《Testament of the Last Warden - 世界が歩み始めた日》 作:ケン3ヴァルデン
朝の光が城壁を越えて街を染めはじめる頃。
ティリアは、ひとつ深呼吸をして、背を伸ばした。
「……よし」
背中の袋には文書や少しばかりの手土産、そして隠れて集めたセリスとエリオットの髪の毛の束と数少ない精霊に頼んで集めて貰った2人の匂いを瓶に詰めたもの。
どれもこれも、今から向かう先――遠き森への帰還のため。
……いや、正確には、森へ“連れて帰る”のだ。
──厄介な護衛を。
「おまたせ、ティリア嬢〜!」
背後から響く軽薄な声とともに、セイロスがやってきた。
黒のローブに真新しい鞄、手には旅杖を持ち、どこか浮かれている。
足取りは妙に軽く、まるで遠足にでも出かける子どものようだった。
「別に待ってない。勝手に来て」
「ひどいなあ。僕は命を懸けてキミを守るために……」
「黙れ変質者」
「うん。もうその呼び方が名前になりつつある気がしてるよ……」
それでも歩調を合わせるように並ぶと、馬車の前に控えていた衛兵が軽く敬礼した。
「準備はできています。二名、出立を確認。道中、十分にお気をつけて」
「ああ行ってくるとも!世界の謎を解き明かしに!」
「エルフの森に帰るだけでしょ」
見送る兵士の視線はどこか遠い。
特にセイロスの方を一瞬見て、すぐに目を逸らした。
「……街に変な風が吹き込まないよう、門はすぐ閉じよう。あれが戻ってこなければ一番いい」
「聞こえてるぞー」
門が開き、馬車が揺れながら進み出す。
旅の始まりの音が、車輪の軋む音とともに大地に響く。
ティリアは門の外を見つめながら、ふと息を呑んだ。
広がる大地、果てしない空。
「……ここまでも慣れなかったけど全部知らない場所なんだ」
セイロスが彼女の表情をちらと見て、少しだけ真面目な声で呟いた。
「その気持ち、すっごくよく分かるよ。僕も異種族の街とかいつか見てみたいと思ってた。だから今日、ちょっと夢が叶った気がしてるんだ」
「……あんたは、素直に言えばいいのに。最初から」
「いや、言ってるつもりなんだけどなぁ……」
馬車はゆっくりと、遠ざかっていく。
ティリアとセイロスの、奇妙で不安な、けれどどこか期待に満ちた旅がこうして幕を開けた。
*
昼下がり、丘陵を越えた風が草を撫で、雲の影がゆっくりと旅路を横切っていた。
馬車の揺れは幾分か穏やかで、眠るには少し揺れすぎ、会話をするには少し静かすぎる。
「……やっぱりさ」
不意に、セイロスが隣で声を発した。
「キミと僕は、似てると思うんだよね」
ティリアは、風に揺れる耳をピクリと動かしたが、顔は前を向いたまま返事をした。
「……いや、たぶん似てないと思う」
「いやいや、似てる。間違いなく、根っこのところで」
「どこがよ」
「うん……例えばその、“目”かな」
セイロスはにやりと笑う。ティリアはげんなりと肩を落とした。
「いや、それだけじゃない。僕も昔からさ、“異種族”に惹かれてた。見たこともない存在。言葉も文化も違う。でもどうしようもなく、惹かれてしまう」
ティリアは無言だった。
セイロスは続ける。
「で、君もそうだろ?なにかを追いかけてる。種族も違えば、生き方も違う。言葉も匂いも全部違う。でも、好きになってしまった。会いたくて、話したくて、触れたくて。……それって、」
セイロスの目が、妙に真っ直ぐになる。
「──僕ら、同じだよ」
その言葉で、ティリアはピタリと動きを止めた。
風の音すら、遠のいた気がした。
「…………や、やめてよ」
低く、どこかひきつった声でティリアが言う。
「そっちと一緒にしないでよ……っ」
セイロスは目を瞬かせたが、すぐに小さく笑った。
だが、その笑いはどこか空虚で、自嘲めいていた。
