ナギちゃんがぬいぐるみになって、先生に沢山愛された結果……(全二話) 作:ブルアカ二次創作@本拠地はpixiv
その日は、本当にひどくストレスを溜めていました。
揉め事を起こす生徒たちへの怒りを出し尽くして、この魂のすべてが枯れて、棘だらけになってしまったような心地でした。
……もうすぐ、先生とのお茶会の時間だというのに。
ぼんやりと、テラスの外の、見慣れた世界を俯瞰します。
疲れのせいか、全てが色褪せて見えました。
私はこれから、先生を歓迎しなければならないのに。
私はそうそう悲観的になるタイプではないのですが、今日に限っては違うようです。
あまりに重苦しい憂鬱が、私の精神をあらゆる角度から抑圧してくるかのようでした。
あぁ。
もしも。もしも、私が、ただの生徒だったのなら。
もっともっと、先生と気兼ねなく……。
……この重苦しい立場からもしも、外れられたら。
もっと、違う自分になれたら。
もちろん、誰にも迷惑をかけない形で。
寝てしまっていました。
目が覚めて「あっ」と言おうとして、声が出ませんでした。
私は変わらず椅子に座ってはいました。
しかし、私の身長は、どうも三十センチもないようです。テーブルのへりが、頭上のはるかに高いです。
……夢?私は、一体?
「ナギサ。来たよー……あれ?」
先生。先生が来てくださいました。
テーブルが邪魔で見えません。
そしてここでようやく事態が飲み込めてきました。私は、ひどく背が縮んでしまった上、全く身動きが取れないのです。
まばたきもできません。そしてもっと怖いのは、まばたきをする必要性がないことです。目が、乾きません。
「ナギサー?あれ?いないのかい?……変だな」
ここです。私はここにいます。あなたから見えない位置に。
そう叫ぼうとしても、決して声は出ません。
「……モモトークは……うん?既読がついてないな。おかしい……おーい!ナギサー!かくれんぼかい?おーい……」
先生は少しテラスの中を歩き、ちょうど私の真横まで来ました。
ここです。お願い。気づいて。
怖いのです。事態が何もわからないのが、酷く心細く思えます。助けて。先生。助けて。
「ナギ……んっ?」
先生は不思議そうに私の方を見ます。やった!見つけてもらえた!
そんな喜びは、まったくの束の間でした。
「……ぬいぐるみ?……ナギサそっくりだけど」
ぬいぐるみ?………………ぬいぐるみ?
私はここで、またしても、恐ろしい事実に気が付きました。
私の視界は、ぐりぐりと動かすことが出来るのです。仕事柄、監視カメラに触れることが稀にあるのですが、その際によく使うカメラに、首を手動で動かして監視する方向を変えられるものがあります。感覚としては、それの操作感にそっくりでした。
……ぐりぐりと、視線を、下にやると。
おそらくは二頭身ほどにデフォルメされたぬいぐるみになったであろう私の、下半身が。
絶叫しようにも、やはり声は出ません。
「わっ、すごいよくできてるなあ。……おや?書き置きだ」
書き置き?
「拝啓。親愛なるシャーレの先生。……大変申し訳ございません。どうか訳は聞かず、そのぬいぐるみをお持ちになってお帰りください。そうしなければならないわけがあるのです。このことは口外厳禁でお願いします。追伸。盗聴器のたぐいは入っていません……。ふむ」
はあ?
