調に上がっていった世知辛さを再認識させられる。
背後をとられた時点で何の技も打たなかったことに疑問を抱くこともなかったが、サーナイトもエルレイドも平時であればグライスの背中をとった時点でムーンフォースとインファイトが飛ぶほどには警戒を高く持って行動しているのだ。
そんな二人に警戒心を抱かせず、近所のお爺さんのような雰囲気で話しかけてきた翁は、マサラタウンに建築したという件の家の管理人のようだった。腕に抱きかけた子どもの警戒を解くように、翁は自分の名を口にする。
それが、グライスとオーキド博士の邂逅である。のだが、” 居る ”の答えを受け取った子どもの耳には届かなかった。もう頭の中はポケモンのことで一色。引っ越し作業は唯一の人間であるグライス・エトワール少年を主体に行動する必要があるのだが、肝心の本人はきゃあきゃあ興奮で忙しくってなにも手が付けられぬ。
オーキド博士は自己紹介をすっ飛ばしてポケモンに興味津々な姿勢を見せるグライス少年の姿を見て、にこりとする。ポケモン研究者の界隈の頂点に君臨する博士は気を悪くすることはなく、むしろ率先して興味津々な子どもと盛り上がった。
『実はの、御近所さんを迎えに来たんじゃよ!』
カントー地方に移住すると噂の御近所さんに一部の土地を売り渡したので、その説明も兼ねたのだとも。ジュンサーが発行した紹介状を手にしてあっはっはっは、と軽快に笑ったのだ。