《Testament of the Last Warden - 世界が歩み始めた日》   作:ケン3ヴァルデン

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地に潜む者達

 

 

 

その存在は、決して幻ではなかった。

 

石を砕き、火を熾し、鉄に命を与えると言われる民――ドワーフ。

彼らは古来より、“穴掘り”、“鉱山の守り手”と自らを名乗ってきた。

 

名乗るわりには、姿を見せない。

だが確かに、いた。

深い山道の先、あるいは雲より高い峰の下――

人の目に届かぬ場所に、彼らの都市《カラグ・ザル》は眠っているという。

 

人々は、ドワーフを“古い盟友”とも“迷い込んだ旅人”とも呼んだ。

何故なら、時折その短躯の影が、風のように現れ、砕けた刃を打ち直し、崩れた道を修復し、ただ黙って去るからだ。

 

しかし、それ以上のことは、何も知られていない。

 

ドワーフの文化。

その技術、その魔法、その信仰。

いずれも、一切が不明のまま。

 

彼らは言う。

 

「入るな。鉱山は生きている」

「火を呼ぶなら、相応の覚悟を持て」

 

そう警告とも、呪いともつかぬその言葉は、代々口伝で人の村々に広がっていた。

 

だがそれは、他の種族を遠ざけるための方便にすぎない。

 

ドワーフは知っていた。

この大地の奥深くに、誰も知らぬ“何か”が眠っていることを。

 

それはかつて、人々が自らの血と引き換えに封じたものか。あるいは、他種族が決して触れてはならぬ知の残響か。

 

それを語る者はいない。

ただ静かに、火炉の奥で槌音だけが続く。

 

それが、ドワーフの“意思”だった。

 

――そして今、王都から放たれた使者が、彼らの眠る門を叩こうとしていた。

閉ざされた扉の向こうに、答えを求めて。

 

 

 

 

北山系の連絡路に近い鉱山“ロム=ツォル山”。

苔むした岩肌と、幾層にも重なる霧の帳。

人の足が遠のいたその地に、評議会が送った使者たちが足を踏み入れた。

 

セイロスの言葉によれば――

「彼らは常に見ている。鉱山を、群れをなせば、嫌でも目につく。

そして目についたものに、彼らは来る。」

 

それは的中した。

 

鉱山の深部へと繋がる裂け目の前で、

使者の隊列が立ち止まった、そのとき。

 

音もなく、岩の影から現れた。

 

背丈は人よりも低く、だが圧倒的に広い肩幅。

鍛え抜かれた腕と、重々しい金属装束。

その手に構えたのは、槌でも、斧でも、鎚矛でもあった。

 

“ドワーフ”――その名を冠し、地に根ざす種族の戦士たち。

 

先頭に立つ男は、眼光鋭く使者たちを見据えた。

 

「何のようだ、ここは“眠る山”だ。火も鉄も、争いも、ここには無い。」

 

言葉に威嚇はなかった。だが、それ以上の重さがあった。

 

使者たちは、準備していた通りに応じた。

「戦ではない。言葉を交わしに来た。私たちは災いに晒されている。もし貴方方が“守り手”であるならば、今こそ地上の声にも、耳を傾けてほしい。」

 

小さな沈黙。

ドワーフの一団の中で、視線が交わされる。

それは、重さではなくなにかを思い出すような間だった。

やがて先頭の男が言った。

 

「我らは貴様らを都市に通す前に、ひとつだけ“確かめねばならぬ”。」

 

先頭に立つドワーフの男――斥候隊長ドルンはそう言った。そうして首から下げられた掌に収まるほどの小さな輪をとりだした。

 

素材は赤黒く鈍く光り、まるで焼けた鉄のようでありながら、触れても熱はない。

輪の内側には、極めて精巧な文字と、目には見えぬ微細な紋様の刻印が走っていた。

 

名を――《サリ=グラムの輪》という。

 

ドワーフたちが「沈黙の審判」と呼ぶこの小さな遺物は、いかなる儀式の言葉も要さず、ただ“見る”のだ。

 

魂の奥底にある、不浄の痕跡を。

 

「これは“サリ=グラムの輪”。忌まわしき者を見抜くためのもの。」

 

この場にて、ドルンはその輪を掲げる。

口にしたのは、たったひとつの言葉。

 

「――通すかどうか、これに聞け。」

 

 

輪は光らない。

鳴りもしない。

 

ただ、近づいたとき――ごく微かに、震える。

目を凝らさなければ見逃すような、羽虫の羽ばたきほどの震え。

 

だがそれで十分だった。

 

最初の使者達数人には、輪は沈黙を保つ。

だが一人、輪の前に立った瞬間、黒い紋様が一瞬だけ浮かび、消えた。

 

ドルンは顔をしかめ、手で止める。

 

「戻れ。見えぬ者に語りかけられたか、あるいは眠りの中で囁きを受けた者だ。」

 

使者は慌てて否定するが、ドワーフたちは容赦しない。彼らにとって、“輪”が語ることこそが事実だった。

 

「これは、我らが千年前に掘り当てし“目”のひとつ。やつらーー魔族の術は、言葉よりも深く、皮膚よりも内へと入り込む。だが、この輪はそれを焼き付けて見抜く。それが人だろうと我らドワーフであろうと、この輪が反応しない者だけが、我らの都市《カラグ・ザル》に迎え入れられる。」

