《Testament of the Last Warden - 世界が歩み始めた日》   作:ケン3ヴァルデン

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探しものはなんですか?

 

火の粉が、静かに宙を舞っていた。

 

リンのした浄化の混乱がおさまりつつある中、夜の帳が下りる集落の外れ、焚き火の灯りに照らされたリンの影が、揺れていた。

その隣で、年老いたエルフ――エルヴァスが、ゆるやかに口を開いた。

 

「……昔話を、ひとつ話そう。ずいぶんと古いものだ。誰も本当には信じず、いまでは風の尾に紛れた言葉だけが残る」

 

リンは何も言わず、焚き火の奥を見つめていた。だがその背には、確かな“聞く姿勢”があった。エルヴァスはその様子を確認すると、静かに語り始めた。

 

「“紅雷の神”――そう呼ばれた者がいた。

名は残っていない。名を呼ぶ者も、いまではもういない。だが確かに、彼女はこの森にいた。雷と共に、祈りを絶ち、生きた者だった」

 

「彼女は……最初に現れた、“精霊に見放された者”だった。いや、精霊を感じる力――祈りや浄化の流れを、失ったと言うべきか。だが、周囲の者たちは彼女を恐れ、疎んじた。祈れぬ者など、エルフではないと。

だが彼女は、ただ捨てられたのではなかった。

祈りを絶たれたその身で、それでも他の者たちを導こうとした。混乱の時代だった。

精霊の声が乱れ、祈りの届かぬ場所が増え、魔族が森を侵し始めた頃……彼女は自らを“盾”にして、雷を纏った」

 

リンの眉が、わずかに動いた。

火に照らされ、その瞳がうっすらと濡れていた。

 

エルヴァスは続けた。

 

「彼女は元々、祈りや浄化に秀でた者だった。

伝え聞くには、精霊との繋がりは深く、エルフたちすら統べる力があったとも。だが、彼女はそれらを捨てた。力のために。彼女が選んだのは、救済ではなく、“反撃”だった」

 

「祈りを捨てた時、彼女の雷は紅に染まったという。怒りでも、憎しみでもない。ただ、守りたいという――“意志”だった」

 

リンの肩がわずかに震えた。

それが風のせいか、言葉のせいかは、誰にも分からなかった。

 

「祈りを拒んだ彼女を、人々は“拒絶の子”とも呼んだ。だが私は、そうは思わない。

彼女は“選んだ”のだ。自らの手で、世界と向き合う道を。そして雷は、彼女に応えた。

それが“紅雷の神”だ」

 

しばし沈黙があった。

夜の風が葉を揺らし、どこか遠くで雷の低い唸りが聞こえたような気がした。

 

リンは、口を開いた。

 

「……その“神”は、どうなったの?」

 

エルヴァスは、ゆるく目を閉じて答えた。

 

「ある戦いで全ての雷をその身に落とし、死んだとも。ある魔族を封じ、死んだとも。雷になったとも。様々な言い伝えがある。だがその中で彼女は、必ず“何か”を遺した」

 

「それが、おぬしの中にあるものだ。

紅い雷は、ただの力ではない。

それは……彼女の問いかけの続き。

未だ答えの見つからない、“命の対話”の残響なのだ」

 

リンは何も言わず、紅い光を宿した掌を見つめた。そこに宿るものが、自らの復讐の果てで得た力などではないことを――知っていたような気がしていた。

 

 

次の瞬間、空気が変わった。

 

焚き火の灯が、ふと一瞬揺らいだ。

そしてその炎の向こうに、いつのまにか“彼”が立っていた。

黒衣を纏い、影のように揺れるその姿は、森の夜よりも深く、雷雲よりも静かだった。

 

リンは反射的に立ち上がる。

その気配はあまりに異質で――だが、どこか懐かしい。

 

「……また、現れたのね」

 

リンが反射的に言うと、エルヴァスが目を見開き反応する。

 

「……誰に、話している?」

 

リンは一瞬、戸惑う。

 

「……あなたには、見えないの?」

 

「なに? そこには……誰も……」

 

エルヴァスの目は虚空を彷徨い、焚き火の奥を見つめるばかりで、そこに“彼”の姿は映っていなかった。声も届いていない。風の音すら遮るような、完全な隔絶。

リンが振り返れば、周囲にいたエルフたちは皆、いつものように談笑し、火を囲み、誰ひとりとしてこの影に目を向けていない。

声をかけても反応しない。まるで――彼らにはこの男の存在が知覚できていないかのように。

 

すると、放浪者が静かに口を開いた。

「……彼には、もう私の姿は見えない。声も、届かない」

「なぜ……?」

 

リンが問うと、放浪者は小さく微笑むように子供を諭す親のように言った。

 

「探しものを、見つけた者の前には……私は現れない。彼は、見つけたのだ。長きにわたって探し続けた、“紅雷の神”を、彼は君を見て、確かにその答えを得た」

 

リンの胸が、少しだけ痛んだ。

雷を振るうことしかできなかった自分が誰かにとって“見つけた”と――そう思われたことが。

 

放浪者は続ける。

 

「だから、彼にはもう、私の声は不要だ。しかし君は……まだ“問い”の途中にある」

 

「問い……」

 

「雷は力だ。だがそれは、空の怒りではない。

 それは、“心”が落とす、静かな裁きの光」

 

