《Testament of the Last Warden - 世界が歩み始めた日》   作:ケン3ヴァルデン

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煤けた才女

私は、目を逸らしたかった。

 

静かな怒りに燃える街を。飢えた子供たちを。兵に踏みにじられる言葉なき者たちを。

それらを見てしまえば、私の「理性」が、何よりも信じていた「研究」という名の避難所が、音を立てて崩れてしまう気がしたから。

 

だから私は、魔法と文化の研究者として、塔の上にこもった。

“人の営み”と称して、古代の文字を訳し、儀式の意味を記録し、詠唱の変遷を分類することに没頭した。それは、誰も傷つけず、誰にも触れずに済む、安楽で優雅な仕事だった。

 

だがある時、私は知ってしまった。

儀式の痕跡に、魔法陣に残された記号に、不可解な“意図”があることを。

それらがただの伝承や幻想ではなく、「何かを隠している」形跡であると、明白に感じてしまった。

 

──この世界は、誰かが作り変えたものなのではないか?

 

そう考えた瞬間から、すべてが歪んだ。

学術会議では「非科学的だ」「危険思想だ」と嘲笑され、私の研究費は削減され、助手たちも一人また一人と去っていった。

 

それでも、私は止まれなかった。

真実に触れてしまった以上、目を逸らすことはできないと決意した。

でもそれは、砂の牙城だった。

 

 

 

──そして私は研究所を去った。

 

塔を降り、民の中に降りた。

焼けかけた民家の隙間に、死の間際に食べ物を分け与える母親と、泣く子供の姿を見たとき、私は自分がどれだけ空虚な存在だったかを知った。

 

だからせめて、何かを支える側になろうと思った。

罪の重さに潰れそうになっているこの国で、誰か一人でも、未来に手を伸ばせるように。

 

私は古い家を買い取り、孤児たちを受け入れる施設を作った。

かつての研究室よりも狭く、寒く、食料も乏しかったが、彼らは笑った。笑顔を知っていた。

 

私に“希望”を教え、与えてくれたのは、彼らだったのかもしれない。

 

 

 

だが、世の中はそれを許さなかった。

 

「成り上がりの女が、何を気取っている」

「学者面して貴族気取りか」

「汚れた血の子供を、街に増やすな」

 

陰口、嫌がらせ、排除。

ある日、貴族の令息が言った。「お前のような女が、“民のため”を語るとは笑わせる」──王の威を借り肥え太ったそのことばが、宣告だったのだろう。

 

その日、建物の裏に油の匂いが満ちた。

 

ボロ屋の孤児院にかけられた悪意は、火は突如として牙を剥き、襲った。

私は叫び、泣き、震える子供たちを抱きしめ、どうにか建物の外へ逃げた。

 

炎の中で崩れる天井。立ちすくむ小さな背中。

全てを守れたわけじゃない。間に合わなかった命もある。私の声が、届かなかった命も。

私の無力さが、焼け落ちた天井と共に降ってきた。

 

 

 

そのとき──ある青年が現れた。

 

王家の服を着た青年。いや、かつて見たことのある顔だった。

この街の、腐った国の“王”の血を継ぐ者。腐敗の中心に立つ家系の人間。

 

そんな青年が孤児院の前で浮つく様に、信じられない物見たような顔をして掠れた声を出した。

 

「……誰か! 中にまだ……!」

 

その姿に、かつての自分の事を見せられていると思った。

今まで自分が目を背け続けた現実に打ちのめされてどうしようもなくなった、……あの燃える家を見つめるだけだった弱くて脆かった自分を鏡越しに見せつけられている様だった。

 

「これが……“外”の姿なのか」

 

諦めにも似たその呟きに、その言葉に、私の中の“冷たく凍った何か”が、わずかに軋んだ。

 

「何をしている、坊ちゃん。燃える建物は王族の遊び場か?」

 

振り返って向かい合うとよくわかる。この世界に似合わない、着飾った服、健康的な身体。

 

その全ては揺れる目と震える足と、血の気が引いた顔色で台無しになっていた。

 

本当に昔の私にそっくり。

だからこそ彼も私と同じこの“冷たく凍った何か”を感じている筈だと、彼の世界を揺さぶろうと決めた。

 

「見てるだけなら、坊ちゃんも“アレ”と同じさ。こっちは、毎日だ」

 

「私は……」

 

「王子なんだろ? なら、帰りな」

 

彼と私は似ている。

知りながら、目を逸らせなかった。何かをしなければいけないと思いながらも、何もせず理想と、矛盾と、赦しと、責任を──

だから彼の喉から聞こえた言葉に歓喜した。

 

「……子供たちは……無事か?」

 

全てに押し潰されそうになる、沈黙に首を絞められる息苦しさ。

燃える孤児院の近くにいるのに、腕に抱いた酷く冷たい子供をおろして言葉を紡ぐ。

 

「助けたわけじゃない。間に合わなかっただけだ。私は、ただ――ここで、彼らと生きていただけ」

 

−−子供が、私の袖を掴んだ。

今にも消えてしまいそうな儚さを、その手を、静かに握り返した。

彼に抱く身勝手な幻想から現実に引き戻してくれた事を、この子には感謝しないといけなかった。

他人への期待なんて今更求めるなんて、まったく鈍ってしまった。

 

「君は……名は?」

「セリス。……ただの研究者。もう、“国の”は外していい」

「孤児院を? 一人で?」

「この国が壊れたのは“アレ”が狂ったせいだと、誰もが知っている。それでも黙っていたのは誰かが燃えても、それを“当然”と思ったから。私は……それに加担したくなかった。それだけだ」

 

勝手に理想と期待を抱かない様、私はあえて突き放すと同時に、この言葉を私自身に言い聞かせる様に呟いた。「黙っていた者」は、自分自身に他ならなかった。

 

「……違う。私は…俺は、もう目を逸らさない。」

「やめてくれ。坊ちゃん。あんたの正義は、いらない」

 

燃える孤児院の側なのに

 

 冷たい風が、ふたりの間を通り抜けた。

 

そして甲冑の擦れる音と怒号が聞こえた。

 

「エリオット殿下! 危険です、こちらへ!」

 

振り返ると、武装した近衛兵が数名、彼に駆け寄ってきていた。もがく彼の姿を見て萎んだはずの期待感が溢れそうだった。

 

「待ってくれ、まだ……!」

 

彼が−−エリオットが手を伸ばす。だが、その手は兵に掴まれ、半ば無理矢理に引き離されていく。 

 

「セリス!! 君は――!」

 

 

 

私は答えなかった。

ただ燃え残った孤児院の子供たちを静かに抱き寄せることしか出来なかった。

これからのことを考えないと、どうやってこの子達を食べさせるか。

幾つもの問題が頭によぎる中、あの肥え太った貴族の顔が浮かんだ。

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