《Testament of the Last Warden - 世界が歩み始めた日》 作:ケン3ヴァルデン
応接室の空気は、外の喧騒とは打って変わって静かだった。セリスは腕を組み、ティリアに告げる。
「――あなたの民、ヴィリュスの森の長達へ伝えてほしい。人の国は、エルフに対し全面的な協力を申し出る。だけどその代わり、我々にも手を貸してほしい。互いの命を繋ぐために」
その声音には、熱も誇張もなかった。
まるで、当たり前の事実を並べるかのように、ただ言葉を重ねた。
ティリアは背筋を伸ばし、真剣な面持ちでその言葉を受け止めていた。
「……伝えます。リン様も、きっと分かってくれるはずです」
柔らかく、それでいて芯のある返答。言葉に嘘はなかった。だが、そのあとに続いた言葉には、わずかに揺れがあった。
「その……それと……あの、あの……あのお方……エリオット様を、あんまり見てなくて……」
「……エリオットがどうかした?」
セリスがゆっくりと視線を落とす。
その双眸に揺れはなく、ただ淡く、感情を持たずに問うた。
「──それで?」
その声は、柔らかかった。けれど、ティリアの背筋には冷たいものが走った。
「……それで? って……?」
ティリアが恐る恐る見上げる。
セリスは、変わらぬ微笑を浮かべていた。
が、その口元が明らかに引き攣っていた。
その一言が、部屋の温度を数度引き下げたかのように感じた。
「“エリオットを、見ていない”って……そう言ったわよね?」
「は、はい……その、あのとき以来……」
「ふぅん……」
ぱちん、と指が軽く鳴る音が響いた。
セリスの表情は変わらぬまま、言葉だけが刺すように続いた。
「それはつまり、“会いたい”ってこと?」
笑顔のまま、声が冷えていく。
ティリアは首をすくめながらも、勢いのまま顔を真っ赤に染めながら、それでも勇気を振り絞るように口を開いた。
「っ……いえ! そのっ……ちょっとだけ、会いたい、かなって!いや別に深い意味はなくて……ただ、ほら、せっかく来たから……!ほんのちょっとで……できれば触……いや見るだけで!」
最後の方はもはや破裂したように叫び、机に突っ伏すティリア。セリスはしばし沈黙し、眉をひとつ寄せた。
「……ふぅ……」
深く、息を吐いた。
目を閉じ、怒らないように、怒らないように、と自分に言い聞かせる。
「いいでしょう。……会わせるわ。
その代わり、変なことはしないで。言葉通じてる?」
「は、はいっっ!」
ティリアが跳ねるように立ち上がり、手を胸の前で組む。
「約束しますっ……絶対に、変なことはっ……たぶん……きっと……!」
セリスはもう一度、深いため息をついた。
(本当に男女問わずモテるわね。あの鈍感男)
*
かつて王の威厳が刻まれていた、広き謁見の間の一角。すっかり柔らかい雰囲気に染まりつつあるそこへ、一人の青年が姿を現した。
「来たぞ、ティリアは――」
言葉の途中で、エリオットの足が止まった。
長い金髪、白磁色の肌、深い瞳。
人とは異なる美しさに、誰もが目を奪われる存在――ティリア。
そんな彼女が息を呑むようにエリオットを見つめていた。けれどその姿は、何度夢に見たか知れない“憧れ”そのものだった。
そしてその背後。
セリスは腕を組み、壁際によりかかりながら、小さくボソッと呟いた。
「……ほんとは会わせたくなかったんだけど」
その声が、空気に溶けるように届いたのか、エリオットは気まずげに微笑んだ。
「……セリスの気持ちも分からなくはないが……俺にだって話す義務はあるさ」
そして視線をティリアに戻すと、少し穏やかな口調で告げる。
「森へ帰るのだろう? 無理はしないように。……皆が待っている」
その言葉に、ティリアはぶわっと胸が熱くなるのを感じた。
声が、思うように出ない。だから──
「きゃっ……!」
と、小さな悲鳴とともにわざとつまずいた。
そしてそのまま、エリオットの胸に抱きつく。
「おっと……!」
エリオットは自然に支えるように受け止めた。優しい。体温が、背中にまで伝わってくる。それだけでティリアの脳内は、もはやお祭り状態だった。
(近い近い近い! うわあああ匂いが! これが! 人の匂い! エリオット様の匂い!なんだこれ……木でも花でも土でもないのに……なんでこんな、嗅ぎたくなるのぉ……ッ!あ、髪の毛、これ帰ったら枕にしよ──)
……その時、背後から刺さるような殺気。
「……さぁて、ティリアさん?足元、大丈夫かしら?」
振り返った先には、満面の微笑みを貼りつけたセリスがいた。ティリアはぴたりと動きを止め、そっと……そっと離れる。
「す、すみませんっ! 足が勝手に……いえ心が……あっいや足です……!」
「ふふ……そう。足ね。そうよね、足よね……」
「はいぃぃ……」
*
抱きつく瞬間を、セリスは見ていた。
視線は冷えきっていた。表情は笑っていた。
けれど内心は、雷雲のように黒く膨れ上がっていた。
(……なるほど。そうきたわけね)
(転びました? 偶然です? ……ふぅん、じゃあ“偶然”私が怒るのも当然よね)
(使者を一人で帰すのも酷よね。心細いだろうし、道中だって不安だし)
(そうよ、そうだわ。1人くらい護衛はつけてあげないとね……)
そして、ふと隣室に意識を向ける。
──そこには、セリスによって魔法で吊るされ、暇を持て余している変質者の男。
セイロス。
(ちょうど良いわね。研究バカの他種族オタク……)
(エルフと一緒ならテンション上がって道中もうるさいくらい話しかけてくれるでしょうし。ティリアには最高の罰よ)
セリスの目元が静かに吊り上がる。
「護衛はつけてあげる」
その言葉の裏に潜むものを、ティリアは知らない。そして、彼女の旅路は思わぬ“変質者とのペア”で幕を開けることになる。
エリオットはそのやりとりを聞きながら、何も言わず、肩を竦めた。
――口を挟んで怒られるのはちょっと…