《Testament of the Last Warden - 世界が歩み始めた日》 作:ケン3ヴァルデン
石が並ぶ道は、どこまでも真っすぐだった。
地に根差した道しか知らなかったティリアには、その直線すらが異様だった。建物は積み上げられ、天を目指す巨木ににていた。
色とりどりの布と染料、煮えたつ香辛料の匂い、人の声、笑い声、怒鳴り声、馬の嘶き――
それら全てが、ティリアの耳にうるさくて、眩しくて、少し苦しいさを感じさせる。
(こんなに……全部が、強い……)
風は吹いているのに、祈りがない。
土はあるのに、囁きがない。
だけど人々は、そんなこと気にする様子もなく、元気に歩き、怒り、笑っていた。
そして、街の奥。
高台に聳える石造りの巨大な建築――かつて王城と呼ばれたその場所に、ティリアの目は引き寄せられた。正確にはその手前、広場から続く大通りは人で埋め尽くされ、封鎖されていた。
兵士が柵を設け、通行を止めているのに、それを押しのけるほどの民衆が集まっていた。
紙吹雪。旗。歓声。
だが、戦でも革命でもなく――
「セリス様は!? セリス様は今日こそお見えになるのか!?」
「我らのエリオットは城にいるのか!? まさか今、ふたりきりなのか!?」
「革命の火はまだ消えてねぇぞ! せめて抱きしめるくらいしてやれぇぇぇッ!!」
ティリアは思わず立ち止まる。
(……これが)
道端では老婆が「祝福の菓子」と称して焼き菓子を配っていた。
子どもたちは「セリスの祝言ごっこ」と称して白い布で顔を隠し、花をまいている。
青年たちは演説のように「愛の義務」について語り、大人たちは酔っぱらって踊っている。
ティリアの様子をみた、後ろからついてきた商人の1人がが苦笑しながら肩をすくめた。
「おいおい、ここはある意味危ねえからあんま近づくなよ」
「ここが“元・王都”。今は評議会の本拠地ってことになってるが……」
「これ……みんな本気、なの?」
「ああ、これでも“抗議”だぞ。『結婚しろ!』『早くしろ!』ってな」
「ま、民は本気で祝ってる。怒鳴ってるが、顔は笑ってる。妙な話だが、革命の果てがこれなら……悪くはねぇかもな」
ティリアは、呆れたように、けれどどこか安堵したように小さく息をついた。
「変な国……ほんとに」
だがその口元には、かすかな笑みが浮かんでいた。
世界は広くて、変で、そして――案外、優しい。
*
その間、玉座と呼ばれていた椅子は、今や名前を変えていた。
「叡智の場(えいちのば)」
王の権威ではなく、知の共有と合議を象徴する場として再構築されたそれは、だが未だに石造りの堅牢な椅子のままだった。
エリオット・カレヴァンはその椅子に深く腰掛けながら、机に積まれた資料の山に囲まれていた。
「……また、東部農村での消失事件……」
手にした羊皮紙を睨みつけるように読み、次の紙を取る。
「……この目撃情報、“口が裂けて、声がしないのに声がしたかのようだった”……またか」
別の紙。今度は辺境の集落が、燃やされたまま発見された報告。
目撃者はなく、代わりに黒い外套を着た“影”が立ち去るのを見たという証言。
「……これが“ただの野盗”の仕業に見えるなら、目が腐ってる」
エリオットは苛立ちを押し殺し、資料を机に叩きつけた。だが次の瞬間――
「せ〜りす! せ〜りす! えりおっとと〜〜〜!」
「今夜が夜明けだ、結婚しろォォォ!!!」
「いつまでお預けなんだこのやろう!! もはやこれは政務怠慢罪では!?」
窓の外から、響く民衆の大合唱。
エリオットは額を押さえた。
資料の内容が、まったく入ってこない。
「……フレイ……」
憤りの名を噛みしめ、椅子から立ち上がる。
叡智の場の壁際、あくまで議場の一角に設けられた控室。そこに、彼は直行した。
そこにいたのは、あの飄々とした男――フレイ、かつて革命に加わり、今や評議会の“顔”として民衆と接している男だ。
「……君が、あの騒ぎの主導者なのは知ってる」
「ん?ああ、外の祝福の声か?んなもん主導なんてしてねぇよ。酒場で俺が煽っただけ」
「それが主導というんだ。……君はわかってるのか? このままじゃ――」
「――結婚するってことか?それはお前ら次第じゃないか」
「俺たちはあくまで、民の“願い”を代弁してるだけで、こんな風に国中から言われるほど偉くはないって言ったろう!」
フレイのはぐらかすような笑み。
エリオットが言葉を続けようとしたその時、背後の議場から別の評議会メンバーの声が飛んだ。
「――はい次、“山間の村からの祝賀品”だ。干し肉と葡萄酒、あと、“ふたりで飲め”って手紙つきだ」
「こっちは詩集。“革命と恋”を主題にしたらしい。最終章の題は『城壁のキス』」
「……おい、エリオット。どうした。顔がひきつってるぞ?」
わざと2人を遮るように資料の山が崩れるように、祝福の贈り物が次々と運び込まれる。
皮袋の中には焼き菓子。織物。首飾り。干し草で編んだ“ウェディングリース”。
机の上が、政務机ではなく婚礼準備の祭壇と化していく。
エリオットは、口元を引きつらせたまま硬直していた。
(な、なんだこれは……)
先ほどまで被害の報告を読んでいた場所だ。それが今や、“祝福という名の暴力”に包囲されている。
“革命の英雄”
“民に選ばれし若き賢者”
そして今は――“恋に落ちた聖騎士”
そのどれもに、彼は名乗った覚えはない。
「セリスとの仲はどうだ?」
「今が決め時だぞ、若者よ!」
「政に私情を絡めるなど――って言ってたのは私だが、今回は例外だ!」
誰も止めてくれない。
この評議会ほ同志たちすら、今はただの観客であり煽動者だった。
狼狽えるエリオットの様子を見たフレイはニヤリと笑って大広間の窓を開け放つ。
「エ〜リ〜オ〜ット〜〜!!!」
「せ〜り〜す〜〜〜!!!」
「くっつけェェェ!!!」
「誓えェェェ!!!」
祝福の怒号が、噴き上がる。
あまりに大きな音に、書類が舞い、花束が一つ落ちた。
(ここは……王の間ではなく、地獄だ……)
彼はただ、ゆっくりと机に手を置き、顔を覆った。
政治とは、戦とは、民とは――こんなにも、うるさくて、手に負えないものだったか。
(誰か……誰か、普通に政務の話をしてくれ……!)
だが、部屋には今日も“婚礼の詩”が追加される。
窓の外には笑顔と花が咲き乱れ、
そして「結婚しろ」の四文字が、誰よりも彼を追い詰めていた。