《Testament of the Last Warden - 世界が歩み始めた日》 作:ケン3ヴァルデン
セイロス・ノア=イシュタル。
かつては貴族階級の嫡子として、名家の未来を嘱望された男。
だが――彼の眼差しが向けられたのは、舞踏会の装飾でも、剣技の指南でもなかった。
彼が夢中になったのは、書物の奥底に潜む“異なる者たちの影”だった。
エルフの祈りに込められた調律、
ドワーフの金属に宿る律動、
リザード族の人ならざる姿、
その他、多数の種族――
彼にとって“他種族”とは、知識の対象であると同時に、強烈な“美”の象徴だった。
目の形、肌の色、骨の線、声の質。文献や簡単な図でさえ人とは異なる“意匠”に、彼は理屈を超えた魅力を感じていた。
貴族社会は彼を嗤った。
「異形の姿に心を焦がすなど、気がふれている」
彼は家を追われた。
だがそれを機に、己の興味を“研究”という理性の檻に閉じ込めることを選んだ。
学び、記録し、分析する。恋ではない。信仰でもない。これは学問だ。――そう言い聞かせながら、彼は他種族という“幻想”に触れる日を夢見続けている。
*
「……本当に、地下通路なんて作ってたのか。君、どこまで用意周到なんだい」
王城の裏階段。床石を二枚、手順通りに押すと――金属質な音とともに、小さな扉が音もなく開いた。その奥に続いていたのは、苔と魔力に覆われた細道。
「革命前に何度も逃げたからね。出口が多いほど、命拾いできる確率も増えるの」
ランプの代わりに小さな魔導光が灯され、二人は通路を進み出す。足音は石と石の継ぎ目に吸われ、周囲はしんとした闇に包まれていた。
「それにしても、旦那に黙って男とふたり、秘密の地下通路って……不貞案件じゃないかい?」
セイロスが口元を歪め、軽口を叩く。
セリスの返答は即答だった。
わずかに吐き捨て気味に。
「……黙れ変質者」
「僕は純粋に異種族に美学を感じているだけでね、変質者と言われることは無い!」
「そういうのを変質って言うんだよ。しかも“性質”の方の字じゃない方で」
「冷たいなあ。でもああ見えて、エリオット君は独占欲が強そうだし、僕は君の事を心配してやってるんだよ」
「……いいから黙って歩け。転んで頭でも打てばいいのに」
慣れた足取りで進むセリスに対し、セイロスはたまに足元の水たまりに躓きそうになりながらも後に続く。
通路の先には、かつて燃え落ちた孤児院の残骸――今は再建され、地下に密やかな研究室が眠っていた。
*
地上の入口は、普通の石造りの孤児院そのものだった。だが地下へと続く階段を下りると、空気が変わる。魔法陣が刻まれた扉をくぐる瞬間、ぴたりと音が消えた。
「……常時発動型の消音結界。よくまぁ、ここまで」
「最近うるさいのが増えたからね。少しでも静かじゃないと考えがまとまらない」
扉の向こうに広がっていたのは、前文明の遺物とされるものや魔法研究の実験器具、各種族の書物が整然と並んだ空間だった。
魔導式の照明が天井を照らし、中央には魔法陣の刻まれた円卓がある。
セリスは円卓の端に座り、机の引き出しから数冊の文献と地図を取り出す。その視線は既に、襲撃者たちの謎に向けられていた。
*
魔導灯の光が静かに揺れている。
結界によって音は消え、呼吸とページをめくる音だけが耳に届く。セリスとセイロスは、それぞれ異なる分野の資料を机上に並べていた。
「……こっちは、エルフの神話記録。『追う者たち』の一節がある。沈黙を保ち、ただ標的を追い続け、痕跡すら残さない……」
セイロスが広げたのは、エルフの古写本を写したものだ。精霊信仰と歌に紛れるように、「黒衣の影」が描かれている。
