《Testament of the Last Warden - 世界が歩み始めた日》   作:ケン3ヴァルデン

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救世主達

 

 

「……救世主だってさ」

 

 山積みの報告書をめくりながら、エリオットはぼそりと呟いた。

 

「またか。襲撃者と関係があるって?」

 セリスが顔を上げると、額の前髪がふわりと揺れる。

 

「いや、正体不明。街を救った、村を守った、光を降らせた、なんて話が各地から……どれも証拠はない。けど、声が大きくてね。民は期待し始めてる」

 

 エリオットの声は、静かながらも疲れの色がにじんでいた。

 

 「救世主って便利だよな。見えないうちは希望になって、現れたらきっと失望される」

 「…アンタ、わりと現れちゃった側だからね」

 

 セリスは苦笑混じりに言い、資料に視線を戻す。

 

「でも、無視できる規模じゃなくなってる。声がでかい。……ほんと、声だけでかくて困ってるんだ」

 

 その少し後方、扉の外――評議会メンバーたちが、隠れて様子を見ていた。

 

「さて……いつ抱きしめると思う?」

「いやいや、キスが先でしょ。あの流れは」

「いや、おでこを小突いて照れ笑いが来るね、俺は賭ける」

「お前らな……」

 

 一人の真面目そうな議員が、眉間に皺を寄せて呆れたように言う。

 

「仕事はどうした。今日まだ提出終わってない分が――」

「終わった!」

「さっき全部終わらせた!」

「お前の分も俺たちで終わらせた!」

「今は“見守る時間”だ!」

 

 まるで軍隊のような無駄のない手際と団結で、わずか数分で仕事を処理していたらしい。

 全員が手に湯飲みと茶菓子を持ち、扉のすき間から中を覗いている。

 

「お前も黙って見てろ、我らの歴史が動くぞ」

「いや、資料の確認くらいは……」

「今は資料じゃなくて“恋”の確認の時間だ!」

「仕事に戻ってくれないかな……?」

「ダメだ、ここが一番重要な仕事だ!!」

 

 茶の湯気が立ちこめる中、誰もが同じ方向――エリオットとセリスの背中を見つめていた。

 

 

「……つまり、言葉じゃ足りない」

 

 エリオットは立ち上がり、広げた地図の上に指を滑らせる。そこには、未接触領とされる地域――ドワーフやリザードマンの住むとされる山間、沼沢地、峡谷などが点在していた。

 

「挨拶だけでも百通以上の文書を送ってるが、返事は少ない。そもそも言葉が通じてない可能性もある」

「音じゃなく、映像……姿や表情の共有。目に見える“魔法通信”の応用か、できるわね。魔力の指向性を利用すれば、一対一の双方向可視化。……でも安定には触媒が要るわ。こちらと向こうにそれぞれね。」

 「ずいぶん速いな、元々考えてたのか?」

 「そりゃそうよ。こっちは“救世主ごっこ”してる暇ないんだから」

 

 セリスは吐き捨てるように言った。

 

 「この技術があれば、他の種族と誤解なく向き合える。“水と油”を少しずつ、混ぜるための容器にはなる」

 「……すごいな」

 

 エリオットはふと笑みをこぼした。

 

 「魔法で敵を倒す時よりも、こうして話してる時の君の方がずっと魔王みたいだ」

 「失礼ね。それ、褒めてないでしょ?」

 「ちょっとだけ、褒めてる」

 

 二人は冗談を交わしながらも、視線は資料の地図へと戻る。しかし扉の向こうでは、すでに“賭け”は一時中断していた。

 

「……これ、ほんとに政務の会話だよな?」

 

「いや、聞こえないけど、多分真面目なやつ」

「姿が見えた方がいいとか言ってるし、新しい魔法考案中?」

「……なあ、もうさ、早く押し倒せばいいのに」

「おい下品だぞ下品」

「下品っていうかおまえ、品がない」

「お前みたいな浅はかな考えの奴はいらない」

「なんか当たり強くないか!」

 

