《Testament of the Last Warden - 世界が歩み始めた日》 作:ケン3ヴァルデン
王城の大広間は、琥珀の光に包まれていた。長く磨き込まれた黒檀のテーブルには、野獣の丸焼きや宝石をまぶした菓子、果実酒が山のように並ぶ。香辛料の香りが鼻を突き、侍女たちが笑みを張り付かせた顔で皿を運び続ける。
エリオットは椅子に座りながら、いつになく落ち着かない心を持て余していた。
たった数時間前。
焼け落ちる孤児院。血の気の引いた子供たち。
燃え残る扉の前に立つ、無表情の女。
「やめてくれ。坊ちゃん。あんたの正義は、いらない」
その言葉が、今も胸の奥に残っている。
セリス・ウィンダリア。元研究員。王国に仕えた魔法理論の第一人者。
そして、貴族たちの腐敗に絶望して孤児院を営む“裏切り者”。
あのとき、彼女の目には確かに冷たさがあった。だが、その奥に燃えるものが見えた。
自分がまだ見ぬ、“人としての在り方”が。
「王太子殿下、葡萄酒はいかがですかな?」
隣の席の老貴族が、笑いながらエリオットに金の杯を差し出してくる。
「……ああ。いただこう。」
杯を受け取りながら、エリオットはそっと周囲に目を向けた。
飾り立てられた服。過剰な装飾の指輪。
濃厚な香油と食い意地の張った笑い声。
以前ならそこまで疑問も抱かなかったこの光景が、今は異様な仮面劇に見えた。
誰もが大声で笑い、誰もが金を語り、誰もが王の機嫌ばかりを気にしている。
誰も、“今この国で起きていること”には目を向けていない。
焼け落ちるあの孤児院のことなど、話題にすらならない。
──気づいてしまったのだ、自分は。
「エリオット。」
王が、端の席から息子の名を呼ぶ。
彼の父、現王は、なお壮健な体躯を誇る大男であり、眼差しは獣のように鋭い。
その手には金と権力。
その声には絶対の命令。
「お前もそろそろ“選ばねば”ならぬな。」
「選ぶ……?」
「どの家の娘を娶るかだ。臣下どもはすでに探っておる。選択肢を誤れば、国政の均衡が崩れるぞ。」
周囲の貴族たちが、意味ありげに笑いながら目を合わせる。その中には、おそらく焼けた孤児院に手を回したであろう家の者もいる。
エリオットは杯を置いた。
「……父上、私は──」
言葉をつむぐ前に、喉が詰まった。
口の中が妙に乾く。心臓の鼓動がうるさく、耳の奥で響く。“声が”嘯く。
この場にいる誰もが、お前を“王の息子”としてしか見ていない。
一人の人間としての声は、この腐ったゴミ溜めには届かない。
「少々、風に当たりたい。」
誰の返答も待たずに、エリオットは椅子を引いた。
王の眉が微かに動いたが、止めはしなかった。
それだけの余裕が、王にはある。
バルコニーの扉を開け、夜風が顔をなでる。
冷たい空気が火照った皮膚を落ち着かせ、ようやく呼吸が戻る。
広がる城下町は、暗く静かだ。
遠くに灯る無数の明かりのうち、いくつが明日も残っているだろうか。
「……醜いのは、あの者たちだけではない。
気づいていながら、何もしてこなかった俺も、同じだ。」
そう呟いた声は、風に溶けていった。