なんですか、この酷く失礼な手紙は。
「……ナギサのことだ。きっと私を信頼して、何かを……。うん。私も、ナギサを信じるよ」
嬉しいです。嬉しいのですが、違います先生。気づいてください。私は確かにぬいぐるみですが、それ以前に桐藤ナギサであって……。
「それにしても見れば見るほどすごい凝ってるなぁ。……よしよし」
あっ。
……撫でられた。
先生が、頭を撫でてくれた。
ずっとずっと夢だった。
叶わないはずの夢だったのに。
ミカさんとは違って、一生叶わないはずの願いだったのに。
「……ふふ、ほんとに可愛いなぁ。一緒にシャーレに帰ろうね。……ナギサ、どこ行ったのかなぁ」
「おくるみ着るかい?」
シャーレに帰って開口一番、先生は言います。
「最近、手芸が趣味でね。たまたまだけど、ぬいぐるみの服をたくさん作ってたんだよ。……ほら、どれがいい?」
シャーレのクローゼットの中に案内されました。そこには、本当にたくさんのぬいぐるみのお服が。
熊さんや、蜂さんや、猫さんなどのおくるみが……。
先生は私に、何種類ものおくるみを着せてくれました。
「いやあ、何着ても似合うねえ」
褒められました。
何を着ても似合う、だなんて。
「とりあえず日替わりにするかい?よしよし」
あ、あっ。
あたま、なでられてる。
ぎゅってされて、あたまなでられてる。
「ほんとにかわいいなぁ。ふふ……生徒には見せられないな、こんな私……でも仕方ないよねー、ほんとに君はかわいいんだから」
しあわせ。しあわせ。しあわせ。
こんな、こんなしあわせなのは、はじめて。
「ふわぁ。……ねむい。……さ、一緒にご飯食べてさ、おねんねしよう」
えっ。
「お風呂は……君は入れないからね。でもたまーに綺麗にしてあげるからね?まあ汚さないように大事にするのが一番だけど。ふふ、よしよし」
私は食卓に置かれ、先生がお夕飯を召し上がるところをじっと見ていました。
「この歳でぬいぐるみなんてアレだけど……やっぱり、寂しくなくていいなあ」
先生はだし巻き玉子を食べながら、私を、愛おしいものを見るような目で見てくれます。
じんわりと、私は泣いていました。もちろんぬいぐるみなので涙は出ませんが、心は間違いなく泣いていました。
必要とされている。
大事にされている。
それに。何よりも。自分で自分のことを考える必要が無いのです。
お腹も減りませんし喉も渇きませんし、生理的な機能はすべて、働きません。ぬいぐるみですから。
だからずっとずっと、好きなことだけを見、好きなことだけを考えることができました。
「ごちそうさまでしたー。よし。歯を磨いてくる。そしたら一緒に寝ようね、ナギサぬい」
「……ふふ。……ぬいぐるみと一緒に寝るっていいもんだなあ。……なんか、すごい癒される……」
ぎゅーっ。
先生が、私を優しくぎゅってしてくれます。
「……寂しくなくてほんとにいいな、ナギサぬい。……君のこと、とても気に入っちゃった。……ナギサに頼まれても、返したくないかも。……よしよし」
あれ?
私は、今までの人生、ずっと何をやっていたのでしょう?
先生にやさしくなでなでされた瞬間、私の中の大事な何かがぷっつりと切れてしまいました。
こんなに、こんなに幸せで。
怖いことも嫌なことも苦しいこともなくて。
夜寝るときに明日の心配をしないでよくて。
死の恐怖に怯えていたあの日々の悪夢を見なくてよくて。
ただ、大好きな先生にぎゅってしてもらうためだけに存在することができて。
私のこれまでの人生、そして、桐藤ナギサとしての今後の人生をゴミにしてしまうとしても、尚余りあるこの多幸感。安心。涙が出るほどの、暖かさ。
ああ。私は。
そうか。
そうだったんだ。
これが、私の一番の幸せなんだ。
何日も過ぎました。
私はすっかり、ぬいぐるみとしての自分を受け入れていました。
私の仕事はとっても簡単。ただ、かわいらしく座っていればよいのです。
先生は、飽きることもなくたくさんたくさん可愛がってくれましたから。
途中、一泊二日の出張にもついていきました。行き先は百鬼夜行。
先生は私をリュックサックに入れていましたが、わざわざ、外の世界を見られるようにチャックの隙間を開けてくれました。
