《Testament of the Last Warden - 世界が歩み始めた日》   作:ケン3ヴァルデン

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紅嵐によって雷鳴の森は目覚める

 

 

彼らエルフの暮らす森、かつて神々に祝福されたヴィリュスの森。

だが、雷の怒りに打たれてからというもの、森は祈りを拒み、エルフたちは散り散りに逃げ、祈ることすら忘れ、ただ生き延びる術を選んでいた。

 

しかしある日を境に、遠くの集落や村に風の便りが届きはじめる。

 

「ヴィリュスの北、かつて消えた村の者が……生きていたらしい」

「東の谷で、一夜にして祈り手が目覚めたと」

「“紅嵐の神”が来た――そう噂が広がってる」

 

紅い雷を纏い、病める作物を癒し、動物に道を聞き、そして絶望を内に秘めながらも、祈りを拒む者だったはずの少女――

リンの姿が、彼らの中に変化をもたらしていた。

 

 

誰が最初にそう呼んだのかは、わからない。

けれど、確かにその名は――雷と共に、風の向こうから届いた。

 

「イゼリアの地」

それは、紅嵐の神が拠り所とした集落、

“祈りと浄化”の力が再び芽吹いた、森における新たな神域として語られるようになった。

 

かつて“雷の落とし子”と畏れられ、

その眼差しひとつで動物も人も怯えを抱いた少女の名が、今では、民を集わせ、祈りを共に、病を癒し、森を癒す――そんな土地そのものを示す言葉となった。

 

「イゼリアに行けば、祈りが戻る」

「イゼリアの雷は、怒りではなく命の兆しだ」

 

そう囁く者たちの群れは、やがて川を越え、谷を渡り、北の断崖や東の滝からも、老いも若きも、命を抱えて歩いてきた。

 

彼らは皆、“森の分断”の時代を生き抜いてきた。

 

集落を焼かれ、言葉を失い、祈りを忘れ、

雷の轟きにただ身を竦めていたエルフたちが――

今、再び歩き出していた。

 

 

リンの指先が、再び土に触れた。

枯れかけた蔓に触れると、そこに一筋の紅い閃光が走り――蔓はしなやかさを取り戻し、小さな花を咲かせた。

 

それを囲むように、幾人ものエルフが息を呑んだ。静寂の中、少年が震える声で言う。

 

「……今のは……本物の、浄化だ……!」

 

そして、イゼリアの地に集まったエルフたちは、リンと共に祈った。

かつて失われた“本当の祈り”を手探りで思い出すように。

誰かの手を取るように。

死を嘆くのでなく、生を迎え入れるように。

 

「ねえ……どうして私も、あの花に……」

少女が問いかければ、リンは少し戸惑いながらも手を重ねてみせる。

紅雷がその少女の手に流れ込み、優しい光が芽吹きを導く。

 

それは、紅雷の模倣ではなかった。

リンという“芯”に触れることで、かつて忘れ去られた本来の祈りの回路が、他のエルフたちにも徐々に目覚めていくのだった。

 

彼女は、自分が「神」などではないことを知っていた。

この力は祝福ではない。

ただ、世界が壊れた時に宿してしまった、名もなき灯火。

 

けれど――

 

この地を巡る風が柔らかくなったこと、

動物たちが逃げずに眠るようになったこと、

病める草が葉を広げたこと、

そして誰かが誰かの名を呼び、笑っていたこと。

 

それらすべてが、リンに“ここにいていいのだ”と、

そう告げているように思えた。

 

かつて、祈れなかった少女は。

かつて、命に触れられなかった少女は。

 

いま、無数の祈りの中心で、風の中に立っていた。

 

 

雷鳴のない夜――

リンは、紅い光の夢を見る。

 

湿った大気が、肌を濡らす。

そこは森ではなく、空でもなく――虚無だった。

 

踏みしめるものもない暗闇に、ぽつりと赤い光が灯る。それは、少女の姿。

 

だが、その輪郭は絶えず揺らぎ、雷のように震えていた。

 

その少女が、ゆっくりとこちらに顔を向ける。

 

「……あなたは……」

 

声に出したはずなのに、自分の声は反響しない。声は霧散し、代わりに響いたのは――雷の音。

 

ビリビリと頭の奥に触れる、鋭く、脳髄に沁み込む感覚。だがそれは、痛みではなかった。

記憶だ。感情だ。言葉ではない、“雷の言葉”だ。

 

少女が、何かを伝えようとしている。

 

――“私は祈りを捨てた。けれど、祈りは消えていなかった。”

 

紅雷が、ゆるやかに絡み合い、空に文字のような残光を残す。

その軌跡が意味を成す前に、リンの心に“理解”だけが流れ込んでくる。

 

――“彼らが来る。過去は繰り返されようとしている。”

 

雷がまた、はじける。

 

 

“警告”だった。

 

少女は、リンの胸に手を差し伸べる。

そしてその掌が触れる前に、紅い雷がふたたび弾けた。

 

――“その光は、呼び寄せる”

 

リンの瞳が見開かれる。

少女の視線が虚空を指す。

 

空が裂ける。

そこに、何百という影が蠢いていた。

 

咆哮のようなノイズ。

聞き取れない叫び。

かつて夢で見た魔族の声が、再びリンの頭蓋を軋ませる。

 

――“かつて私が用いたその力は、

滅びの端緒となった”

 

少女の肩から流れ落ちる紅雷は、まるで涙のように見えた。

 

その光に包まれながら、少女は一歩、リンに近づく。

 

リンは無意識に後ずさる。

雷が強くなりすぎる――思考すら焼かれてしまいそうだった。

 

「これは、私が……呼んでいるの……?」

 

雷が応える。

それは肯定でも否定でもなかった。

 

ただ一つ、確かに伝わってきたのは――

 

“紅い雷は、誰にとっても、見つけさせる光”だということ。

 

エルフはそれに惹かれ、近づく。

魔族がそれに惹かれ、近づく。

それはリンという存在が、「灯火」となったことを意味していた。

 

少女が振り返る。

背後に開く裂け目から、無数の“影”がリンに手を伸ばしてくる。

 

紅雷が、それを焼き払う。

 

少女の姿が消えていく。

その瞳だけが、最後までリンを見つめていた。

 

――“繰り返さないで。

選び取るのは、あなた。”

 

 

外では鳥の声がし、朝霧の中に光が差していた。だが、彼女の胸の奥では、まだ雷の残響が鳴り止まなかった。

 

「はっ……!」

 

息を吸う暇もなく、リンは跳ね起きる。

額を伝う汗が、まるで雨のようだった。

 

夜は明けかけ、空の端が紫に染まりつつある。

森の向こうで、雷の鼓動が低く響く。

 

夢――いや、あれはただの夢ではなかった。

 

リンは、自分の手を見下ろす。

微かに指先が赤く光る。まるで、生きているように。

 

「私が……呼んでる?」

 

その呟きは風に溶け、どこにも届かない。

 

だが、心の奥底で確かに響く不安。

それは、“警告”という名の震えだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

森の深層、光さえ届かぬ朽ちた聖域にて。

黒き影が立ち、無数の“それら”がざわめいていた。

 

その影の中心にあった存在は、かすかに首を傾げた。

 

「……」

 

魔族だった。

 

その声は、誰にも届かない。

だが森は――確かに、その予兆に震えていた。

 

紅嵐は静かに森を包み、

同時に、漆黒の波が再びその歩みを始めようとしていた。

 

 

 

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