彼の声は、風のない夜に染み込むように響いた。

 

「君は、その問いを見失ってはならない。その答えを求める限り、私は君の影であり続けよう」

 

放浪者はそう言うと、懐から古びた手帳、手記を取り出す。リンはその手記を見た記憶ある。

 

放浪者は手記を開き、言葉を綴る。

 

 

ヴァルデン手記第二章

 

「雷鳴の森に閃光は落ちる」

 

わたしは、この森に人の声を期待しなかった。

崩れた天蓋、灰の降る大気。

かつて“再生の園”と謳われたこの地は、いまやすべてを拒む大地と化していた。

 

ここにはひとりの少女がいた。

 

目は虚ろで、耳は聞こえず、だが確かに、彼女は雷と呼応していた。

 

数ある個体であると知りながら、わたしはその姿に“問い”を見た。

なぜ、生きているのか。なぜ、命があるのか。

わたしたちは形を与えても、意味を与えない。

 

わたしは、ただ一つの記録として、こう記した。

 

「力は与えられた。

だが、その力に意味を与えるのは、意志である」

 

彼女は祈らなかった。祈れなかったのかもしれない。

 

それでも最後に、わたしは見た。

崩れ落ちる空の下で、紅い雷に包まれながら、彼女はただ、両腕を広げて――まるで世界を抱こうとしていた。

 

その姿は、器ではなく、“人”であった。

 

……彼女は死んだ。

だが、その問いは、誰かに届くだろうか。

 

否。

そうでなければ、この世界には“意味”など、何ひとつ残らない。

 

 

焚き火が静かに燃えていた。

風も音もなく、先ほどまでいた放浪者の姿も、影さえも残さず消えていた。

 

リンはただ、しばらくその場に立ち尽くしていた。胸の奥に、小さな火が灯ったような感覚。熱くも冷たくもない、確かに“そこにある”もの。

 

ふと小さく息を呑む音がした。

 

「……今、そこに、いたな」

 

エルヴァスだった。

目を見開いたまま、手がわずかに震えている。

 

「声は……聞こえなかった。姿も……見えなかった。だが、空気が……心が……揺れた。そこに、“彼”が立っていたと、身体が覚えている」

 

リンはゆっくりとうなずいた。

 

「……放浪者が言ってたの。“探しものを見つけた者には現れない”って。エルヴァス、あなたにはもう、彼の姿は必要ないって」

 

エルヴァスの瞳が、大きく見開かれる。

 

「私が……見つけたと……? 探していた者を……?」

 

リンは言葉に詰まりながらも、続けた。

 

「求める者の前にだけ、あの人は現れるって」

 

その言葉を聞いた瞬間だった。

エルヴァスの表情が、崩れた。

 

 

 

《紅雷の神》

それは、神にも見放された民を導いた祈らぬ少女。かつて世界の終わりに現れ、雷をまとい、森に再び祈りをもたらし、自ら拒絶した者。

 

その名を持たぬ少女は、どの絵にも顔が描かれなかった。けれど、語りの中の彼女は、いつも風のように走り、空を睨み、誰よりも強く、誰よりも哀しげに笑っていた。

 

子供だった私は、その姿に憧れた。

いつか会えるのではないか。

いつか、この目で紅雷を纏う彼女に出会えるのでは――と、

あの日から、私は探し続けてきたのだ。

 

伝承はただの夢だと、誰もが言った。

放浪者のことも、雷に選ばれる者の話も、古き迷信だと笑われた。

それでも、私だけは信じていた。

 

そして今日――彼女は現れた。

傷つきながらも、森を彷徨い、祈りを拒み、

それでも雷に導かれ、命に寄り添おうとする、その少女。

 

リン――

 

ああ、どうして、いままで“雷の落とし子”などと呼んでいたのだろう。これは、ただの恐れだった。私は、あの頃の夢が、目の前に形となって現れることを、恐れていたのかもしれない。

 

でも違う。

 

君は、夢ではなかった。

ここに、確かにいる。

過去にいた“あの少女”ではなく、いまこの時代に生きる“リン”として。

 

私は、探していたんだ――

伝承の影ではなく、「君」を。

 

そう気づいたとき、胸の奥に残っていたものがほどけていく。

 

涙が溢れて止まらない。

だが、これは悲しみではない。

長く凍えていた魂が、ようやく“辿り着いた”という、魂の温もりだ。

 

君が“神”であろうと“人”であろうと、

その手が祈りを失っていようと、

私は、ようやく出会えたことに、心から感謝を捧げよう。

 

 

 

 

「……ああ……ああ、そうか……! そうだったのか……!」

 

エルヴァスの身体は震え、細くかすれた声が漏れ、老いた目から静かに涙が流れ落ちた。

 

「長かった……何十年も……どれだけ祈っても、探しても……探しものは現れなかった。だが今、こうして“彼”の言葉を聞けた。ようやく……ようやく、報われた……」

 

彼は震える手で顔を覆い、しばし、言葉にならぬ嗚咽に肩を震わせた。

老いた身体の奥底に、なお燃え続けていた希望の火が、確かに報われたその瞬間だった。

 

リンは、そっとその背に手を添えた。

 

その手にはまだ、微かに紅の雷が宿っていた。

 

それはもう怒りではなく――

ただ、誰かと分かち合うための、微かな光だった。

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