《Testament of the Last Warden - 世界が歩み始めた日》   作:ケン3ヴァルデン

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繰り返される始まりの時

 

 レドは満足げに目を細め、広場を見渡した。

 

 人の国、かつて王都と呼ばれた場所の片隅。

 修道院跡の小さな石造りの教会は、今や彼と同志たちの集会所となっていた。

 

 瓦礫を片付け、木製の椅子を並べ、隅には祈りのための水鉢。

 形だけは神殿にも似ていたが、掲げられているのは十字でも太陽でもない、ただひとつの印《黒い影》の紋様。

 レドが「導き」と呼ぶ存在の象徴だった。

 

 「……見ていますか? 我が主よ」

 

 レドは囁く。誰にとも知れぬ者に。

 

 広場には人間の男女が笑い合い、エルフの青年が祈るように目を閉じている。

 子どもたちは「救世主様ごっこ」と呼び、楽しげに追いかけっこをしていた。

 最初は物珍しさと噂目当てだった者たちも、今や集い、考え、そして信じるようになった。

 

 信仰は力となる。疑いなき思念は、確かな鎖となる。

 

 「人も、エルフも……わたしと同じように、彼らの声に気づいたのだ。声なき声、祈りなき祝福に……そうだろう?」

 

 かつての記憶が、脳裏に焼きついていた。

 血の雨が降りしきる森。自らの喉元に伸びる漆黒の腕。それが振り下ろされる寸前、何かが自分を包みこんだ。

 

 それは恐怖ではなかった。

 怒りでも、救いでもない。

 ただ、慈しむような意思だった。

 

 それ以降、彼の耳には「導き」の声が響くようになった。

 

 レドは人の国を巡り、イゼリアの地を歩いた。魔族の襲撃を“祝福”だと語り、人々の不安と混乱に甘美な意味づけを与え続けた。

 それはやがて、希望と呼ばれる毒に姿を変え、じわじわと広がっていった。

 

 「もう、無視できまい……誰も彼も、貴方がたは剣や法で人々を守るが……我らは、魂に寄り添うのだよ」

 

 レドの背後で、幾人かの信者が祈りの歌を口ずさみ始める。

 

 歌は古語でも、民謡でもない。

 レドが「導かれた夜」に口ずさんだ、無意識の旋律だった。

 それを聞いた者たちが「懐かしい」と言い、自然と口にし、やがて広まっていった。

 

 教会の入り口に立つ彼の姿に、すれ違う人々は一礼を忘れない。

 ――その瞳に、畏敬と安堵、そして陶酔が宿り始めている。

 

 レドは、それを見て微笑した。

 

 「人の国にも、イゼリアの地にも、我らの“祝福”は根を張った……」

 

 風が吹き、掲げられた《黒い影》の旗が高らかに舞った。

 

 

 

 

 夕暮れの帳が降り始める頃、古びた聖堂の石段に、数十人の人々がひれ伏していた。

 その中心で、レドは静かに言葉を紡ぐ。威圧ではなく、慈愛にも似た響き。

 そして、祭壇の背後――煤けた壁に、《黒き影》の紋章が浮かんでいた。

 

 フレイは聖堂から少し離れた屋根の上にいた。細身の弓を脇に抱え、膝を組み、眉間に深い皺を寄せながらその光景を見下ろしていた。

 

 「……イカれた奴だ。言葉は整ってる分、なお質が悪い」

 

 ぼやきながら息を吐き、指先で頬を掻いた。《黒き影》の紋、そして、セイロスが漏らしていた言葉。

 

 ――この“教え”は、人間だけじゃない。エルフの中にも、根を張りつつある。

 

 「もう、ただの狂信じゃねぇな……」

 

 フレイの声に憂いはなかった。ただ、現実を直視する諦観と苛立ちがあった。

 そしてレドの背後に揺らめくその紋を見つめながら、思う。

 

 「あのエルフ……ただの先導者かと思ってたが、違ぇな」

 

 振る舞い、声、理論、そのすべてが完璧すぎる。あれは確実に“何かに動かされている”やつの顔だ。

 自分で信じて動いているように見えて、その実、もっと奥深く――もっと暗いところで糸を引く何者かがいる。

 

 「……レドですら、ただの“手先”に過ぎねぇってわけかよ」

 

 そう呟くと、フレイは小さく息をつき、屋根を滑り降りた。

 この話を誰に伝えるか、どう伝えるか――それが問題だった。

 

 今さら“影の教え”を見て見ぬふりはできない。すでに、影は火のように、森にも街にも染み込んでいる。

 

 

評議会の執務室。地図と報告書の山に囲まれた中、フレイは腕を組み、窓辺に寄りかかっていた。

 いつもは軽口交じりの調子も、今日ばかりは沈痛だった。

 

 「……思った以上に根が深い」

 

 静かに口を開いたフレイに、机に向かっていたエリオットとセリスが顔を上げる。

 

 「レドが教えを説いてるのは、最初はただの傷病者かと思ってたがな。今じゃ街の片隅にも、セイロスの話じゃイゼリアの集落にも“影の紋章”が貼られてる。しかも、皆嬉々として掲げてやがる」

 

 フレイは額に指を当てた。

 

 「しかも、奴……いや、絶対にレドだけじゃねぇ。噂じゃ“影の教え”はすでに幾つかの村じゃ主流になりつつある。」

「……操られているとしか思えないわね」

 

 セリスが困惑したようにため息をつき。

 エリオットは手を止め、息をついた。

 

 「鎮圧するしかないか?」

 「やるなら、いまが最後の機会だろうな」

 

