《Testament of the Last Warden - 世界が歩み始めた日》   作:ケン3ヴァルデン

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その背に恋焦がれて間にて

 

 

  雷鳴は今日も遠く、森が目覚めていた。

 焼けた木々には若葉が芽吹き、傷ついた者たちの居場所が少しずつ戻ってきていた。

 かつて失われた命の全てを取り戻すことはできずとも、エルフ達は生きようとしていた。

  

 

 

 イゼリアの地、かつて祈りの民が散り散りに身を寄せていた森の奥。そこに――人の声が戻りつつあった。

 燃やされた木は灰の中から再び芽を吹いた。癒えぬ傷を抱えた者たちは、それでも互いを支え、細い橋を繋いでいく。

 

 イゼリアの地に集った集落の数は三に増えた。祈りの技を継ぐ者、木を組み住まいを作る者、わずかながら祈りを呼べる者。

 希望と呼ぶにはあまりにかすかだが、

それで十分だった。

 

 だが、その微かな希望を踏みにじる者たちもまたいた。森の北端、星の音さえ聞こえぬ夜。エルフの村が一つ、消えた。祈る者は焼かれ、逃げる者は裂かれた。救援の声は届かず、助けを求める声は風に消えた。

 

 そして、また一つ。

 また一つ。

 

 破壊の影は音もなく広がり、誰も気づかぬうちに静かに、着実に、森の呼吸を奪っていた。

雷雲は今もそこにあり、何かを睨むように静かにうごめいている。

 

 

 リン・イゼリア・ナヴェラは、傷だらけの地図を見つめていた。

 地図の上には血のような赤い印が三つ。いずれも、村が“あった”場所。いまは、そこにもう何もない。

 

「……これ以上は、守れないかもしれない」

 

 低く、掠れた声がこぼれる。

 その指先からは微かに雷光が漏れたが、紅い光は不安定で揺れていた。

 守るべき者が増えていく。けれど、手は届かない。

 力はある。だが、それだけでは足りない。

 その事実が、彼女の心に、かすかな焦げ跡を残していた。

 

 孤独だった彼女の周囲には仲間がいた。剣を持つ者、祈りを教える者、森と話す者。

 彼らは皆、リンのことを「姉」と呼び、「紅嵐の神」と呼び、「希望」とすら口にした。

 ――だが。

 

(私は違う……)

 

 その思いだけは、どれだけ時が経とうとも変わらなかった。

 誰かを癒す祈りを持たぬ自分。憎しみで燃え上がった雷しか持たぬ自分。

 そして、守りきれなかった幾つもの声が、未だに耳に残る。

 

 

 そんな彼女を、木々の影から見つめる瞳があった。

 木々の陰、朽ちた根の奥に、息をひそめる少女が一人――ただ、心酔するように。

 

 誰も彼女に気づかない。気づかれたくもない。そう、彼女は“ただ見ているだけ”でいいのだ。

 見るだけで、いい。

 彼女の雷を。

 彼女の背中を。

 

 名をティリア・フェンリエル。

 

(美しい……間違いない。あの人は、王子様だ)

 

 自分でもおかしいとは思っている。

 でも、それでいいのだ。

 昔読んだ、おとぎ話の中に出てきた王子様。

 黒い鎧をまとい、雷と剣で悪しきものを滅ぼす存在。

 

 口に出せば、壊れてしまいそうな感情。

 心に押し込めても、抑えきれない衝動。

 その美しい姿、ティリアは“生”を見た。

 

 今も彼女は木々の影から、リンをただ、見つめている。

 声をかけられない。話しかける資格などないと、わかっている。

 それでも――その背を、もっと見ていたいと思ってしまう。

 

彼女だけは、私のことを見つけてくれるはず。

まだ出会ってもいない。話したことすらない。

 でも、それは問題じゃない。

 

「お姉様♡」

 

 小さく呟いたその名は、熱を帯びていた。

 声にならぬ恋慕、声にしてはならぬ狂気。

 ティリアの中には、熱と冷たさが同居していた。

 それが、普通でないことくらい、本人も分かっていた。

 

 けれど、彼女にとっては、それが初めての“本当の感情”だった。

 

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