《Testament of the Last Warden - 世界が歩み始めた日》   作:ケン3ヴァルデン

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託される願いたち

 

 評議会の間に、緊張が張り詰める。

 侵入者――魔族の影が、音もなく蠢いていた。その身は靄のようでいて、時折、人間のような“輪郭”を見せる。

 

 セリスはすかさず魔力を展開し、周囲に結界を張ると、戸惑いに立ち尽くしていた評議会の数名へ叫んだ。

 

 「戦えない者は下がって! ここから先は、私たちがやる!」

 

 その言葉に、最年少の議員が口を開く。

 

 「で、でも! 君たちだけじゃ――!」

 「黙って守られてろ。今はそれが一番だ」

 

 そう言い切ったのはフレイだった。

 軽い口調のまま、腰の短剣を構え、窓から続く通路の影へと駆けていく。

 「外と民衆を」とセリスがその背にだけ一言かけると、フレイは手を振ったまま跳躍して姿を消す。

 

 王座の間――今は「叡智の場」と名を変えた場所に、再び魔族の“形”が顕現した。

 

 それは、人の姿をしていた。

 

 いや、そう“見えた”だけだった。

 けれど――その姿に、エリオットの目は、固まった。

 

 黒く、炎のように揺れる髪。

 鋭く、何かを拒絶するように細められた目。

 高い背と、刻まれた皺。そして何より、威圧的な“在り方”。

 

 ――それは、かつて王であった父の姿に、あまりにも似ていた。

 

 「……まさか」

 

 唇から零れた呟きは、熱を持たなかった。

 魔族は赤黒い焔を手に宿す。それは周囲の空間ごと焼き尽くし、世界の色彩すら狂わせる、異常な“魔”の炎だった。

 

 その火が、王座へと向かって放たれた瞬間――

 

 「やめろォォォォッ!!」

 

 エリオットは跳び出した。

 

 その光、その熱。その怒り。

 あの日、父の瞳に見た――狂気にも似た意志の痕跡。

 

 今、目の前の魔族に、それは“確かにあった”。

 

 レドと同じ様に、かつての父もまた、操られていた――

 

 思考が追いつく前に、体が動いた。

 魔族の焔を、エリオットの蒼い炎が受け止める。

 そしてその隣、セリスが呪文を紡ぎ、時間を“止める”かのような精密な魔術を展開する。

 

 「……似ていた?」

 

 隣で聞こえた、セリスの声に、エリオットはかすかに頷いた。

 

 「いや――確信した。あの焔……間違いない。あれは…“あの人”だった。」

 

 魔族が、父の姿を模していたのか。

 それとも、あの父が、魔族の先兵として操られていたのか。

 

 答えは出ない。

 だが、いま確かにエリオットの中で、過去が塗り替えられようとしていた。

 

 耳を裂くような、鋭い金切り声が響いた。

 いや、それは耳で聞く“音”ではない。

 脳髄を直接削るような――理解不能の“言葉”だった。

 

 叫びとも言えぬその音の奔流に、エリオットは眉をひそめ、片手でこめかみを押さえる。

 血が逆流するような不快感。意味も文法も無い、ただ“在るだけ”の音。

 魔族特有の、言語にもならない音声干渉。

 

 セリスは反射的に結界を張り、背後の評議会メンバーを庇いながらエリオットに目を向ける。

 

 「エリオット!」

 

 彼は、目の前の魔族を睨んだまま、低く、しかしはっきりと告げた。

 

 「セリス――評議会のみんなを連れて、ここから逃げてくれ」

 

 その言葉に、セリスは動きを止める。

 

 「……なにを、言ってるのよ……」

 

 その声には、怒りも悲しみもなかった。

 あるのは、ただひとつ――“拒絶”。

 

 逃げろ。

 それは最も合理的な判断だった。

 この場において、評議会の人間を守るために、エリオット一人が囮となる。

 彼女自身も、頭では理解していた。

 

 けれど、心が……追いつかなかった。

 

 エリオットは、わずかに微笑んだ。

 だがその笑みは、決して諦めでも、別れの笑みでもなかった。

 

 「……俺は、必ず戻る。だから、君が……」

 

 セリスの胸の奥に、鋭い痛みが走った。

 その目に、かつて自分が見た孤児院が燃える様子を見ていた青年の姿が重なる。

 

 「――生きて、会おう」

 

 エリオットは、背を向けずに告げた。

 

 その背中に、言葉を返すことはできなかった。セリスは唇を噛み、静かに後ろを振り返ると、怯える評議会の仲間たちに手を振る。

 

 「……こっち。走って」

 

 指先が、震えていた。

 それでも彼女は、背を向けた。

 背を向けて、エリオットの決意を信じた。

 彼は、きっと戻る。

 だから、自分も――生きて、待つ。

 