 その瞬間だった。

 扉が叩き割れそうな音とともに開き、一人の衛兵が血相を変えて飛び込んできた。

 

 「っ! 失礼します――!」

 息を切らしながら叫ぶ。

 

 「《襲撃者》たちが、群れをなして……この国に向かっていますッ!!」

 

 室内に沈黙が落ちた。

 

 「っ規模は!?」

 「確認できた数だけで、百を超えています……っ。空からも、地を這う者も……まるで徐々に包囲するかのように……!」

 

 衛兵の声は震えていた。

 フレイは息を吐いた。

 

 「……“火を付けた”な」

 

 その言葉に、エリオットとセリスの視線が重なる。何かが――“すでに”動いている。

 

 《黒き影》の教えが、街の隅で芽吹く間に、

 外では《真の災厄》が、牙を剥いていた。

 

エリオットは報告を終えた衛兵の肩を掴んだ。声に怒気はなかったが、どこか異様な熱が込められていた。

 

 「よく知らせてくれた。……いますぐ、各防衛区画に伝えてくれ。市街地の封鎖、避難誘導、戦闘準備――すべてだ。各衛兵隊長にはかつての《王命に等しい緊急対応》だと告げろ」

 

 衛兵は緊張の面持ちで敬礼し、すぐさま踵を返して駆け出した。

 

 「フレイ」

 「分かってる。地下通路から孤児院と旧学区には避難命令を出しておく」

 

 セリスは黙って、既に机の上に広げていた地図の中に目を落としていた。

 そして、エリオットの言葉に頷く。

 

 「評議会を――集めましょう」

 

 それから、ほんのわずかな時間が流れた。

 

 

 石造りの円形会議室《叡智の場》。

 評議会の面々が、緊急の招集にも関わらず全員集まり、既に地図の前で討議が始まっていた。

 

 「援軍の見込みは?」

 「使者は既に数カ国へ飛ばしていますが、即時の応答は望めません」

 「では誰を頼る? ドワーフか? エルフか? それとも……!」

 「連中がどこまで動けるのかも未知数だ。先にこの都市を護らねば本末転倒だ!」

 

 喧々囂々とした空気の中、フレイだけが腕を組んで壁にもたれ、エリオットとセリスは会話を見守っていた。

 

 「……それでも《襲撃者》たちが狙うのが本当に“この国”なのだとすれば、私たちが立ち向かう以外ないわ」

 「問題は、どう倒すかだ。魔族の構造も、攻撃手段も未だに謎が多い。ドワーフが持つサリ=グラムの輪に似た兵器か何かが得られればいいが――」

 

セリスとエリオットがそれぞれ意見を出す最中

 

 その時、再び扉が開かれた。

 

 さきほどの衛兵が、今度は顔を青ざめさせていた。

 

 「報告……っ、報告ですッ!」

 

 室内の視線が一斉に彼へと向く。

 

 「……市街地、各門の防衛準備中……っ《黒い影の紋章》を掲げた者たちが、準備を……っ、準備を妨害しています! “救いの手立て”と叫び、民衆を煽っております! 幾つかの門では、既に衛兵の手が回らず……!」

 

 沈黙が走る。

 

 「……中から乱れるか」

 

 フレイが低く呟いた。

 エリオットは拳を強く握る。

 セリスは一瞬、眉を顰めただけで、すぐに冷静な声で命じた。

 

 「民衆の誘導を最優先。煽動者たちは……出来るだけ捕縛して」

 「フレイ、必要なら手段は問わない。人の命が最優先だ」

 

 エリオットが言うとフレイは顎を引いた。

 

「ああ。じゃあ俺は街に出る。やれやれ、火がつく前に消すのも、消し炭から火を起こすのも、どっちも面倒だな」

 

 フレイが小さく笑った。

 

 「……まるで俺たちの革命みたいだな」

 

 軽口とも皮肉ともつかないその言葉に、議場の数名が眉をひそめた。

 

 セリスは即座に返す。

 

 「馬鹿なことを言っている暇はない。あれは王政の腐敗を糾したもので、今回のような――」

 「……いや、違わないかもしれない」

 

 そう呟いたのはエリオットだった。

 

 セリスが目を細める。

 エリオットは地図を睨みながら、かすかに口元を引き結び、静かに言葉を続けた。

 

 「周囲を騒がせ、内部に混乱を起こし……民衆の意志を利用して、要人を押さえ込む。俺たちがやったのも、まさにそうだった」

 

 言い終えた直後だった。

 

 ――外から、鈍い音が鳴り響いた。

 

 「何だ?」

 

 誰かがそう呟いた時には、もう遅かった。

 

 円形会議室の外、王城の壁面に面した窓ガラスが一斉に砕ける。

 黒い霧のような“何か”が、まるで風に乗って侵入してくる。

 

 「侵入――ッ、影が……!」

 

 衛兵が叫び、剣を抜くも、その“黒い影”は姿を持たぬまま宙を舞い、衛兵の兜をかすめた。

 途端に彼は膝をつき、呻き声を上げて倒れる。

 

 その場にいた者たちは、誰もが理解した。

 

 襲撃者が、来たのだ。

 

 フレイは目を見開いたまま、唇の端を吊り上げる。

 

 「……本当に、おんなじだったな」

 

 エリオットは咄嗟に盾を取り、セリスも手元から複数の魔術具を起動させた。

 

 「警告を出せ、城内に侵入! 全兵に防衛を――!」

 

 その叫びが、全土に届くより早く――

 人の国の“中枢”に、魔族は入り込んでいた。

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