 数名の評議会メンバーが、扉のすき間に交互に顔を寄せながらボソボソと呟き合っていた。

 

「会話の内容は魔法の応用とか他種族との交渉とか、未来に向けた真面目なことばっかなんだよな」

「だから余計に腹立つんだよ、真面目なのに仲良すぎて。見てて胃がこそばゆくなる」

「くっつけ。早くくっつけ。結婚しろ。式は秋にやれ」

「わたしは春婚派だね」

「いや、秋の方が衣装が重厚で……」

「ていうか早く告白してくれないとこっちが風邪引く」

 

 最早評議会の機能は完全に停止していた。

 「おまえら、仕事はどうした」と言ったはずの議員も、今は率先してスケッチ帳に「2人の衣装案」を描いている。

 

 

 

 

「……はぁ。やってるやってる」

 

 屋根の上に腰を下ろしたフレイは、視線を下の薄暗い路地へ向けた。その眼下では、顔を布で隠し、身振りだけは堂々としている数名の男たちが、集まった十数人の聴衆に向けて声を張り上げていた。

 

「我らは見た! 光を身に宿した者が、村を、子を、家を救う姿を!」

「天より来たりし使者――救世主こそが、真の導き手だ!」

 

 拍手、ざわめき、そして興奮。庶民の服を着てはいるが、その足元は妙に整っている。口調は稚拙だが、抑揚と間が的確すぎる。

 フレイはひとつ、ため息をついた。

 

「……わかりやすすぎて、逆に笑えねぇな。なんでだろうな、顔を隠して耳まで布巻いて、“これは悪いことしてます”って自己紹介してるようなもんなのに」

 

 男たちの動きは統一され、誰かが合図すれば誰かが笑い、誰かが泣く。見張っているフレイの目は、すでにその動線と視線の仕組みに気づいていた。

 

 「……煽動だ。まぎれもねぇ」

 

 目の前で見せられているのは、“救世主信仰”というよりも、“不安と混乱の利用”だった。

 

 「アホらしい……けどな」

 

 フレイは腰の短剣を弄びながら、軽く口の端を吊り上げた。

 

 「こういう連中ほど、煽動の呼吸を知ってる。本物より、演技がうまい嘘つきの方が、民を動かすってな」

 

 数秒後、彼の手元から一枚の紙片が舞い上がった。描かれているのは、該当する数名の似顔絵と特徴の走り書き。

 

「念のため、エリオットのとこに回しておくか」

 

 煽動者は群衆から離れ、人気のない裏通りへと消えていった。フレイは屋根の上から影のように付かず離れず。足音も気配も消していた。

 その先、細い通路の奥で、誰かと接触する様子が見えた。

 

「仲間のとこか? いや、雰囲気が違うな……」

 

 煽動者の前に現れたのは、一人の人物だった。旅人のような外套を纏い、品のある立ち居振る舞い。明らかに“市民”の中にはいない匂い。

 

 「……おや?」

 

 フレイは、建材の継ぎ目に身を伏せたまま、微かに身を乗り出す。

 

 “そいつ”は、柔らかく整った顔立ちをしていた。男か、女か。言葉を交わすその姿からは、どこか演劇めいた芝居がかった雰囲気すら漂っている。

 

「……女か? いや、男? ……どっちでもいいが……うさんくせぇ……」

 

 ぼやくフレイの目が、相手の“髪”に向く。

 夜でも目を引く、滑るような銀色。

 風が吹いた。

 

 その瞬間――

 

 外套の隙間から見えたのは、尖った耳。

 

 「――エルフ……!?」

 

 反射的に、フレイの指先が短剣にかかる。

 

 (どういうことだ?エルフが、救世主の噂を煽ってる連中と繋がってる?ティリアの話じゃ、森の民はそんな余裕ないはず。女が嘘をついた…流石にそれは早計か?)