「はは……だよね……。僕も今、自分で言ってて、心にすごい刺さった」
「……何してんのよ」
「傷の舐め合いしようとして、毒かけた気分」
二人の間に、しばしの沈黙が流れた。
気まずくて、情けなくて、どこか悲しい。
でも、不思議とその沈黙は心地悪くはなかった。
「……まあ……いいや。あんた、意外と馬鹿じゃないのね」
「光栄だよ、ティリア嬢。心のお近づきの記念に毛髪でも…」
「気持ち悪いから嫌」
「君が言うのかい?」
夕暮れが近づき、旅路は続く。
共鳴してしまった二人は、もう少しだけお互いに優しくなれたかもしれなかった。
*
イゼリアの地。
黒雷の天が低く垂れこめるこの地に、見慣れぬ馬車がひとつ、静かに踏み入れた。三ヶ月ぶりに森に還ったティリアの姿を見て、出迎えに集まった長老たちや祈り手たちは、安堵と喜びをこめて彼女を迎えた。
──だが。
その隣に立っていた、ひとりの男。
黒い外套、ぎこちない笑み、興奮の抑制に失敗しつつある足取り。
「……だ、大丈夫だ……おちつけ……この程度……平気……皆さんは幻じゃない……実在……している……っ」
セイロスは小声で呪文のように唱えながら、集落の奥へと進んでいた。
そして──その視界に、現れた。
祈りの儀を終えたばかりのリンの姿。
静謐にして峻厳、紅い雷を秘めたその双眸。
加えて、彼女を囲むように並び立つエルフの長老たち、その衣装、その威厳、その雰囲気。
セイロスは、静かに震えた。
「────あ゛……」
その場に膝をつき、ぷるぷると痙攣しながら顔を赤く染めたかと思うと、次の瞬間白目を剥いて、倒れた。
バタリという乾いた音。森に小さく響いた。
誰もが動けなかった。
長老たちは顔を見合わせ、リンは困惑の眉を寄せる。そして祈り手の子らは、慎重に“それ”に近づこうとして──
「大丈夫です。ああいうのだから」
ティリアが、ため息混じりに言った。
エルフ達の注視のなかで、慣れた手つきでセイロスの襟を掴み、ずるずると引きずる。
「毎回こう。別に悪い人じゃないけど、頭がちょっとおかしいだけで。……多分、いい人。多分」
「……これは“人間”……なのか?」
「これが……外の国……」
初めて見る“異物”に、エルフたちは静かに頷き合った。森に戻ってきた少女と、彼女が連れてきた異形。それは、この静かな森に新たな波紋を生み出す第一歩となる──
……かもしれないし、ただの迷惑かもしれない。
*
黒雷の空は変わらず、重たく森を覆っていた。だがその木漏れ日の奥、静かな会議の場にあって、かつて祈ることすらできなかったひとりの少女が、今やその輪の中に加わっていた。
「人の国は、私たちの状況を正しく理解してくれた。協力を惜しまぬ姿勢でした。……ただし、そのためには私たちにも、できる限りの協力をしてほしいと」
そう語るティリアの口調には、いつもの震えも、躊躇もなかった。長老たちの前に真っすぐ立ち、森の外で見てきたもの、聞いてきたこと、すべてをありのままに伝えている。
その姿を見ながら、リンは壁際に立ち、静かに腕を組んでいた。かつては話すことすらままならなかった少女が、今は仲間を守るために言葉を紡いでいる。
──あの日、あの眼で、誰かを守ると決めた。
その決意は、着実に実を結びはじめている。
「……イゼリアの地にとっても、これは一つの転機となるだろうな」
重く、それでいてどこか誇らしげな声で長老の一人が呟いた。
他の者たちも静かに頷き合い、人の国からの申し出──いや、協力の“要請”を受け入れるべきだと、意思を揃えてゆく。
だが、そこにひとつの影が落ちた。
「……問題は、“魔族”だけではありません」
別の長老が言った。
