《Testament of the Last Warden - 世界が歩み始めた日》 作:ケン3ヴァルデン
あの夜から、季節がひとつ、歩みを進めた。
灰の残る孤児院跡地に、新たな芽吹きはまだ見られない。
だが、目に見えぬ“灯火”は、確かに幾人かの胸に根を張り始めていた。
王城の塔に囁きが這い、貴族の食卓に沈黙が満ちる。
街角に消えた浮浪者の影、見張りの兵が妙に増えた路地裏。
誰もが何かを察しながらも、それを言葉にしない――いや、できない。
この国には、まだ“恐れ”が生きている。
だがその恐れの底に、“希望”がわずかに芽を出していた。
◇ ◇ ◇
エリオットは、宮廷の薄暗い一室に身を潜めていた。
床には地図、書簡、そして城内の通路を模した粗末な設計図。
扉の外では、彼の存在を知らぬ兵たちが規則的に巡回している。
彼は既に、かつての“王子”ではなかった。
“持たざる者の目”で国を見つめ、“名を持つ者”の責務を背負う者となっていた。
彼に手を貸す者は少ない。
だがその一人ひとりが、かつてならあり得ぬほど真摯だった。
「……明日、北の門に物資を運ぶ衛兵に紛れて仲間を送る。信じてくれたんだ、あの若い衛士……彼も家族を病で失ってる。」
と、呟くのは宮廷の女侍従。
「あなたがその意志を忘れない限り、私はあなたと共にいます」とだけ言ってこの部屋の鍵を置いて仕事に戻った中年の騎士。
「記録はね、燃やされなければ、誰かの手に渡るものなんだよ」と皮肉げに笑って書庫の管理人は、設計図の複写を差し出した。
数百年の因習と支配の壁を前に、戦力も、資金も、仲間も足りない。
だがエリオットは知っていた。
“変革”は、準備が整った瞬間には始まらない。
“意志”が決まったときに始まるのだ。
義賊フレイは民衆の声を集める。燃え尽きた孤児院の灰の中で、人々が失ったもの、押し殺した怒り、その叫びをフレイは知っていた。彼は路地裏の商人、元兵士、追われた魔術師たちと接触し、“声なき声”を、反抗の炎へと変えていく。
そんなそれぞれの行動の中で、奇妙な存在が視界の端にちらついた。黒衣をまとい、顔の見えない誰か。屋根の上、礼拝堂の影、図書館の最奥部……誰も正面からその姿を見たことはない。ただ、誰もが同じ感覚を抱く――「あれは、見ている」と。
そんな中セリスは、表向きは孤児院の再建に尽力していた。しかしその裏で、彼女は王家と結びついた保守的な魔法学会の内部に静かに干渉を始めていた。腐敗した学者たちの間で交わされる密談、裏帳簿、失踪した被験者たちの記録――彼女の手には、王の支配構造の核心が着々と集まりつつあった。
魔法学会の長老会議室は、薄暗い空気と古書の匂いに満ちていた。
セリスは己の過去の繋がりを使って、表向きは「孤児救済に関する魔法応用の研究」という名目で出入りを許されていた。
だが本当の目的は、学会が長年封じてきた“前文明の痕跡”だった。
まだ研究所で働いていたある日、書庫整理を手伝っていたセリスは、古い目録の中にある一冊の名を見つけた。
《W-Testament / α-V 》――閲覧制限:三階層以上の監査員の許可を要す。付記:虚構文書として断定。内容不明。発見地:アルフ=ニール南端の崩落施設跡。
「……“虚構文書”?」
思わず口をついて出た声に、隣にいた年配の助手が顔をしかめる。
「見ない方がいい。それは、学会の恥部みたいなもんだよ」
「なぜ?」
「内容が、あまりにも荒唐無稽なんだと。世界を滅ぼした“鉄の神”やら、“不死の研究者”やら、“意思を持つ魔術演算機”やら……要するに、前文明なんて噂話の神話をでっちあげて書いた戯言だって話さ」
「……そう思う根拠は?」
助手は言葉に詰まり、わずかに目を逸らす。
「……読んだ者はいない。そもそも原本は無いし、そんな手記があったっていう話だけで学会の上層は『あれは危険』としか言わない。妙なことだろ?」
セリスの胸に、冷たい感覚が広がる。
(――危険だから、内容を知らない?)
何かが、おかしい。
それは彼女が研究にのめり込んで感じてきた“今ある世界”の不自然さ、歴史の断絶、魔法という体系のあまりにも都合の良い進化……それらが、一本の糸に繋がるような感覚だった。
彼女は小さく呟いた。
「《W-Testament》……“ヴァルデン手記”……」
助手はぞっとしたように言う。
「口にするな。そんなものは、無かったことになってるんだ」
だが、セリスは既に確信していた。
あれは偶然そこにあったのではない。セリスの中で、真実を知るという衝動が、密やかに灯った。
だからだろう
「あれ?…無くなってる。」
真実とはいつだって秘匿されるものだ。