ちょっと息抜きに
以前の人生では絶対見れなかった、他校の名所です。
こうして、先生への想いは増すばかりでした。
先生はいつだって素敵でした。
寝起きも。寝姿も。シャーレのデスクで仕事中も。
お出かけの際も鞄に入れて連れて行ってくれます。そばにいてくれるだけで心強いと、何度も言ってくださいます。
夜いっしょに寝る際には、誰にも言えないような深い悩みを、私だけに吐露してくださります。
ああ。
このまま、私の意識が消えたって惜しくありません。
先生が大事にしてくださるのなら。
もう、トリニティなんてどうでもよくなりました。
本当にこれまで無駄なことをしていたものです。
とても幸せ。
とても幸せ。
とてもとても幸せ。
どうかボロボロになって綿が出るまで、私を沢山ハグして、可愛がって、おくるみを着せて……おそばにおいて欲しい。
ずっと。ずっと。
先生が直接やってくださるのなら……。たとえある日突然バラバラに引き裂かれるとしても、私は幸せです。
先生の心のひずみの犠牲にだって、喜んでなりましょう。
そして、私がぬいぐるみになって五日後。
先生のお風呂上がりを、一人で待っていたとき。……私はまったく突然に、元の姿へ戻りました。
「………………え?」
調理室に一人、立ち尽くします。
着せてもらっていたクマさんのおくるみは、むなしく机の上にありました。
嘘。
え?
そんな。
私は。
私はぬいぐるみのはず。
「…………え。え?あ、あっ……」
嫌だ。嫌だ。
元の姿に戻ってしまった。
嫌だ。ぬいぐるみがいい。この身体は嫌だ。
先生のためだけに存在したい。
この身体じゃもう、ぎゅってしてもらえない。
色んなところに連れて行ってもらえない。
嫌だ。戻りたくない。
もうあんな仕事は嫌だ。
トリニティの模範なんて嫌だ。
弱者を轢き潰す歯車の心臓は、やりたくない。
いやだ。
がらがらと、部屋の戸が開かれました。
先生です。
「ふー、いいお湯だった……って、ナギサ!?シャーレまで来たのかい!?急だね。ああ、預かってたぬいぐるみならそこに……あれ?……えっ、確かにそこに置いたのに……」
先生は困り果てています。
当然です。先生からすれば、急に大切にしていたぬいぐるみが消えて、どこからともなく私が出てきたのですから。
先生の大切なぬいぐるみが消えて、桐藤ナギサが。
先生のぬいぐるみが、消えて。
先生を、騙して利用しようとした、絶対に先生から愛される資格のない、私が出てきたのですから。
「先生……」
自分の声はまるで、枯れ果てた井戸を思わせるような声でした。
「ナギサ……」
「ごめんなさい。ごめんなさい。先生の、ぬいぐるみは……もう、ないんです」
「ナギサ、一体……」
「どんな償いもします。お願いです、お許しを……どうかどうか」
地面に頭をつけて先生に謝ります。
「ちょっと、ナギサ!?やめて、そんなことしないで……さっきから一体どうしたの!?ねえ、絶対に変だよ……何があったの!?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……お願いです。お許しください。私はもう、ぬいぐるみにはなれないんです……。もう、戻りたくても、この身体は絶対、ぬいぐるみに戻れないんです……」
涙がぼろぼろと、零れ落ちます。
「……!えっ、じゃあ、あのナギサのぬいぐるみは……!」
「ごめんなさい。どうかどうかお願いです、私、わたくし、は、戻りたくないんです。ですから……」
涙を拭い、にっこりと先生への笑みを作ります。
あのぬいぐるみと同じ顔を見せられるように。
ひきつってしまうのを抑えて。かくかく震えてしまうのを我慢して。
「私は今日限りで、心を捨てます。絶対に先生のご気分を害さないと約束します。二度と動きません。あなたのためだけの存在になります……!ですから。どうか、どうか……」
地べたに座ったまま、私は上着を脱ぎました。
先生に、おくるみを着せてもらうために。
「……私を一生、あなたのぬいぐるみでいさせてください……」
ナギちゃんがぬいぐるみになって、先生に沢山愛された結果…… 完