《Testament of the Last Warden - 世界が歩み始めた日》   作:ケン3ヴァルデン

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導き、分たれる者達

 

落ち着きを取り戻した応接の間で、ティリアは静かに、しかし確かな言葉で森の現状を語った。かつて祈りと平穏を宿していたヴィリュスの森は、今や雷と恐怖に満ち、エルフたちは散り散りに生き延びているという。

 

ティリアの訴えに、セリスとセイロスは、それぞれの分野――魔法学と種族伝承の観点から、いま各地で起きている“襲撃”が、単なる災害や偶発的な争いではなく、遥か過去の歴史から連なる意志的な連鎖であることを確信する。

 

彼らが語る各種族の古き記録。

そこには、“追う者たち”と呼ばれ、姿も性質も魔族に酷似する存在が繰り返し現れていた。

 

人が忘れた物語。

エルフが祈りに閉ざした記憶。

伝承に刻まれ、けれど軽んじられてきたその名のない影。

 

それは、“過去”そのものが、今なお生きて人々を追い詰めている証。

 

この話し合いを経て、エリオットは決断を下す。

評議会を招集し、事実を共有したうえで、人の国が今まで通商や同盟を交わしてきた都市や国だけでなく、他の種族――エルフ、ドワーフ、獣人など異なる文化を持つ民とも連携・交渉を図る方針を定めた。

 

それは、初めて「人の国」が本格的に他種族との協調を目指す大きな転機となる。

 

そして、静かに動き始める“共闘”の兆し。

それが、果たして希望への一歩なのか、さらなる混迷の序章なのか――

誰にもまだ、わからなかった。

 

 

 

 

「……北東の山岳地帯、かつての交易路沿い。あそこでドワーフの一団を見かけたという報告がある」

「ならば、先に交渉の使者を出すべきでしょう。以前断られたこともありますが、状況が違えば応じる可能性もある」

「リザードマンは? 砂漠周辺で奇妙な集団を見たという噂が……」

 

 評議会の円卓には、各地から寄せられた報告と地図、伝聞の断片が並べられ、次々に交わされる意見が飛び交っていた。

 誰もが真剣なまなざしで、襲撃に対抗する術を模索していた。人の国を越え、種族という境界を越えた協力体制――それは革命以上に、これまでの常識を塗り替える試みだった。

 

 だがその中で。

 誰からともなく、時折、違和感がよぎった。

 視界の端、扉の影、柱の裏、光のない隅。

 誰の眼にも映った気がする、“何か”の気配。

 

 それは影のようで、存在のようで――だが誰も口にしなかった。いや、できなかった。

 “そんなものは気のせいだ”――

 そう自分に言い聞かせるように、会議は続く。

 

 王城のさらに高き回廊。誰も踏み入らぬ石の影に、放浪者が静かに佇んでいた。

 

 黒き外套に風が触れるたび、淡い埃が舞う。

 その手には、擦り切れた一冊の書物――『ヴァルデン手記』。ゆっくりとその表紙を撫でながら、口を開いた。

 

 「……かつて、我々にはできなかった。理解のなさが、傲慢を生み、傲慢が恐怖を、恐怖が破滅をもたらした」

 

 遠く響く会議の声を見下ろしながら、その声は誰に向けたものでもなく、まるで自問のようだった。

 

 「……だが今、人はまた――繋がろうとしているのか?」

 

 言葉のあとに、何も続かなかった。

 ただ、風だけが石の回廊を抜けていった。

 

 

 

 

 イゼリアの地、集まった者達の代表者達や狩人の長などが集まる場所。そこは幾枚もの古布で覆われた天蓋の下、湿った風がゆっくりと流れていた。

 リン・イゼリア・ナヴェラは、集まった者たちと、静かに言葉を交わしていた。

 

 「……また一つ、東の村が沈黙しました」

 

 報せは、いつも唐突で、そして容赦がなかった。

 

 「まだ、間に合う範囲かもしれない」と誰かが言う。だが、それは希望というよりも、ただの願望だった。

 

 森の雷は弱まることなく、魔族の襲撃は日に日に増していた。これまで「祈り」によって守られてきたという信仰の基盤も、いまや揺らぎ始めている。

 

 リンの指先は無意識に力を込めていた。

 (……本当に守りきれないかもしれない)

 

 ティリアの顔が脳裏に浮かんだ。

 