「ドワーフの方にも類似の存在がいた。『鉱底より上がりし無音の執行者』。地下都市が一夜で消えた記録と共に記されている。神でも悪魔でもなく、“旧き掟を遂行する者”……そしてリザード族にもあったよ。儀式に現れる“問いを持たぬ審判”――信仰を持たぬものがそれに見られたとき、魂が凍るとか」
セリスは頷きつつ、自身の分野――魔法学と歴史書から引き出した襲撃者の記録を重ねた。
「……けど、こっちの記録は全然違う。魔法学的に見れば“姿形の異なる個体”ばかり。性質も不安定。結界を無視するものもいれば、魔力を持たないものもいる。個としての統一性がない」
セイロスは顎に手を添え、ゆっくり言葉を返す。
「だから君たち魔法学者は“魔族の亜種”と片づけたがる。でも、伝承を見る限り、どの種族も“共通の何か”として扱っている」
「それが“前文明”に繋がると?」
セリスの目が細くなる。
探るような声色。だが、その瞳にはわずかな期待も滲んでいた。
「……文明とは、記録と記憶の重なりだ。だが技術の痕跡が消えても、“語り”は残る。君たち魔法学者が“現象”を追ってる間、僕らは“言葉”を追ってきた」
セイロスは、懐から一枚の擦り切れた羊皮紙を取り出した。それは、異種族たちの言語で書かれた“追う者”たちの象徴記録だった。筆跡、紋様、神話形式――種族ごとに異なるはずの記録に、ひとつだけ共通の記号がある。
「……この印。どの種族も、無意識に“追う者”の傍に描いていた。“壊れた目”、もしくは“二重の円環”。これがなにを意味するか、君の方が詳しいだろ?」
セリスは、瞬間だけ目を見開いた。
「……それ、“起動印”に似てる。前文明の保管庫で使われてた、魔力コードの一種」
ページをめくるセリスの手が止まった。
魔法学では“再現不能”とされていた符号。けれど、伝承の中にその断片が残っている。
「……じゃあ、襲撃者たちは……」
セイロスは微笑を浮かべず、ただ淡々と結んだ。
「滅びたはずの文明が、まだこの世界に何かをしているとすれば――“彼ら”は、その手段なんじゃないか?」
*
「ダメダメ! ここは関係者以外立ち入り禁止だ!」
封鎖された評議会への道、それを守る鋼の盾を掲げた衛兵が、ティリアに向かって制止の声を上げる。だがその声は、彼女の姿を見るなり、わずかに震えを帯びた。
「……なんだ……あれ……?」
ティリアは、今にも崩れそうな覚悟を胸に抱えながら、前に進み出た。
ヴィリュスの森の空気を纏ったまま、美しい金髪と淡い肌を風に揺らして――彼女はその場の誰よりも、異質だった。
「お願いがあって……人間たちの……その、評議会?ってところに会わせて……ほしいです」
言葉はたどたどしい。
だがその目に宿る焦燥と、異様な気配は、衛兵たちの警戒を突き破るには十分だった。
「お前、人か?それとも……何の種族だ?」
「エルフ、です……ヴィリュスの森から来ました。森が、仲間が……魔族に……!」
ティリアが心配で、後ろで見守っていた商人の一団が一歩進み出る。
「その娘、嘘は言ってねえよ。俺たちが森のはずれで拾ったんだ。命がけで頼み込まれてな。森のエルフなんて、昔話と思ってたが……なあ、本物かもしれんぞ」
「この騒ぎの中、変な瓦版も出回ってる。『空から来た天使が祝福を見に来る』だとか」
「いや、それは絶対違う……」
ざわめく衛兵たち。
だがその中で、年長と思しき副隊長が息を吐いた。
「……よし。評議会には連絡を入れる。だが、勝手な真似はするなよ。民衆の騒ぎが大きくなりすぎる前に通せ!」
ティリアは、こくりと小さく頷いた。
心臓は、これまでのどの戦いよりも激しく鳴っていた。
「……ありがとう、ございます……!」
ティリアは、商人達と別れを告げ、衛兵の先導でバリケードの向こうへと歩き出す。
かつて「王が通った」荘厳な大路の先に見えるのは、王城――今や“評議会”の本拠となった建物だった。