《Testament of the Last Warden - 世界が歩み始めた日》 作:ケン3ヴァルデン
火はまだ、確かに彼の手の中にあった。
静かに、確かに、灯っている。
けれど、それはもう彼の意思だけで揺らぐものではない。
揺れたのは火ではなく、心だった。
「……この火が人の心を動かしてしまうなら」
エリオットは胸に手を置き低くつぶやく。
「僕は、それを消すべきだ。」
セリスはそばで、ただ耳を傾けていた。
夜空に浮かぶ月が、焦げ跡の残る煉瓦塀を白く照らす月が、雲に隠れた。
「父は……選ばせなかった。命令し従わせ、縛った。それが“王の責任”だと、ずっと信じてた。いや、信じさせられてた。“国を導く者は、民に迷いを与えてはならぬ”と、何度も……」
エリオットの胸の中の火が、ふと揺れた。
それはまるで、父の声に反応するようだった。
「でもそれは、きっと……違う」
彼は顔を上げた。
かつて感じた息苦しさが和らいだ気がした。
「僕が見た民は、迷っていた。飢え、傷つき、それでも前を向こうとしていた。彷徨いながら道を探していた。――自分の意志で、選びたがっていた」
「選ぶことは、時に残酷よ。誰かを傷つける選択になることもある。」
「それでも奪われるより、迷ってでも自分で選んだほうが、きっと……」
セリスの言葉に対して、、エリオットの声は揺れつつも答えた彼の言葉が止まる。
そのとき、彼の脳裏に甦ったのは、あの日、牢の中で聞いた義賊フレイの言葉だった。
「“知った”やつの方が、地獄を見る。
けどな、知らねえままでいるよりは――
よっぽどマシだ。」
「“持つ者”ってのは、そんなもんだ。何が起きても、自分の手は汚さずに済む場所に立ってる。そうできるってことが、あんたらの力だ。」
「俺が生きようが死のうが、この腐った城は変わらねえさ。
だが――王子様。
あんたが“それでも”って言うなら、
俺は、あんたのその言葉だけは信じてやる」
フレイの声が、胸に焼きついていた。
“持たざる者の叫び”だった。
前を向く意思を持つ者の言葉だった。
「……選ばせなければ、同じことの繰り返しだ。この火で、僕がまた“命令”を下したら、それは……結局父と同じだ」
エリオットは無意識に締め上げていた胸から手を離した。
セリスが彼の目をじっと見つめた。そしておもむろにエリオットの手を取る。
エリオットはうろたえたように手を引っ込めたが、セリスはそれを止めるようにそっと彼の腕を取った。
「消さないで。……その火、きっと必要になるから」
しばし沈黙があった。
その沈黙に耐えられなかったエリオットはセリスの手の温もりの熱を感じながら言葉を紡ぐ。
「……セリス、君の言った通りだった。この力は……王の、いや、父の狂気そのものだった。
人の心を縛り、支配するために使われてきた。
知らなかったなんて言い訳だ。……僕は、その継承者だったんだ」
彼の声は震えていた。恥と罪悪感、そして恐れ。父と同じ血を引き、同じ火を持ち、知らずして人々を「熱」で浮かせていたことに。
「だから僕は……怖いんだ。この火を意識すればするほど、今まで人が僕の言葉に頷き、心を寄せた。その事実がそれが“僕自身”じゃなくて、ただ禁忌の魔法の力だったから思うと……」
セリスはその独白を遮る様に静かに言った。
「じゃあ、問うわ、エリオット。あなたはその火で誰かを傷つけようとした?」
彼はしばらく黙っていた。
やがて、かすかに首を横に振った。
「むしろ……救おうとしてた。セリスの孤児院も。あのフレイのことも。民たちの痛みを見て、俺は――」
「それなら、誇っていい」
彼女はそっと彼の手を握る力を強める。
まだ温かく燃える火の熱が彼女の手に移った。
「“それ”は父親のものじゃない。あなたの自身の火よ。それを“どう使うか”は、あなた自身が決めること。父親とは違うと示し続けて。どんな風でもいい、例えば暗闇の中を進む旅人を照らす松明みたいな」
「松明か……夜の中で迷わないように、進むための光……」