 (……無事に、着いたのかしら)

 

 不器用で、どこか危うい彼女のことを思えば、心配が尽きることはなかった。

 口には出さずとも、その胸中はざわめいていた。

 

 「……失礼」

 

 そのとき、無言で布をくぐって一人の男が現れた。その場にいた者たちは皆、驚いたように振り返る。なぜなら誰も、彼を招いた覚えはないからだ。

 

 「イゼリア様、いえ紅嵐の神殿。あなたにこそ、我が言葉を届けねばならぬと感じまして」

 

 男は痩せて長い腕を垂らし、どこか恍惚とした目をしていた。

 彼の名は、レド=ヴァティリオス。

 最近になって、森の周縁で異様な説法を繰り返している男である。

 

 「魔族の来訪は祝福です。祈りを忘れ、浄化の道を見失った我々エルフへの……精霊の導きに他なりません」

 

 上層部の者たちが顔をしかめる。

 一人は立ち上がりかけたが、リンが静かに手を挙げて制した。

 

 「……導き? 襲われ、焼かれ、無人となった集落を見ても、まだそう言えるのか」

 

 レドはふふ……と笑った。

 

 「焼かれたのは、祈りなき者の居場所。あれは罪への赦しなのです。雷が浄め、導く。我々は、かつての精霊との繋がりを取り戻す必要があるのです。あなたなら理解できるはずだ」

 

 リンの瞳に、冷たい光が宿る。

 

 (……こいつが言っていることは狂っている。けれど――)

 

 今、確かに彼の言葉に耳を傾け始める者たちが出てきている。“祈りでは守れない”という現実と、“魔族は選別している”という言葉が、

 恐れと信仰の狭間を揺れる民たちの心に刺さっているのだ。

 

 (放っておけば、あの男に人が集まる。思想が分断を生む、今はまだ芽だ。でも、放置すれば……)

 

 リンはそっと拳を握り締めた。それを見たレド=ヴァティリオスは、静かに頭を下げた。

 

 「……私はまた訪れます。貴女が、真に“祈り”の意味を思い出すその時に」

 

 そう言い残し、彼は来た時と同じく、何の音も立てずに去っていった。ただ残されたのは、彼の言葉が残した奇妙な余韻と、部屋に残る重い沈黙。

 

 「……あれを放置しておくのは危険だ」

 上層部の一人が、吐き捨てるように呟いた。

 

 「だが……あの男の言葉に、頷いた者がいるのも確かだ」

 別の者が、低く続ける。

 

 「もう我らの祈りでは……雷も、森も、我らを守ってはくれないのではと……囁かれている」

 

 その声は、怒りでも反発でもなく、ただただ疲弊しきった声だった。リンは皆の視線を受けながら、静かに瞳を伏せた。

 

 「……知っている。祈りは、万能じゃない」

 彼女の声もまた、深く低く、どこか遠くを見つめるようだった。

 

 「だけど……」

 

 そこまで言って、彼女はふと口を閉ざし、

 森の奥――ティリアが旅立ったその方角に、視線を向けた。燃えるような瞳の奥に、確かな火が灯る。

 

 「彼女はきっと、外の力を持ち帰ってくれる。私たちだけでは届かない、けれど必要な“何か”を」

 

 彼女は拳をゆっくりと握り締めた。

 

 「だから――それまで、私たちは耐えてみせる。森が、祈りが、そして希望が……完全に失われてしまう前に」

 

 雷鳴のような言葉ではなかった。

 だがその静かな言葉は、上層部たちの胸に深く染み渡った。いまはまだ、薄明の先にある希望。けれどそれが、彼らを絶望から守る唯一の光だった。

 

 

 

 

 

「んん〜〜〜っ! なにこの味! 口の中で爆発してるぅ〜!」

 

 ティリアが両手に串とパンと饅頭を抱えながら、通りを弾むように歩いていく。森では見たことのない色と香り、甘さや辛さ、時折舌がビリビリする刺激。

 

「これで太ったら森に帰れなくなるかも〜? ま、いっかぁ〜!」

 

 笑いながら口いっぱいに頬張る姿に、同行する衛兵たちは苦笑しつつもどこか楽しげだ。

 王都に響く鐘の音と活気に満ちた露店の声。

 ティリアはまるで陽光そのものであり、彼女の周囲だけがひときわ明るく見える。

 