 “あの日”と同じように。

 

 

 

 深い沈黙が、古代の機構に満ちた石の間に広がっていた。

 中央に立つ放浪者を、リンも、ティリアも、セイロスも、そしてドルンすらも――言葉を待ちながら、ただじっと見つめていた。

 

 放浪者の手元には、古びた一冊の書――ヴァルデン手記。

 かつて崩壊を招いた文明を生き、その崩壊の只中で問いを記した男の遺稿。

 

 彼は、何を知り、何を伝えようとしているのか。

 

 ――その刹那だった。

 

 セイロスが懐から飛び出すように、手の中の魔力通信球が明滅した。

 制御を振り切るような激しい光と震えそして声が響き渡る。

 

 《っ……!セイロス!国が襲われているッ!》

 

 場の空気を切り裂く。

 その一言に、全員の意識が一斉に揺れる。

 

 「なんだって……!?」

 

 ドルンが眉をひそめ、リンが素早く魔導具を取り出す。ティリアもセイロスに駆け寄る。

 皆が声の出どころに目を向け、状況を把握しようとした――その、ほんの一瞬。

 

 気づけば、放浪者の姿は消えていた。

 

 そこにあったはずの影も、残響も、温度すらも無い。あまりにも自然に、あまりにも唐突に。

 

 「姿を、見失った……まさか、……いや、あれは……“消えた”?」

 

 放浪者のいた場所に残された空白を、ドルンは静かに見下ろしていた。

 足元の岩盤には、重さを感じさせる足跡も、魔力の痕もない。まるで初めから、誰もいなかったかのようだった。

 

 「こんな……バカな……」

 

 セイロスは呆然としながらも、絞り出すようにドルンの背へ声を投げた。

 

 「頼む、ドルン殿。どうか、ドワーフの力を貸してほしい。襲撃者が来ている。奴らは……もう境界を超えているんだ」

 

 ドルンは振り返らない。無骨な背が、そのまま静かに硬直していた。

 

 しばらくして、重い声が返ってくる。

 

 「……我らドワーフは、“守る者”だ。だがな、セイロス」

 

 振り返ったその瞳には、苛立ちとも疲労ともつかぬ影が宿っていた。

 

 「人間がどうなろうと……エルフがどう滅びようと……それは我らの知ったことではない。知ろうともせん。だからこそ、“門”を閉ざした」

 

 ティリアが驚いた顔をした。セイロスも言葉を失い、ドルンの足元へと視線を落とす。

 

 「だが……それで誰かが死ぬのなら……!」

 「誰かが、じゃない。『お前ら』が選んだことだろう」

 

 ドルンは鋭く言い切った。

 

 「人は自らに火をつけ、国を幾度も焼き。エルフはかつての祈りを忘れ、今さら助けを求める。我らに何を求める?」

 

 言葉は鋭いが、その語尾にはどこか悲しみのような揺らぎが混じっていた。

 

 「……それでも、救いを願わずにはいられないんだよ」

 

 セイロスがぽつりと呟いた。

 その声に、誰も返さなかった。冷たい沈黙だけが、遺跡の壁に染みていった。

 

 その沈黙を破ったのは、乾いた音――

 ドルンが鼻を鳴らした、不機嫌そうな仕草だった。

 

 「……救いだ?」

 

 彼は背を向けたまま、少しだけ首を傾けて続けた。

 

 「――願う者には、見返りを差し出す覚悟があってしかるべきだろう?ドワーフは慈善家じゃない。常に我らは“ここ”を守り、外の“お前達”から遠ざけてきた。いまさら誰かを助けるために剣を振るうなら、その見返りが必要だ」

 

 振り返ったドルンの目は、燃えるような赤銅色。その瞳には確かに、揺るぎない“門番”としての誇りと現実の狭間があった。

 

 「俺たちが動けば、何かが変わるかもしれん。だが……その変化の代償を誰が背負う?」

 「僕が背負う」

 

 セイロスが即座に答えた。震えていた足を一歩踏み出し、胸を張る。

 

 「君の願いがあるなら、それに力を貸す。だから――僕の願いにも力を貸してほしい」

 

 ドルンはしばらく無言で見つめていた。

 やがて、肩を竦める。

 

 「……少なくとも放浪者が見える者がそちらにもいる。それだけでも十分か」

 

 彼はゆっくりと腰の斧に手を添えた。

 

 「条件はただ一つ。俺の願い――いや、“我らドワーフの問い”を解き明かすために、お前が役立つこと。それが叶うなら……俺は、お前たちの戦に力を貸す」

 

 セイロスは無言で頷いた。

 

 その言葉に、リンとティリアもまた覚悟を決めたようにうなずく。

 

 “問いを持つ者たち”――

 その名の通り、それぞれの想いを胸に、彼らは再び歩み出す。

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