 

こうして、輪の審判を超えた使者たちはようやく認められる。鉱山の門が静かに開き、石と金属が織りなす階層都市――《カラグ・ザル》へと、ついに招かれるのだった。

 

 

 

 

 鉱山道を越え、幾日ぶりに王都へ戻った使者たちは、皆どこか土の匂いを纏っていた。

 衣に染み込んだ岩塩の粉、火薬と石炭が混じった空気。喉の奥にひりつくような、地の底の記憶。

 

 評議会の広間には、すでに各国からの報告書が山積みされており、エリオットはそれらを捌きながら、報告を聞く体勢を取っていた。

 

 「ご苦労だった。……そちらが、その輪とやらに反応した者か?」

 

 使者の一団の中、ひとりだけ目を伏せたまま立つ若い男。顔の半分を隠すように深くフードを被っていた。

 

 「……はい。ドワーフの輪《サリ=グラムの輪》に、確かに反応がありました」

 

 答えたのは隊長格の使者。男を庇うでも責めるでもなく、淡々と報告する。男自身も拒絶するそぶりはなく、ただ口を噤んでいた。まるで、それが当然の処遇であるかのように。

 

 エリオットは一瞬だけ視線を落とし、机の隅に置いていた一枚の羊皮紙を取った。

 それは、フレイが数日前に持ち込んだ“噂を流している者”たちの似顔絵のうちの一枚だった。

 

 そこに描かれていたのは――

「髪型も似ている。輪郭も眼の形も…まさかな」

 

 呟きは自分だけに聞こえるほど小さく、それでも無視できない不快感が胸の奥に滲んでいた。

 

 「……名は?」

 「トール、と申します」

 

 伏し目がちに答えた男の声は澱んでいた。落ち着いていたが、どこか感情を封じた響きがある。その目は曇っており、誰も映していないように見えた。エリオットはその名を心に刻みつつ、羊皮紙を静かに畳んで懐に戻した。

 

 (“救世主”の噂が拡がったのは、偶然ではないようだ。そしてこの者が、それを知る立場にあったかどうか……)

 

 ふと、視線の端に何かの動きを捉えた。

 

 評議会の席の陰、窓際の暗がりに立っていたフレイが、こちらを見て軽く頷く。

 その瞳は、全てを知っているようで、何も語らない。

 

 (……この国の“敵”は、外から来るものばかりとは限らない)

 

 エリオットは、トールと名乗った男を見つめたまま、目の奥で静かに冷たい線を引いた。

 

 重々しい沈黙が、評議会の広間を包んでいた。エリオットは話題を変えるように問いかける。

 

 「協力は得られなかった、ということか?」

 

 静かに尋ねるエリオットの声に、隊長が一度頷く。

 

 「ええ。ただし、敵意ではありません。彼らはあくまで“様子見”と表明しました。人の国が抱える問題を理解した上で、我々の対処を見極めたいと」

 「妥当な判断だ。…ドワーフにしては、むしろ親切な部類だな」

 

 エリオットが苦笑混じりにそう返すと、隊長はわずかに表情を緩めた。だがその直後、懐から取り出された小さな包みが空気を張り詰めさせる。

 

 蝋で厳重に封じられた封書――

 深紅の封蝋には、ドワーフの古印が刻まれていた。

 

 「これは……?」

 「隊長のドルン殿より。“中枢に属する者にのみ渡せ”とのことでした。……開封は、必ずひとりで行ってほしいと」

 

 言葉に、ほんの一瞬のためらいがあった。

 だがそれ以上の問いを許さぬ空気が、そこに漂っていた。エリオットは無言で手紙を受け取った。封蝋の印を見つめる時間が、やけに長く感じられる。

 

 

 

 

 ――数刻後。

 王都の一室、厳重なセリスの結界で守られた私室にて。

 

 エリオットは蝋を崩し、封書を開いた。

 羊皮紙に刻まれていた文字は、まっすぐで硬質な筆跡。

 

 

[既に、お前たちの国には“魔族の手”が入り込んでいる。

それは兵か、商か、信仰かはわからん。

ただし、やつらは形を持たず、心を囁き、意思を偽る。

気をつけろ。

 

そして探せ、あの黒衣の男を。

あの男を、お前たちはすでに見たことがあるはずだ。

あの男を見つけたなら、我らの下へ来てほしい。]

 

読み終えたエリオットは、紙を机に置き、片手で額を押さえた。

 放浪者。黒衣の、あの男。

 

 確かに見た、話した。だが……。

 

 (あれが“味方”かどうかも分からない。

 そしてそれを伝える者が、どうして……)

 

 思考の渦に沈みかけたそのとき。

 外から聞こえてきたのは、民の歓声。

 だがその中に混じって、妙な叫びがひとつ――

 

 「救世主の御名を讃えよ!」

 

 その声に、エリオットの手が止まった。

 彼はゆっくりと目を伏せ、先ほどの似顔絵を取り出した。

 

 そして、封書の言葉を反芻するように、胸の内で繰り返す。

 

 (“囁きと偽り”。――それが奴らのやり口か)

 

 今、この国のどこかで、

 かつて滅びをもたらした“声”が再び囁き始めているのかもしれない。

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