 だがその、ほんの数歩後方。

 

 セイロスがいた。

 

 街の影に、壁と同化するように。

 

 だが彼の顔は、隠れていなかった。

 否、それどころか――口元から涎を垂らしながら、ティリアを見つめていた。

 

 「はぁ……至高……耳の角度も髪の流れも……完璧だ……」

 

 脇の裏通りから、柱の陰から、瓦屋根の上から。気づけば、ありとあらゆる角度からティリアを監視し、観察し、息を呑む姿。

 

 ただし――ティリアだけは気づいていない。

 

「このパン、なんで中から果物が出てくるの? ふしぎぃ〜〜〜!」

 

 

「おい、またいたぞ。あれ、あのポジションだと喋ってたら唾が落ちるから下にいる者達に警告してこい。」

「ていうか、なんで毎回どこにでもいるんだよ……」

「この子に気づかせたら負けだ、絶対に」

 

 ティリアの背後に現れるたびに、衛兵たちの顔に疲労と諦めの混じった感情が浮かぶ。しかし声をかけようとする者はいない。声をかけてはいけないのだ。

 やがて、一人の小さな子どもがセイロスを見つけ、無垢な声で尋ねた。

 

 「ねぇおじさんなにして――」

 「だめ! 見ちゃだめ、あっち行こう!」

 

 母親は慌てて子の手を引き、目を覆うようにして通りの反対側へと移動した。

 

 それは――“見てはいけない存在”だった。

 

 目が合えば、何かが削れる。

 耳に入れば、何かが濁る。

 誰もが経験則で悟っていた。

 

 

 それでも、セイロスは満足そうだった。

 

 「ふふふ……この角度から見る横顔……森の冷気と都市の熱が混じるこの瞬間……ああ……芸術……」

 

 そして――セイロスはまたどこかの屋根の上へ姿を消す。

 

「ん……?」

 

 串焼きを咥えたまま、ティリアはふと足を止めた。背筋をつたうような、奇妙な悪寒が一瞬――風のようにすり抜けた。

 

 「なんだろ……いま背中が凄くゾワってした」

 

 彼女が振り返ろうとしたその瞬間、

 

「はいはーい! ティリアさん、前向いて前向いて!」

「ちょっと小走りしましょうか、小走り!」

 

 衛兵たちが見事な連携で左右からティリアを囲み、前方へ押し出すように誘導する。

 振り向く隙すら与えない。

 

 「いや、でもなんか背中が、こう……冷たい感じが――」

「たぶん、それは暑さですよ! うん! 汗冷え、汗冷えです!」

「ちょうどいいですね、風魔法いきまーす! 《さやけき風のしずく》!」

 

 魔力の涼風がティリアの髪を揺らす。

 衛兵たちは笑顔でうなずきながら、全員が後方に視線を向けぬよう必死だった。

 

 一方その頃――後方の瓦屋根の上。

 

「……なにをしてんだ、変質者」

 

 縄を腰に提げたフレイが、静かにセイロスの背後に立っていた。屋根瓦がきしむこともなく、まるで影のように。

 

「近づくな」

 

 セイロスはティリアから目を逸らさず、涎を指先で拭いながら吐き捨てた。

 

 「この構図が……崩れる……ッ。エルフと我々人間文化の交差点、この奇跡の瞬間に雑音を入れるな」

「その“雑音”は、おまえの存在そのものだ。ドワーフへの交渉資料、出来てんのか?」

 

 フレイは表情を変えず、問い詰める。

 セイロスは片手で口元を拭いながら、ティリアから目を逸らさぬまま答える。

 

 「提出済み。北山系の連絡路に近い鉱山“ロム=ツォル山”が現在最有力。

 通信回線――ああ、セリスが作った物を複製して魔法による会話結晶も、すでに交信圏内。

 リザードマンについては接触情報の信憑性を検証中、先触れには別の使者を送った」

 「……おまえ、本当に全部やってるのか」

 「仕事は終わった。今は、私の自由時間だ」

 

 風が吹いた。

 セイロスの外套がはためき、その向こうでティリアが笑っていた。

 

 「……ふふ、ふははは……っ」

 

 笑い声は、熱狂か狂気か判断がつかない。

 ただ、フレイは小さくため息を吐き、つぶやいた。

 

 「……やっぱり放し飼いにしちゃいけないタイプだな、こいつ」

 

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