「……最近になって、また語られはじめたのです。“魔族は敵ではない”“我らを導く者である”と。……忌まわしき思想が、囁かれている」
その言葉に、場の空気がわずかに揺らぐ。
それは森に根付いた、ひとつの静かな火種だった。
そのときだった。ティリアが「そういえば」と呟き、口を開いた。
「魔族じゃ無いですが人の国でも、似たようなことがありました」
長老たちが彼女に視線を向ける。
「“救世主”とか、“世界を導く者”とか……そんなことを言って、妙な人たちが集まってたんです。街の人たちには笑い話みたいになってましたけど、でも……あれ、もしかしたら同じなのかもって、今思いました」
沈黙が降りる。
静かな雷鳴が、森のはるか上空で小さく鳴った。リンはそれを聞いて目を伏せて考え込む。
魔族の“信者”──それは、エルフにも人間にも、等しく広がりつつあるのかもしれない。
そして今、静かに繋がったふたつの言葉。
「救世主」と、「導かれる者」。
「……この問題にも、早めに手を打たねばな」
長老が、低く、鋭く告げた。
リンは頷いた。その瞳は、かつてよりも確かに、広く、深く、世界を見据えていた。
*
レドの姿は、森のどこにもなかった。
数人の若者たちが「導きを授けていた男」の名を口にしたが、行方を尋ねれば誰もが口を濁した。中には「しばらく見たこともない」と言い切る者すらいた。
──まるで最初から、そこにいなかったかのように。
リンは沈黙のまま森の高所に立ち、遠くを見つめた。眼下に広がる森、そしてその先にある外の世界。レドが今どこにいるのか、誰かの庇護を得ているのか。答えはひとつだった。
「……人の国に拠点を移したのだろう。あの“教え”を広めるために」
苦々しく言いながら、リンはそっと額を押さえた。この森の外にも、同じように“導かれた者たち”がいるのだとしたら──それはもはや小さな異変では済まされない。
その頃、村の一室で寝かされていたセイロスが、ようやく目を覚ました。
「……ぅあ……夢か……いや、これは……現実……? リンさん……?」
顔を近づけてきた若い男の祈り手を見て「違うか……」と呟き、再び深いため息をつく。
数刻後、足取りもまだおぼつかぬまま、セイロスはリンと対面していた。
「あなたが……“リン・イゼリア・ナヴェラ”ですね?」
「様ね」
ティリアにど突かれつつも投げれたセイロスの問いかけに、リンは無言で頷いた。
「わたしはセイロス。人の国で評議会の一員を……一応、やっております。専門は歴史と民族学……それと、ちょっと魔法理論も。それで、もし可能であれば……この森に伝わる伝承や遺物、古文書などを拝見できないでしょうか?」
真正面からぶつかるような言葉に、リンは目を細める。だが、続けられたセイロスの言葉に、心のどこかが引っかかった。
「……この森に遺るもののなかに、“今起きている事”の本質があると、そう思えてならないんです。……ただの侵略ではない。何か、もっと……こう、根深い、意図的な“連続”を感じるんです」
リンは、しばしの沈黙ののち、低く言った。
「……私も気になっていた場所がある」
ティリアがきょとんと振り返る。リンは続きを語った。
「前、私が受け継いだと“言われた”紅い光があった遺跡がある。……あの時は無我夢中だったし、私には解き明かせなかったが……あなたの知識があれば、何か分かるかもしれない」
セイロスの目が、少年のように輝いた。
「ぜひ! 私をその場所へ!」
ティリアはそのやり取りを見ながら「また面倒くさい流れになるなぁ」と思いつつ、
「……あたしも、行きますから」とそっと口を挟んだ。
こうして、かつて“紅の光”を宿したとされる遺跡へと、三人は向かうことになる。
それが──過去の記録と、現代の災いをつなぐ“鍵”になるとも知らずに。