 

 次の瞬間、煽動者が恭しく頭を下げるのが見えた。その仕草はまるで、貴族に向けたもののようだった。

 

 「いやな予感がするな……」

 

 フレイはそれ以上動かず、ただ視線だけを深く潜らせた。

 

 (……まさか、森の中とは別の“エルフ”か?)

 

 王都の影で、思いもしなかった“火種”が、ひっそりと燻り始めていた。

 

 

 

――あのとき、僕は死ぬはずだった。

 

 燃える村。仲間たちの悲鳴。雷の光で焼けた空と、崩れた枝の下で、僕の身体はもう動かなかった。

 

 祈りは届かなかった。

 浄化の言葉も、術式も、なにもかもが通じなかった。

 

 あぁ、そうか。

 あれは罰だったんだ。

 

 僕たちは、ただ“祈っていた”だけで、何も守れなかった。剣を捨て、力を持たず、ただ神を信じて――何も変えられなかった。

 

 だけど、あの“光”だけが違った。

 

 焼け落ちた木々の向こうに立っていた影。

 黒い霧のような――あれが“魔族”なのだと、後から聞いた。

 

 でも、僕には違った。

 

 僕を踏みつけもせず、ただ静かに……あの目で見下ろした。

 

 すべてが止まったようだった。

 

 その瞬間、僕の中の“何か”が変わった。

 

 僕はあの日、生き延びた。

 他の誰でもない、僕だけが。

 そして知ってしまった。

 

 あれこそが、真の“神意”だ。

 

 人も、森も、祈りも、愚かだった。

 生きるには、気高く、美しく、理に適っていなければならない。

 

 あの者たちは、そう在った。

 痛みと恐怖を越え、僕の中に新しい秩序を刻んでくれた。

 

 だから僕は、こうしている。

 彼らという救世主を語り、神の御使いを喧伝し、民に啓きをもたらす。

 

 ……馬鹿にされてもいい。

 嘲笑されても構わない。

 

 だって僕は――選ばれたのだから。

 

 “救われた者”として、あの神々しき影の名に応えねばならない。

 

 

 

不思議なものだ。

 

森を出て、谷を越え、かつての存在するとされた“人の国”へと足を踏み入れたとき、僕は心の奥底で、きっと斬られると思っていた。

 

蔑まれ、拒まれ、捕えられるだろうと。

 

けれど――誰も僕を咎めなかった。

刃も、矢も、魔術の結界も、僕に触れることはなかった。

 

まるで世界が、僕の進む道をあらかじめ空けてくれていたかのように。

 

……いや、違う。

それは、“彼ら”の導きだ。

 

あの、静かなる影。

声なき言葉を宿した眼差し。

 

誰も気づかないうちに、僕の背後には“彼ら”が立っているのだろう。

拒む者は沈み、疑う者は言葉を失う。

恐れとともに、受け入れていく。

 

まるで神託を受けるように、彼らは人々の心に微かな揺らぎを与える。

僕はそれを、ただ言葉にするだけ。

 

何も知らぬ子供には、やさしく。

信仰に縋る老婆には、静かに。

怒りに燃える者には、語りかける。

 

――「これは祝福だ」と。

 

人の国では、革命後の混乱に乗じて“救世主の再来”として迎えられることもある。

イゼリアの地では、嘆きと祈りの谷間に、そっと種を蒔くように教えを紡ぐ。

 

ときに疑問を向けられても構わない。

いずれ、彼らも気づくだろう。

 

祈りが通じなかった理由を。

守りたいと願った者すら守れなかった理由を。

 

――“古き神々”は去り、新たな支配者が現れたのだと。

 

そして、僕はその始まりを告げる者。

真なる光の使徒。

 

誰に何を言われようと、それは揺らがない。

 

なぜなら、僕の旅路には一度として“敵”が現れないのだから。

 

それが、答えだ。

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