彼は握ったままの手の反対側の手を雲に隠れた月に照らす様に、胸の熱を逃す様にかざした。
この胸を焦がす様な、ひどく暖かさを感じさせるものが、誰かを焼き払うものではなく、足元を照らすもの。
心を脅かすものではなく、希望を伝えるもの。
「禁忌に触れる灯火の継承、なら僕は……この火を、熱を“灯火”と呼ぼう。人と人をつなぐ、心の火だ。誇りや信念、迷いも不安も、そのすべてを込めて……」
火は静かに燃えていた。
やがて彼の声が、夜に吸い込まれるように消える。
「俺は……この灯火で、国を変える。俺が民に“与える”ものでも“命令”するものでもない。“託す”んだ。選べるように、“灯す”だけ。歩みも、立ち止まることも、誰かの手の中に“なにか’を残すんだ。血の責任でもない。俺の意思で、俺の名で、始めるんだ――希望の革命を」
セリスはうなずき、そっと彼の肩を抱いた。
ふたりの灯火は小さかった。
けれど雲に隠れた夜空に浮かぶ月がまた現れ、少しだけ明るくなった。確かに闇を裂いた。
⸻
エリオットとセリス。
月夜に照らされた孤児院の傍で寄り添う2人
言葉少なに交わす会話。
それは誓いでも、祈りでもなく──ただ、前を向こうとする意志のかたちだった。
そんな2人の姿を、声が聞こえる近さから見下ろしていた影がひとつ。
闇に溶け込むように片膝をつき、マントを風になびかせながら、ひとりつぶやく。
「お前は甘くて、優しくて、脆くて……でも、捨てなかった。“持つ者”でいながら、“持たざる者”の痛みを忘れなかった。……そんな奴、王に向いてるわけねぇって、思ってた」
塵の義賊フレイ。
その声音に、嘲りはなかった。
かつての皮肉屋が脱ぎ捨てたのは、軽薄な仮面。今の彼の顔には、幼き弟を見るような、ある種の慈しみすら宿っている。
風が吹き、彼の言葉をさらっていく。
だがフレイは、その先に光る灯火を見つめ続ける。
「でも今なら言える。
お前は、きっと誰よりも“王”に近いよ」
言葉を続けながら、ふと横目にちらりと笑う。
「……しかも隣にいるのが、またいい女だ」
「頭も切れて、強くて、何より……お前のことを見てくれてる」
苦笑まじりの呟き。
月明かりしかないのにまるで太陽に照らされているかの様に眩しく見える。
「まったく絵になるぜ、そばにいると、あったかくて……けど、触れすぎると火傷しそうなやつだ」
少し目を伏せて、拳を膝にのせ、ぽんと叩く。
「……そうだな。俺は、そういう光を持ってなかった。だからきっと、あいつを眩しいと思ったのかもしれねぇ」
それでも――と、フレイは空を見上げる。
「手のかかる弟みたいだったお前が、
誰かの導きで変わるんじゃなくて、自分で“火の使い方”を選ぼうとしてる」
「なら、俺はもう……見守ってりゃいい」
視線の先には、エリオットとセリスの背中。
「まっすぐじゃなくていい。正しくなんかなくていい。ただ、間違ったら悔やんで、転んだら立って、……そのたびに、誰かの手を取ってやれ」
「そうすりゃ、きっと……“あの手記”に書かれてた過去とやらよりも、少しだけマシなものになる……頼んだぜ、王様。
“この国の未来”ってやつを……」
──そして、誰にも気づかれぬ場所。
瓦礫の街のはずれにある、かつての塔の廃墟。
崩れかけた窓の隙間から、灯火を見下ろすひとつの影があった。
黒い外套、銀の瞳。
放浪者は、声もなくその光景を見つめていた。
ただ、その手元には──一冊の手記が、静かに開かれている。
ヴァルデン手記第一章
「灰の王座」
だからこそ、今、私は書く。
この手に積み重ねた業の果てに、いかなる未来を託すべきかを。
──これは、終わりの中で始まる物語。
かつて、“火”を奪った者たちがいた。
それが“滅び”だと気づいたときには、
──すでに、手遅れだったのだ。
そして今、この灰の中で、
ふたたび「火」が灯されようとしている。
放浪者は手記と共に目を閉じる。
呟く様に、祈るように言葉が走った。
「誰もが消えたと思っていた“希望の火”が、ふたたびこの国に…この時代に灯ったか」