《Testament of the Last Warden - 世界が歩み始めた日》 作:ケン3ヴァルデン
学会の書庫。地下でも無いのに外界の陽が届かぬその空間で、セリスは己の呼吸すら忘れていた。
古き目録に刻まれたはずの名前
――《W-Testament》。
禁書。虚構。忘れ去られた文書。だが、それは偶然この世にあるものではない。そう思ったのに記憶に残されたページは明らかに切り取られていた。
「なぜ、いったい誰がこんな…」
薄暗い書庫の通路を一人歩く彼女の前に、ふと気配が差した。
カツ、カツ……。
足音。だが、音だけで、影がない。
振り返っても、誰もいない――ように見えた。
「……君が、それを探している理由は?」
低く、しわがれた声が響いた。
セリスは目を細める。そこに、男がいた。
フードを深くかぶった、異国の放浪者――どこにも属さず、どこから来たのかもわからない。
そして、何より――男は最近視界の端にいた。
「あなた……」
「答えなさい。なぜ《ヴァルデン手記》を求める?」
セリスは一瞬躊躇したが、やがて真っ直ぐに放浪者を見つめ、言った。
「私は、知りたいんです。この国が、どうしてここまで歪んだのか。魔法がなぜ“体系”として継がれているのか。そして、人がなぜ、同じ間違いを繰り返すのかを――」
放浪者は何も言わず、しばし彼女の目を見つめた。
やがて、静かに古びた一冊の手帳を取り出す。
革のように見える装丁には、金でも銀でもない、未知の光沢がうっすらと浮かんでいた。
「ならば、“これは警告だ”と知れ。
これは、かつて人が火を手にした記録……その代償を綴る、告解だ。」
彼は、第一章を開き、そこに記された言葉を――声に出した。
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『ヴァルデン手記』第一章
「我らは火を与えた」
かつて、我らは“火”を手にした。
夜を払う灯火として、
飢えた子を温める炎として、
恐怖と無知を追い払う知の象徴として。
そして、その火を与えた――
民へ、王へ、学びし者たちへ。
等しく、惜しみなく。
だが、火は冠となり、
王たちはその熱を神威と履き違えた。
やがて、叡智は牙を持った。
それは獣よりも獰猛で、
情けよりも鋭く、
正義の名を借りて血を啜った。
満たされぬ欲は制度を食い破り、
戒律は重税となりて民を縛り、
剣は貴族の意志を“天の裁き”と偽り、
塔は祈りの名を借りて、知識を閉ざした。
我らは知っていた。
だが、止められなかった。
否――止めようとしなかった。
あれは滅びではない。
あれは、我らの選択の末路だった。
炎はもはや希望ではなく、
焔はもはや灯火ではない。
それでもなお、記す。
この火が再び誰かの手に渡るなら、
せめて、それをどう灯すかを選べるように。
――我らは、希望を授けすぎたのだ。
その果てに、何を失ったかすら知らぬままに。
読み終えたとき、セリスの手はわずかに震えていた。
それは物語ではなかった。
たしかにそこに生きていた誰かの声だった。
そして、目の前にいる男――この放浪者が、その“誰か”と深く繋がっているのだと、直感で理解した。
「あなたは……何者?」
震えるセリスの問いに、放浪者は微笑みすら浮かべず、ただ一言、返した。
「……ただの“放浪者”さ。
君たちが、もう一度火を手にしようとするのを見に来た」
そして男は、セリスから静かに背を向ける。
男は影へと消えていった。
残されたセリスの胸には、まるで灯火のような熱が、確かに灯っていた。
そしてセリスは思う、この灯火の熱はなんなのだろうと。